ジャリ。
黒い皮の靴底が小石を踏み、音を立てた。
「なんてとこにいやがるんだ」
鉤裂きを作ったスーツの裾を摘み、煙と一緒に溜息を吐く。
帽子やスーツには木の葉や小枝が大量にくっついていて、すでに取る気も起こらない。
最初は確かに道があった。途中からそれは獣道に変わり、最後には誰かが踏みしめたらしき気配の残る一本の筋になった。
その誰かとは考えるまでもなく。もう何年も会っていない、現代に生きる侍以外にはありえない。
やっと拓けた場所に出れば、水分はいったいどこに行ったんだと突っ込みたくなるほど埃っぽい土と大小の石が転がる所だった。
吹き上げてくる強い風に、次元はトレードマークの帽子を抑えた。
そしてなぜか。誘われるように風が吹いてきた方向に顔を向けた。
ルパンから手紙が来た。
久々の、いや久々というのはどのくらいの期間をいうのかよくわからないが、分かれてからすでに5年という年月が経っていた。
ルパンの性格、気まぐれさ。そして最後の仕事のときの様子。
付き合いの長い次元でなくとも、そのすべてからもう当分は一緒に行動することはないだろうということは予想できた。
ルパンファミリーと呼ばれるだけあって、中心はルパンだ。
目的、計画、実行、それらすべてがルパンを軸にして進んでいく。
つまり、ルパンがいなければファミリーは形にならない。
だからこの5年の間、ルパンだけでなく五右エ門にも不二子にも次元は会っていない。
もう彼らは過去のことで、未来に続くことはないのではないかと考え始めていた矢先にタイミングよく手紙が来た。
会わなかった歳月の長さを微塵にも感じない、まるで昨日まで一緒に仕事していたとでもいうような軽い、いつもの集合場所を記した手紙。
目を通した次元はつい笑ってしまった。
5年という年月が一瞬で吹き飛んだ。考えるまでもなく示された場所へ示された一ヶ月後に行くことが次元の予定になった。
そして同時に。
同じく呼び出されたであろう、もう一人の男。石川五右エ門のことが脳裏に浮かんだ。
湧き上がってきたものはルパンに対するものとなんら変わりなかった。
この5年間、思い出しては悩み、忘れようとしては忘れられず、だからといって受け入れることもできず、いつも脳裏の片隅に悩みのタネとして存在していた五右エ門に対する感情が、なにひとつ変わらずに次元の心に蘇ってきた。
それは間違いようもないほど強いもので、次元はその瞬間にすべてを受け入れた。
5年前には受け入れがたく拒否するしかなかった感情なのに、今は当たり前のものをして次元の胸の中に灯った。
そして次元は。
ルパンファミリーとして全員が集う前に石川五右エ門に会うことを決めたのだ。
まず目に入ったのは、風に舞う長い髪。
一瞬女かと見間違いそうになったが、それは次元が捜し求めて来た人物だった。
咥えていた煙草が少し厚めの唇からポロリと地面に落ちる。
風に膨らむ着物と袴。そして左手に在る斬鉄剣。
嶮しい岩場の切先に風を受けて佇んでいる男は、以前と変わらぬ姿かたちをしていたが、ただひとつ髪だけが。
肩先につくくらいだった黒髪が、今は背中を覆い腰につくほど長く伸ばされていたのだ。
その髪が風に煽られ踊るように空に舞う。なんともいえない幻想的な光景だった。
ピュウウと一段と大きく鳴ったあと、風は嘘のようにピタリとやんだ。
舞っていた髪が重力に惹かれて元の場所へ戻っていく。
気配に気がついたのか、黒髪に縁取られた白い貌がゆっくりと次元の方を振り向いた。
ジャリ。
石を踏む音に次元はハッと我に返った。
いつの間にか目の前に五右エ門が佇んでおり、次元の目を真正面から見つめていた。
五右エ門が手の届くところにいる。その瞳は次元だけに向けられている。話しかけるように形の良い唇が薄く開いた瞬間。
次元の思考が激しくスパークした。
手を伸ばし、掴んだ腕を勢いよく引き寄せる。
ふいを突かれた五右エ門が次元の方へほんの少しよろけたのと、その唇を奪ったのは同時だった。
「!」
五右エ門の切れ長の目が驚愕に見開かれるのを逸らすことなく見つめながら、荒々しい動きで唇を割り開く。
硬い歯にあたった舌をそのまま滑らせ歯茎を舐めながら、五右エ門の体を両手で抱きしめた。
ふわりと嗅ぎ覚えのある匂いに鼻腔を擽られて次元は堪らなくなった。
背中を流れる髪を掴み引き下げると、自然に五右エ門の顔が上向き、唇が無防備に開いた。
遠慮なく舌を捻りこみ、口内を嘗め回しながら舌を絡めとる。
真正面にある五右エ門の目がゆっくりと閉じたあと、応えるように絡んだ舌が動き出した。
積極的に次元の舌を捕らえ奥まで引き込み、その舌に歯を立ててくる。
ズキンという甘い痛みが次元の体を縦に貫く。
五右エ門が応えてきたということは、この感情は今でも一方的なものではないということだ。
次元と同じく五右エ門の中にあったあの感情も消えずに残り、今も心の中に居座っているのだ。
