一×朔造(捏造設定特盛)
30年以上も昔のことである。
朔造は神代邸の主の部屋に、主と二人でいた。
神代邸の主である神代一と、その顧問弁護士である佐久間朔造の関係は、単なる家主と弁護士の関係ではない。学生時代からの友人である。
その日も、仕事の話を終えた二人は、一の所蔵するレコードをBGMに、軽く飲み食いをしながらゆっくりと話す時間を共有していた。
さほど趣味が一致するというわけではなかったのだが、何となく気が合って、気を遣わなくてよく、遠慮なく何でも言うことが出来る、一緒にいると心地よい相手。そんな風にお互いを認識していた。
「何だか今日は暑いな」
一はそう呟いて、部屋着の胸元をはためかせる。
「窓でも開けたらどうだ」
「あぁ、そうだな。……お前は暑くないのか?」
「私は、別に」
朔造は一年中、スーツをきっちりと着込んでいる。
汗もあまりかかないで、いつでも涼しげな顔をしている男だった。
その日も、空気が淀んで暑苦しくなっていた室内で、まるで平気そうにしていた。
「こういう時くらい、上着でも脱いで楽にしたらどうだ」
「構わないでくれ。私はこうしている方が落ち着くんだ」
一の提案に対して、朔造はすげなく返答する。
「……そうか」
「ん? 窓、開けないのか?」
「客人のお前が暑くないと言うなら、いいかと思ってな」
一は一度は立ち上がったのだが、窓を開けることなく再びソファに座った。
「それにしても本当に、最近お前がスーツの上着を脱いだところを見た記憶がないぞ。そんなに弁護士バッヂを見せびらかしたいのかぁ?」
「そんな理由じゃない」
朔造は即答すると、スーツの襟元をそっと正した。バッヂが照明にキラリと反射する。
「じゃ、どんな理由なんだ」
「さっきも言っただろう。この方が私は落ち着く。それだけだ」
一はジロジロと朔造のスーツ姿を改めて見渡す。
朔造はその視線から逃れるように、そっぽを向いた。
「じゃあ、私はそろそろ、おいとま――」
朔造が席を立とうとすると、一はその言葉を遮った。
「まあ、待てよ」
「何だよ。何だって言うんだ」
一は答えないまま朔造に近寄り、スーツのジャケットのボタンに手をかけた。
「わっ、何する……! やめろっ!」
朔造は必死で抵抗し、二人はもみ合うような形になったが、最終的には朔造が負けた。
スーツのボタンはもともと、きつく作られてはいない。少し指をかけるだけですぐに外れてしまう。
一は、ワイシャツの上から朔造の体に触れた。
本来その中には下着と身体くらいしか無いものだが、明らかに違う、固い手触りがそこにあった。
「やめろ……」
日頃から常に不機嫌そうなしゃべり方をする朔造だったが、その声はそれ以上に怒りに溢れていた。
だが、一の手をふりほどこうとはしていない。一は朔造の言うことを無視して、ワイシャツのボタンをも外していった。
「……これは、これは」
朔造のはだけた胸元からは、黒い革のベルトが巻き付いているのが覗いていた。
どう見てもお洒落の為の物ではないし、医療用のコルセットとも違う。
一はベルトをなぞるように指を動かしていく。革のベルトは朔造の乳首を抉り出すかのように胸の上下を通っている。胸の真ん中に交点があり、そこから下にもう一本伸びている。腰回りにもそれと繋がった太いベルトが巻き付いていて、腰の脇には南京錠がくっ付いているのがわかった。
「拘束具――と言うには手足が完全に自由だよな。ボンデージか」
一は独り言のように呟く。驚いている感じは一切なかった。
「誰にやられているんだ? それとも、一人でやっているのか。まさか夫婦の趣味、じゃあないよな」
「あいつは関係ない」
妻に関しての否定だけはしっかりしたが、それきりしばらく沈黙が流れる。
「……君に説明する必要は、無いと思うが」
「まあ、確かにそうかもな」
一が手を離したので、朔造はすぐさまボタンを留めていった。少し整えると、いつも通りの佐久間朔造が蘇る。
「なあ、何で俺が、お前のシャツの下に何があるのか、見抜いたと思う?」
「……そんなこと、興味が無い」
朔造は早くこの場を立ち去りたいということで頭が一杯のようで、少し苛ついた様な口調で言った。
「いいから、聞けよ。どうしてわかったかなんて、簡単なことだ。俺がお前がされているのと同じことを、人にしてるからだよ」
「な…誰に……っ」
「使用人達に」
一は悪びれもせず、隠し事をこっそり教えるような雰囲気もなくあっさりと言う。
