■石川五右エ門という男■

 
 
 
 
 

ルパン三世は怪盗アルセーヌ・ルパンの孫だ。
その血とプライドと技術、そして選りすぐったほんの少しの人脈。それらを受け継いで今ここに在る。
「三世」
その老人は親しげにルパンを呼んだ。
祖父の友人だというその男を勿論ルパンは知っている。年は祖父より幾分か下だが、それなりに親しくしていたことを覚えている。
顔が広く驚くほどの人脈を持つ祖父だったが、親しくする様子を見せることは少なかったからよく覚えているのだ。
どこで知ったのか、ルパンが暫く滞在しているこの日本のアジトにひょっこりやってきた男は、昔話に花を咲かせた。
日本人、それも老人といっていい年齢だというのに、身長は高く痩身な男だ。記憶に間違いがないなら八十は越しているはずだが年齢を感じさせない力強さがある。祖父の友人というだけあって勿論素人ではない。
そんな男がなぜわざわざルパンを訪ねて来たのか?懐かしさだけのはずはない。なにか裏があるはずだ。
にこやかに対応していたルパンだったが、男がいったん話を切り、茶に口をつけたタイミングでズバリと問うた。
「で、ご用件は?」
あくまでもにこやかに、あくまでも愛想よく。だが、その目は友好的とは言い切れない光を放っているのを、少し離れたソファーに座った次元は見た。
まだルパンと知り合ってそんなに長い時間は経っていない。気が合う気が合わない、そんな風に簡単な言葉で表現できない何かを感じて、いつの間にか一緒に仕事をするようになった。
好きか嫌いかと問われれば何と答えていいのかわからないが、ルパンと行動を共にするのは『面白い』と感じている。
殺し屋の仕事に嫌気がさし、泥棒にでも転職しようかと冗談半分であの女狐に言ったことはあるが、それが今は現実となっている。
生死をかけるスリルは変らないが、殺し屋家業のときのような後味の悪さはほとんどないことが泥棒家業のいいところである。
ルパンと一緒にはいるが、ルパンの過去や経歴にはあまり興味がなく聞いたこともなかった次元だが、なんとなしに聞いていた老人の話でおぼろげながらにそれを知ることになった。
旧知の仲なら邪魔だろうと席を外そうとした次元を止めたのは訪問者であったが、ルパンも退席を求めなかったから、別に知られてもいいと考えているのだろうと思うと少々むず痒さを覚えた。
ルパンの挑発的な態度に男は怯むことなく、目尻に皺を寄せ小さく微笑んだ。
「泥棒家業はどうかね?」
「楽しくやっていますよ。・・・ご存知の通り」
予告状を出して厳重な警備の中から盗み取る。
そのパターンを確立しつつある最近のルパンの仕事は新聞やテレビを賑わすことが多く、その名前は世間に浸透し始めている。
素人の一般人ならともかく、少しでも裏に通じていればルパンのことを知らないはずはないのだ。
「わしの信条として盗みはスマートで華麗に、と思っておるのだが、最近の君の仕事ぶりはその理想に近く痛快で楽しいよ」
「それはありがとうございます」
「殺して盗むのは美しくない。それではただの強盗だ。盗みの美学などあったものではない。そう思わないかね?」
「もちろんです」
絶対に殺さないなどと綺麗事は言わないが、素人相手に銃を使うつもりも必要もない。玄人の殺意には殺意で応えるが、素人の殺気など可愛いものだ。頭を使って裏の裏をかいてやればいいだけのことである。
「そこで相談があるのだが」
男は身を乗り出してルパンの目を真正面から覗き込んだ。
ただの懇願があるだけで企みの色は見えない。だが齢八十を越す玄人だ。それも祖父アルセーヌ・ルパンの友人。目に見えるものだけが真実ではない。
「やはりそう来ましたか。なにを盗めと言われるので?」
ルパンは苦笑しながら、足を組みソファーに深く身を沈めた。
聞くだけ聞いてやろうという若造の態度に、男は怒ることなく嬉しそうに顔を綻ばせる。
まだ受けると一言も言っていないのに、まるで承諾されたかのような態度。これは断れないだろうな、とふたりを眺めていた次元は思った。
「わしの秘伝書を取り戻して欲しい」
「秘伝書・・・ですか」
「そうだ。若い頃に手に入れたもので充分役に立ったよ。それに関してのわしの基礎を築いてくれたと言っていいものだ」
裏家業で生きてきた男の役に立ったという秘伝書の存在は、充分ルパン達の興味を惹いた。
「内容は詳しくは言えないが、その秘伝書には『心構え』『九十六の技』、そしてある『薬』についての記述がある。それを取り戻して欲しいのだ」
「誰に奪われたのですか」
誰に。それは重要なポイントだ。コソ泥相手か、金に飽かした成金相手か、狡猾な同業者相手か。それによって取り戻し方に違いが出る。
「奪われたのではない。貸したのだよ」
「・・・は?」
「貸したのだ。わしの元に修行に来た彼を見て、彼にこそこれが必要なのではないかと思ってな。純粋な厚意だ」
つまり拝借詐欺・・・とはちょっと違うが、借りたものを返さないというだけのことか。
心構えだの技だの薬だの、役に立つ情報満載の秘伝書を借りたものの、それを返したくなくなったという所か。
そんな個人的ないざこざを持ち込んでくれるな、と呆れはじめたルパンを尻目に男は話を続ける。
「わしのためだと言うのだ。秘伝書を持っているとわしは使いたくなる。それは否定しない。だがそんなことを繰り返せば寿命をすり減らすだけだと、もうやめろと、体を労わってくれと、彼は言ってな。いい子なのだ」
なんか話が想像と違うぞ、とここでようやくルパンと、横で聞いていた次元は気がついた。
「だが、わしは秘伝書を返して欲しい。労わってくれるのは嬉しいがね。だから奪い返して欲しいのだよ。わしでは彼に切々と情に訴えかけられたら負けてしまうからね。・・・今までのように」
試したのだ。何回も返してくれと訴えて、そしてそれが聞き入れられないことがわかったときに奪い返そうとした。彼は暴力をふるったりしない代わりに切々と訴える、涙を滲ませて。貴方が心配なのだと。もう高齢なのにこんなことを続けていればすぐに死んでしまうと。もし死んでも本望だと思うし、そう言いたいが、彼の切なげな表情と心底心配しているという態度を取られれば引くしかない。
そんなことを何度も繰り返して、とうとう男は諦めた。・・・自分で取り返すことを。
「あの子に怪我を負わせることなく、秘伝書を奪い返して欲しい」
男は深々と頭を下げてルパンに頼み込んだ。
馬鹿らしいと一蹴したいところだが、なんせ祖父の友人、その男が孫ほどの相手に頭を下げているのだ、簡単にはいかない。どう言って断ろうかとルパンが考え始めるのを邪魔するように、男は続けた。
「彼は剣の名手だ。彼の腕にかかれば斬れぬものはないといっていいほどだ。彼の日本刀は鋼鉄すら豆腐のように斬り裂く」
「日本刀で・・・鋼鉄を斬るだって?」
「そうだ。修行の成果を確認するために殺しの仕事も引き受けていると聞く。剣道のようなスポーツの達人ではない、生きた剣術を持つ剣豪。そうだな、例えるなら侍に近い」
「さむらいぃ?」
ルパンがマヌケな声をあげたが、それは責められないだろう。部屋の隅で聞いていた次元だって、目を丸くしたくらいだ。
この時代に侍?そんなもんいるか!と突っ込まずにいられようか。
だが、老人は、この男は本気なようだ。
「怖しく腕が立つ侍から秘伝書を奪う。それも彼を傷つけることなく。なかなか難しいとは思わないかね?」
にこやかに笑いながら、男はルパンから次元に視線を向けた。
「そこの君」
「・・・俺?」
「そう君。君は殺し屋から泥棒に転職したと噂に聞いた」
どんな噂だと思うものの、それを知っているということは、この男は次元のことを少なからず知っていたか、調べたかということだ。
「殺して盗むのはただの強盗だ。殺さずスマートに欲しいものを奪う。それが君には出来るのかね?殺し屋からちゃんと足を洗えるのか、泥棒としてこれから本当にやっていけるのか、腕試しには絶好の機会とは思わないかね?」
「俺にも手伝えと?」
「まさか!」
男は両手を広げて楽しげに言った。
「勝負だよ、勝負。君たちのどちらが先に秘伝書を奪えるか、のね。殺すのは簡単だ、だが殺してはいけない。重症を負わせてもいけない。でも相手は腕が立つ侍だ、敵対すれば殺す気で来るだろう。どうだね、腕試しには最適じゃないかね?それに命をかけたスリルがたっぷり味わえる」
「・・・負けたよ、じいさん」
痴話喧嘩にも思えるつまらない個人的な問題事を、おおごとに変えてしまった老人の肩越しに、苦笑したルパンが見えた。
「わかったよ、盗ってきてやろうじゃないか。そのかわり」
「なんだね?」
くるりとルパンに向き直った男は心底嬉しそうだ。
「盗ってきたら秘伝書の中身を見せてもらうぜ。そのくらいの報酬があってもいいだろう?」
一瞬男は目を見開いたが、すぐにカカカカと大声で笑った。
「いいだろう!見せてやるとも!若い君たちには充分役に立つシロモノだよ!勝った方の褒美にしようじゃないか」
「じゃ、そういうことで。次元?」
駒は多いほうがいいという男の浅知恵だろうが、確かに次元も秘伝書には興味がある。それに腕試し、スリルと続けば断ることはできない。
というより、ルパンの態度を見ると次元に断る権利はなさそうだ。
「オーケー、乗ってやるよ」
そう次元が言うと、男は「ありがとう、期待しているよ」と微笑みながら懐から折りたたまれた紙を取り出した。
「彼は今、ここにいる」
「そのお侍さんの名前は?」
「石川五右エ門」
石川五右衛門。史実上の人物の名前である。
男の冗談かと一瞬思ったが、そんな気持ちをすぐに察知したのか、男は侍の情報を付け足した。
「義賊、石川五右衛門の子孫。十三代目だよ」


