異様な臭いで、和哉は目を覚ました。
「ここは……どこだ?」
 窓が一切無いのに小さな蛍光燈が3つあるだけなので、恐ろしく暗い。
 目が慣れてくると、広さは学校の教室ほどなのがわかった。
まるで飾り気のないコンクリートが剥き出しの灰色一色の部屋に、数十人もの男達が床に転がされて押し込められている。
和哉もその中の一人だった。
「警察……でもなさそうだな」
 折り重なるように無造作に男達が寝転がっている。がーがーといびきを立てている者が多い。
そしてそのほとんどに共通することは、垢じみた、いつ洗濯したのかもわからない服を着ていることだ。そしてアンモニア臭もひどい。
 和哉が着ている服もゲロにまみれて、吐き気をもよおしそうな恐ろしい臭気を発している。
「誰かいないのかな。おおい!」
 ドアに向かって声を張り上げるが、返事はない。
 和哉はマグロのように地面に寝そべっている男達の間を縫うようにしながら、ドアの前に立った。
だが内側にはドアのノブも、手を引っ掛けられるような突起物はおろか、窓すらない。
「開けろ! 開けてくれ! ここから出してくれぇ!」
 何度もドアを叩くが、よほど厚い扉なのか、鈍い音がするばかりで大した音が出てくれない。しかも固い。
しばらく叩いているうちに、和哉の手は痛くなってきた。
「くそ……一体どうしたんだよ」
 手を止めて、ドアを背にしてぐったりとへたりこんだ和哉の耳に、小さな音が聞こえてきた。
「……何だ、この音は?」
 ガス漏れの音に聞こえないこともない。
「まさか……!?」
 和哉の頭に、閃いたものがあった。

 女性化新法施行――。

 社会にとって不要とされる男の人材を女性にし、子を産ませる事によって少子化対策を解決しようという乱暴な法律である。
しかし、そうでもしなければならないほど、日本の出産率は急激に下がっていて、
今や一人の女性が生涯の間に産む子供の数は0.1人……十組の夫婦でようやく一人の子どもがいるという異常な状態だった。
 これでは社会が成り立たない。
 そこで特定事業就労法という海外から人材を確保する法律が作られたのだが、
技術も無い、プロフェッショナルと名乗る実質的な移民がどっと押し寄せ、各地の治安はみるみるうちに低下していった。
 今では幾つかの市が実質的に他国移民で占められてしまい、様々なあつれきを産むに至って、ようやくこの法律は廃止された。
だが、もともと数が少ない女性がアグレッシブな移民にさらわれたり、自ら彼らと結婚をしたりという事例が頻発し、
本格的に日本民族が絶滅するのではないかという恐れすら出てきたのだ。
 そして一部の反対を押し切って作られたのが、女性化新法だった。
「男が多ければ、それを女にしてしまえばいい」
 理屈ではその通りだが、マンガやアニメじゃあるまいし、そんなことができるわけもない。
最初こそマスコミで騒がれたが、現実に男性を女性にする方法が無いために、すぐに飽きられて忘れ去られた法律だった。
 その法律がいつの間にか成立し、施行されていた。
 ホームレスや犯罪の常習者、ニートと呼ばれる産業に寄与しない人が狩られ、次々と女性にされているという三流週刊誌の扇動的な記事を見たが、
とても信じられるものではなかった。
 女性にする方法は外科的な手術ではなく、特殊なガスを使うという。
そのガスを吸うと数日以内に女性になってしまうというが、性転換にともない知性の低下があるとも噂されている。
しかし、男から女に変えるガスはあるのに、その逆はないというのも不思議な話だ。
 そんな記事が、走馬灯のように和哉の脳裏に蘇った。
 ガスはエアコンの通風孔のような場所から漏れ出ているようだった。
 まさかとは思ったが、和哉は口と鼻を手でおおい、なるべくガスを吸わないようにした。そして再び扉に向かい、外に向かって大きな声を上げる。
「おぉい! ここから出してくれ! 俺はVIPER商事の第一営業課に勤めている、若桜和哉だ! 会社に聞けばわかる! ここから出してくれ!」
 何度も繰り返すが、返事はない。
 背後から聞こえるいびきが止んだのに気がついて、和哉は扉を叩く手を休めて振り返った。
 床に転がっている男達がびくびくと体を震わせている。部屋には、栗の花かギンナンのような臭気がたちこめてきた。
「こっ、こいつら、眠りながら射精してやがる……!」
 こんな人間失格のやつらと俺は違う。
 和哉はそう思い、また扉に向かう。今度は扉の継ぎ目を探し始めた。
 冗談じゃない。今度の人事異動で今の係長が別の課に移動することはわかっている。
その空いた席に座るのは、ほぼ間違いなく係長代理の和哉だった。恋人は社内でも評判の美人だし、しかも彼女は会社の大株主の孫娘だ。
 順風満帆の人生が、こんなところでつまずくなんて間違っている。
「そんなっ、ことは……ありえないっ!!」
 ドアのわずかな継ぎ目に爪を立て、力をこめる。鋭い痛みが走るが、かまわない。男達の低い、無気味な喘ぎ声をBGMに、和哉は一人奮戦する。
「畜生ッ!!!」
 ミリッ! という鈍い音が聞こえたような気がした。ドアが開いたのではなかった。和哉の爪が剥がれたのだ。
「ぎゃあああああっ!!」
 息をこらしていたのも忘れて、和哉は両手をだらんと垂らして震えた。
 指の先から血が垂れていた。何本かの指先の爪がぱっくりと剥がれ、今にも落ちそうだ。あまりの痛みに、和哉は大きく息を吸ってしまった。
「あ……」
 痛みが薄らいだ。
 同時に、勃起もしていないのに疼くような快感が込み上げてきた。
「あ……あぁ、ひぃっ!」
 思わず下着の中に射精してしまった。なおも、尿道をくすぐるような絶妙の快感が和哉を襲う。
ズボンを内側から押し上げる勃起の先端からは、生地を濡らし尽くすほどの体液が染み出し始めていた。
 和哉は床にへたり込んで、身体をのけぞらせる。下に男がいるが、そんなことは気にならない。
それどころか、他人と触れ合っただけでもゾクゾクするほど気持ちがいい。
 意識のどこかで、これ以上ガスを吸ってはいけないと警告しているが、今の和哉はそんなことなどどうでもよくなっていた。
 いつしか和哉は、部屋の男達と同じように無気味な男の喘ぎ声のコーラスに加わっていた。
 何度も、何度も射精した。
 痛いくらいに射精し尽くしても、まだ快感は続く。
 そして和哉は、尿道から脳まで突き抜けるような鋭い刺激を感じて、大量の精液をズボンの中に放った。

 それが――和哉にとって、人生最後の射精だった


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