あのバレンタインの翌日、とは言っても東の空がほのかに明るくなるまでセックスをしていたのですから、
眠っていたのは、ほんの一時間ほどだったのでしょう。
 私はかなりの低血圧です。
いつものように無意識に長い髪をかき分け、重い体を起こそうとして、体の上にタオルケットがかけられているのを知りました。
 いつものように‥‥?

 見慣れた体。
 女の、からだ‥‥。
 この時、私の心の中に浮かび上がった感情は――落胆?
 いいえ。安堵でした。
 続けて、震えが起こりました。
 恐怖です。私は、完全に女性として考えていました。
いつもと変わらない女性としての自分を確認して、ほっとしていたのです。
 彼に対する愛も変わりませんでした。それどころか、前よりも強く彼を想っている自分に気がつきました。
嫌おうとしても、嫌いになれない。忘れようとすればするほど、彼のことで頭の中が一杯になってしまいます。
 これは恋? それとも愛?
 私は彼に完全に心を奪われていました。
それが呪いによるものなのか、自分自身の意思によるものなのか、私にはわからなくなっていました。
 もうとっくにヴァレンタインは終わっています。
 女のままということは‥‥もう、おわかりですね。
 そうです。私は彼と性別を入れ替えることができなかったのです。
 どうしてこうなってしまったのか、私はベッドの上で半身を起こしたままじっと考え込んでいました。
 でも、こんなことで急に何かがわかるはずなんかありません。
 口を半開きにして小さないびきをかいている彼にタオルケットをかけてやり、
しばらくの間彼の寝顔を眺め、横目で時計を見ました。
 午前6時5分。まだ学校に行くには早い時間ですが、このままホテルから学校に行くわけにはいきません。
 私は彼を軽く揺さぶって起こしてから、またのしかかってこようとする彼をキスで押し返し、
シャワーを浴びに行きました。本当は私も彼の求めに応じたかったのですけれども。
 太腿が少しひりひりしました。精液がこびりついていたからでしょう。
その痛みすら私には心地好いものでした。痛む場所を指でなぞると、不思議と気持ち良かったのです。
 私はまだ湿ったままの下着をつけ、彼と別れてから自分のマンション
(昨年の4月から、私は実家を出て一人暮らしをしていましたもちろん、賃貸です)に帰って身仕度を整えました。
本当は髪も洗いたかったのですが、髪を乾かす余裕はありませんでした。
ホテルのシャンプーの匂いに気づかれまいと、私はいつもはしない香水とヘアコロンを軽く吹きつけてから家を出ました。

 授業に出た私ですが、眠くて仕方がありませんでした。
 でも、彼はタフですね。いつもと変わらない様子で授業をしていたそうです。
私なんて、いつもは使わない椅子にでも座らないではいられないほど、腰から下がくたくたになっていたというのに‥‥。
 心の中が暖かく、幸せなのが何よりも怖い事でした。
 完全に女になりきってしまったという自覚があるのに、どこか醒めた男の部分が女の私を嫌悪します。
 職員室に戻り、放課後になって私は初めて、周囲の奇妙な視線に気がつきました。
祝福をするような、哀れむかのような‥‥。
 私は思わず、あっと声を上げそうになってしまいました。
 わかったんです。先生方が私に向ける視線の意味が。
 そして、なんでこの学校は美人の先生が多いかという、その理由も。
 彼女達がここの卒業生だということは知っています。どうしてこの学校に戻って来たのでしょうか?
そうです。彼女達もまた、やはり元は男性だったのでしょう。言葉にはできませんが、私にはわかります。
 この学校の理事長も、やはり元は男だったと思います。
 面接時に感じた視線は、同類を見る哀れみと慈しみだったのです。
 決して男に戻れはしないのに、僅かな希望を抱いてやってくる哀れな「女」。