*


次元大介は元殺し屋だ。
最近はルパンとつるんで泥棒なんぞしているが、実はまだ一人で盗みを働いたことはない。
かっぱらいや万引きと違う、ルパンが先祖から受け継いだ盗みのテクニックはプライドと同じくらい天下一品だ。それがまだ次元にはないのだ。
そんなルパンと今回盗みの勝負をすることになってしまった。長く生きてきた喰えない年寄りに乗せられた形だが、秘伝書には興味がある。それを手に入れられればそれなりに盗みのテクニックを身につけることが出来るのではないかと思うからだ。
目下の問題はいかにルパンを出し抜くかではなく、どうやって石川五右エ門から秘伝書を奪うかということだ。まだ出し抜くレベルではないことは自覚している。ならば、出来ることから始めなければどうにもならない。
男から教えられた場所はかなりの山奥で地図上には建物ひとつないことになっている。実際調べてみると古びた日本家屋が建っているのだが、その持ち主も建物の間取りもわからなかった。
ルパンならば、忍び込むこともお宝が隠してありそうな場所を探し出すこともお手の物なのかもしれないが、いかんせん次元にはその技も自信もない。
今までの仕事、つまり殺しは遠くから標的を狙うか、味方をよそおって懐に飛び込み機会を待つか。そのいずれかだった。
男の言う所謂腕の立つサムライが住む家に忍び込み、隠されている秘伝書を気取られぬように探し出し、盗み取る。それは現実的に無理そうである。
そうなると次元に出来ることはひとつ。なんらかの理由をつけて屋敷に堂々と入り込み、機会を見つけて秘伝書を探すという方法だ。
銃を置いていくことは出来ないからこっそり忍ばせて、いかにもといった風情の日頃から愛用しているダークスーツや帽子も脱いで別の服に変えた。顔を隠すために目元まで前髪をおろし、後ろ髪は1本に縛る。少しでも次元大介のイメージから離れようとした結果だ。
自意識過剰ではないが、同じ殺し屋を仕事にしているのなら名を知られている可能性があるからだ。
あとは入り込むだけ。その理由を見つけようと、山奥まで足を運んで屋敷を観察していた。はずだったのに。

「おぬし何者だ」
人の気配に目を開けたら目の前に日本刀が突き付けられていて、とっさに何も言うことが出来ないのは当たり前だろう。
一瞬何が起こったのか理解できなかったが、ぶつけられる殺気もギラギラと光を反射させている日本刀も本物で、命の危険をヒシヒシ感じるものだったから、次元は抵抗どころか身じろぎひとつせずにいた。
「ここはどこだ」
問いには答えずに反対に問い返した次元に相手の気配が揺らぐ。
視線は固定したまま辺りを探ると、どうも室内のようだ。背中に当たる床は硬くもなく柔らかくもない、指先でそっと探れば日本独特の畳であることがわかる。
頭の下には柔らかい感触。なにかが枕替わりに使われているらしい。縄や鎖で体を拘束されている様子はない。
つまり、次元は畳の上に拘束ひとつされず寝かされているのだ。ご親切に枕まで使わされて。
それなのにこの殺気。アンバランス過ぎる。いまいち現状が掴めない。
「何をしに此処へ来た」
次元の問いには答えず相手は再び問いかけてきた。
目玉を動かし声の方に視線を送ればそこには日本刀を構える・・・サムライ。
ここでようやく次元は思い出す。
屋敷に出入りする口実はないかと鬱蒼とした木々の間を歩き、屋敷を見下ろしながら周辺をうろついていた。
半日以上経っても良い案が浮かばず闇雲に歩き回っていたときに突然足元の地面がなくなり、落ちた。
そして気が付いたらこの状況だということだ。
それはつまりこのサムライが自分を見つけ、その場で殺すことも叩き起こして誰何することも出来たはずなのに、わざわざ屋敷内に運んでくれたということになる。
あの老人の言っていた通り、意外と人が良いのかもしれない。それならば。
「・・・誰もいねぇと思ったんだよ」
「なに?」
「ここにボロ屋があることは知ってたから、身を隠すのにちょうどいいかと思って来てみれば・・・まさか人が住んでるなんて思わねぇだろうが」
ふてぶてしく開き直って、それっぽい言い訳を言い放つ。
こんな付け焼刃な言い訳が通じるのかはわからないが、どこから見ても自分が素人には見えないことは自覚があるし、この銃規制の厳しい日本で拳銃を持っているとなると、ヤクザだのチンピラだのを演じるしかないと考えていたから、あまり不自然さはないはずだ。
「誰に追われている」
「言えねぇな」
「ヤクザかチンピラの類か。仕事に失敗して追われているといったところだろう」
無意識にチッと舌打ちする。簡単に引っかかってくれたサムライに感謝したいのは山々だが、一見でチンピラの類と判断されてしまったことが気に食わなかった。
「お前さんを狙う殺し屋かもしれないぜ」
だからつい言ってしまった。言ったあとにすぐに後悔したが、後悔先に立たず。
だが、サムライは殺気を強めるどころか刃を引いてふっと笑った。
「・・・何がおかしい」
「獣とりの罠に落ちるような殺し屋は廃業した方がいい」
痛いところを突かれた次元は苛立ちと共に「くそっ!」と呟いて起きあがった。その拍子に左足首に激痛が走って動きを止める。
「骨折はしておらん。捻っただけだ。数日でよくなる」
眦に涙を浮かべながら足首を見ると、包帯が巻かれている。隙間から緑のドロドロしたものがはみ出しているのが気持ち悪く気になるが、このサムライは手当までしてくれていたらしい。
「・・・この足じゃ山は下りられねえ」
「・・・歩けるようになったら出ていけ」
屋敷に入り込むという当初の目的は果たされ、そのうえ滞在も許された。色々と気に食わないが、このサムライがある意味恩人であることは間違っていない。
「恩にきる」
俯きながら次元が言うと、残っていた殺気も霧散した。
「早く出て行けよ」
冷たい言葉なのに、声色は冷たくなかった。本当に人殺しを請け負っている男なのか疑問が湧き上がるが、さきほどの殺気は本物だ。
タンッと障子が閉まる音と共に、次元は再び畳に寝ころがった。
「さてどうしたもんかね」
お優しくて物騒な殺し屋サムライの眼を盗んで、秘伝書を探し盗む方法を次元は考えはじめた。


