季節は春になり、私も高校2年生になりました。
幸いなことに、私は学校で違和感なく学生生活を送ることができました。
友人関係も多少の変化はあったものの、男女分け隔てなくつきあえるようになった分、交友関係は充実しました。
中には私に恋愛感情を抱く人もいましたが、私はやんわりと拒絶するのが常でした。
虚無に抱かれた私は、他人から見れば、大人びた物憂げな美女に見えるようなのです。
でも、男性と恋愛関係をもつだなんて考えるだけで吐きそうでした。
精神的には男を強く残していることが幸いなのかどうかはわかりません。
しかし、私はホモセクシュアルではありません。体は女でも、心は男だと信じていましたから。
実は私に好意を寄せる人は男性だけではありませんでした。
私から見れば異性である女性からの好意は心地好いものでしたが、決して身も心も満たされることはありませんでした。
自慰も‥‥オナニーも試してみました。
この体は処女のようでした。初めて鏡で自分の‥‥と言うのもおかしいのですが、
女の体の性器を鏡の前で開いて見たときは、恥ずかしいことに乳首が立ってしまい、床に愛液が垂れるほど感じてしまいました。
本当に女になってしまったというショックで、目の前が暗くなりましたね。
それでも自慰は止められませんでした。
自己嫌悪に陥りながら、私は夜な夜な股間に指を忍ばせては背徳の快楽に没頭したのです。
そんな私を救ったのは、学業でした。
男であった時は決して優秀とは言えない成績だったのですが、
女にさせられてからは面白いように何もかもが理解できました。生まれて初めて、勉強が楽しいと思うようになったのです。
私はひたすら勉強に熱中しました。
そうしている間だけは、私は自分が女にさせられてしまったという記憶を忘れることができたのです。
先輩が卒業してから、私は考え抜きました。
男に戻るには、先輩からされたことを他人にすればいいはずです。
よく考えてみれば、先輩は自分の正体や目的こそ告げなかったものの、多くの手がかりを私に残してくれていました。
ホテルに残されていた制服は間違いなく先輩のものでした。なぜなら、私のサイズにあった制服が家に残されていたからです。私が男だった時に着ていた制服
が無くなっていたということは、先輩が私の服を着ていったということが容易に想像できます。
そして、セックスをしただけでは男には戻れないということも。
私が童貞を失ったにも関らず処女だったということは、先輩もまた同じだっただろうと想像できます。
そして彼女は私の前に、かなりの数の男性(あるいは女性)と性交渉があったことはあの手慣れた様子からもほぼ確実です。
それでも男に戻れなかった。
つまり、特定の手順を踏んでいかないと男女の入れ代わりはおきないという仮説が成り立ちます。
キーとなるのは、そう。バレンタインデーです。
この日にチョコレートを渡し、「抱いて」もらえば、男と女の立場を逆転させることができる‥‥。
私の心の中に、確信が沸き上がりました。
今も私の心には、先輩との濃厚なセックスの一部始終が鮮明に焼きついています。
家であの時のことを思い出すだけで、股間が熱く濡れるのがわかりました。
無意識に股間の上の空間を撫でて、ペニスが無いことを思い知るのも何度、 いいえ、何百、何千回繰り返したことでしょう。
男の本質はペニスではないとは言え、男性のシンボルと呼ばれるだけに、
それを失った私の空しさと取り戻したいという焦燥感を、誰が理解してくれるでしょう?
そして私は空しいと知りつつも、夜な夜な自慰に耽っていたのです。
何よりも憂鬱だったのは、体育の授業と女性自身の問題‥‥生理でした。
私の生理はかなり重いものです。
今でこそだいぶ楽になったとはいうものの、当時は女にされてしまったショックと体の変調で、
初めて迎えた生理の時は一週間も学校を休んでしまいました。
また、着替えの時に私の体を友人達が褒める度に、私の心は深く傷つきました。
誰も望んでこんな体になったわけではありません。
例えそれがどんなに素晴らしい肉体であったとしても、
それは本来の私、この世に生まれて十数年馴染んだ体ではないのです。
しかし、偽りの仮面を被った私は心の葛藤をおくびにも出さず、
当たり障りのない言葉を返し、その一方で私の心は深く黒く澱んでいきました。
人は生まれた時から性を変えることはありません。
物心がつく前から、少しずつそれぞれの性で経験を積み、大人になっていきます。
成長の過程で「心の性」と「身体の性」が違うと感じる人も稀(まれ)にいますが、
ほぼ全ての人は性別が変わることなく一生を終えます。
私は極めて例外的な‥‥こんな人が他にどれだけいるのかわかりませんが、特別な性転換を経験するはめになりました。
自ら望まず、他人の意思だけで性別が変ってしまいました。
何か不思議な意思が表面上は私が女であると装わせてくれました。
いいえ。無理矢理にです。
恐らく私は、この強制的な意思がなければ心の性別は男だと主張していたでしょう。
精神科に通わされることになったかもしれませんが、それほど私の心は男に戻ることを強く、激しく渇望していました。
今も‥‥です。
多少顔は不細工でも、成績はよくなくても、私はかつての私に戻りたい。
でも、私は与えられたチャンスをつかむことができませんでした。
今の私の姿は、その罰なのです‥‥。
最も嫌だったのは夏の体育の授業で、水泳をすることでした。
私の学校の水着はスクール水着ではなく、スタイリッシュな競泳水着風のものです。
これはこれで皆には不満があるらしく、スタイルがいい人でないと似合わないという評判でした。
あなたは似合うからいいわねと妬み半分、羨ましさ半分でよく言われたものです。
ですが、着替えなどはまだ序の口。本当に嫌なのは授業です。
水泳の授業は男女合同。もちろん間を区切って男女が一緒のコースで泳ぐことはないのですが、
男子の遠慮の無い視線が私達を襲います。
男子の舐めるような目つきに、かつては自分もあのような目をしていたことに
身の毛のよだつような嫌悪感をおぼえ、そしていつの間にか女として考えていることに恐怖を抱きました。
それから、水着も友達につきあわされ、買わざるをえませんでした。
できるだけ布地の多い地味な水着を選ぼうとしても、友達が許してくれませんでした。
確かに試着をしてみるとその通りなのです。
豊かな胸に細い腰、大きく張り出したお尻。
惨めです。
女友達には羨望の目で見られても、私には自分が見せ物になってしまったようで‥‥濡れてしまいました。
ええ。私は、マゾヒストなのです。
学校では優等生を装っている私が、惨めな自分に興奮して欲情してしまう、どうしようもない女だなんて誰が思うでしょう?
しかし屈辱的であればあるほど私の体は熱くなり、敏感に反応してしまいます。
男の無遠慮な視線は私の羞恥をかきたて、惨めにし、心を犯すのです。
友達とプールや海に行った時、私は何度も視線だけで軽く達してしまい、
トイレに駆け込んでは熱く濡れそぼった股間を指でかき回したり、プールの中で水着の上から股間をさすったりして、
情けなさと惨めさと共に、途方も無い快感で胸を一杯にしたものです。
これでも私は、男だと言えるのでしょうか‥‥。