それならば遠慮することはない。
次元は嬉々として唾液を啜り舌を絡ませながら、五右エ門の体を弄る。
掌に感じる細いがしっかりとした背筋を手繰り、硬く締まった尻肉を鷲づかみにした。
途端、五右エ門の体がビクリと大きく震え、渾身の力で次元の体を引き剥がした。
離れたふたつの唇から唾液の橋が出来、すぐに切れて水滴となって落ちる。
「な、なにをするっ」
息を荒げながら五右エ門が叫ぶ。
久々に聞いた声が「なにをする」だなんて色気がねぇなぁと次元は思いながらも、もう一度抱きなおそうとしたが、五右エ門はそのまま後ろに一歩引いた。
「そんなのいちいち言わなくってもわかってるだろ?」
体を摺り寄せ、逃げる五右エ門の両足を膝で割り開く。
「ま、待たぬか」
「待てねぇって」
ゆるりと両手の中に五右エ門の体を収め、今度は唇ではなく白い首筋に顔を埋めた。
サラリとした髪の感触が次元の頬を撫でる。
この髪がこれだけの長さになる年月会っていなかったのだ、と改めて実感する。
よく俺は平気でいれたもんだ、と次元は小さく笑った。
「お、おぬしは両極端すぎる!」
五右エ門の叫びも抵抗も無視して、せわしなく手を動かし愛撫を施しながらも着物を緩めていく。
空気に晒された背中に手を這わすと素肌の感触に混ざり、サラリとした長い髪が次元の指に絡んだ。
「いい加減にせぬか!こんな場所でなにをするというのだ」
遠慮なく事を進めていく次元に焦った五右エ門が身を捩り逃げをうつ。
だが、次元はもう逃すつもりはなかった。
5年前に受け入れられなかったはずの感情は、今は完全に次元のものとなり、衝動となって次元を突き動かす。
「セックスに決まってるだろ」
首筋から顔をあげ真正面から顔を覗きこんでそう宣言すると、五右エ門は顔を紅く染めながらもが呆れたような表情を浮かべた。
「こんなところでか」
そういわれて改めて辺りを見回すと、確かにこの場所はそういうことに向いてない。
埃っぽく地面には大小たくさんの石がゴロゴロ転がり寝転ぶには無理があるうえ、寄りかかれるような大岩や大木もない。
「じゃ、いいところ知ってるのかよ」
軽く唇を啄ばみながら次元が問うと、今度は五右エ門が強く唇を押し付けてきた。
舌は入ってこない、ただ唇が触れるだけのキス。
次元が虚をつかれて目を見開くと、五右エ門の顔がスッと離れた。
「この先に・・・拙者の庵がある」
「じゃ、そこに行こうぜ」
こんな所でするより、ちゃんとした床のある場所でじっくりゆっくりした方が愉しいに決まっている。
次元は嬉々とした表情を浮かべ、五右エ門を抱きしめていた腕をほどいた。
五右エ門は肌蹴た体を隠そうともせず、そのままゆっくり歩き出す。
衣服を整えないその姿に次元の期待と興奮は大きく膨れ上がった。
「綺麗な髪だな」
横を歩きながら五右エ門の髪を一握り掴み、唇に寄せる。
スルスルとした気持ちのいい感触だ。
この髪が五右エ門の汗に濡れた白い肌に纏わりつき、動きに会わせて乱れ舞うのを想像すると、次元の心臓が大きく鳴った。
そんな次元の気持ちに気がついているのかいないのか。
五右エ門はチラリと流し目を送っただけで何も答えなかった。
「で、その庵とやらはどこだ?」
片腕で腰を抱き、次元は五右エ門の髪を咥え遊びながら聞いた。
五右エ門の目が細まり、形の良い唇の両端が持ち上がり、ニヤリとした表情が浮かぶ。
「歩いて30分ほどのところだ」
言われた意味が一瞬わからず、次元はぽかんとしたが、すぐに理解して叫んだ。
「さんじゅっぷん!?3分じゃなく、30分もかかるのかよ!?」
「そうだ」
「そんなに待てるか!!」
思わず立ち止まって抗議するが、五右エ門はそれを無視しそのまま歩み続ける。
「おい、五右エ門、待てよ!」
こんなにヤる気満々ですでに興奮マックス状態なのに、それを五右エ門もわかっているはずなのに、あと30分もお預けと聞いて次元は怒らずにはいられない。
足をとめずに五右エ門は肩越しにチラリと振り返る。
「5年待ったのだ。あと30分くらいなんでござる。おぬし男であろう?」
「男だから待てねぇんだ!」
次元の抗議はどこ吹く風。五右エ門は気にせずにそのまま歩き続ける。
追いていかれそうになった次元が慌てて駆け寄ると聞こえるか聞こえないかくらいの声で五右エ門が言った。
「拙者とて待つのだ。おぬしも待て」
強い風が吹き、五右エ門の髪がまた大きく舞い上がる。
艶やかで綺麗な黒髪は次元の方に流れ、その体に絡まるように纏わりつき、流れ落ちた。
「・・・手加減はしねぇからな」
「それは拙者の台詞」
どちらかともなく、自然にふたりの顔が近づき、唇が触れ合った。
すでにふたりの間に5年という歳月はなく、今はただ消えずに残ったその感情だけが胸にあるだけだった。
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