■夜明け前■


闇空を飾っていた星々や白い月が薄く消えていく時刻。
地平線に太陽が現れ明るい世界が始まるほんの少し前の時刻。
そんな夜明け前がレゴラスは一番好きだ。

以前はそうではなかった。
清清しい雰囲気の朝も、
陽が降り注ぐ昼も、
空が赤く染まる夕方も、
空気が冴え闇に沈んでいく夜も。
すべてが好ましく、特別に好む時間は持っていなかった。
しかし、フロドに会って変わった。
夜明け前の、一日の中で一番冷え込むこの時間帯が一番好きになったのだ。

はじまりは何時だったのか。
きっかけがなんだったのか。
そのときの状況は昨日のことのように覚えている。






旅の途中。
火を焚くことが出来ることは少なかった。
敵の目を逃れるために火は焚かず雨風を凌げる場所を探して暖のない夜を過ごしていた。
寒い中で皆は丸まって短い睡眠をとる。
エルフは睡眠を必要としない。そして寒さに強い。というかあまり温暖の差は感じない。
仲間達が眠る間、火の番をしたり、見張りに立ったりと独りの時間を過ごしていた。

そしてあるときに気がついた。
太陽の昇る少し前の朝一番の冷え込みを迎える時間に。
フロドが寒さに震えていることを。
勿論他の者達も同じだったのかもしれないが、レゴラスの目には映らなかった。
彼が守るべきものはフロドであったから、フロド以外を気にする必要性は感じず、また気持ちを払ってもいなかったのだ。

はじめはマントを掛けなおしたりするだけだった。
しかし偶然、指先がフロドの頬に触れたとき。
そのまろやかさについ頬を掌で撫でてしまった。
掌は外気よりも暖かかったのか、フロドは身じろいでレゴラスの掌に擦り寄った。
その思いもかけなかった仕種になぜか心臓が高鳴るのを感じながらも自分がフロドに与えることが出来るものがあることを知った。
そっとフロドの傍らに横たわる。
そして、丸まって眠るフロドを背後から包み込むように抱きしめた。
寒さに震えていた小さな体からゆっくりと力が抜けていく。
安心したように身を任せるフロドに心の奥から何かが湧きあがってくるのをレゴラスは感じた。

陽が昇るまでの短い時間。
寒さが身にしみる日はレゴラスはフロドを抱きしめるようになった。
陽が昇り皆が目を覚ます頃には何事もなかったかのように離れていたので、そのことを知る者はフロドをはじめとし、ほとんどいなかった。
昔馴染みの魔法使いや人間は例外だったが、彼らは眉を顰める程度で口に出して何かを言うことはなかった。






「レゴラス?」
腕の中にある体が身じろいで囁くように名を呼んだ。
背後から抱きしめているのでフロドの表情はみえない。
「ああ、起こしてしまった?ごめんね」
「いいえ」
強く抱きしめ過ぎていただろうか、と腕の力を緩めると、フロドはもぞもどを動いて体を廻しレゴラスの方を向いた。
もう一度ゆっくりと抱きしめるとフロドが背中に手を回して擦り寄ってくる。
「まだ、夜明け前だよ。もう少し眠るといい」
柔らかな巻き毛にそっと口つけながら優しく囁く。
まるで自分の定位置で安心したかのように力を抜き体を任せてくるフロドに愛しさが湧きあがってくる。
愛しさ。
あの頃はどう名づけてよいかわからなかったが、あの感情は愛しさ、だった。
「ねぇ、レゴラス」
眠そうな声でフロドが呟く。
「なに?」
「僕は・・・この時間が一番好き、なのです」
「この時間?」
「ええ、夜明け前の・・・一番冷え込むこの時間・・・」
思いもよらない言葉にレゴラスは少し驚き目を見張った。
擦り寄り胸の中にあるフロドの表情は全然見えないが、きっと瞳は閉じられているのだろう。
眠りに落ちていく中、ようやく紡いでいる言葉のように聞こえる。
「なぜ?」
自分が好むこの時と同じ刻を好きだという理由が聞きたい。
だって、凄い偶然だと思うから。
「あの頃から・・・貴方が優しく・・・抱きしめてくれるでしょう・・・?」
一瞬何を言われているのかわからなかったが、すぐにその意味を理解する。

あの頃から。
貴方が優しく、
抱きしめてくれる。

「知って・・・いたの?」
知らないと思っていた。
あの旅の途中、そんな素振りは全然見えなかった。
フロドがその事実を知っていて、それでも何事もなかったかのように何も知らないかのように
振舞えるとは決して思えなかったから。
そして、今も思えない。
「知らなかったよ・・・あの頃は・・・」

知らなかった。全然知らなかった。
暖かさも囁かれる言葉もみんな夢だと思っていた。
だけど、すべてが終わりレゴラスの腕の中で眠るようになって。
夢現の中、抱きしめてくる腕と暖かさを感じて。
すべてを理解した。
あの頃からずっと守られてきたと。
あの頃からずっとこの腕は自分の物だったのだと。
そして自分はあの時間が一日の中で一番好きだったのだと、思い出したのだ。

安らかな寝息を立てるフロドはもう何も応えない。
だが、聡いレゴラスはおぼろげながらもすべてわかったような気がした。
そして、愛しい人をすべてから守るように抱きしめ直すと。
幸せに身を包みながら、レゴラスはゆっくりと瞳を閉じた。

 
 
 
 

   
  


   

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