恐怖に満ちた悲鳴、噎せ返る血の匂い、すべてを焼き尽くす業火。
毎夜あの日の夢を見る。
終わらない悪夢が私に与え続けるのは恐怖と哀しみと苦しみと、決して消えぬ復讐心。

 
 

Another story [1]



 
「おはようございます、旦那様」
シャッとカーテンが引かれ燦燦たる光が部屋に注ぎ込む。
低いテノールの挨拶と瞼の裏を真っ白にする眩しさで、シエルは目を覚ます。
元々目覚めは悪くない方だ。悪夢に魘される日々にも慣れた今、身体は不眠による疲れを感じなくなった。
ベッドに再度沈むこともなく起きることが出来る。
「おはよう、セバスチャン」
目を擦りながら半身を起こすと執事からモーニングティーが差し出される。
この習慣はいつまで経っても慣れることができない。
昔観た洋画の、ベッドの上で朝食を取るシーンは子供ながらに憧れたものだ。
だが憧れは憧れでしかなく、実際に目覚めてすぐに紅茶を差し出されることに違和感がある。
だいたい貴族だからといって今時こんな習慣を続けている人が本当にいるのだろうか。
一般人の感覚では「ないわぁ」という感じであるが、この執事はその昔良き貴族の時代に執事をしていた経験があるらしく、正しい執事の姿というものを崩さない。
仕方なく付き合い程度に一口二口飲んでカップを戻す。
執事に付き合ってやる主人ってどうなんだ、と思うものの口には出さない。
正しい貴族の姿や態度がよくわからない身にとっては、執事からそれを習う必要があるからだ。
たとえそれが一昔前の古臭い貴族像であっても知らないよりはましである。
「旦那様、お召しかえを」
すでに着替えを用意し、手伝う気満々の執事をジロリと睨みつける。
「着替えくらい自分でやる。おまえは食事の準備でもしておけ」
ふぅ、と呆れたようなため息をつくものの、主人の命令に逆らうことなく、一礼して部屋を出て行くのは毎朝のことだ。
モーニングティーは執事の方針に付き合ってやってるのだ。着替えは自分の方針に付き合ってもらう。
古臭い執事と貴族初心者なのだからお互い少しずつ譲り合って当然である。
シエルは着替えながらテレビをつける。朝のニュースは某国で起こったテロに軽く触れたあと、洗剤のコマーシャルを挟み、女優の浮気スキャンダルに移った。
つまらない情報を聞き流しながら、シエルは準備された衣服を身に着ける。
慣れた手順で胸部を締め付け、シルクのブラウスに袖を通し大きなリボンを結ぶ。太股まである上着を羽織り、膝丈のズボンとブーツを履いて、右目に眼帯をつければシエル・ファンフォムハイヴの出来上がりである。
鏡の中の自分をシエルは見つめる。
おかしいところはないか、違和感はないか。ちゃんと13歳の少年に見えるか。
西洋人から見て東洋人は若く見えるらしい。英国の血が1/4流れるクオーターとはいえ、ほぼ日本人である。衣服に幼さを残してみせれば数歳の誤魔化しは効くだろう。でなければ半ズボンなんか御免だ。
右目を覆い隠す眼帯に指を滑らせる。一見してはわからないがシースルーになっているので視界には問題はない。この瞳に刻まれた契約印を隠すためとはいえ鬱陶しいことには変らない。
契約印。
そう、シエルは悪魔と契約したのだ。
シエルが復讐を遂げるまで、悪魔はこの身を守り通す。
目的を果たせば、シエルは悪魔に魂を渡す。
単純な契約内容だが、決して破棄することはできないし、できたとしてもするつもりはない。
なんの力も知識も持たないシエルが仇を探し出し復讐を果たすためには人外の力が必要なのだ。
この身と引き換えにしても、この命と引き換えにしても、魂さえ差し出しても、後悔はない。

