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帰途 (かえりみち)




 「こしろ…」
 唇が離れて、間近に白い美貌を見ていてさえ、まだどこか夢のようだった。こんな風に不意に彼が現れる夢を今まで何度見ただろう。
 「なんだい? まだ足りないかい?」
 からかうような声が鼓膜をくすぐる。懐かしい、声。記憶の中で何度も繰り返した思い出の声ではない、生の声だ。
 「いや、……」
 胸が詰まって言葉が出ない。代わりに目が熱くなって涙がこぼれそうだ。鼻の奥がむずがゆい。
 「藍丸…?」
 弧白の吐息が頬の辺りをくすぐる。目元に口付けられる。反射的に目を閉じた。ぬくもりが心地よい――…。
 と、携帯の着信バイブが藍丸の意識を甘やかな陶酔から引き戻した。
 そして今更ながらここが街中だったことを思い出す。視界の端で通行人があからさまに見てみぬ振りで側を通り過ぎ、離れたところでは携帯カメラをこちらに向けているのを見つけて、文字通り顔から火が出そうな気分になる。
 「ま、待て弧白! ちょ、とりあえず、後で」
 「…なんだい」
 顔を押しのけるようにして身を離すと、明らかに不満そうに鼻を鳴らす。往来だとか人目だとかを気にしない癖は相変わらずらしい。
 かまわず携帯を確認すると雷王からの留守電だった。雷王は未だにメールは余り得意ではない。聞いてみると、事情聴取の後、本屋によっていくから少し遅くなるかもしれない、との短いメッセージだった。
 「そっか」
 呟いて弧白の顔を見上げると、驚くほど冷たい目に見返された。
 「私より、そんなおもちゃが大事かい」
 「な…! そんなわけねーだろ」
 「どうだか」
 ふいと明後日のほうを向いてしまう。腰に回されていた腕も、いつの間にか解かれている。だいぶご機嫌斜めらしい。
 ――そのまま自分を置いて再びどこかに行ってしまうのではないか。神出鬼没が身上の弧白だ。今、突然現れたように、また消えてしまってもおかしくはない。
 「馬鹿。帰るぞ」とっさに弧白の手を捕らえた。「…ちょっと桃箒にメールするから、それだけ待ってくれ」
 記憶にあるのと違う、手套のない手を引いて駅前の道を歩く。わずかに遅れて付いてくる弧白の気配は、まだどこかとげとげしい。
 (な、なんか空気変えねえと…)
 「弧白、お前携帯は?」
 「?」
 聞くと、眉根を寄せて小首を傾げてみせる。
 「携帯電話。持ってるか?」
 「いいや。…必要なかったからねえ」
 「…そ、か」
 さらりと告げる弧白の言葉に胸を突かれた。誰に何を伝える必要も無かったという彼の三百年間の孤独を思う。もともと孤独を好む質だとはいえ、探り出し、駆り立て、滅ぼすことに明け暮れた修羅の孤独だ。その凄まじさは想像するに余りある。そしてそれは、全て藍丸ゆえなのだ。
 「じゃあ、買いに行こうぜ」
 おあつらえ向きに、すぐ近くにショップの看板が見える。弧白の手を握った指に力をこめて、そちらへ向かって歩を進めた。
 「え?」
 

