目が覚めるとそこは、見知らぬ光景が広がっていた。
「おはよう」
 声のする方に顔を向けてみると、白衣の女性が枕元に座っているのが見えた。
「……」
 自分が何者なのかすら思い出せない。なのに、奇妙に心が落ち着いている。どうして自分はここにいるのだろう?
「気分はどうかしら」
「あまり、よく……ありません」
 頭の中で羽虫が騒ぎ立てているような気がする。表面上は静かな湖の底で、何かが蠢いている。
 同じようなことを何度も繰り返しているような気がしてならない。体を起こそうとしたが、白衣の女性にやんわりとベッドに押し戻されてしまった。
「だいぶ無理をしているのだから、もう少し寝ていなさい」
「はい」
 無理ってなんのことだろう? と思いつつ、目をつぶった。
 すぐに眠気が押し寄せてきて、彼女は再び眠りに落ちた――。

「さすがに、六回も記憶処置を施せばおとなしくなるか」
 女医は深く息を吐いて、少女――和哉の眠り顔を見つめる。
 和哉は半年もの間、度重なる徹底的な記憶の塗り替えがされていた。洗脳どころではない。脳は徹底的にいじられている。脳改造と言ってもいい。
 女性化ガスもそうだが、脳の内部や記憶までも切り刻みながら生命に支障がでない技術も謎に包まれている。とても現代科学でできるようなものではない。
受精卵や胚胞の段階ならばともかく、成体を十数時間で別の性別に変えるなど想像を絶している。
 それに、物理法則にだって触れかねない。肉体を変容させるエネルギーはどこから来るのだろう? しかもそれは外科的な手術を必要とすることなく、ガスだ けで実現できるのだ。
 実に興味深い。
「ふん……それで自分が女になっては意味がない、か。ミイラ取りがミイラになった、というところかね」
 自嘲の笑みを浮かべて、一人呟く。
 実は“彼女”も、ガスの犠牲者の一人であった……。

 彼女――いや、彼はかつて優秀な医学者であり、次期教授の呼び声も高かった。
 大学の理事長の娘との婚約も決まっていたし、順風満帆の人生のはずだった。
それが、女性化ガスの研究中に起きた事故……いや、ライバルの陰謀でこのような姿に変えられ、人生は大幅に狂ってしまった。
 女性化して目覚めた時、既に何度も犯されていた。抵抗する意思も砕かれ、あらゆる場所を犯された。
女性化された体はセックスに対して反応が強くなるようになっているためか、自分から男を求めるようになるのにはそう時間はかからなかった。
 日にちの概念さえ忘れていた、ある日。
 自分の痴態に注がれている二対の視線に気がついた。彼女はその視線に向かって媚びを振り、結合部をみせつけた。今までの見学者は、これで喜んだものだっ た。
 しかし、この日は違った。
 見学者は、彼女――元・研究者である彼の、婚約者だった。
 正確にはこれにもまた、「元」という字がついてくる。そして彼女の傍らには、彼のライバルであった男の姿があった。
 はめられた、と知ったのはこの時だった。
 幸いにも記憶や人権さえも奪われるようなことにはならなかったが、地位と仕事は失った。それだけではなく、誇りと尊厳、自負心さえも奪われた。
 何もかも奪われ、放り出された彼女が今の仕事に就くまでに、何人の男に身を任せただろう。十人や二十人ではきかない。
皮肉なことに、女性化ガスによって得た体が、今の仕事をつかむ手がかりになったのだ。
 しかし、心の奥底のどこかでそれを楽しんでいたのも事実だった。
 無理矢理掘り起こされ、開発された官能が身を焦がすのだ。
 バイブレーターで慰めるのにも限界があった。
 体が疼く。男が欲しくてたまらない。一人では物足りない。何人、何十人にも囲まれて、気絶するまで凌辱してもらわなければ満足ができない体になってい た。
 今でも職員の男達に、定期的に抱いてもらわなければならないほどだ。だが、心がそれを拒む。
彼女は意識を朦朧とさせる薬と、媚薬を併用することによってセックスをし、精神と肉体の均衡をようやく保っているのだ。

