私のスカイホスピタルで起こった出来事は大変なものだった。
あの怖ろしいフェニックス病の治療法をみつけだし、投下されたミサイルからもギリギリで逃げ出した私たちはその後アメリカ政府によりこの場所に連れて来られた。
治療薬を生成し投与したといっても付け焼刃的なもので完璧ではなかったと判断されたのだろう。
これから2週間は治療と研究に協力してくれとこの施設に押し込められた。
まあ、気持ちは充分わかる。
私も医者だ。完全にフェニックス病が治癒できたという証明と、ワクチンを完成させそれなりのストックを作らない限り、私たちを解放するわけにはいかないということは理解できる。
だが私はなぜか感染しなかった。
多分、スカイポスピタルで西川君たち感染患者の治療に当たったのはBJで私ではなかったからだろう。
彼は患者に接触しすぎたから感染したのだ。私はほとんど接触していなかった。
だから、私は研究対象にはならないと抗議してみたのだが。
キャリアがないとも限らないし、感染しなかった何かの特性を持っているのかもしれないから、と抗議は退けられた。
BJや西川君たちはここに運び込まれてからまだ意識を取り戻していない。
彼女たちは感染するのが早かったことで回復が遅れているのだろう。
BJに至っては感染したまま不眠不休で治療薬の研究にあたっていたうえ、最後にはあの状態で最も精神力を必要とする心臓手術まで行ったのだ。疲労が溜まっていて当然だ。
無免許医とはいえ、彼のあの医者としての使命感、意思の強さには頭が下がる。
認めたくはないが今回の一件で彼を見直したことは確かだ。
まだ彼らの意識が回復しないのでとりあえずと私の検査がはじまった。
いじくりまわされるのは不愉快だが、致し方ない。
その代わり私自身のカルテを回してもらい、自らその内容をチェックする。
検査以外の時間はフリーだということだったが、私以外の者はみな意識がないのでこの施設にいるのは私ひとりのようなものだ。
たまに私の担当医だという男も訪れるが、一人というのがこんなに退屈で寂しいものだとは思ってもみなかった。
3日目の正午、検査から部屋に戻るとなにかいつもと違った。
私の隣の部屋、つまりBJの部屋から人の気配がしたのだ。
扉をそっと開けて廊下を伺っていると私の目の前をBJが大股で通り過ぎていった。
目が覚めたのか。
一瞬みえた横顔はなんだか赤かったがまだ本調子じゃないんじゃないだろうか。
BJは廊下の角に消えた。あの方向には彼の娘の部屋がある。たぶん様子を見に行ったのだろう。
意識が回復してすぐ娘の心配とは彼もなかなか人間らしい。
そんなことを考えているとまた扉が開く音がしてコツコツと廊下を歩く足音が聞こえてきた。
BJの部屋の方からだが、足音は彼の歩いていった方向とは反対方向へ向かっている。
廊下に出てみると白衣を着た銀髪の男の後ろ姿がみえた。
誰だ?
知らない男だ。
白衣を着ているということは医者だろう。
そしてBJの部屋から出てきたということは・・・彼の担当医といったところか。
その男は研究施設の方へ消えていったから多分私の考えは間違っていないだろう。
私はその方向から視線を外し、反対側をみた。
さっきBJが去っていった方向だ。
生死を共にしたせいか、なんだかBJの存在が懐かしく感じている自分に気がつき驚く。
私と会ってもきっと厭味しか言わないのだろうが。
厭味でもいいから声を聞きたいと思ってしまう。
嫌な顔をされたとしても、ひとりで部屋に引きこもっているよりもまだマシだ。
私はそう考え、彼の娘の部屋へと足を運んだ。
その日の夜。
BJの部屋から微かに苦しそうな呻き声が聞こえてきた。
この部屋は完全ではないがそれなりに防音処置が施されている。
それなのに聞こえてくるとはかなり大きな声で呻いているのだろう。
昼は元気そうだったが、やはりどこか悪くしていて苦しんでいるのだろうか。
私は体を起しベットから降りようとしたが、そこでハタと考える。
本当に病状が悪化しているのなら彼は彼の担当医を呼ぶだろう。
コール用のインターフォーンは枕元にあるのだ。
もし、ただ単に悪夢に魘されていただけだったとしたら・・・起してやった方がいいかもしれないが、弱みをみせることを極端に嫌う彼のこと。
きっと気まずい思いをするだろう、私も彼も。
だが、もし誰も呼べないくらい病状が悪化し苦しんでいるとしたら?
中の様子がわかればいいのだが。
そこまで考えて、私は「あっ」とあることを思いついた。
医療バックを引っ張り出し聴診器を引きずり出す。
そしてBJの部屋との間の壁にそれを押し付け、耳を澄ました。
はっきりとではないが、さっきよりは聞こえる。
呻くような声。
たまに引き攣るような悲鳴に変わる。
息遣いは流石に聞こえないが、この声の調子からいくと息を荒げていることだろう。
やはり調子が悪いのか、部屋に行った方が・・・と思ったとき、知らない男の声が聞こえた。
「力を抜け」「大丈夫だ」「楽にしてやるよ」
断片的ではあるが、そんな言葉をBJにかけてやっているようだ。
たぶん、あの銀髪の担当医の男だろう。
体調が悪くなったBJはやはり担当医を呼んだのだ。そしてその男が治療に当たっているのだ。
担当医たちは選りすぐられた医者だとドクター・クーマが言っていた。
BJの担当医ということは彼のカルテを読んで症状もよく知っているだろう。
私がでしゃばる必要はなさそうだ。
聴診器をカバンの中に戻し、再び私はベットに横たわった。
たまに微かに声が聞こえてくるが私にしてやれることはない。
気にしないようで眠ってしまおう、と目を瞑り羊を数えはじめた。
そのうちウトウトしてきて完全に眠りにつく直前に一際高いBJの声が聞こえたような気がしたが、それが現実だったか夢だったのかわからない。
ただ意識朦朧とした状態でなんだか色っぽい声だ、と思った記憶がある。
・・・・・・私もかなり疲れていたらしい。
翌朝、検査室へ向かう最中にBJに昨夜のことを何気なく聞いてみた。
彼は一瞬子供のような表情でキョトンとして、そしてすぐに真赤になった。
「体調悪かったのか?」という問いに「なんでもないっ」と怒鳴り返して来たが。
弱っていたことを知られて恥かしかったのだろう。
プライドの高い男と付き合うのも大変だ。
医者だって人間なのだし、時には患者にもなるのだがら気にしなくっていいのに。
と、私は少々呆れてズンズン進んでいく彼の背中を眺めたのだった。
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