「………随分時間がかかったものだな?」
ルカの上司であるマルコ・ビッテンコートが、幾分険のある目つきでデスクの向こう側に立っているヒゲダルマを睨みつけた。
“ほんのすこしだけソフトタッチの鬼瓦”といった風の、迫力ある顔立ちの壮年の男である。
「さすがに最新式の擬体ですからね。調整に少々手間取りまして」
その視線を軽く受け流し、ヒゲダルマは肩をすくめる。
「で、もう使えるんだな? 早速投入したい任務があるのだが……」
「ええ。ささ、ルカ君」
「あー、ども」
ヒゲダルマにうながられて、その背後から出てきたのは10歳ほどの幼女。
エリート諜報員から一転、幼女に身をやつしたルカである。
シンプルな白シャツにジーンズというシンプルな姿。
だがそれが故に、細く白い手足や、人形に生命を吹き込んだような精巧な造詣が際立ち、マニア垂涎の様相であった。
因みに、白シャツの下から“かーん”と大きく書かれた名札が透けて見える。
おまけに、赤いランドセルを背負っている。

マルコの顎が、落ちた。

「あの、なにか?」
ルカは不審そうに上司の顔を眺める。
「ああ、そうそう、すまん。早速ですまんが、お前に任務を与える」
「はい」
「私のことを『お父s―――」

―リミッター解除
―生体マグネタイト丹田集中
―バイパス解放
―大・循・環!

破壊力=遠心力×スピード×跳躍力!!

ぶうん。ごきん。
ルカの渾身の旋風脚が、マルコの首を捕らえた。
「やあ、なんだか首が傾いているような気がするな」
ぶらぶらと首をゆらすマルコ。
「傾いてます傾いてます」
ぱたぱたと手を振るルカ。
「ぬう、まさかビッテンコート課長までもがルカ君の魅力の虜に……!」
ひとり手に汗握るヒゲダルマ。
「……だから、任務の話は……?」
「あー、うー、と、そうだな。その体に慣れるまでにもう少しかかるだろう。しばらく待機という形で、リハビリをしたまえ」
「……えーと、なんですかその今思いつきましたみたいな適当な話は」
「いや、ビッテンコート課長の判断は的確だ」
ヒゲダルマが、マルコに加勢する。
「いやあの、でも」
「これは命令だ」
「いやでも」
「命令」
「……はい」
上司の強権発動に、うなだれるルカ。
その様子を見てマルコとヒゲダルマの顔がゆるむ。
「コノろりこんドモメー」
ランドセルの上に止まった九官鳥のキアシュが、一声鳴いた。



「……なんてこった。私はこのまま飼い殺しにされてしまうのか?」
開発室備え付けのシャワー室。
かつての自分とは違うやわらかい髪を洗いながら、ルカは眉根を寄せた。
視線を下ろせばいやでも目に入る、幼女体形。
平らな胸。微妙な曲線を描く腹部から腰部へのライン。タテ。
幾多の修羅場を乗り越えた頑健な肉体は、影も形もない。
「………」
鏡を見れば、精緻で絶妙なバランスの顔立ちの美少女が、今にも泣きそうな顔をしている。
死病に犯されたルカにとっては、神の救いの手にも思えた開発室の誘い。
こんなその擬体がこのような幼女の体だとわかっても、死ぬよりはマシだと思った。
しかし、それがこんな状況なるとは。
「確かに、綺麗だけど……可愛いけど……」
髪の毛を洗い終えて、ぺたんと鏡に手のひらを押し付ける。
「必要だったのはこの体と、それを動かす頭脳……『エリート諜報員の記憶と経験』……その電子的なコピー」
こつんと、額もおしつける。
「『私の心』はどこに在ればいいんだ……?」
この体になって初めて、ひとりになった。そのために、心が緩んだのだろう。
諜報員として、第一線に復帰したい思いと、正体不明のもやもやに、ルカは涙をこぼした。


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