「何か最近、三谷変わったよね」

そんな言葉が飛び込んできた。
別段意識して聞き耳を立てていたわけではない。
美鶴はただ授業がはじまるまでの時間をぼんやりと過ごしていただけだ。
それとなく視線をやると、美鶴のクラスの女子と知らない女子が数人互いに机を寄せ合っていた。

そういえばこの授業は合同だったかと思い出す。
選択授業と言われ、音楽、美術、書道の3つの選択肢を提示されたとき、
美鶴は迷うことなく美術を選んだ。
深い理由はない。
ただこの3つの中では美術がいちばん好きだった、それだけである。

三谷亘についての話題を出したのは、どうやら知らなかった方の女子のようだ。
とするとあの子は亘のクラスなのだろうか。

「うん、何か雰囲気違うよね」
「落ち着いたっていうか」
「思った、それ!」

思わず表情が崩れかけて美鶴はぐっと力を奥歯を噛んだ。
落ち着いてる?あいつが?
どうやら彼女たちの思い描く三谷亘と美鶴の記憶の中の彼は別の人のようだ。
こんなことを本人に言えば間違いなく大きな目を吊り上げて怒るだろうが、
美鶴の中に、「亘は落ち着いている」なんていうイメージは皆無だ。

どうやら自分はこの話題に興味を持ったらしい。
先程までは途切れ途切れに、それも声ではなく音としか聞こえてこなかった彼女たちの言葉を
一言一句漏らすことなく耳が拾っていった。

「何か親が離婚してって聞いたんだけど…」
「えっ、嘘!」
「それ私も聞いたー」

それから声がワントーン下がり、人目を憚るようにぼそぼそと話した後、
「でもやっぱりいちばんの原因は…」
続いて紡がれた言葉に、不覚にも美鶴のポーカーフェイスは崩されてしまった。










下駄箱で亘を見掛けたのはそれから2時間後だった。
何やら物凄く急いでいるようで、其処まで一緒に来たらしい小村への挨拶もおざなりに、
叩きつけるように降ろした靴を履くというより、蹴り飛ばすような感じで無理矢理足に引っ掛けて
あっという間に消えてしまった。

下校中の生徒たちのざわめきの中、靴を履き替えながら美鶴の心はほんの少し温度を下げた。

今更だが、亘には亘の生活があるのだということを思い知らされた気分だった。
冷静に考えれば当然のことである。
おかしなことに、最初は理解していたことを、いつの間にか忘れていたのだ。
実際、亘の生活の大部分を美鶴は占めていたし、
亘は事ある毎に美鶴!美鶴!と言っては美鶴の手を煩わせた。
だからなのかもしれない。
美鶴のいない瞬間は亘の中には存在しないような、そんな気さえしていた。

「・・・・・・」

くだらない考えだ。
眉間に皺を寄せ、自ら不快感を表す。
そうすることで少しは気が楽になることを美鶴は学習していた。
ほんの少し下がっただけのはずの温度は、もう触れることすら躊躇われる程になっていた。










マンションの全貌が見えるようになった頃、見覚えのある後ろ姿を見付けた。

「・・・亘?」

亘は学校を出たときと同じく大慌てで美鶴のマンションに入っていった。
知らず、美鶴の足取りも早くなる。

玄関のエントランスに出たとき、ごんっ!!という鈍い音がして、
まさかな、とは思いながらそちらに顔を向けると、案の定亘が額を押さえて蹲っていた。
確か前にも同じことをやったんじゃなかっただろうか。
学習能力、とぼんやりと思いながらそちらに足を向けると、足音に気付いた亘が顔を上げた。

「美鶴!!」

大丈夫!?怪我は!?
これは本来美鶴が言うべき言葉であったが、実際に語られたのは亘の口からであった。
やはり頭をぶつけるというのは恐ろしいことのかもしれない。
美鶴は亘と視線を合わせるようにしゃがんだ。

