朝から空は雲も少なく青く晴れ渡っていた。
台風が近づいてきているという話だけど、まだ風もゆるく遊ぶ分には何の問題もない。それにずっと屋内にいることになるだろうし、帰り道の時に悪化しなけれ ばいい。
顔を洗って部屋に戻り、着替えを済まそうと──あれ?
「母さん、ブラジ……下着の上が一着もないんだけど、どこにあるか知らない?」
「洗濯中よ。ついでだと思って一気に洗っちゃった。でも、一着だけ残っていたでしょ?」
「だから一着も……あ」
言われて思い出した。確かにあることはある。妖刀村正のように問題ありまくりの品が。
「というかなんで知ってるんだろ……」
下着類の入ったのとは別の冬物用衣装ケースの奥深くから、紙袋に入れたまま封印して誰にも見せないまま自分の記憶からも存在を抹消しようとしていたものを 取り出す。
ブラック。ノワール。シュバルツ。
いわゆる黒と総称される色の、見ているだけでも恥ずかしい……というか直視すらできない下着上下。
上も下も細かな刺繍が施され、初めて触って気づいたけど、手触りがいつものと全然違っていた。いつものは綿製品っぽいけど、これは……シルク?
とはいえ、この色とデザインはそのくらいのことでは着けるような理由にならない。
「…………」
やっぱり再封印しようとして──思いとどまった。
女になって初めのころは着けるのも躊躇われていた女性用下着だけど、『成長』してからはないと困るとさえ思うようになっていた。
特に上は支えがないと色々と不便だ。着けてないときに大きな動きをしたりすると…………こすれるし。
おそるおそる装着する。
(うわ、肌触りが違う)
柔らかく肌を覆ってくれる感じだった。これがこんな色じゃなかったら毎日でも着けたいように思える。
着け終わり姿見の前に立つと、上は黒で下は白という非常にちぐはぐで不釣合いな姿のぼくが映った。
「……」
アンバランスさをA型の血がどうしても許してくれず、ショーツも黒いのにはき替える。
やっぱりはき心地が違った。慣れない感触で落ち着かないけど、つけていて気持ちがいい下着なんてはじめてだ。素材でこうも違うものかと感心する。
ちゃんと着け終えたことを確認し、やっとA型の拒否反応が消えてくれた。
鏡の中のぼくはどこからどこまでも『女』で。黒い下着上下を一分の隙もなく装着して、その顔は朱に染まっていた。
(あ、でも似合ってるかも)
素材が違うせいなのか、身体に吸い付くように過不足なくフィットした下着。胸とか腰とかお尻とかをいい感じに強調してしるような……
(って、何を考えてるんだ、ぼくは!)
猛烈に頭を振って、浮かんだ感想をジャイアントスイングで投げ飛ばす。星になった。
たとえ落ちてくることがあっても、空中でキャッチしてスイングDDTでとどめをさす自信がある。
そもそも女物の下着が似合うのは当たり前だ。これは女の身体なのだから。再確認するまでもない。
さっさと何かを着ないと余計なことまで考えてしまうとクローゼットを開け、ハンガーにかけられた大量の女物の服から着ていくものを見繕う。
先週の土曜に買ったときより明らかに増えている。あれからぼくは買い物をした記憶がないから、ぼくのいないあいだに母さんがこっそり追加していたことにな る。
このままのペースでいくと、一ヶ月も経たないうちに家ごと服に埋もれてしまいそうだ。現実にありそうな話なだけに、空想の中の倍に増える栗饅頭より恐ろし い。
……でも気にしたら負けのような気がするので、考えないことにしよう。
「んー、これかな」
取り出したのは、フードのついた黒に近い紺色の薄手の半袖のスウェットと赤のミニスカート。動きやすくて下着の色が透けなくて目立たないのが選考基準。
本当はもっと動きやすいパンツルックがよかったけど、買ってあったはずのそれはいまやクローゼットや衣装ケースのどこにも存在していなかった。すべてミニ に分類されるスカートで占められている。
(何かすごい情熱……)
母さんは冷静という言葉を自分の辞書から削除したに違いなかった。
「あら、陽ちゃん。今から出かけるの?」
男物じゃないスニーカー(これも新品)をはいているところに、母さんがやってきた。昨日遊びに行くことは伝えておいたけど、出発時刻は言ってなかった気が する。
