裏門へと続く道をひとり歩いていました。

学校はまだ始まったばかりだというのに、さすがに夕暮れはじめの校舎に人はまばらで

はらはらと舞い降り蓄積した櫻の波を気にすることなくかき乱して歩いていました。

絶対に自分の歩む進路を変えないと、無駄にもそう心に決めていたのです。

ザッザッザッとつま先で花弁を掻き分ける音にまぎれて、グラウンドから運動部の掛け声が聞こえてきました。

ザッザッザッという音の合間をぬって私の耳に届く其の音は、

ひとりで聞くにはあまりにも寂しくてわけもなく心細くなりました。

ここは学校で、まだ日もくれてさえいないというのに。

とにかく私はきゅうに人恋しくなり自転車置き場へ着くその前にテニスコートへ足を向けました。

ハラハラと櫻吹雪が目の前にひらけて、ザッザッザッという音は消えました。

私はほっとしてその横に備えつけられたの中に視界をくぐらせました。

うちの学校のテニス部というのはとても強くて有名だそうです。

私はテニスのことはよく分からないので、朝礼や全校集会で良く表彰されている、

ということぐらいにすごいとしか知りません。

だけど私の視線は彼らを捉えません。

どんな男の子だって捉えはしないのです。

私の目の先にはまっすぐに、上條先生の横顔がありました。

去年の冬、私がばらまいてしまったプリントを拾った指先が意外と鋭くて、

ぶっきらぼうに差し出されただけで単純な私が恋に落ちるにはじゅうぶんでした。

恋という言葉がふさわしいのかどうかは分かりません。

誰かに打ち明ければ教えてくれるかもしれません。

だけど一人の生徒が先生のことをあれこれ考えたところで、上條先生本人にいったいどれだけのことを

及ぼしうるのでしょうか。何も何も、しのばせることはできないのです。

だから私は、この想いを誰に打ち明けることもなくしまっておくことで、

せめてそれを特別なものにしておこうと思いました。

私が口にしなければ、誰にも知られない可哀想なこの感情の行き場は散り落ちた櫻の花弁同様

知らず知らずのうちに踏まれて雨に流されてしまうぐらいのものです。

遣る瀬無い、それでも私は案外幸せなように思いました。

  