 女性化新法施行直後、“彼女”のような女性化ガスによって女性となった者は「人工女」「紛いモノ」などと呼ばれ、世の女性の多くから反感を受けた。
 特にキャリア志向の強い人やフェミニズム運動に身を投じている人から、女性への冒涜だなどと強烈な反発を受け、抗議デモや、女性からのレイプ紛いの事件 が頻発した。
 しかし一部では、 自分の卵子を精子バンクから買っ た精子と人工授精させ、「借り腹」として利用する動きが出てきた。
中には、自分では子供を産みたくないが子供は欲しいという女性が彼女達を買い、目をつけた男性とセックスをさせて子供を作らせていることまであるという。
 彼女達は男にとっても女にとっても、都合のいい「道具」だったのだ。
 最初こそ動きが鈍かったものの、今では抽選待ちすら三年先までびっしりとリストが埋まっているという状態だ。
 需要過多にもかかわらず、供給は改善の見込みが立たなかった。再犯を重ねる犯罪者、特に性犯罪者を対象にして「更正」させるだけでは到底需要には追いつ かなくなってきたのだ。
 そこで法律を拡大解釈し、ホームレスやニート、生活保護を受けている一人暮らしの男性を“社会にとって不要”な女性化の対象として扱う事により、供給は 好転し始めた。
 これによって全国各地で「ニート狩り」とでも言える人権侵害事件が多発したが、被害者の記憶が無くなっており、なおかつ訴える身内もいないために立件が 難しい
という問題があった。多くの弁護士が駆けずり回ってはいるが、いまだ目立った動きには発展していない。
 それどころか身寄りの無い男性を手当たり次第女性化の対象とする動きが活発化しており、人権侵害は勢いを増すばかりだった。
何しろ女性化した人の「売上げ」は地方や国の財源に組み込まれるので、一人のニートの“所有権”を巡って、
国と地方の役人がいさかいを起こすという事件まで頻発するようになったのは笑えないジョークであった。
 この問題に対し、首相が国会で野党の追求を受けた時、「本人が幸せに暮していると言っているし、国庫の負担も小さい。
それどころか本来は支援費用を与えなければならないところが、逆に国庫の収入になっているし、人口増加に貢献もしている。何が問題なのかね?」 と発言し たことも、
一連の動きに正当性を与えたようなものだった。
 一部では「女畜(めちく)」として、何人もの女性化された者を囲いこんでいる者もいるという。
 時代は着実に、ねじ曲がった方向へと進んでいた……。

 ***

「さて、これで彼女も退院か。えらく時間がかかってしまったがな」
 かつて和哉と呼ばれた少女のカルテを見ながら、女医が呟く。この収容所には気を許せる同僚などいないので、すっかり独り言が癖になってしまった。
 彼女への度重なる記憶処理による費用は、身請け人が全てを負担することになっていた。優に都心の一戸建てに匹敵する莫大な金額だ。
そこまでして人造女性を欲しがる理由は何だろう。
「……深入りしないのが身のためだな」
 それでも、想像くらいはつく。
 彼女もまた、自分と同じくライバルにはめられたのだろう。女性か、出世競争か、それともその両方か。
 女性化ガスは、人格にまで影響を及ぼす。ある意味、精神的に退行させると言っても間違いではない。
自分の場合は、実験中のガスだったために記憶までは奪われなかったのは幸いだった。
「幸い……か」
 記憶処理された、扱いやすい従順な女性。
 男にとって都合のいい存在だ。
 今の彼女には、かつての家族の記憶は完全に残っていない。最近の記憶になると比較的残っている度合いも高いが、それでもうろ覚えだ。
その代わりに、家事全般の知識を詰め込んである。
 セックスの知識はオプションだ。あの少女にはそれらの知識は与えられていない。何も知らない無垢な少女を「調教」するのを楽しみにしている男も多いから だ。
かつては自分も男だったとはいえ、女医の胃の中に鉛の塊が生じたようだった。
「霞主任」
「なんだね、ノックも無しに」
 不意に思索の糸を断ち切られ、眉をひそめて回転椅子ごと声のした方向を向く。
「せ−19GA2260号の退院許可へのサインを願います」
「わかった。しかし、何度も言っているのだが、今時書類にサインとは古くないかね?」
 机の上からボールペンを取り、サインをして返す。
「ありがとうございます。まあ、お役所仕事ですから」
 へらっと笑い、そのまま立ち去りかけて、何かを思い出したように振り向いて男は言った。
「そういや、今晩がいつもの日ですね。地下室で待ってますよ。主任のマ○コは最高ですね。さすがは最高級の人工女だ。
これを知っちまったら、金を出してソープに行くなんかバカらしくてできませんよ」
「言うな、馬鹿者」
「へへっ……そのツンデレっぷりも主任のいいところです」
 冷たい視線をものともせず、男は書類を持って部屋から立ち去った。