 足を踏み入れた店内は、見た目よりもだいぶ広い。あちこちに色とりどりの電話機とポップが並べられ、客の視線を引こうと賑々しい。幸いなことに店内の客はあまり多くなかった。販売中の機種の見本が並べられた棚の前に弧白を連れて行く。
 「どれがいい? どれでも好きなの買ってやるよ」
 だが、弧白は驚くでもなく、ディスプレイ棚にずらりと並んだモックを一瞥して、肩をすくめた。
 「……。藍丸の好きなのでいいよ」
 「なんだよ。お前が使うんだぞ。…じゃあ――これとかどうだよ」
 手近の一つを取って渡すと、おとなしく受け取りはしたものの、持ったまま戸惑ったようにそれを凝視している。
 「どうだ? …どうした?」
 「何をどうしろって言うんだい」
 「え、…持った感じとか、ボタンの位置とかが手に合うかどうかとか」
 「どれも変わらないよ」
 つまらなそうな口調で言いながらモックを棚に戻す。ふと、思いついたように「どうせなら、藍丸と同じのが良いかねえ」
 そう言って笑んで見せる。
 ――お揃いの携帯。
 (なんか、こっぱずかしいじゃねーか)
 気恥ずかしいが、なんだか嬉しい。女子供でもあるまいに、と思いながらも、ほほが緩む。
 「……俺のは、これだな」棚の上の一群から藍色の一台を手にとって見せる。「何色がいいんだ? 白とかどうだ?」
 「そうだねえ。それにしよう」
 「え、いいのか?」
 「藍丸が選んでくれたんだもの。いいに決まってるじゃないか」
 金の目に覗き込まれて心臓が跳ねる。久しぶりに目の当たりにする人外の美貌はだいぶ刺激が強いようだ。当の本人は藍丸の動揺など知らぬげにモックを手にとって、今度は物珍しそうに撫で回している。その指先の動きにあらぬ想像を掻き立てられて、下腹に血が上るのを感じた。
 (やべ。…そんな場合じゃねえっての)
 「じゃあ、それで決まりな。――すいませーん」
 藍丸は妄念を振り払うように店の奥のカウンターを振り返った。 
 