「怪我してるのはお前だろう」
「えっ、あっ、え!見てたの!?」
「音だけ聞いた」

みるみるうちに亘の顔が赤くなって、ぶつけて鬱血していた額が目立たなくなった。

「っ、僕のことはいいよ!それより美鶴…っ」

続けて何か言おうと口を開いたとき、亘の視線が美鶴の肩口あたりで止まった。
ぽかん、というオノマトペがいちばんしっくりくるような、そんな表情だった。

「あれ?鞄?美鶴、今帰り?」
「学校が終わってまっすぐ帰宅して今ここに」
「ええっ!だって、怪我して病院行ったって!」
「…何処で聞いてきたんだそんなこと」
「クラスの女子が!」

美術の時間に美鶴が怪我して血がいっぱい出てた!って!
それで病院に行った!って!

必死に訴える亘の姿も、申し訳ないが滑稽でしかなかった。
美鶴はこの通り元気だし出血多量で病院のお世話になってもいなかったのだから。
だが、ひとつ、

「あ、怪我なら」
「したの!?」
「これ」

ん、といって左手の人差し指を立てる。
亘は突き出された指をまじまじと見た。
包帯はおろか、普通のよりも小さめな絆創膏がぴっと貼ってあるだけだ。
亘の表情が、ほっとしたような、それでいて苦虫を噛み潰したような、
なんとも複雑な様相を示した。

「残念だったな、かすり傷で」
「本当だよ!」

そう言いながらも、亘は目に見えてほっとした様子を示した。
それまで前のめりになるように床に膝をついていたのを崩し、その場に尻をついて座る。

「何だ、もう、あいつら騒ぎすぎだよ」
「真に受けるお前もお前だと思うけどな」
「怪我したのが美鶴じゃなかったら女子だってそんなに騒がないし話も大きくならなかったんだよ!」

安心感からか軽口も飛び出す。

「で、何で怪我したの?手に釘打った?」
「彫刻刀でちょっと深く刺しただけさ」
「・・・・・・」

亘はまるで自分に彫刻刀が刺さったかのような何とも情けない顔をした。
その顔には分かりやすく「痛そう」と書いてあった。
手に釘を打つのだってそう変わらないだろうに。

「まぁ軽傷には変わりない」
「うんっ、本当もう話聞いたときはびっくりしたよ!
靴とか中途半端な履き方して走ったから何か足首痛いしさ」

見れば、確かに靴下の足首の部分に不自然に擦れて汚れた跡があった。

「…お前、学校終わってすぐここに来たのか?」
「そうだよ!だって病院に行くほどの怪我だと思ってたんだもん」

それがどうやら見当違いということで若干羞恥心を含んだ声色で亘は口を尖らせた。
それを視界の端に入れながら、美鶴の頭がひとつの答えを弾き出した。
だとしたら下駄箱で見た亘は此処へ来るためにあんなに急いでいたということになるのか。

ひたひたと染み渡る温かさを感じながら、美鶴は目を細めた。
そうだ、こうやって俺はまた忘れていく。
亘の世界の大部分を自分が占めているような、そんな錯覚に。
そうしてそれに抗う気も、余り起こらない。
そしてそのことを甘受する自分を厭う気持ちもない。
だから厄介なのだ。
のめりこまないよう気をつけているが、いつまでもつか。あるいは。

「成程な。で、途中で道に迷って散々さ迷った挙句、やっと着いたってわけか」
「な」

何で分かるの!と驚く亘に下駄箱で見掛けたことを伝えてやれば、
一瞬恥ずかしそうな表情をしたかと思ったら次には眉根を寄せて悔しそうに地面を睨んだ。
次から次へと表情を変える亘を見て、美鶴はふと美術の時間の女子たちの会話を思い出した。

「そういえば亘、お前大変なことになってるぞ」

「へ?」

何なに、と顔を近付けてきたその耳元にさっき聞いたことを囁いてやると、

「え―――――!!!!」

耳元を押さえ、首まで真っ赤になった亘を見つめ、美鶴は満足げに笑った。










『やっぱりいちばんの原因は、芦川君に恋してるからだよねっ』




こどもの恋/ミツワタ





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