*


石川五右エ門はサムライという言葉が妙に似合う男だ。
着物に袴に草鞋の純和装、おまけに晒。時代錯誤な口調に佇まい。侍と聞いてイメージする姿そのままだった。
鋼鉄を斬り裂くほどの剣豪と聞いていたから、それほど腕が立つならそれなりに年齢を重ねた男を想像していた。
この話を持ち込んだ男は五右エ門をあの子と呼んでいたが、なんせ老人である。どんな年齢層でも老人の前では子供同然になるのだろうと思っていたのだが。
実際に会った石川五右エ門は想像以上に年若かった。次元よりもずいぶん下ではないだろうか。
落ち着いた言動、あまり変らない表情、鋭い視線。そんなものでは隠しきれていない、青臭さが五右エ門にはある。甘いというか、情に弱いというか、最初に感じたアンバランス感をなにかにつけて次元は感じることがあった。
見知らぬヤクザ(と五右エ門は思っているはず)に滞在を許したその夜、五右エ門は細い木の幹を持って来た。
「なんだ、これは?」
差し出されたそれを見て次元は思わず聞いた。本当にわからなかったからだ。
「その足では用を足すのも難しかろう。これを使え」
どこから見つけてきたのか、先が二股に分かれていて確かに松葉杖として使えないことはない。木の皮はついたままだが、そこまでは気が回らないのだろう。
「・・・悪いな」
受け取ったその木の切口は滑らかすぎるほど滑らかで、鋸や枝打ちを使ったようには見えない。もしこれを噂の日本刀で斬ったのだとすれば、老人が言っていたように大した腕の持ち主であることが知れる。
「厠は廊下の右奥だ。そのくらい歩けよう」
そう言うと、五右エ門は盆に載せた食事を差し出した。白米とみそ汁、山菜のおひたし、漬物。こんな山奥なら当然かと思えるほどの質素さだが、食事もちゃんと与えるつもりらしい。
松葉杖代わりの木の幹と食事を置くと、五右エ門は部屋を出て行った。
確かに用を足すためには松葉杖が必要なほど、足首は腫れている。だが見知らぬ胡散臭い男が家の中をうろつくのを許すことになるということを、本当に気づいていないのか。
警戒心が薄いのか、そこまで考えが及ばないのか、または獣とりの罠にかかるようなまぬけな男だと見くびっているのか。なんにせよ、次元には都合がよかった。
それから丸二日。次元の足の具合はだいぶ良くなった。毎晩五右エ門が取り換えてくれる正体不明のぐちゃぐちゃした草はちゃんと湿布としての役目を果たしているらしい。
五右エ門の様子を観察していてわかったことは、その生活は規則正しいということだ。
太陽も昇らぬ早朝に起きて家を出て行く。なにげなく問えば「修行だ」と答えたからどこかで鍛錬をしているのだろう。
帰ってくると質素な食事を準備し、次元を叩き起こす。五右エ門曰く、片付け物を残すのは嫌だから、同じ時間にちゃんと食え、だそうだ。
食事を終えるとまた家を出て行き夕方まで戻らない。やはりその間は「修行をしている」らしい。
夕方帰ってくると湯で体を拭いて(ちゃんと次元の分も用意されていた)、夕食を準備し食事。その後は部屋に篭もり、気がつくと部屋の灯りが消えているから眠ったのだろう。就寝時間は9時。どこの子供かと突っ込みたいところである。
泥棒なら夜中にコソコソ探るのが本来の姿なのかもしれないが、なんせ夜は五右エ門がいる。
だから修行とやらに出かけている昼間が秘伝書を探す絶好の機会だった。

夜があけて一日目。次元が屋敷に入り込んだ次の日。
いつ帰って来るのかビクビクしながら家の中を探った。足の状態もよくなかったから、家の間取りを調べる程度に留まってしまったが、怪しい部屋は絞られた。
この古い家屋は短い渡り廊下を挟んで東の母屋と西の別棟に分かれている。次元がいるのは母屋で、どうも別棟は使われていないらしい。別棟に続く廊下にはうっすらと埃が溜まっているが足跡はついていない。つまり廊下を渡って別棟には日頃から行っていないということだ。
外に出て別棟の周辺をぐるりと松葉杖をつきながら歩いてみた。どこもしっかりと雨戸が閉まっていて、やはり使われている様子はなかった。
確かに五右エ門ひとり生活するだけなら母屋だけで充分そうだ。トイレと風呂と台所、生活の中心となるものはすべて母屋にある。
他には五右エ門が使っている和室、次元が使っている客室、そして食事のときに使っている床の間のある仏間、三部屋だ。
探す範囲がぐっと減る。もし次元がお宝である秘伝書を隠すとすれば自室だ。自分が居ることで人の侵入を防ぐことが可能だし、なんといってもいつでも目を光らせることが出来る。
そう考えた二日目。
一番怪しいと思う五右エ門の部屋にそっと忍び込んだ。もちろん五右エ門が修行とやらに出かけた昼間のことである。
ルパンの気配はまだないが、あの老人と会って既に数日が経過している。いくらルパンでも、もう動き出している頃だろう。ゆっくりとしてはいられない。
「・・・なんだ、こりゃ」
五右エ門の部屋はがらんとしていた。私物があまり置かれていない。
部屋の隅に綺麗に畳まれた布団。反対側の隅には竹細工に和紙を貼った昔ながらの行燈。その脇にやはり和紙作りの紐で留められた本が数冊。それだけだ。
こんなところに放置したままになっているのが秘伝書とは思わないが、手にとりパラパラと捲ってみる。古臭く、のたくった筆で書かれているが読めないことはない。すべて手に取り中身を確認すると和歌だの、古今集だの、薬草や生薬についてだので、秘伝書には程遠いものだ。
「ここまで時代錯誤とはな・・・ある意味すげえ」
こんな山奥でひとり修行とやらに明け暮れる毎日、質素な食事、古めかしい本や調度品。あの石川五右エ門という男はいつの時代を生きているつもりなのか。呆れを通り越して感心する。
そっと本を元の位置に戻し、押し入れを覗いてみたが部屋と同じくガランとしていた。衣装箱が置いてあるだけで、それを開けてみると着物、袴、帯、長い白い布。きっと腹に巻いていた晒だろうと思ったが、短めの白い布もある。なんだろうと持ち上げてみてピラリと広がったそれに次元はガクリと肩を落とした。
「褌とはまた徹底的じぇねぇか」
衣服以外にはタオルや手ぬぐい、薬箱。そんなものしか置かれていない。文明らしさを感じさせるものは唯一ラジオだけ。テレビすらないが、電線など引かれていないから当然といえば当然か。
奥に隠し棚がないかと、足を引きずりながら押し入れの中まで入って調べたがそれらしきものはなにもなかった。
「いったいどこに隠してやがる」
身の回りに置くというのが一番守りやすいと思ったが、こんなに頻繁に家をあけるようでは見当違いだったのかもしれない。もしどこかの洞窟の奥だの、別の隠れ家だのに隠してあったら探し様がない。
そう考えながらも簡単に諦めるわけにはいかず、痕跡を残さないように細心の注意を払いつつ、五右エ門の部屋の隅から隅まで探ってみたが、秘伝書は見つからなかった。
客間や仏間も同じように探す。やはり怪しい物も隠してありそうな場所もなかった。
和書や薬箱は仏間にも置いてあり、読書が趣味らしいとか修行で生傷が耐えないのだろうとかを、想像する程度に留まった。
「まずいな、こりゃ」
入り込んだものの、秘伝書は見つからない。足の具合もだいぶ良くなり松葉杖なしでも歩けそうで、このままでは明日にも追い出されてしまう。
慌てて台所や廊下、果てにはトイレや風呂場まで、ほとんど家探しだ。風呂は初めてみるタイプで、持っている知識を当てはめれば五右衛門風呂というものだ。その焚き付け部分まで覗いてみたがやはり何も見つからなかった。
そしてそのまま日は暮れて、五右エ門が帰って来る時間になり、次元は舌打ちしつつも宛がわれた部屋に戻るしかなかった。


