『蜜月の扉』
                             

 今日は中秋の名月だ。
 浅倉は愛犬を連れて屋上に上がった。
「アニー、ほら、お月様がまんまるだね」
 そう言って指差してみたけど、愛娘は全く興味がな
いようで浅倉の傍らで大きなあくびをひとつした。星
に願いを、って言うけど、月でも願いは叶うんだろう
か。月の持つ魔力で願いが叶うなら。
「……会いたい、なぁ」
 誰にも言えないけど。彼にすら口が裂けても言えな
いけど。つまらないプライドだと自分で思う。でもやっ
ぱり自分からは言えない。こんなにも会いたいくせに。
「無理だよね、やっぱ……」
 黒田の様子は大野から時々耳にしている。相変わ
らず全国を飛び回っているらしい彼は、今頃どこにい
るのだろう?
 その時何気なく手にしていた携帯がいきなり振動し
て浅倉はびくっと体を竦ませた。
「あーびっくりした……携帯か」
 ぼんやり自分の考えに浸っていた浅倉は慌てて携
帯の画面を見る。
「……うそ」
 着信の相手は、今まさに考えていたその人で。
「もしもし?」
『あ、大ちゃん?オレ』
 これは月が叶えてくれたんだろうか?会いたいって
願ったから、声だけでも聞かせてくれたんだろうか?
『どうしたの?元気ないね?』
 黙りこんだ浅倉を勘違いして黒田が心配そうに問い
掛ける。
「そんなことないよ。びっくりしただけ。……どうしたの、
 急に?」
『あぁ、うん……今日って満月じゃん?見てたら、なん
 となく。どうしてるかなーって』
「なんとなく、だけなの?」
 わざとムッとした言い方をすると、電話の向こうで黒
田が穏やかに笑った。あぁ、久しぶりだ……なんて思
いながら月を見上げる。
「黒田は?今どこにいるの?」
『東京。さっきまでリハしてたんだ』
「そっか。もうすぐライヴだっけ?」
 互いの道を歩き始めてからしばらくはある程度のス
ケジュールは知っていた。でも今はもうどこで何して
いるのかすら知らない。これが時間の流れというや
つなんだろうか。
「忙しいのに電話くれたんだ?」
『大ちゃんの声聞けるなら忙しいのなんか関係ない
 よ』
 冗談とも本気とも取れる声色でそう言って黒田は
笑った。たとえ冗談でも、実際こうして声が聞けた
んだからいいか、と浅倉は思う。きっと自分からは
電話も何も出来なかった。
『でも大ちゃんが外にいるなら、オレ、ラッキーだっ
 たのかも』
「え、なんで外にいるって分かるの?」
『音が違うよ。それに携帯電源入れてるってことは
 仕事抜けてるってことでしょ?』
 簡単だよ、とからかうような声。少し意地悪く微笑
む彼の表情が容易に想像出来て浅倉は笑った。そ
して思う。会いたい、と。その笑顔が見たいと。
『大ちゃん』
「ん?」
『会いたいね』
 自分が思っていても口に出来ないことを、彼はとて
も素直に言葉にする。それは出逢った頃から変わら
ない。それなのに。
「でも、忙しいんでしょ?」
 それに比べて素直になれない自分は可愛くない言
葉しか言えない。会いたいって、たった一言なのに。
『大ちゃんが会いたいって言ってくれたら、会えるか
 もしれないよ?』
「え?黒田、なに言ってんの?そんなの無理……」
 そう言って、浅倉はふと電話越しに聞こえる音に気
づく。外で電話をしているらしい黒田の携帯からは時
折通り過ぎる車の音がする。その音は自分が耳にし
ている音と同じもので。
「……まさか?」
 浅倉は慌てて屋上の柵に近寄ると辺りをキョロキョ
ロと見渡した。すると道路の片隅に止まっている、見
慣れた車が目に飛び込み、そしてその傍らで携帯を
片手にこっちを見上げている1人の人物。
「……なんで……?」
『仕事してたら、帰るつもりだったんだけど。でも、会
 いたくなったんだ』
 簡単ではないはずのことを、当たり前のようにやっ
てしまう黒田に浅倉は驚きが隠せない。どうして彼は
自分の望むことをしてくれるのだろう?
『大ちゃんが会いたいって言ってくれたら、今から奪
 いに行くよ』
「え……ここに?」
『そう』
 もうここはかつて黒田がいた頃とは違う。普通なら
恐らく入りづらいだろう。もし自分なら、今の黒田の場
所には入れない。たとえ顔見知りがほとんどだとして
も。
「ホントに……?ここまで来れる?」
『うん。だから言ってよ、会いたいって』
「………」
 たった一言なのに。こんなにも会いたいのに。つま
らないプライドが邪魔して言葉が出てこない。黒田も
ただ黙って浅倉の返事を待っている。
「じゃあ……」
 やっとのことで絞り出した言葉に黒田が耳を傾ける
雰囲気が伝わる。
「ここまで来たら、言ってあげる」
 あぁ、本当に可愛くない。
 自分でそう思ったが、もう遅くて。黙り込む黒田の
表情はここから見えないから、笑っているのか怒っ
ているのか、それとも呆れているのか分からない。
『……分かった』
 それからしばらく経って、黒田は呟くようにそう言っ
た。
『今から行く。だから言ってよ、会いたかったって』
「黒田……」
『プラス、愛してる、も』
 そしてつい咲く笑うと電話は切られた。下を見下ろ
すと黒田はひらひらと手を振ってからスタジオの入口
へと消えた。
「……ホントに……?」
 本当に彼がここに来るというのか。きっとすごい勇
気がいるはずなのに、それをあっさりとやってしまう
のだろうか。浅倉は屋上の扉をじっと見つめる。そし
て時間を置かず、その扉は開かれた。
「……嘘でしょう?」
 呆然と呟いた言葉が黒田の胸の中で消える。
「嘘じゃないよ」
 ちゃんと来たよ、と抱き締められて浅倉はその背中
に腕を回した。直に伝わるぬくもりが、今を真実だと
教えている。
「ホントに来るなんて思わなかった……」
「大ちゃん」
「会いたかったよ、すごく」
 あんなにも言えなかった言葉が、彼を傍に感じるだ
けで素直に言える。傍にいる、たったそれだけのこと
なのに。
「もう一言は?」
 耳元でからかうように囁かれて浅倉は頬を黒田の
胸元に押し付けた。
「言わなくても分かってるでしょっ」
「それでも聞きたいんだよ」
「そんなふうに言われたら恥ずかしいよ……」
 自分でも分かるほど頬が熱くなって、それを見られ
たくないからますます深くその懐にもぐりこむ。
「しょうがないなぁ」
 黒田は笑いながらそう言って、浅倉をぎゅっと抱き
締めた。
「じゃあ自然と言いたくなるようにしてあげようか?」
「……は?」
「オレ、大ちゃんを奪いに来たんだよ?どういうことか
 分かるでしょ?」
 ねぇ?と囁きと共に耳元にキスされて浅倉の体が
ビクリと竦む。
「ボク、まだ作業が」
「そんなこと知らないな」
「アニーにごはんもあげてないし」
「そんなのうちでいいだろ?」
「荷物もまとめてない」
「大ちゃん」
 黒田は少し強い口調で名前を呼ぶと体を離してそ
の目をのぞきこんだ。
「抱き上げて連れていこうか?」
 その言葉に浅倉は大きく首を振った。
「なら、決まり」
 そう言って黒田は浅倉の手を握り締めた。そして
屋上の扉を開く。スタッフたちに何て言えばいいん
だろう、と考える浅倉を尻目に黒田は足早にスタジ
オに降りた。
「じゃ、お疲れでした」
「お疲れ様です」
 まるで当たり前のようにそう言って出て行くから、
スタッフも当たり前のようにそう答える。そして2人
の姿が部屋から消えた時、全員の頭に『?』が浮
かんだ。
「今の、やっぱり、黒田くん?」
「あれ、浅倉さんもいた?」
「……あれ?どうなってんの?」
 プチパニックになるスタッフの中で唯一安部だけ
はやれやれとため息をついていた。
「そういう手があったのねぇ」
 そう呟いて窓から見える満月を眺める。
「今日は満月だけど、あの2人は蜜月ってとこかし
 らね」
 