「よし、俺も教えたんだから、お前にも教えてもらおうか」
そう言って笑う一からは、友を心配している様子はまるで感じられないのだった。
「そんな取り決めはしていない。私が言う事は、何も無い……」
「それなら、一つだけ聞かせてくれ、さくさく。お前はその格好を、喜んでやっているのか、無理矢理やらされているのか、どっちだ?」
そう質問されると朔造ははっとして、無意識に自分の胸あたりで片手を握りしめていた。
しかし、その口は堅く閉ざされたままだ。
「それは……」
「当ててみせようか。最初は嫌々だった。今も表面上は嫌なように装っている。でも、内心では気持ちよさを感じている」
「……! そんなわけ…ッ」
朔造が否定しても、一は己の予想を全く取り下げるつもりはなさそうだった。むしろ、赤くなって否定したことを肯定と受け取っていた。
「それにしても、それ、酷い安物みたいに見えるな」
「……は?」
「革は本物みたいだったが…作りが甘い。第一、サイズも合ってないじゃないか。だから見破られたりするんだよ」
そう言われると、どうしても気になってしまう。朔造はスーツの上から、胸の横あたりにそっと触れた。
締め付けられてはいるのだが、確かにわずかに浮いている。
「俺なら、もっと上等な衣装を用意してやれるぞ」
「は……えっ? な、何を言って……」
「どこの誰だか俺は知らないが、そんな安物しか寄越さない奴なんかじゃなく、佐久間、俺と遊ばないか?」
朔造を真っ直ぐに見据える一の表情は、真剣そのものだった。
「馬鹿な冗談はやめてくれ。私は失礼する」
朔造は身を翻して、その足で屋敷を後にした。
それから数年の月日が経った。
神代邸も、一の部屋も、ほとんど姿を変えることなく存在していた。
「さくさく、式の時以来だな。もういいのか?」
「当然だ。そんな何日も仕事を休むはずないだろう」
朔造は軽い手つきでネクタイの位置を直してから、定位置であるソファに腰掛けた。
少し積み重なっていた仕事を手早く片付けると、いつもの様にリラックスした時間がやって来る。
「……今日は、着けてないんだな」
一が、ウイスキーの水割りを片手に、ぼそりと言う。
「毎日着ているわけじゃない。君もそのくらいのことはわかってるだろう」
朔造の回答は冷静なものだった。だが、一の本当に言いたかったことは、これではなかった。
「まあな。正しくは、もう着けない。だろう?」
「……」
そう言われた朔造は頭の中で、様々な言い返し方を浮かべては、消していった。
その長めの緘黙は、結局認めることと同義となる。
「さくさく。前に俺が言ったこと、もう一度考えてみる気はないか?」
「……何のことだ」
「本当は忘れてないだろ?」
「断る」
朔造は両手指を組んで口の前に当てた。
一は、やれやれと言った風にソファの背もたれに体重を預けてため息をつき、しばし考え込む。
「あぁ、こういう言い方の方が好みか?『俺の奴隷になれ』」
「……ふざけるな!」
怒声を上げて、朔造は立ち上がった。同時に握りしめた拳が震える。
「お前のお遊びなんかに付き合わされる必要がどこにある!? お断りだと言ってるんだ! せっかく…ッ」
「まあ、今すぐにとは言わない。気が向いたらでいいよ。俺はさ、別にお前をどうしてもどうこうしたいなんて思っちゃいないんだよ。遊び相手ならこの家にいくらでもいるしな。俺はただ、お前の……」
一はゆっくりと腰を上げると、ローテーブルを挟んで向かい側に立ったままの朔造の横まで歩き、そのまま朔造の頬を両手で掴んだ。
「お前の、最高に気持ち良くなった顔が見てみたい。俺のこの手で、そんな顔を造り出してみたい。それだけだよ」
一瞬の間の後、朔造の青白い顔に、朱色が差し込まれていく。
「おかしな奴だな……」
吐息のような声でそんなことを言った。
「何だ、今頃気付いたのか?」
「知ってはいたが、ここまで酷いとは思わなかった」
「これくらいで驚いていたら、この先身が持たないぞ」
悪戯好きの子供のような顔つきで言うと、朔造はこう答えた。
「そこまで言うなら、付いていってやろうじゃないか。神代」
すると、一は朔造の顔から手を離し、自身の腕を組んで言った。
「その気があるなら、それらしい言い方をしてもらおうかな」
朔造は数秒間の心慮の後、自分に言い聞かせるように小さく頷いて、一の前に片膝を立てて座り頭を垂れた。
「あなた様の、仰せのままに。ご主人様」