2001/10/31
ヘヘヘヘヘイコーポリ。
昨日、高台の公園にある、長い長い階段の上で、大きく手をひろげて、空をあおいで、そのまま後に倒れて、階段のふちで頭を打って死んだ。死んだ私の割れた頭蓋骨からは、コロコロと飴玉が転がり出て、水色の飴玉は、コロコロと転がって、私の体ははゆっくりと、階段を、飴玉に乗って、すべりだした。
こうやって、飴玉に乗って、下っていくと、雲が足の下の方へ去っていく。私は、そのスピードや、色のうつりかわりがうれしくて、空へ手を伸ばした。
そしたら階段の一番下に着いてしまったので、私は起き上がり、ころがった飴玉を集める仕事をはじめた。それが今ではこの界隈で、一番の飴玉収集家です。
鶏肉料理を作ってみたのですが、ブロイラーはやはりせつねぐなった。
2001/10/25
だって、本当はヘイコーポリなんです。
世の中の流れや、時代の要請で、人は生きたり死んだりしてはいけない、私はそう叫びながら、駅前のスーパーで葱を買った。
葱の中にはたくさんの岡ひろみ、その負けなさったらない。私は自分の事を名前で呼ぶ女が苦手なので、帰り道はずうっと、葱と目があわないようにしなければ、ならなかった。
許せない、私は、息を吸った、その鼻に大量のミミズがもぐりこんでから、ほら、私死んでたんですよ、死んで、埋められて、今土の中なんだなあ。てことに気づいた。
今日は葱のみそ汁を作った。おいしかったです。
2001/10/19
ヘイコーポリの!
もうすっかり、人と会話をしない生活に慣れてしまって、太陽はまぶしいし、風は冷たいし、このまま蟲になって、枯れ葉に埋もれて死にたいわ、と、文子が言うので、私は愛車のスカイラインに文子を乗せ、国道を北へ向かった。樺太を抜けたあたりで路銀が切れ、以降は文子の手足を売って、ガソリン代に充てた。このままどこまでも行こう、行く当てはないけれど、私がそう言うと、助手席で文子が笑った。
という夢を見た。私は、車の免許を持っていないのだけれど、昔、映像で見た、ドイツのアウトバーンを疾走する、私のスカイラインは、それはそれは格好の良いものでしたよ。
もちろんスカイラインという車がどんな外見をしているのかは知りません。
文子が誰かも知りません。
2001/10/17
今日もまだヘイコーポリです、よかったよかった。
おうちに帰ってから、しばらくごろごろしていて、昔の事なんか思い出したりしていたら、中学校の頃の私が、不意に出てきて言いました。
「あなたは今は一人でこんなに楽に生きてるけど、あの頃の私はずうっといらいらしていたし、世の中の頭の悪い人たちは一向に減ってないし、どうしてくれるの」
「そんなの私に言われても」
「いいから包丁を取りなさい、そして、自分に価値があると勘違いしている、テレビで流れている事の模倣しかできないような、そんな頭の悪い人達を殺しに行きなさい」
「いやです」
「じゃあ死になさい、嫌なら私が死ぬから」
それで、私は中学生のときに死んだので、今はもう、この部屋には誰もいない。
2001/10/7
ハローハロー、こちらヘイコーポリ、あなたはだあれ。
毎日違う場所で寝て、水を飲んで過ごしているビニール袋さんとしては、このまま地面に沁みこんでしまうのが、楽なんですが、まあ、そうも言ってられないので、やれやれと起きあがって、貯金を調べたら、あと一年くらいなら、遊んで生きていけるという事が、判明いたしました。
勿論この場合の「遊ぶ」というのは、私の場合、一人前の大人の女ですので、床の板目を指でたどったり、といった事ではなく、もっとステキな奥様的な、リリカルな、ポエジックな、スリリングな、ダイナミックな、眠くなったので寝ます。
家に帰るの、めんどうだなあ。
2001/10/1
ペプシコーラはおいしいなあ!ヘイコーポリです。
電車に乗っていて、なんだか眠いなあと思って、ぼんやしていたら、目の前に海。
気が付いたら伊豆にいたので、しばらく海辺で過ごしていました。
小さな旅館に泊まって、久しぶりにさかなを食べました。
伊豆はとても静かで、空気が灰色でした。
携帯電話の電池も切れて、三日ほどしたら、なんだかやる気が出てきたので、会社に電話して、辞めました。
私は、ビルと空の境目が怖かったので、これがちょうどいい結末だと思います。