テニスコートのフェンス際にはぽつぽつと女子のグループができていました。

レギュラーの先輩が何かすごいことでもしているのか、時折どよめきと歓声が起こっていました。

彼女たちの中にも私のようにこっそりと秘密の花をいつくしみ育てるように

先生を想っている可哀想な人がいるかもしれないと思うと胸がしめつけられて

人恋しくてここにきたのにますます寂しい気持ちになりました。

だけどおそらく、そんなことはたいした意味をなさないでしょう。

花は日の目を見ることもなく太陽に焦がれて日陰の中おなじようにひっそりと散っていくのです。

先生には、少なくとも今は顧問をしているテニス部のことしかなくて、私の気持ちが一ミリだって届くことはなく。

近づくことすら許されない、告げられない想いは美しい足かせとなって私を苦しめます。

数学が得意になればなるほど、私は上條先生を見ているのが辛くなりました。

上條先生がマネージャーと話を終えたのか、ベンチから立ち上がりました。

こちらに歩いてくるかもしれないと思い、私はあわてて女子テニス部のコートにうつりました。

「めぐみー。」

そういって小さく手を振ると私の友達はポニーテールを元気よく躍らせてかけつけてきました。

「やっほ、サチ。これから帰り?」

めぐみはどんぐりのようにまんまるの目をくるくるさせながら今休憩中だからとタオルを取ってコートを出ました。

彼女は男子テニス部の先輩に憧れてテニス部に入ったそうです。

そういう目的で入る人は沢山いましたが、半分は途中で辞めていくようでした。

それでもめぐみは持ち前の明るさや運動神経があっていたのか、すっかりテニス部になじんでいました。

それに、スコート姿がとてもよく似合っていて、もうずっとテニスをやっているような感じさえしました。

「相変わらず頑張ってるね。」

「まあねー。もうすぐ県大会が始まるでしょ。三年の先輩たち最後だしさ、気合入っちゃうよ。」

楽しそうでいいねと私が言うと、めぐみは今からでも遅くはないから入ってみればと言いました。

「私は駄目よ、運動できないし。それに見ているほうが楽しいもの。」

「まあサチがグランド10周とかしてるのは想像できないよね。」

確かにそうかもしれないと自分でも思い、私たちは顔を見合わせてクスクスと笑いました。

「サチは勉強もできるし、お菓子だっておいしいの作れるし、お嬢様〜って感じ?」

「全然そんなことないって。めぐみだってちょっと黙ってたらお嬢様に見えなくもないよ。」

めぐみは活発すぎるくらいなところがあって、男子とも対等に渡り合っていける頼もしい子です。

「黙ってたらってどういう意味よ。そんなこと言うのはこの口?」

頬にあてがわれた彼女の掌は温かく、私はそれだけで彼女の強さにすがりつきたい気になりました。

「まあ良いけど。サチは何もしなくてもらしくていいんじゃない。結構男子に人気あるんだから。」

「嘘だあ、めぐみ自分がモテるからって気を使わなくていいよ。」

「まっ。私はモテモテですからね。おすそわけってやつ?なーんて。でもさ、サチって好きな人とかいないの?」

「うん。どうだろう。」

私は大切な友達の前でちゃんと笑えていたでしょうか。

先生のことを話したらいくぶんか気持ちが楽になるだろうと思い、

だけどそれすら今は先生に失礼な気がしてためらわれました。

テニス部が良い成績を残せるように、先生がどれだけ力をいれているのか

そしてそれを周りに気取らせないようにしていることくらいは知っているつもりでした。

「あ〜。その返事はもしかしているね。まっ、今度ゆっくり聞かせてよ。そろそろ戻らなくっちゃ。」

「うん、用もないのに呼び出してごめんね。」

「いいっていいって。このめぐみ様の可憐なテニス姿を見ていってちょうだいよ。」

そうやってお茶らけて相手に気を使わせないめぐみは時々なんで私と一緒にいてくれるのだろうかと

不思議になるくらいまぶしい存在でした。

「遠いなァ…」

ほんの少しだけでいい、先生の傍にいて、他愛もないおしゃべりをして他愛もない彼のことを知りたいと願いました。

授業のことで、質問しに行けば先生は軽々と応えてくれるでしょう。

でも私にはそれができませんでした。

決して赦されることのない願い、赦されては意味がないのです。

めぐみはちょっと驚いた顔をして、やがてすぐに納得の色を浮かべてニコニコしながら私を小突きました。

「はは〜ん。ひょっとしてサチの好きな人ってテニス部?」

「ううん、いないの。」

「そっか。」

ケロリとしてめぐみは男子テニス部のコートを眺め、つられて私も見てしまいました。

「あんなに頑張ってる人に、どうやったら近づけるんだろうね、ほんの少しでいいのに。」

寝癖のついた頭にくたびれたシャツを着て、いつも雑談を交えていい加減に授業を進める先生。

なのに悔しいくらい、いつのまにか力をつけさせられてしまっている。

どこか有名な私立高校からスカウトがきたという噂もありました。

「サチ?」

顔を覗き込まれて私はあと少しで涙を流しそうになっていたことに気付きました。

「ごめん、帰るね。」

「うん、気を付けてね。」

「めぐみも頑張って。」

私たちは合わせ鏡のようににっこり笑ったのを確認して、けれどもそれが本当に笑っているのかということは黙っておきました。

「あのさ、どんなに遠くてもそんな仙人みたいな人なんていないんだからさ。」

「ありがと。」

「また明日ね。」

テニスコートに戻っためぐみのポニーテールがゆらゆら揺れているのがここからでも見えました。

私はもう一度上條の姿を見てから帰ろうと男子テニス部の方へと目をやりました。

こころなしか一瞬、先生と目があったような気がしました。

なんとなく恥ずかしくなって、また哀しくなってイチョウの波に足を戻しました。

ザッザッザッと櫻は踏まれていきます。

花弁が、靴の中に入りましたがそんなことはもうどうでも良かったのです。

先生には想いを寄せる隙すらなくて、少女漫画のようにすべてが賑やかで楽しくいかないことを

今更ながら思い知らされました。

行き詰まった想いは嗚咽となって私の頬を濡らすこともあるでしょう。

だけど、それでも好きなものは好きなのです。

頬を撫でていった春の風に、ほんの少し慰められた気がしました。

 

―04/03/21

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