*


仏間に置かれたちゃぶ台を挟み、次元は五右エ門と向かい合わせに座って夕食を取った。足を挫いた当日の夜だけは部屋で食事したが、あとはすべてこの部屋で一緒にとることを強いられている。
特に嫌だとは思わないが嬉しいとも思わない。話題も特にないからほとんど無言だ。五右エ門から話かけてくることはないが、少しでも情報を引き出そうという下心を元に、何気ない話題を振ったり質問したりすれば五右エ門は無視しない。
育ちの良さというか、本来持っている資質の真っ直ぐさを感じる。殺しを仕事にしている男には見えないというのが正直な感想だ。
どう言って探りを入れようか悩んでいるうちに食事は終わり、食器を引いた五右エ門が包帯とどろどろとした薬草を持って戻ってきた。
「そ、そう毎日かえなくてもいいぜ」
足首に痛みは少し残っているが腫れはすっかり引いている。包帯を解いて五右エ門に見られてしまえば、治ったのだから出て行けと言われることは確実だ。
せめてあと一日。一日でどうにかなるかわからないが、まだ時間が欲しい次元は手当てを拒んでみたのだが。
「この薬草の効き目は一日だ。毎日かえねば効果はない」
「じゃぁ、自分でやる。メシの面倒までみさせて悪いしな」
「無理だ、この薬草は慣れぬ者には塗りにくい」
ジリジリと尻で後ずさりする。五右エ門は気にすることなく手を伸ばしてくる。あまり拒絶しては怪しまれるが、このまま足を見られるのはマズイ。
「おいおい、いいって」
「おぬし、さっきから何を」
怪訝な表情を浮かべながら五右エ門が顔をあげた。
瞬間、五右エ門の動きがぴたりと止まる。
ヤバイ疑われたかと冷たい汗が背中を流れる。どうにか誤魔化さなくてはと次元は口を開いた。
一瞬だった。
脇に置いていた刀を五右エ門が掴んだ途端、キーンという甲高い金属音と閃光が走った。
神業とも思える程の早い動きだが、長年培ってきた動態視力を持つ次元の目はそれをちゃんと追えていた。
五右エ門は刀を携えたまま飛び上がった。同時に音と閃光。そして数メートル先に音もなく着地。
体の動きは追えていたが剣の動きはよくわからなかった。抜いたとは思うが、その刀身は見えなかった。普通なら剣を持ったまま飛び上がり着地したように見えるところだ。
だが、音と閃光の同タイミングで次元の背筋にゾクリとした寒気が走ったのだ、絶対抜いたとカンと体が言っている。
では五右エ門は何を斬ったというのか。
次元自身どこにも痛みは感じていない。部屋に置かれた物はぴくりとも動かず、元のままだ。
もしかして次元の言動に疑いを持ち、その脅しのつもりだったのだろうか。
そう結論づけようとしたとき。パチと鯉口が閉まる小さい音がして、そして。
天井が落ちた。
「うっわ〜〜〜っ!!!」
聞き覚えのある声が聞こえたのと、目の前に黒装束の男と天井が落下してきたのは同時だった。
「な、なんだっ!?!?」
埃が舞う中、まるで猿が木から落ちたかの如くみっともなく転がった男が、床の間の手前で跳ねるように立ち上がった。
「曲者っ!」
五右エ門の鋭い声。
「あーあ、見つかっちまった」
ちょっとがっかりしたような、ちょっと楽しんでいるような、そんな声色で男は言った。
いつもと違う、黒装束で口元まで身を包んだ男は目しか見えていないが間違いなく、ルパン三世。
この屋敷に忍び込んで天井裏で様子を窺っていたのだろう、さすがというかなんというか。
次元はその気配に気がつかなかった。まあ、五右エ門をどう誤魔化すか焦っていたせいかもしれないが。
「すっげ、まんまるだぜ」
ルパンの台詞に見上げると、天井が丸く斬り取られていた。コンパスを使って描いたのではないかと思えるほど、綺麗で見事な円である。
「何者だ」
余裕のある侵入者の様子に、五右エ門の目が細められる。眼光が増したが、ルパンは気にする様子はない。
「何者って、泥棒です」
「泥棒?」
「そ、秘伝書を頂きに来たのさ」
簡単に種明かしをするルパンに、次元は心の中で大きく舌打ちした。まだ手に入れていないようだが、今の状況ではどちらかといえばルパンに分がある。
「・・・秘伝書?」
小さく呟いた五右エ門の眉間に数本の皺が寄る。演技でないのなら『なんのことかわからない』といったところか。
「あ〜、とぼけても無駄だからさ。あんたが世之介じいさんに返さない秘伝書だよ。大事に隠し持っているんだろ?」
世之介・・・と鸚鵡返しで呟いた五右エ門は訝しげな表情を浮かべた。
「まさか、あの指南書のことか?」
「そう、そのまさかさ!ここかっ!」
ルパンの動きは素早かった。指南書と言いながら、無意識に動いたのだろう五右エ門の視線の先にジャンプしたのだ。
床の間の右隅に古めかしい木の箱が置いてあった。それを小脇に抱えたルパンの指が魔法のように動く。簡単に開いた蓋の隙間に手を突っ込んで書物を取り出した
あっという間の出来事だった。
「これか」
「返せ!」
五右エ門が刀を構えて飛びかかる。それをヒラリとかわしてルパンは背後に跳ぶが、その鼻先を刀が掠る。
身軽なのはルパンだけではない、五右エ門のフットワークも軽い。逃げる距離と詰める距離は同等で、あっという間にルパンは窓際まで追いつめられた。
「そんなに大事なモンならなんでそんな所に放置してるんだぁ?馬鹿か、おまえ」
そうだ。鍵もかかっていなかった。無造作に置かれた木箱の中には書物といくつか薬らしきものが入っているだけだった。この部屋を探った次元もちゃんと確認していた。だが、それでも。それが目当ての物だとは考えもしなかったのだ。
「要らぬ世話!」
鞘から引き抜かれ半円を描く日本刀の前に、その軌道を邪魔する如く木箱が投げられた。
それが見事なまでに真っ二つになる。スパッという音が聞こえたかと思えるほどだ。
途端、割れた木箱から溢れるように大量の粉が舞いあがった。
「うわっ!」
ふたりの遣り取りを黙って見守っていた次元だが、いた位置が悪かった。運悪くそれを頭から被ってしまったのだ。
「その粉を吸うな!」
バッと後ろに飛びのいた五右エ門が鋭く叫ぶ。
ルパンは窓に体当たりして硝子を破り半身を外に出しながらも、桟にまだ留まっていた。
驚いたように目を見開き、頭から謎の粉を被った次元を凝視している。
「そう・・・ごほっ、言っ・・・ゴホッッゴホホッ!!」
次元は既に大量の粉を吸い込んでしまっていた。突然だったから咄嗟に対応が出来なかった。
乾いた粉が喉に詰まる。口の中がザラザラする。すぐにでも吐き出したいが、咳き込む度に空気と一緒に粉が肺に吸い込まれていく。
「死の薬か!?」
ルパンは口元を押さながら、五右エ門に問い叫ぶ。少し吸ったかもしれない。米神に汗が流れる。もしそうなら大量に吸い込んだ次元の運命は。
次元も、ルパンの言葉を聞いてギクリと身を震わすが、五右エ門の答えにホッと緊張を解いた。
「命に関わるものではない、だが」
「あ、そ。俺もちょっと吸ったからどうしようかと焦ったけどそれならいいさ。じゃーな!」
明らかに安堵の色を浮かべたルパンの声が気配と共に窓の外へと去っていく。
秘伝書を盗られた。追いかければまだ逆転が可能かもしれないが、止まらぬ咳き込みに次元は動けない。それに、本の内容を知っている次元には、あれが秘伝書とは到底思えなかったのだ。
だが。五右エ門は「世之介」という老人の名前に反応し、指南書と言ったのだ。老人の言葉を受けて自分達が勝手に想像した秘伝書と本物の秘伝書の内容がまったく違っていても、あれが老人の取り戻したがっていた秘伝書であるならば、この勝負は次元の負けだった。