 約一時間後、女性店員の軽やかなありがとうございましたー、の声に送られて二人は店を出た。手には小ぶりな紙バッグと、二台の携帯電話。
 「それにしても、驚いたねえ」
  駅前は家路を急ぐ勤め人と、遊びに繰り出す若者とでだいぶ混雑している。駅へ向かう流れに乗って、人ごみの中を歩きながら、弧白が言った。
 「何がだよ」
 「物の値段といえば、金鍔とかりんとうくらいしか知らなかった藍丸が、あんなふうに滔々とややこしい買い物が出来るようになったなんてねえ」
 月日の流れを感じるねえ、としみじみとした口調で言う。
 さすがにこの言い草には少しばかりカチンと来たが、横目に見た弧白の顔がからかう風でもなく、素直に嬉しそうだったので、噛み付くのはやめにした。
 「男子三日会わざれば刮目して見よ、っていうじゃねーか。――ほら」
 「なんだい?」
 白いほうの一台を差し出してやると素直に受け取った。
 「使ってみろよ。俺の番号とか、入れといたから」
 「どう、やるんだい?」
 携帯を握る手を取って、ぽちぽちとボタンを押してみせる。
 「ここを押すと『アドレス帳』ってのが出るから、こう選んで…こう」
 一拍おいて、藍丸の手の中の電話が鳴り出す。弧白に見えるように応答ボタンを押すと、耳に当てた。
 「もしもし? ――聞こえるか?」
 手に持ったままの弧白を視線で促して耳に当てさせる。弧白は電話の音声を確かめるようにして、黙って頷いてみせた。
 「なんか、言えよ」 
 「何かって?」
 「もしもし、とかさ。…お前、携帯じゃない電話は使ったことあるのか?」
 「一応、あるよ」少し考える風に言う。『もしもし、藍丸? …こうかい?』」
 「おう。じゃあさ、今度は俺がかけるからさ、お前受けてみろよ」
 一度切らせて、さっきと逆の手順で今度は弧白に電話を受けさせる。かつて一緒に暮らしていたとき、いつも物知りなのは弧白のほうだった。その弧白に物を教えることになるとは――少しばかり気分がいい。
 ふふ、とくすぐったがるような声で笑いながら弧白が言う。
 『妙な心持だねえ。藍丸の声が両側から聞こえるよ』
 「ほんとは離れてるときに使うもんだけどな。まあ、いいだろ。練習だし」
 『もう、離れやしないよ』
 電話越し、耳元でささやく甘い声に何かが弾けそうになる。ずっとこらえてきた何か。胸の奥深くにしまって、あることさえ忘れようとした、思い。
 「そんなの、わかんねえだろ…!」
 「藍丸?」
 突然声を荒げた藍丸に、弧白は驚いたようだった。金の瞳を丸くして身をかがめて藍丸の顔を覗き込む。
 「お前、今の今まで便り一つよこさねえで、生きてンのかどうかも全然わかんなくて、俺…」
 言葉の途中で息が詰まった。これ以上口を開いたら言葉のほかにも色々こぼれそうで意地で口を噤む。俯いて顔を隠した。
 そう簡単にどうかなるタマじゃないことは百も承知だ。だが、弧白だって不死身ではない。別れてからの間には日本の国ごと駄目になるんじゃないかというくらいの出来事がいくらもあった。心の臓をかきむしる不安に苛まれて闇雲に探しに出ようとしたのも一度や二度の話ではない。
 (信じるって決めたから、ずっと――必死で我慢して…。でもよ――…)
 そんな藍丸の声なき声を聞き取ったか、弧白は歩調を緩めると、並んで歩いていた藍丸の肩に腕を回し、その頭を抱え寄せた。
 「ごめんよ。――たくさん不安にさせたね?」
 なだめるように髪を撫でる手のひらの下で首を振った。もう、いい、戻ってきたから。短い呟きは弧白の耳に届いたかどうか。
 「…ごめんよ」
 そっとそっとゆっくりしたリズムで髪を撫でる手のぬくもりが心地よい。その感触にまた涙がこぼれそうなる。
 「そう思うなら覚えろ。…で、どっか行くときは忘れず持ってけ。俺がかけたら、ちゃんと出ろよ」
 「わかったよ」
 「俺も、お前からかかってきたらちゃんと出るし」
 「ああ」 
 「約束だぞ」
 「約束するよ」
 言いながら、身を屈めると掠め取るような口付けをする。
 「おま…ッ!」
 「約束の、しるしだよ」
 声音は神妙ながら近々と覗き込んだ目が笑っている。
 「――そういうのは、せめて帰ってからにしろよ」
 弧白の腕から抜け出して、早足で数歩先を歩く。弧白もするすると人混みを縫って、すぐに隣にやってくる。
 「屋敷でなら、いいのかい?」
 からかう様な笑み交じりの声が耳元に吹き込まれる。
 「ばっ…! 揚げ足取るんじゃねえよ。お前はもう少し人目というものを憚りやがれ」
 少しばかり語気がきつくなった。
 ちらりと横目に弧白の様子を窺うと、叱られた犬のような顔で眼を伏せていた。小さな溜息に肩が落ちたのが感じられた。
 だから、小声でそっと付け足した。「…………。まあ、…少しなら、な」
 「なら、急いで帰らないとねえ」
 そう言って弧白は満足げににんまりと笑う。なんだかいいように言わされた気がする。
 (ほんとにコイツは――…!)
 恥ずかしい物言いも人を食った態度も変わってない。呆れると同時に嬉しくもある。
 (ま、いいか)
 「おう。急ぐからな。はぐれんなよ」
 携帯をしまうと、弧白の手首を掴んだ。そのまま大股に人波を縫って歩く。

 彼らの、家に向かって。


<了>

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後書き:
 本編EDのちょっとあと妄想。蛇足でスイマセン。

 弧白さんが旅に出てる間、便利な通信機器が発明されるたび、藍丸悔しかったんじゃないかなあ。「あの時これがあればあいつに持たせたのに…!」みたいな。ちなみに弧白の携帯の名義は藍丸です(子回線というか副回線というか一人家族割というか)。束縛する気満々ですね藍丸。まあ、表向きは身分証明ちゃんと偽造したりなんたりこれから整えなきゃならないし、それだと時間かかるしってことで。
 めんどくさがりな弧白もカメラの使い方とか覚えたら俄然張り切って藍丸のあーんな写真やこーんな写真撮るんだろうなあ(;´∀`)
 おそろいのストラップつけてニヤニヤしたりとか、待ち受けがお互いの写真とか。べたなこと一杯やって屋敷の面々に呆れられてればいい。

 

 

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