*

ファントムハイヴ家は名家なだけあって、屋敷も装飾も蔵書も素晴らしかった。
130年前に直系が途絶えてからファントムハイヴ家の隆盛は衰えたらしいが、一介の貴族としての地位は現在まで続いている。
その大量な蔵書から一冊の本を見つけた。奥の書棚の端に隠すように置かれていた本に目をとめたのは偶然か必然か。
悪夢から抜け出せず絶望に打ちひしがれ肉体的にも精神的にも追い詰められていた身には、それは運命だとしか思えなかった。
何度も何度も読み返し、何度も何度も紙に描いてみた。
健全な人間なら歯牙にもかけなかっただろうが、精神状態は最悪で正しい判断が出来ない子供は、これが最良の方法だと妄信した。きっと気が狂う一歩手前だったのだろう。
誰も来ない真っ暗な地下室。何十本何百本の蝋燭を灯し、その灯りを頼りに本に描かれた図形を寸分違わず地面に描く。
贄などなく、あるのは自らの血と憎悪に彩られた心だけ。
一晩中呪文を唱え続け、声が掠れ喉が潰れそうになった夜明け、魔方陣の真ん中に現れたのは燕尾服を着た美しい悪魔だった。
「私を呼んだのはお前か」
召還された悪魔は赤い目を向けてそう問うた。
ボッと蝋燭が一気に燃え上がり瞳孔が猫の眼のように絞られる。ぞくりと恐怖が背筋を走り抜ける。心臓が破れるのではないかというほど強く鼓動を打つ。
人外を前にして体の外も中も恐怖に震えるのに、心は歓喜で満たされた。
「そ、そうだ」
動かぬ口に全神経を集中させ、どうにか言葉を紡ぐ。
「私が復讐を遂げる手伝いを!私と共にあり私を守れ!」
「代償は?」
「私のすべてを。この身もこの魂もなにもかもすべて!」
応えを聞いた悪魔は口の端をつりあげて笑みの形を作り、抱えていたものをゆっくりと撫でた。
悪魔らしからぬ優しい動きに視線を向ける。
燕尾服の黒に溶け込んでいて気がつかなかったがその腕の中には真っ黒い子猫。見返す瞳は悪魔と同じく赤い。黒猫は魔女の使いというが悪魔の眷属でもあるらしい。
「・・・名前・・・」
子猫はただひたすら可愛かった。悪魔との契約を結ぶという緊迫した空気に不似合いなほど。
興奮と緊張に満たされていた体からふと力が抜けた瞬間、現状を忘れてつい子猫の名前を問うてしまった。
あとから考えればすべてに現実感がなく何もかもが麻痺してしまっていたのだろう。日頃から見慣れている猫という存在に日常が戻ってきたのだ。ただひとつの現実のように。
「私はセバスチャン・ミカエリス」
悪魔は子猫の名前ではなく、自らの名を名乗った。
その名を聞いた途端、戻ってきたはずの現実が遠のいていく。
セバスチャン・ミカエリス。
知っている名前だ。聞き覚えがある名前だ。
昔の悪魔祓いの名前。そして130年前の当主と共に在った執事の名前。
それならば私は。私の名前は。
「私の名はシエ・・・シエル。シエル・ファントムハイヴ」
子猫がニャーと鳴いた。
悪魔は目を見張り、そして破顔した。
面白がっているような怒っているような呆れているような。不思議な表情だったが、唇からは笑い声が洩れ出ている。
「では、私はお前が目的を果たすまで、お前の執事で在ろう」
そうしてシエルは悪魔の執事を手に入れたのだ。

*

朝食のあと、蜜蝋で閉じられた封筒を執事は差し出した。
見覚えのある封印は、『女王の番犬』宛であることは一目瞭然だった。
二年前に悪魔の執事を手に入れたシエルは、ファントムハイヴ家の当主の地位についた。
悪魔の力に寄るものなのか、ファントムハイヴの血を引くものがシエルしか残っていないからか、それに異を唱える者はいなかった。
最後のひとりとはいえ1/4しか伯爵家の血を受け継いでおらず、日本で生まれ育ち、貴族としての知識もマナーもない子供を名家の当主に据えることに反対する者は当然いたのだろうが、この国の最高権力を持つ女王が認めたことから、表面上は平穏に事が進んだ。
シエルが当主となると同時に、130年前に途絶えていたファントムハイヴ家の役割が復活した。
『女王の番犬』『裏世界の秩序』。
貴族社会における裏の役割、ある意味汚れ役だ。
伯爵とはいえ10代前半の子供に押し付けるには重く難しい任務である。
しかしシエルはそれを喜んで請けた。ファントムハイヴ一族を殺戮した犯人を誘き寄せるために。
私はここにいる。ファントムハイヴは滅びていない。最後のひとりが強い権力を持って残っている。
そう高らかに宣言してこの身を餌にし、再び自分を殺しに来た犯人に復讐を果たす。
そのためだけにシエルは生きている。
悪魔の執事を従え、見事なまでに任務をこなし、その悦びの日が来るのを今か今かと待ちわびているのだ。
 



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別の物語

 








■なかがき

映画公開前で詳細がわからない今なら何を書いてもいいと思った。←コラ

シエル不在の映画設定にムカムカして、つい書いちゃいました。
「130年後」「ファントムハイヴ家の当主は男装少女」「悪魔で執事」
この設定だけをパクってます。
あとは好き勝手な妄想の産物です。
頭の中でぐるぐる妄想してたけど、途中で力尽きました(笑)





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