*


ヒュッと喉を鳴らして大きく息を吸い、ようやく咳込みが止まった
顔をあげ、奇跡的に無事だった湯呑に手を伸ばし、温くなった茶を煽る。
「あっ、飲むな、愚か者がっ!」
五右エ門が慌てた理由はわかっている。口や咽の奥に残った、吸い込むなと言われた粉が茶と共に胃袋に流れていくからだ。
だが、五右エ門は「命に関わらない」と言っていたし、少しくらい増えても今更だ。既に大量に吸い込んでしまっている。
あとはこれが何の薬なのか確認して、それなりの対処をとるしかない。
「これは・・・何の薬だ?」
問いかける声が掠れている。耳も篭っていて自分の声を遠くで聞いているような感じだ。
咳き込み過ぎたのか、酸素が足りなくって頭がくらくらする。全身の熱が上昇し、汗が伝う感覚が気持ち悪い。呼吸もまだ整わずにゼイゼイと荒い息を吐いている。
「一種の・・・強精強壮剤でござる」
きょうせいきょうそうざい。
音として聞くと良く意味がわからない。何度か頭の中で繰り返して、それを少しずつ文字に変換する。
『きょうせい』は置いておくとして『きょうそうざい』はたぶん『強壮剤』だろう、ということはつまり?
「簡単に言えば勃起薬だ」
「ぼっきやく〜?」
思わぬ答えにまぬけな声が出た。では『きょうせい』は『強精』か。確かに命には関わらない薬だが、なぜそんなものが此処にあるのか。
「加齢などで不全傾向の者で耳かき一杯分程度を使用するのだが・・・」
鼻から口から吸い込んだから正確にはわからないが、吸い込んだのは絶対耳かき一杯分どころの量じゃないはずだ。
ゼイハアという自分の荒い息が頭の中に響いている。熱もどんどんあがっていて、全身がカッカと発熱しているのがわかる。収まることのない症状は咳き込み過ぎた結果ではなく、発情しているからだというのか。
「普通は若く正常な者が服用する薬ではないのだ・・・大丈夫か?」
布の擦れる音がして、俯き加減の次元の前に五右エ門が膝をついて様子を覗き込む。
「・・・おまえは、飲んだ、ことは・・・」
「ない」
じゃあなんでこんな薬を持ってるんだ!と激しく問い質したいところだが、今はそれどころではない。
興奮しすぎて、思考が纏まらない。くらくらと眩暈がして息苦しい。
次元も男だ。性的に興奮するし、セックスだって数えきれないほどしてきた。相手は惚れた女だったり金で買った女だったりと様々だったが、ここまで凶暴な性欲を感じたことはない。
まるで獣になった気分だ。
喰えるものなら隅から隅まで骨も残さず喰らい尽くしてしまいたい。相手が泣こうが喚こうが胎内の奥の奥まで貫き揺さぶって、涸れ果てるまで注ぎ込みたいという強烈な衝動。
女を抱かずにいられない。今ここに女がいたら次元はあっという間にレイプ魔だ。そう自分で断言できるほど理性が働かなくなってきている。
突き上げるような衝動はどんどん強く激しくなっていて、頭痛や吐き気すら感じる。
呻く次元の狭い視界に白い手が伸びて来た。思わず手を伸ばし、その手首をガシリと掴む。相当強い力なのに、その手は怯えることも引かれることもなく掴まれたままでいる。
顔をゆっくりとあげる。ぼんやりとした視界にひとりの人間の姿が浮かび上がってくる。
大きく広げられた胸元は掴んでいる手と同じように白かった。綺麗に浮かび上がった鎖骨に噛り付きたい衝動が湧く。視線をもっとあげれば、その体の持ち主が心配気な表情を浮かべて次元を見ていた。
いつもの鋭い目付きと無表情、への字に曲がった唇が消え、感情を乗せた顔は少し幼く見える。
微かに紅い薄い唇。すっと尖った鼻梁。切れ長の眼。白い顔とそれを縁取る長めの黒髪。よくよく見れば女顔だ。
色の白さも相まってその体は男臭さがなく、次元の目に格好の獲物として映った。
掴んだ手首を思い切り引き寄せ、その勢いで五右エ門を畳の上に放り投げる。驚きつつも無言のまま転がったその体に次元はあっという間に覆いかぶさった。
「責任・・・取れよ」
手首を押さえつけ、開いた足の間に体を滑り込ませる。
「な、なにを」
「こんな薬を持ってたのも、斬って俺にぶっかけたのも、おまえだろ?・・・ちゃんと責任取れ」
体を前後に揺らし、『責任』という言葉と共に股間を擦り付けると、戸惑っていた五右エ門の顔が朱色に染まった。
既に次元の性器は勃起していた。スラックスに押さえつけられて痛みさえ感じるほど、硬く育ちきっている。
五右エ門の体に擦りつけたことで、刺激を受けた股間からぞくぞくとした快感が次元の背筋から脳天まで駆け上がる。
男なんて抱いたことないしお断りだと思っていたが、今はそんなこと言っていられない。
薬で昂ぶり熟しきった体は、この体を抱きたいと、狭い体内を抉って擦りあげて精液を吐き出したいと叫んでいるのだ。
「ま、待て!」
慌てる五右エ門を無視して、次元は白い首筋に吸い付いた。
唇に感じる肌は女のように滑らかで肌理細かい。唾液を塗り付けながら舌を這わせ、さっきからずっと噛みつきたいと思っていた鎖骨に歯を立てた。
「痛っ!」
抑え込んだ体が跳ねた。思いっきり噛んだから相当痛かったのだろう。
口を放して見ると、血を滲ませた歯型がくっきりついている。じわじわと滲みでる血を舌で舐めとると、五右エ門の体は小さく震えた。
痛い思いをしたせいか、次元の唇が肌の上を動いても五右エ門は身を硬くするだけで抵抗しない。それをいいことに、咽や首筋を舐めては吸い上げる。紅い痕が散っていく様がマーキングしているようで興奮する。
襟を広げ、唇の移動範囲を肩まで広げる。同時に胸元に手を侵入させ、掌で弄った。
女と違い、柔らかい脂肪はない。揉む楽しみはないが、薄く張った筋肉は手触りが良く撫でまわすと掌から快感が湧き出てくるようだ。
指先に尖りが掠め、五右エ門が小さく呻いた。
乳首だ。そうだ、これには女も男も関係なかった。男には脂肪はなくとも乳首はある。
掌の中でくりくりと転がすと、小さな尖りは硬く立ち上がってきた。感じているかはわからないが、反応は女と同じだ。
