私はその日、生まれて初めてのマニキュアを買った。
きっかけは何て事は無く、有体に言えば好きな人の気をこちらに向けたかったからだと思う。今どきの同級生の友達からすれば『そんなことよりも』と言って髪を染めるように言ってくるだろう。
だけど私には校則を破るといった勇気は無い(周囲には染めている子が多いが一応校則では禁止されている)。それに髪なんか染めたら親に何を言われるのか分かったものじゃないし、私自身今の黒髪が好きだったので安易に髪を染めるようなことはしたくなかった。それに色素の薄い髪色と言うのは、ただでさえ希薄な私の存在を笑うような気がしたから。"そういう人"が髪を染めると『明るくなったね』と言われるが、"そうでない人"が髪を染めても誰も見向きもしない。それどころか『何かあったのか』と本人も知らないところで言われてしまう。
だけど、マニキュア程度なら。マニキュアなら指を隠している間は誰にも見つからない。少し変に思われるかもしれないが、それは我慢できる。
買ったのは家の近所にあるコンビニだった。初めて使用する物を買う時は色々と迷うもので、今回の場合も例に洩れず理由のわからない気恥ずかしさを私は感じていた。
店に入る。いらっしゃいませの声。入り口から数えて二番目の棚に移動する。化粧品やそれらに必要な道具などが棚から伸びる棒に吊るされていた。マニキュアは――あった。色取り取りだが、赤やピンク系の色が主色のようで、その色の数々はドラマやコマーシャルでよく見る色でもあった。
どれにしよう。ありがちな色は多く有るが、しかしあまり華美なのは自分には似合わない。かと言って地味な色――赤系やピンク系に地味さは感じにくいだろうけど――ではあまり意味がない。
あれこれと見ていても結局その店にある色は限られていて、店を移動しない限り選択肢は増えない。ふと、店員から見るとマニキュアを延々と見続ける自分はおかしな存在なのだろうなと思った。
目に映る色は赤、桃、青、紫、橙、銀。その中に一つだけ"違い"が混じっていた。手に取り見てみる。
ボトルの外側から見える色は鮮やかな赤紫色。しかし何故だろう。これだけ多くの色がある中で何故私は、このボトルを手に取ったのだろう。何故、私はこのマニキュアが気になるのだろう?
目立つ色は自分には似合わないとそう感じているのに。
ボトルを見つめ始めてどれだけの時間が経ったかも分からずに、私はボトルを指で触ったり、また見たりし続けて、結局は赤紫色のマニキュアを買った。ありがとうございましたと店員が言った。少しだけ胸が高鳴るのを感じていた。
家に帰り、自分の部屋に戻ってきてからマニキュアを袋から出してまだ眺めた。やっぱり鮮やかとしか言えない色だった。赤紫色。自分とは全然違う。蓋を開ける。つんとした匂いが酷く鼻に突いたので、直ぐに閉めた。
もう一度開けてボトルを遠ざけて蓋だけを手に持って色を――無色の"元"赤紫色を見た。
――。
遠ざけたボトルを見る。赤紫色。手元のはけの部分を見る。無色、透明。付かないよう気を配りながら目に近づけて見てみる。
やはり無色……ではなかった。よく見ればかなり薄くではあるが、色が付いている。その色はピンクだった。驚いた、と言うか、がっかりした、と言うのか。よく分からない気持ちが今の私にはあった。
透明なマニキュア。無色ではあるが、輝く色。左手の中指にハケを近づけて薄く塗る。色が出ない。見えない、のに、蛍光灯の明かりに反射して光っていた。
更に塗る。今度は位置をずらして。三度塗る。中指の爪先は透明なマニキュアに彩られた。――綺麗になった指を見て少しだけ、嬉しくなった。
中指の一本だけに塗ったマニキュアをしげしげと見つめてみる。コマーシャルに出てくるような女優に少し近づいた気がして、私は明日が少し楽しみになった。会えるかどうかは分からない。だけど会う事が出来たなら、ほんの一瞬だけで良い。彼の目に入るように、この透明なマニキュアを塗った指と、私を見てもらおう。
ほんの一瞬だけでも良い。私だけを、見て。
ドラマに出てくるような台詞を私は一人口にした。
[Fin]
|