 ――そう。

 私はどれだけ男だと主張しようとも、誰から見ても女なのです。子を宿し、産み、そして育てる者‥‥。
あの直感は、彼が夫となる人間だと告げていたに過ぎなかったのです。
 私はそれを、自分の都合のいいように解釈していただけ‥‥。

 ここでようやく、現実の時間に追いつきました。
 今日は3月20日。もう、時間も午前6時近くになってしまいました。
 そろそろ彼が目覚めそうな気配がします。
 ふふっ‥‥。
 そうです。私は彼の家に押し掛けて一緒に暮しています。
今は学校も春休みですから、一日中愛しあうこともできるんです。
毎日のように睦みあっているのに、彼は昨晩も、たっぷりと濃い精液を注いでくれました。
 私はもう、彼のことしか考えられません。
 これが呪いのせいではないことは確かです。
私は、男の心を残したまま、女性として彼を愛してしまったのです。


 彼が、私を女にしてしまった先輩なのかどうかはわかりません。
 いいえ。そんなことなんて、どうでもいいのです。
 彼こそが、私の運命の人であることが重要なのです。
私の魂を縛りつける、たった一人の男性。
今ならば、彼との出会いもまた、奇跡の一つだったのがわかるのです。
 そして、私は決して男には戻れないということも。
 既に私は、男として過ごした期間と女性として過ごした期間が、ほぼ同じになっています。
もし男に戻れたとしても、幸せな生涯を送れるとはとても思えません。
 私は女としての悦びを知ってしまったから。
人を慈しむ幸せを知ってしまったから。服従する快楽を知ったから‥‥もう男には戻れないのです。

 最後に、もう一つ告白をしなければなりません。
 なんで呪いがあるにもかかわらず、誰にも見せることのない、こんな文章をしたためられたのかという理由を‥‥。
 恐らく私は妊娠しているのでしょう。
一月以上もずっと避妊をせずセックスをし続ければ、健康な男女の間で妊娠をしないはずがありません。
胎内で小さな命が息づき始めているのが、私には、はっきりと自覚できるのです。
 いつもは正確に来る生理がなかった時、私は恐怖と歓喜という、相矛盾する感情に心を揺さぶられました。
そして、女であることを呪う言葉を口にして、私は初めて、呪いから解放されたことを知ったのです。
 ああ‥‥なんと残酷なのでしょう!
やっと女として生きて行くことを決心し、男であったことを忘れようとした矢先に、強制力が無くなるなんて!
そして、男であるという自覚を残したまま出産をしなければならないとは、あまりにも残酷過ぎます。
 私は恐ろしいのです。
 堕胎手術を考えようとしても、押さえようの無い幸福感で心が満たされてしまいます。
これが新しい強制力なのでしょう。決して堕すことなどできないと、私にはわかります。
 私は秘密を心の内に秘め、子供を産み、育てていくしかないのです。
 はたして私は、正気を保っていられるのでしょうか‥‥?
それとも、出産をした時に別の強制力が私を縛るのでしょうか。
 この文章を打っているパソコンのキーが、愛液で濡れています。彼の精液も混じっているでしょうね。
まだ、し足りないと体が求めているのです。心もまた、同じ感情を抱いているのがわかります。
 私は、淫乱なのです。
 本当は男なのに、女の体と半ば女になってしまった精神を持つ、堕落した淫らな人間‥‥。
恥ずかしさで、このまま死んでしまいたいほどです。
 でも、そんなことはできないと、私の中の淫乱の血が囁きます。
人から愛してもらえなくなるまで、私はセックスを求め続けるのでしょう。
 この血がある限り、私は永遠に矛盾する感情に苦しめられるのです。
しかし、私にはそれさえもが快楽であり、服従する喜びと屈辱にもみくちゃにされ、それでも体を開くのでしょう。
 それは、たった一度の勇気を出せず、女であることを心の中で受け入れてしまった私に対する、
運命が与えた残酷な‥‥そして、あまりにも甘美な罰なのです。

 S.K

 ===== END =====


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