ブルースが流れる酒場の片隅で黒い男がグラスを傾けている。
まだ客足が途絶えることのない時間帯。ひとりで飲む者、仲間と談笑しながら飲む者、それぞれだが店は満席に近い。
今どき珍しくレコードなんてものを使っているから店主が忙しいと針を落とす者がおらず音楽が途切れる。
たまに思い出したように流されるブルースもいつも同じLPレコードからだ。
だから流れる曲は、数時間いただけで数回通っただけで覚えてしまう馴染みになってしまう。
だがそれがこの店の雰囲気で味のひとつだった。
ひとりで飲んでいる男の前に赤い男がドサリと座った。
半年ぶりの、だがこの半年ほぼ毎日みていた懐かしく馴染みの顔だ。
手をあげ注文の酒を告げたあと、暫く沈黙が続く。
運ばれてきた酒をひとくち啜り、赤い男、ルパンが沈黙を破った。
「あいつはどうしてる?」
「さぁ。ここ最近会ってねぇな」
黒い男、次元はグラスをトンとテーブルに置いて答えた。
ふーん、と鼻にかかった声が戻ってくる。
半年前の事件以来、ふっつりと消息が途絶えていたルパンが戻ってきたということはまた何かが動き出そうとしているということだ。
次元の脳裏に半年前の一連の出来事が走馬灯のように浮かび流れていく。
一通り思い出したあと、次元はグラスに口をつけながらボソリと言った。
「半年前、お前がなに考えてるかわかんねぇ、信用できねぇって言ったけどよ」
「ああ」
「今ならわかるぜ?」
「ふーん」
ルパンの顔に面白がっているような表情が浮かぶ。
それを帽子の下から見つめながら、ふと白い男の顔が次元の脳裏を横切った。
「・・・五右エ門は最初からわかってたみたいだけどな」
「へぇ?」
次元の言葉にルパンの目が細められる。
今度は表情だけではない。目の色も楽しそうな感情に染まった。
「ま、わかってたというか・・・知覚してたって感じだけどよ」
「最近会ったのか?」
「前々回の仕事のとき初めて参加してきた」
「で、どうだった?」
興味津々の様子で体を乗り出したルパンにチラリと視線を送って、次元はそのときのことを思い出す。
「それなりに楽しそうだったけどよ・・・去り際にあいつにこう言った」
アジトのドアから出て行く寸前のところで歩みを止めた五右エ門は、くるりと振り向くと真正面から男を見据えた。
そしてゆっくりと噛み締めるように話しはじめた。
「拙者は石川五右エ門だ」
「はぁ?あたりまえだろ?」
いきなりの、当たり前の言葉に目を丸くしつつも笑いを崩さず男はそう答えた。
「十三代目だということも知っておるか」
「・・・なにを今更」
繰り返される問いに男のにやけていた笑いが固まる。
五右エ門の真意を探ろうとする意思がチラリと顔に浮かび上がる。
「拙者の前代は十二代、前々代は十一代だ。拙者の後を継ぐものは十四代ということになる。石川五右エ門という名は初代からこの先未来までずっと受け継がれる。何人もの石川五右エ門がその時代その時代を生きていく」
背筋をピンと張りまっすぐに相手の目をみつめながら五右エ門はほんの少し笑った。
「だが、十三代目石川五右エ門は拙者ひとりだ」
「!」
その言葉を聞いて男は目を見開き息を飲んだ。
奥歯を噛み締めているのか唇が一文字になる。
数秒間その顔をじっとみつめたあと、五右エ門はくるりと背を向けた。
「世話になった」
バタンとドアが閉じる音と五右エ門の声が混じリ合った。
興味深そうに聞いていたルパンは俯くと肩を揺らした。
「くくく」
楽しげな笑い声だ。
次元大介は生まれてから死ぬまで次元大介のままで縛られるものはない。
だが五右エ門は『十三代目』だ。
幼き頃から重いものを背負わされ葛藤も苦痛も悩みもあっただろう。
歴史の長さと共に性格的なところからでも、ルパンより更に背負った荷は重かったはずだ。
だから理解しないまでも、次元よりは事の真相を素早く察していたのだろう。
半年前の次元にはわからなかったルパンの真意。今ならわかる。
五右エ門より気がつくのが遅いというのは少し悔しいような気がするが、わからなかったものは仕方はない。
「お前の目的はひとつ。偽ルパンの一掃だ」
帽子のツバを指であげて隠していた目を晒し、目の前に座る男を真正面から見据える。
ルパンは次元をみない。
手にしたグラスを揺らしカランカランと氷の音を立てながら、揺れる水面をみつめている。
「・・・いつからか『ルパンらしい仕事をする奴がルパン』なんて面白い考えが宗教みたいに犯罪者の間で広がってよ。最初は放っておいたんだが・・・あれだけ名を騙られるとさ。さすがの俺様も辟易してきたのさ」
「一網打尽を狙ったんだな」
半年前、東京に集まった偽ルパンは警察に一斉検挙された。
それなりの仕事をしていた奴もクソみたいな仕事をした奴も、すべて。