体を徐々に移動させ、目の前で健気に立ち上がっている乳首に吸い付き、舌で舐め転がす。感触は女となんら変わらない。
唇と舌で愛撫を施しながら、腰帯をといた。袴が緩んで隙間が出来たところに手を差し込み、素肌の腰に触れた。
想像していた以上に細い。女のふくよかな腰周りとは違う、締まった腰だ。突き出た腰骨に指先を食い込ませると、五右エ門の体が突然反り返った。
その動きで胸元が突き出された格好になり、乳首を咥えていた次元の歯がその根元に当たり、軽く噛んでしまった。
「あっ、あぁ!」
初めて五右エ門の口から嬌声があがった。
腰が弱かったのか、乳首を噛まれて堪らなかったのか、どちらにせよ官能を乗せた声色だ。
ぐんと次元の興奮が高まる。これ以上硬くならないと思っていた性器が更に硬くなったような気がした。
乳首を甘噛みしながら、手を腰から下に輪郭を撫でるように滑らせる。辿り着いた臀部は素肌の感触で、下着を剥ぐ必要はなかった。
そうか、褌だったな。次元はふと衣装ケースの中を思い出した。仕舞われていた下着はブリーフでもボクサーでもない、ただの一枚の布だった。あれをどう装着するのかは知らないが、予想通り五右エ門は褌を身に着けていた。
両手で鷲掴むようにして尻を揉む。やはりここにも沈み込むような柔らかい脂肪はない。硬い引き締まった筋肉だが保湿クリームを塗ったように滑らかで触り心地はいい。
どちらにせよ、目的地はここではなく奥で窄んだ胎内への入口だから、脂肪などなくともなんら問題はない。
尻を撫でまわしたあと、ゆっくりとした動きで双丘の間に指先を忍び込ませる。
「待てと言うのに!」
突然、強い力で頭と肩が押し返された。
しゃぶっていた乳首から唇が離れ、密着していた体の間に一定の空間が空いた。
そう言われれば、ずっと五右エ門が何かを言っていたような気がする。薬に侵され、欲望に支配されている次元の耳には意味をなす言葉として聞こえていなかったが、怒鳴り声に近い大きな声で体を押し退けるという抵抗をプラスしての言葉だったから、ようやくそれは次元の脳内に伝わった。
「誰が待つか」
抑え込もうとする手から逃れ、五右エ門は体ごと後ずさりする。
「良いから待て!少しで良いから!」
「責任とれって言ってるんだよ!」
「とってやるからその前にちゃんと確認しろっ!」
五右エ門は足に絡みつく袴を蹴り飛ばした。次元に緩められ乱された和服はすでに片袖だけが通っている状態で、その身にちゃんと残っているのは晒と褌だけだ。
五右エ門は自ら褌に手をかけると戸惑う様子もなく、白い布をスルスルと解いてしまった。
現れたのは黒い下生と軽く勃ちあがった性器。
「わかっておるのか、おぬし」
「・・・なにをだ」
男性器など自分のもので見慣れているが、他人の、それも半勃ちとはいえ勃起した状態の男性器を見るのは初めてだ。絶対に見たいものではないはずなのに、なぜか次元の咽が鳴った。
「拙者は男でござる。この通りマラもある。おぬしは先ほどから責任責任と言っておるが、男の体など抱けるのか?」
「・・・俺はホモじゃねぇ。男なんざ抱いたことはねぇ」
「それ見ろ。拙者のマラを見て正気に戻ったか」
五右エ門がほっと肩から力を抜く。
情欲に囚われて暴走していた男が正気に戻ったと思ったのだろう。だが。
「でもこの体なら抱けると思うぜ」
次元は唇を笑いの形に歪め、覆いかぶさろうとしていた上半身を起こして膝立ちになった。
「なに?」
緩慢な動きでベルトをはずし、ジッパーをおろす。そして次元は下着ごとスラックスを太腿まで一気に引きおろした。
押さえつけられていた性器が解放されたことを喜ぶようにぶるんと震えて、筋肉に覆われた自らの腹を打った。
「ほら見ろよ、おまえのペニスみても全然萎えてねぇ」
次元の勃起したままの性器を凝視した五右エ門は、顔を赤く染め、すぐに青くした。
女のように性的な対象として見られていることに驚き羞恥し、それを受け入れさせられることを実感して顔色を変えたのだろう。とてもわかりやすい、ある意味素直な男だ。
「おまえだって硬くしてんじゃねぇか」
次元は下品に笑ってみせ、五右エ門の股間に手を伸ばしキュッと握りこむ。大きな手に包まれた性器はビクンと震え、硬さを増した。
「ほら、また硬くなったぜ。おまえさんこそ、男馴れしてんのか?」
「そんな訳がなかろう!」
「じゃ、処女か」
一瞬何を言われたかわからなかったのか訝しげな表情を浮かべたが、すぐに真っ赤に顔を染めた。羞恥と怒り、その両方が入り混じった顔だ。
「もうおしゃべりは終わりだ。大人しく責任とって貰おうか」
五右エ門を再び畳に押し倒し、性器を握っていた手を更に下へ滑らせる。そこにひっそりと息づくのはこれから使用する小さな入口だ。
指先を蠢かせ位置を確認する。キュッと窄んだ場所を探り出し軽く押してみるが、性器ではないその場所は乾いていて湿り気ひとつない。
女の性器は男を受け入れるように創られている。自ら愛液を滴らせ、男を誘い込むのだ。だが、今使おうとしているのは本来排泄に使う場所である。自然に濡れるはずはない。
「かてえな」
チッと舌打ちしながらも、無理矢理指を突きこもうとするが、抵抗は強く爪先も入らない。
「わ、わかったから、待て」
「もう十分待っただろうが、いい加減にしろ!」
薬に侵された次元にはもう余裕はなかった。
残った理性を総動員して五右エ門との会話を続けていたが、全身汗だくで今すぐにでも捩じりこみたくって仕方がないのだ。
無理矢理突っ込んでの流血沙汰は避けたいとギリギリのところで留まっているのに、五右エ門はそれを理解していないのかと苛立つ。
「だが、このままでは指一本入れることもできまい」
「だからなんだ」
「アレをとってくれ」
五右エ門が指差した先には、さっき真っ二つに斬られた木箱が転がっている。その脇には粉薬が入っていたらしい、これも真っ二つになった小瓶と、もうひとつは大振りな貝殻だ。
「あの貝を取ってくれ」
無言のまま動かない次元に五右エ門は繰り返し言った。
「武士に二言はない、責任は取る。あの貝には塗り薬が入っているのだ」
隙をみて逃げるつもりでも誤魔化そうとしているわけでもないらしい。顔を朱に染めながらも真面目に言う五右エ門を見て、次元は無言で手を伸ばし貝殻を掴んだ。
掌にようやく収まるサイズの貝殻を突き出すと、五右エ門は上半身を起こしながらそれを受け取った。
五右エ門が起きあがったことによって、次元も押されて再び膝たちになり、そのまま大人しく五右エ門を見下ろす。
一見ただの貝殻は、蓋があくようにパカリと開き、その中には濃厚な香りを放つ軟膏が入っていた。なんの匂いかはわからないが官能的な香りで、次元は脳が揺れたような眩暈を覚えた。
筋張った男の、だが白い指がその軟膏を掬い取る。中指と人差し指にたっぷり絡ませて、五右エ門はその手を己の下肢へ移動させた。
上半身を起こしM字に開いた足の奥。さっきまで次元が弄っていた硬い入口に届いた指は、軟膏をその場所に塗り付けた。
指先がくるくる動き、周辺にぬるぬると塗り広げていく。最初は表面だけに触れていた指はじりじりと入口を押し広げ始めた。
ゆっくりとした動きに、戸惑いや羞恥、そして痛みを感じていることが次元に伝わってくる。
それでも責任を取ると言った五右エ門は、羞恥に打ち震えながらも、ほぐす行為をやめることなく徐々に徐々に排泄器官を、男を受け入れる性器へと変えようとしている。
体温で溶けた軟膏は液体に変わり、その場所をしとどに濡らしていた。テラテラと濡れ光る様子はあまりにも卑猥で厭らしく、次元は咽を何度も鳴らした。
目の前で繰り広げられている厭らしい行為に釘付けで動けなかった次元だが、弄っていた指が一本ぷつんと挿入された瞬間に我慢の限界を超えた。
探るように恐る恐る沈んでいく指に己の指を添え、勢いをつけて二本一緒に突き入れた。
さっきは完全に閉じて侵入を拒んでいた入口は、それが嘘だったかのように、ずぶりずぶずぶと二本の指を咥え込む。
「あっ、うあっ!」
五右エ門は小さい悲鳴をあげて反射的に手を引こうとしたが、次元の指に阻まれて抜くことが出来ないどころかそのまま根元まで沈み込んだ。
焼けそうなほど熱い胎内は異物を拒絶するように痛いくらいに締まっていたが、次元が指先をゆっくりと蠢かせているうちに軟らかくほぐれ、次第に引き込むようにうねりだした。
溶けきった軟膏が入口から胎内をぐっしょりと濡らしており、指を動かす度にぐちゅぐちゅと厭らしい音を立てる。
聴覚からの刺激は性欲へ直結する。触ってもいない次元の性器は更に硬さを増し、挿入を期待し先走りを溢れさせた。
五右エ門は目をギュッと閉じ、必死に耐えている。最初は痛みに、徐々に快楽に、そして最後には後門で快感を得ている自分自身に対する羞恥に。
それをじっと観察しながら、何度か軟膏を継ぎ足して押し広げていく。
すぐにでも押し入りたいが、同じくらいの強い欲求が五右エ門の乱れる様を見たい、もっと喘がせたいと訴えてくる。
無表情で冷静、淡々とした態度で接してきた男が、次元の愛撫に反応して表情を変え、息を乱しているのだ、堪らない。
いつの間にか五右エ門の指は引き抜かれ、次元の指だけが胎内を抉り蠢いていた。
三本の指を飲み込んでも、その動きを阻まず緩く蕩けた状態になったところで指を引き抜く。
力を失い、くたりと横たわる五右エ門の息は荒く、性器は完全に勃起して先端から先走りを滴らせている。
そんな姿を見下ろす次元も同じ状態で、興奮に吐く息は熱く荒く、それ以上に腹まで反った性器は燃えるように熱かった。
今にも倒れそうなほど力なくM字に立てられた足を、乱暴なくらいの動きで脇に抱える。
溶けた軟膏が入口どころか臀部を越えて畳まで滴り落ちている。
テラテラと光る、赤く熟れた入口に先端を押し付けると、背筋をゾクゾクとした快楽が期待と共に駆け上がった。
声はかけなかった。拒絶の声もなかった。聞こえるのは二人分の獣のような荒い息遣いだけだ。
容赦ない動きで一気に最奥まで貫くと、目も眩むような快感が全身を貫いた。
薬に侵され、我慢に我慢を重ねたせいか、未だかつて経験したことがないほどの快感が次元を襲った。自然に喉の奥から声が出た。吼えたといっていい。
五右エ門も同じだったらしく、悲鳴をあげながら体を大きく仰け反らせた。
女用の軟膏は、男用の粉薬と同じような効能を持っており、愛液を滴らせるほど濡れすべての感度を高める媚薬が入っているのだと、拡張中に息も絶え絶えな様子で五右エ門は説明した。それは女だけでなく、男色でも使うらしいと。
だからか、経験などないと言っていたに関わらず、性器を受け入れた胎内は傷つくことなく誘うように蠢きうねる。性器も萎えるどころか、コポと精液を溢れさせた。
本当に獣になった気がした。
腰が自然に動く。組み敷いた体を突き上げることをやめられない。
熱く狭い胎内に締め付けられながら、根元から先端まで摩擦する気持ちよさに完全に理性は消滅した。
欲望のままに腰を前後に動かし続ける。途中で何度も射精するが、それでも動きは止まらない。
奥に精液を叩き付けても抜かず止まらず、すぐに性器は硬さを取り戻す。張った先端で注いだ精液が掻きだされた頃、新たな絶頂が来てまた注ぎ込む。
五右エ門も最初は揺さぶられるままだったが、さすがに後ろを犯されるだけでは達することができずに、射精できない苦しさからいつからか自らの性器を扱きはじめていた。
胎内を突き上げられ、奥に吐き出される衝撃に合わせ、弱く強く性器を摩擦する。
それは快楽にどっぷり浸かった体からの欲求に従っただけの無意識な動き。理性などまったく働いていない。
だから射精しても扱くことをやめず、勃起させては射精することを繰り返す。
ふたり分の精液に塗れ、流れ滴った精液が畳まで濡らしても尚とまることなく、欲望の命じるままに交わり続けた。


