夜の雨は、嫌いではなかった。
窓にぶつかる滴の作る不規則な模様を、飽きもせず五右ェ門は眺め続ける。
今夜は帰らぬだろう。
時計の針は零時をとうに越えていた。おおかた、この豪雨で足止めでも食らったのに違いない。もとより今日、−−−いや、もう昨日か−−−、ここに来るという約束はなかった。寝てしまおうが出かけようが、五右ェ門の自由だ。なのに足は、窓から離れようとしない。
おそらく、この雨のせいだ。
途切れることなく闇を貫き続ける雨粒の連鎖が、単に目を引き付けて離さない、それだけのことだ。
ふと視界の端に、光が射した。
エンジンの音が聞こえる。見る間に光は大きくなり、滴の輪郭をはっきり浮かび上がらせた。音と光は最高潮に達したかと思うと不意に消え、次いでせわしなくドアの閉まる音がする。
五右ェ門は動かなかった。雨を見つめ続けるその目は、しかしもう雨を見てはいない。
ドタン、ガタンという慌ただしい音に続いて、背後のドアが開く。冷たい風が吹き込んできた。
「・・・よう。」
男の声に、振り返った。
素っ気ない挨拶を寄越したきり、男は突っ立っている。「うむ」とだけ答え、窓を離れた。
「−−−覚えて、いたのか。」
「何が。」
歩み寄る侍から顔を逸らし、男はとぼけている。自分で言ったのだ。かつて五右ェ門がその話をしたときに。
−−−そういう日は、愛するもん同士、一緒に過ごすもんだ。
男の袖口から、滴がしたたたり落ちている。肩で息をするのを抑えているのだろう、背広の胸元が妙にせわしなく動いている。きまり悪そうにこちらを見て、男がぼそりと呟いた。
「なんか、おかしいか。」
「いや。−−−風邪を引くぞ。」
「・・・ああ。シャワーを、」
「次元。」
去りかけた男を、呼び止めた。
「何か忘れておらぬか。」
「・・・。」
背を向けたまま、男が呟く。
「−−−もう、過ぎちまったからな。」
「よいから言え。」
「・・・。」
首の後ろをバリバリ掻いて、それから男は言った。
「おめでとさん。」
「・・・。」
どん、という音と共に帽子が落ちる。
「うお!」
次元が奇声を上げる。後ろから抱き込んだ侍も、仰天して叫んだ。
「なんだこの体は! お主、本当にずぶ濡れではないか!」
「・・・いろいろあったんだよ!」
ルパンの野郎が、と始めた口を塞いでやった。
「んむ!」
ネクタイをぐいと引く。ちゅ、ちゅ、と合わせる唇の間から、「早く、脱げ」と命じた。次元が目を細める。
「−−−どうした、ずいぶん大胆だな。」
「馬鹿もの。濡れているからだ。」
脱がせてやろうとした背広がぐずついて肩口に引っ掛かる。半脱ぎのまま、男は構わず抱きついてきた。
「あっためてくれ。」
「だから脱げと−−−、」
「五右ェ門・・・、」
「んん・・・、」
もう唇が離れない。濡れた体を拭いもせずここまで飛んできた男の体から、水分がずっくりと沁み込んでくる。背に腕を回しきつく抱き締めて、五右ェ門はありったけの体温を与えた。
己の生まれた日なんぞに、意味を感じたことなどなかった。
今日、この日までは。
ひときわ強くなった雨が、全ての音を掻き消した。
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