 車の中で浅倉は呆れたように黒田を見つめた。
「もしかして入って来る時もあんな感じだったの?」
「そうだよ。かしこまる方がなんかおかしいじゃん。
 それに怖い人に止められたら困るし」
 怖い人、というのが誰かはすぐに分かったから浅
倉はくすくす笑う。
「やること大胆だよね、相変わらず」
「大ちゃんのためなら何だってするよ」
「何でも?ホント?」
 笑いながら冗談を言うように聞く浅倉に黒田は艶
めく瞳で答えた。
「とりあえず“愛してる”って言えるようにしてあげる
 よ」
 その言葉に浅倉の頬が瞬時に赤く染まる。
「それってボクのためでもなんでもないよ」
「そう?気持ちよくなれる……いてて」
 ばしばしと腕を叩かれて黒田は見を捩った。
「オレ運転してんだから」
「黒田が悪いんだろ!」
 真っ赤な顔で抗議しても、結局は可愛いだけだと
いうことに本人は気づかない。
「まぁ大ちゃんのためになるかどうかは明日の朝分
 かるからさ」
「なに言ってんだよっ」
「今夜は寝かさないということで」
「だからなに言ってんの!」
 浅倉の言葉はことごとく無視され、眩しい月明かり
に導かれるように車は進むのだった。

 きっと、こういう夜があってもいい。





                      →Next






PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル