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いきなりクスクスと笑いだしたルパンは、笑い出した相棒に対して完全無視を決め込んでいる次元に向かって言った。
「次元、今日は『キスの日』らしいぜ？」
「はぁ？」
そんな日を聞いたのは初めてである。
だいたいキスの日ってなんだ、と思うが緩んだ顔をしているルパンを見ると、何を想像しているのか手に取るようにわかって突っ込みたくなくなる。
「半世紀前の5月23日に日本ではじめてキスシーンのある映画が上映されたんだってさ」
つまり日本限定ということか。
世界を駆け回っている自分達が知らないのは当然といえば当然だ。
「あ、そ」
とりあえず相槌だけ打つ。
興味なさ気な次元の態度が気に入らなかったのか、ルパンのにやけ顔がほんの少し歪んだ。
「あ、そう、じゃねぇだろう、キスの日だぜ、キスの日！！ちゅーの日なんて結構じゃないか！不二子ちゃんにお願いできないかしら･･･って、おまえも五右エ門に強請ってみれば？」
ルパンは腕を前で交差させ、まるで誰かと抱き合っているようなジェスチャーをしながら唇を突き出す。
「kiss me please」と囁いたあと「ぶちゅー」という擬音つきだ。
完全に次元をおちょくっている。
次元はムッとしながら
「あの侍にそんなのが通じるかよ。頭の中、せいぜい江戸時代のあいつがキスなんて言葉知ってるかすら疑問だよ」
と吐き捨てた。
意外に真面目に戻って来た返事にルパンは目を丸くする。
組んだ腕をスルリと解いて、顎に手をやり「うーん」と唸ってみせた。
「知らねぇかな？」
「どうだろうな」
現代を生きる化石、侍だ。
それも山奥に篭って修行だのを積んできた節があり、現代日本では一般的になった事柄もよくわかっていないことがある。
「接吻とか口付けとかなら通じるんじゃねぇ？」
「･･･それならまあ、いくら頭の中が江戸時代とはいえ通じるだろな」
ハハハハッと笑う次元の目の前でルパンの表情がピキリと固まった。
その視線は次元にはなく、その背後で固定されている。
「どうしたルパン？」
聞き終わるよりも早く、ポンと肩に手をおかれた。
ルパンは前にいて、右手も左手も揃っている。
ということは、今次元の肩にある手の持ち主はひとりしかいないだろう。
いくら馬鹿話をしていたとはいえ。いくら侍が気配を消すのがうまいとはいえ、気がつかなかったとはなんたる不覚。
『頭の中、江戸時代』
いつだったか直接本人に言ったことがある言葉だが、今回もしっかり聞かれてしまっただろう。
「次元」
頭上から落ちて来た声は落ち着いたトーンだが、感情がまったく含まれていない分、絶対零度だ。
以前は、常識があまり通じない侍をよくからかっていた。
そのうち五右エ門もさすがに機嫌を損ねるようになったので、最近は控えていたのだが。
きっと今も怒っているに違いない。
背後から斬りつけられることはないだろうが、侍の機嫌を損ねると色々面倒くさいことになるのは、過去の事例が物語っている。
「あのよ、ごえ」
「口ねぶり、舌吸う、口吸う、口吸い、口々、口寄せ、舌吸う、呂の字、口中の契り、どれが良い？次元？」
「は？」
次元の言葉を遮って一息で言った五右エ門の言葉の意味がわからない。
口だの舌だのという単語の羅列だったような気がするが、突然だわ、早口だわで、次元の頭にまったく入って来なかった。
「まあ、どれも同じことだからな」
肩に置かれていた手がスルリと動き、次元の顎を持ち上げた。
背後から覗き込む五右エ門が逆さまに見えると思ったときには、その見慣れた顔が近づいてきて。
息苦しく何が起こったのかわからない次元の目の前あるのは、白い首に浮いた咽仏。
「むっ、ぐぐっ」
かっぱりと唇に覆いかぶさった柔らかいものがなんなのか。
ぬるりと口内に入り込んできたものがなんなのか。
それを次元がようやく理解出来たときに、五右エ門がついと離れた。
「きすみーぷりーず、ぐらい拙者にもわかるぞ」
呆然自失の態の次元と、目の前で行われた行為に硬直したままのルパンに、五右エ門はツンと顎をあげて言った。
「ごえ･･･もん、今･･･」
見たものが信じられなくって恐る恐るルパンは確認するが。
「おぬしも、きすみーぷりーずか」
五右エ門に問い返されて、ルパンは両手と頭をブンブンと振った。
次元は未だに呆然自失のままである。
「おぬしらこそ、少しは日本語の勉強をした方が良いのでござらぬか」
ニヤリと笑った五右エ門がくるりと踵を返してリビングから出て行って。
そしてようやく緊張のとけたルパンと次元は大きく息を吐き出し脱力して、ソファーに深く沈み込んだ。
侍の機嫌を損ねると色々面倒くさいことになるは知っていたが。
まさかこれほどとは。と再認識させられたのだった。
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