「『ルパン三世』は後にも先にも俺ひとり。まがい物はいらねぇ。もちろんコピーも然りさ」
グラスから次元に視線を移してルパンはニヤリと笑った。
この半年で辿り着いたルパンの真意。
間違ってはいないと思っているが確認したい誘惑に駆られる。
「だけどよ」
「なんだ?」
「その宗教もどきを流したのはお前だろ」
「・・・・ふふ。どうかな」
肯定はしないが否定もしない。
ルパンは目を細めて笑ったがその目の奥には読み取れないなにかがまだある。
「最近のヤツラは不甲斐ねぇ。おまえ、後輩育成のつもりだったんだろ」
次元が見込みのある若者に銃の扱いを教えるように
五右エ門が剣術武術を指南するように
ルパンもまた、人材を発掘し育成しようとしたのだ。
本気かきまぐれか、それはわからないが。
「結局、屑ばっかだったけどな」
ルパンの名の元に犯罪を犯す。
いかにルパンらしい犯罪を犯すか、結局それが目的になってしまっていた。
「すでにあるブランドに成り代わってなにが楽しいのかねぇ。俺は俺以外になるのはまっぴらごめんだけどよ」
生まれて今まで歩んできた人生。その間に味わった苦痛喜び悔しさ。
それをすべて取り込んで肥しとして『ルパン三世』になっていった。
誰でもない、誰も代わりにはなれない、自分自身。それが『ルパン三世』なのだ。
後継者になりたければ『ルパン四世』になるべきだし、もっと上を目指すなら己自身の名前を世に知らしめ、ナンバーワンだけでなくオンリーワンにもなるべきなのに。
ルパンを名乗る奴らは簡単に手が入るナンバーワンだけを目指した。
それも他人に、『ルパン三世』に成り代わることで。
『名前も人生もすべて全力で盗ませていただきます』
そう言ったあいつは少しは見込みはあるのかもしれないが、結局やつらと同じ穴の狢だ。
・・・今のままならば。
「で?どうするんだ?」
「あいつの結論次第だな」
「だが、やつを導いたのはお前だろう?」
服を与え、銃を与え、情報を与え、『ルパン三世』へ導いたのはルパン自身だ。
「あいつがどういう結論を出そうとも効果は同じだからな」
ルパンは次元を真正面から見据え、にやりと笑った。
細められた目の奥に灯る光は滅多にみることはないが、ルパンの持つもうひとつの顔。
目的のためには手段を選ばない、自分の名を汚すものには死を与えることを当然とする目だ。
「さて、半年ぶりの再会といくか」
グラスに残った酒をぐっと煽るとルパンはゆっくりと立ち上がった。
そして、座ったままの次元を見下ろしながら問いかけた。
「次元、おまえはなんで半年間あいつに付き合ってた?」
ずっと一緒だったわけではないが仕事はほとんど付き合った。
消えたルパンを探すわけでもなく、現れたルパンと共に日々を過ごしていた。
「おまえの考えがわからなかったからな。・・・それと暇つぶしだ」
喉の奥でクッとルパンは笑い、腰を屈ませ次元の目をじっと覗きこんだ。
「暇つぶしになったか?」
「ああ。充分暇つぶしにはなったがな。やっぱり全然違うな」
避けることなく覗き込む目を見つめ返し答える。嘘ではない、半年を過ごした次元の感想だ。
「そうか。また連絡いれるからそれまで五右エ門を探し出しておいてくれ」
ふっと笑いルパンはいつもの陽気な声でそう言うと、次元に背中を向けた。
去っていくルパンの背が酒場のドアの向こうに消えるまで、次元はその背をずっと見続けていた。
もしあいつが『ルパン三世』であることをやめるのなら。
誰かに成り代わり人の褌で相撲をとってもなんの意味はない。自らの名をあげることにこそ必要なことで、本当の意味がある。
という考えが先の宗教のような考えを上から塗り潰していくだろう。
もしあいつが『ルパン三世』であることを望むのなら。
『ルパン三世』はふたりはいらない。コピーは本体に必ず消滅させられる。成り代わることは決して出来ないし、そんな考えを持つこと事態危険だ。
という噂が流れ定着するだろう。
どっちに転んでも、ルパンにとって好都合だ。
物思いに沈み込みグラスを傾けていたが、気がつくと氷だけになっていた。
追加オーダーだと手をあげかけたが、すぐに腕をさげる。
酒はここまでだ。深く酔っているときではない。
それなりに面白かった暇つぶしは終わり、またあのスリリングな本物の日々が戻ってくるのだ。
だが、その前に。
別離の言葉を吐いて姿を晦ました侍を探し出さなければならない。
「さて、五右エ門はどこに行ったのかな」
まったく一番面倒くさい仕事を押し付けやがって。
そう心の奥で罵りながらも、次元はこれからまた始まる日々を思い満足そうに微笑んで立ち上がった。
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