 ***

 少女は、白いブラウスを着せられて殺風景な部屋に連れて行かれた。
 事務用の椅子とテーブルがあるだけで、あとは何も無い。
 そこに座っているようにと指示され、彼女は黙って座っていた。
 一時間が経過したが、誰も来ない。
 しかし彼女は身じろぎもせず、 黙って座っていた。 それが彼女に与えられた「命令」だから、従うのは当然だったのだ。
 それから数十分も過ぎただろうか。
 扉が開き、背広姿の男が霞主任と白衣姿の男に付き添われて入ってきた。
「さあ、おいで美咲」
「それが……私の名前ですか? 御主人様」
 白衣姿ではない以上、彼が自分の「御主人様」である可能性は高かった。
 盲目的に従わなければならない、自分に対しての絶対君主。
「そうだ。それが君の名前だ」
 少女は立ち上がって、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、御主人様」
「……金をかけた甲斐があるな。和哉の野郎がここまで従順になるとはな」
 憎しみと悦びの混じった、背筋が凍るような笑顔だった。
「かず……や」
 頭の奥でちりちりと鈴が鳴り響くような気がするが、苦痛はない。
「憶えているのかい?」
「いいえ……かずやとは誰の事でしょう? 御主人様」
「君が気にする事はない……ああ、そうだとも。そんなことなど忘れてしまうがいい」
「はい、御主人様」 主人となる男の獰猛な笑みに心のどこかで恐怖を感じながらも、少女は再び頭を下げた。御主人様の命令は絶対なのだ。
「もう、連れていってもいいんですね」
「ああ。だが、無理は禁物だ。ここのところ、膣に裂傷を負って入院する患者が多くて困っている。
いくら“彼女”達にまともな人権が適用されないとは言え、やはり人間なのだ。まともに取り扱って欲しいものだな」
「ええ。丁重に取り扱わさせていただきますよ……くくっ。さあ、行くぞ美咲」
「はい、御主人様」
 部屋を出て言った少女を見送り、白衣の霞は呟いた。
「復讐なんて考えない方がいい。ただ肉欲に溺れるだけの方が幸せってものさ。だが……」
 廊下から男の悲鳴が聞こえてきた。
「死ね! 死ねっ! 死ねぇっ!!」
「か、和哉! お前、記憶がっ……!」
 職員達が廊下を駆ける足音が響き、少女を取り押さえたようだ。
「世の中には消そうとしても消えない恨みというのもあるだろうさ。江戸時代の怪談のようにね」
 霞は薄い笑みを顔に張りつかせてドアを開ける。
「幸いな事に、彼女の再構成費用は払込み済みだ。被害者には悪いが、このような行為があまり広がると、こちらとしても色々と面倒なのでね。
彼も社会に不要な、不適格者の資格があるようだ」
 血まみれになった男を見下ろしながら言った。
「君の体は有効に使わせてもらう事にしよう。今や、無駄にできる体など存在しないのだよ。安心したまえ、その程度の刺し傷など現代医療においてはどうとい うことはない。
女性化ガスは、肉体的損傷すら治癒させる偉大な効果があるのだよ。……連れていきたまえ」
 霞の言葉が耳に入ったのか、男は小さな悲鳴をあげてストレッチャーに乗せられるのを拒むが、めった刺しにされて出血が酷いので体力の消耗が激しい。
あっさりと乗せられてしまい、処理室へと運ばれていった。
「何をしたかは知らんが、よほど屈辱的なことでも言ったのだろうな。奥底に押し込めた記憶さえも一瞬にして燃え上がらせる言葉を、ね」
 霞は呆然としている血まみれの少女から千枚通しを取り上げ、そっと耳元で囁いた。
「君は新たな御主人様の下(もと)に嫁ぐことになるが……それでいいかな?」
「は……い、せんせい……」
 少女の目から涙がこぼれた。
 だが彼女にも、なぜ自分が泣いているかわからなくなっていた。
「復讐を果たして燃えつきたか。やれやれ、これでは商品にならんな。とりあえず、今晩のパーティに彼女も参加させて心の回復を図るとするか」
 霞の唇に、皮肉な笑みが浮かぶ。

 今夜は楽しい一夜となりそうだった。


 END


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