*


狂った夜を越えて、最初に意識を取り戻したのは次元だった。
ぼんやりと目を開く。動くのが億劫だが、身じろぐと腰に鈍痛が走った。体も鉛のように重い。そして信じられないことに性器にもツキリとした痛みを感じた。
驚いて起き上がり確認すると、全体的に腫れており血が滲んでいる箇所もある。間違いなくヤり過ぎ、摩擦しすぎだ。
昨夜はそんなことも気にならず、反対に微かな痛みは強い快感に変換されて、益々激しく動いて、犯して抱いた。
みっともなく喘ぎもした。抱いて喘ぐなど初体験のときにさえしなかったことだ。
記憶から消し去りたい。次元は頭を抱え込んだが、まだ体の奥で燻る快感がそれを許さない。それどころか、同じことを繰り返させようと誘惑してくる。
勃起不全気味でも耳かき一杯。それを正常で健康な男が相当な量を取り込んだのだ。想定外の効能だったのだろう、勃起薬どころか麻薬のような強烈な媚薬と化した。
抱けるなら五右エ門相手でも構わないと思うほど理性は吹き飛び原始の衝動に駆られて犯しまくった記憶は、少しも欠けることなく残っていた。理性は吹き飛んでも記憶は吹き飛ばないなんて、とんでもない薬だ。
次元は深呼吸を繰り返し、己を落ち着かせる。次元大介は人間だ。獣ではない。耐え難い衝動も正気でさえあれば、理性と常識で押さえ込めるはずだ。
じっと動かずに自分に言い聞かせること数分。次元はどうにか完全に人間に戻ることができた。もう大丈夫、流されないし煽られない。強い意志の元、そんな自信を持ててから、ようやく目を逸らし続けていた自分の横に視線を向けた。
そこには想像していた通りの状態で五右エ門が眠っていた。
最後は意識を飛ばしていたから、眠っているというより気絶したままと言った方がいいかもしれない。
ぐったりと手足を伸ばし、畳のうえに寝転がるその姿は相当酷いものだ。
全身精液塗れ。
顔まで飛んだそれは半乾きになっているが、体中に生々しくこびりついている。しんなりしている性器は次元ほどではないものの、やはり擦りすぎて腫れているようだ。最中に何度も吸い付いたり噛み付いたりした乳首も赤味を増し、まるでたった今まで弄られていたように硬く尖ったままだ。
きっと足を広げさせてみれば、男の性器を咥え続けていた後門も腫れあがっていることだろう。確認する勇気はないが。
たぶん切れてはいないはずだ。次元の性器に血の痕はないし、何度も注いだせいで胎内はずっとぐちゃぐちゃに濡れていて、乾くことは一瞬たりともなかったから。
「くそっ、思い出しちまった」
次元は忌々しげに呟いて、周りに散った五右エ門の着物や袴を引き寄せると、未だ厭らしく誘ってくる体のうえに被せた。本当は顔も隠してしまいたかったが、さすがに呼吸の確保はしておかねばマズイだろう。
毎朝早く起床していた五右エ門だが、目覚める様子はない。
明け方まで長時間交わっていたのは次元も同じ条件だが、五右エ門の場合は従来と違った体の使い方をされたのだ。次元と比べ物にならないほど疲れきっているはずだ。
次元は眠る男が目覚めぬようにゆっくりと立ち上がった。足首の痛みは感じない。もし痛んでいたとしても、その他の痛みが強すぎて、わからない。
散らばった服をかき集め、裸のまま風呂場へ向かう。体に残る名残を濡らした手ぬぐいで簡単に拭き取り、さっさと衣服を身に着けた。
五右エ門が目覚める前にここを立ち去らねばならない。これは事故だったのだとお互いに言い聞かせるためには、もう顔を合わせない方がいい。気まずいし、何を口走ってしまうかわからない。
昨夜は責任を取ると言って相手してきたが、ここまで無体されたのだ。夜を越え正気に戻った五右エ門が、怒って斬りかってきたら堪らない。
そんな風に黙って去ることに正当な理由をつけながら、次元は足早に玄関へと向かう。
五右エ門のいる部屋の前を通り過ぎるとき、ほんの少し歩く速度は緩まる。
マヌケなドジを踏んで不覚にも怪我をした次元の面倒を五右エ門は見てくれた。見知らぬ怪しい男を殺すことも追い出すこともせず、足の手当てをして食事まで与えた。
「チッ」
小さく舌打ちし、次元は懐からペンと手帳を取り出す。なんだかんだ言って義理堅い男なのだ。
玄関に、一言『世話になった』と書かれたメモを置き、一度も振り返ることなくその場を立ち去った。


*


「今、じいさんとすれ違ったぜ」
次元がリビングのドアを開けながら、ルパンに声をかける。
「おかえり。遅かったな、次元」
不機嫌そうな顔を向けられて、次元はにやりと笑ってみせる。
「秘伝書は大したもんだったみたいだな」
遅くなった理由など言うつもりは更々ない次元は、嫌味のように言ってやった。ルパンがじろりと睨みつけてくるが気にしない。
「おまえ、内容を知ってたのか」
「家捜ししたからな。まさかアレが秘伝書なんて思いもしなかったんだよ」
五右エ門が反応して視線を送るまで。
いったい誰がアレを秘伝書だと思うというのか。だいたい五右エ門は『秘伝書』ではなく『指南書』と言っていた。たしかにアレはある意味『指南書』だろう。
「あのじいさん」
ルパンはハァァと大きく溜息をつく。
「『世之介』っていうのは俺のじい様がつけた渾名だとさ」
「昔から好色だったんだな」
「『好色一代男』、読んだことあんのか?」
「いや。あのじいさんの秘伝書がなんなのか知りたくってよ。『世之介』って名前で調べてみたらそれがヒットした」
「あ、そ」
「まさか関係あるとは思わなかったけどな」
コーヒーを片手に次元は長椅子に寝転がる。とんだ草臥れ儲けだ。
「『心構え』はセックス前の準備のアレコレ。特に男色のことは詳しく書いてある。『九十六の技』は普通の四十八手と男色用の裏四十八手。それを合わせて九十六ってことか。『薬』は勃起薬や媚薬の作り方や使用方法。だろ?」
「それも古くせえの!江戸時代だぜ?江戸時代!そんなもん、このご時勢に使えるかっての!」
ウキーと両手を挙げて、ルパンが叫ぶ。
「使えねぇか?」
不本意ながらも次元は使うことになった。次元に付き合った五右エ門も。結果、得たのは今まで体験したことがない程の激しい快楽だ。
「・・・いや、そうでもねぇかな?古臭いが体位集だと思えば、使えるかもな?今度・・・試してみるか」
ルパンの顔がニヤリと緩む。何を考えているのか手を取るようにわかってしまう。なんだかんだ言ってちゃんと読んだのだろう。IQの高い頭脳はそれを簡単に記憶したはずだ。
「勝手にしろ」
次元が頭からかぶった薬の効能をルパンは知っているはずだ。余計なことを言って薮蛇になることは避けたい。
五右エ門と、男とセックスしたなんて絶対知られたくない。知られたら興味本位で根掘り葉掘り聞かれた挙句、いつまでもからかわれるに決まっている。
「ところでルパン」
「ん?」
「その腰どうしたんだ?」
ソファーに座っているとはいえ、ルパンはへっぴり腰だ。それに湿布の匂いがプンプンする。
問われた途端に、スケベくさくニヤ下がった顔が引き攣った。
「・・・くそ、あの小僧」
小さい呟きに次元はすべてを悟る。
あのとき。忍び込んだルパンに五右エ門が気づき天井を斬り落としたときに、きっと腰を強打したのだろう。
もし存在を気がつかれたとして、まさかあんな方法で攻撃してくると誰が想像できるというのだ。仕方ないといえば仕方ないが、ルパンにとって屈辱以外の何物でもなかったらしい。
「いつかあの剣豪坊やをギャフンと言わせてやる!」
リベンジに燃え出すルパンを見て、次元は溜息をついた。
忘れたくても忘れられないほど強烈な快楽を得たセックスの相手である、あのサムライとはまだ縁が切れないらしい。
お互い名乗らなかったし聞かれもしなかった。次元は変装していて、顔も前髪で隠し続けた。
だから、五右エ門は次元の名前もちゃんとした顔も知らない。再会する可能性があるというのなら、それがせめてもの救いだ。
「石川・・・五右エ門か」
燻りだしそうな熱を奥底に沈み込めながら、次元はその名を小さく呟いた。








再会は数ヵ月後。
右往左往した挙句、五右エ門が仲間に加わることなど、まだ誰も知らない。

 
 
 
 


 

■ISHIKAWAGOEMON TO IU OTOKO■

 
 
 
■あとがき■

『峰不二子という女』放送後に発行した本をWEB公開です。
当時、本を手に取ってくださった方々、ありがとうございました。

『峰不二子という女』はタイトル通り不二子中心のお話でしたが、ルパンの格好よさが半端なかった!
次元は出番も多くいい感じにルパンと絡んでいましたが、五右エ門が・・・
五右エ門のハブっぷりがなんとも切なく(;_;)
今週こそは!今週こそは!と一縷の望みをかけて毎週見てましたが、
9話目の最後でチョロリと登場した五右エ門を見て
「これは出番が少ないだけでなく、きっともうルパン達との接触はないだろう」と諦めました。
(まあ、結局最終回で次元とは梟顔の女装姿でファーコンを果たしましたが(笑))
そのとき「このシリーズは五右エ門の出番が少ないうえ、ルパンとも次元とも接触皆無じゃないか!もういい、それなら私が書く!!」とウガーとなって書いたのが、このお話です(笑)
ラブラブではないし、名乗りあってないし、ジゲゴエって言っていいのかギリギリラインですが、書いた本人がジゲゴエだと思っているのでジゲゴエなのです!
ここでちょろりと出逢ってファーストの『五右エ門登場』に続くんだよ、といった設定の好き勝手な妄想の産物です(^^)


 


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