「そうそう、昨日聞き忘れてたんだけど、誰と行くの?」
「明とだよ。帰るのはたぶん夕方くらいになるから」
「明君と? ……じゃあデートってことね」
「………………は?」
思いがけない言葉に、靴紐を結んでいた手が止まる。
「ただ遊びに行くだけなのに、なんでデートになるの?」
「だってそうじゃない。一緒なのは明君だけよね? 男女一対一で遊びに行くのはデートって言うのよ」
デートという言葉の意味はそうだけど、そんなことは考えてもみなかった。ただ一緒に遊びに行くとしか思っていない。それに、
「ぼくも明も男だよ?」
同性である以上、デートとは呼ばない。呼ぶときもあるのかもしれないけど、この場合は呼ばない。うん、呼ばない。
「そんなにおめかしして……気合十分じゃない。いい? デートっていうのは男性側がリードするだけじゃなくて、女性側もリードしやすいように行動するのが うまくいく秘訣よ。
陽ちゃんも明君に頼りきりにはならないで、自発的に、でもそう見られないように効果的に行動するの。さりげなく自然に手を繋いだり相手にドキっとさせるよ うなこともいいわ。
知ってる? 女の子の手って、それだけで武器になるのよ。それから落としたいときはお酒の席でアピールするのが一番ね。
酔ったふりをして接近して、もたれかかったり、ときには胸をおしつけたり女の武器を最大限に使って、
でもやり過ぎたら逆効果になるからちゃんとラインを引いて、それからそれから、そのまま既成事実を──」
靴紐の残りを結び終える15秒足らずのうちに、母さんの講釈が立て板に水そのままにマーライオンのように口から流れ出る。
ドアを閉めるのもそこそこに家を飛び出す。背後では母さんが固有結界を展開させて勢いを失せさせることもなくまだなにかしゃべっていた。
母さんなら寿限無の最速記録を塗り替えられると思う……。

待ち合わせ場所である駅前に着くと、明はもう待っていた。
ロータリー中央にある柱時計によれば現在時刻は9時10分。約束の時間は9時半だから、早めに着こうと思っていたぼくよりもさらに早く来ていたことにな る。
なんだか携帯を開いてみたり閉じてみたり、柱時計や前衛的な形のオブジェを見たり、落ち着きがなかった。待ち人来たらずの様子そのままだ。
「ねえ明。もしかしてぼく、待ち合わせの時間を間違った?」
「あ!? ああ──陽か、びっくりした」
後ろから声をかけたら、明は心臓を押さえながら5センチほど飛び上がった。カマキリを見せたら30センチはいけそうな驚きようだ。
鬼頭先生なら……1メートルかな?
「どうも家の時計が狂ってたらしくてな。着いてみたら1時間早かった」
「1時間もここにいるんだったら、1回家に戻ったほうがよかったんじゃない?」
「ん、いや、陽を待たせるわけにはいかないからな。実際こうやって集合20分前に着いてるぐらいだし。それに……」
最後の方は尻すぼみでよく聞き取れなかった。
「最後のほうはなんて──」
「そっ、それよりよ、さっさと行くこうか! 早く着いたってことは長く遊べるってことだし、だったら時間がもったいないだろ?」
「……うん、そうだね」
話を逸らされて気になったけど、細かいところを指摘して争いの種になるのも嫌だったので、追及しないことにする。接待はもう始まっているのだ。
「で、どこに行くの?」
「それは行ってみてのお楽しみってやつだ」
促されるまま切符を買い、ちょうどやってきた電車に乗り込む。通勤時間帯を過ぎた電車のなかは人口密度が低く余裕で座ることができた。
ガタゴトと揺れる電車。窓の外を流れる景色を眺めながら、どこに向かっているのか推測する。電車は郊外に向かっていた。
(こんなところに遊ぶところなんてあったかな)
明の思惑を量ろうと隣を向くと──明は景色も電車の中も見ず、ぼくを見ていた。ただ見ているだけではなくて、観察するようにじーっと。
「明、どうかした? ……もしかしてこの格好のどこかおかしい?」
一応どこにでもいる女の人の服装にしてきたはずだ。ぼくの美的感覚がおかしいのだろうか。
「そうじゃなくってだな。なんていうか、……すごく似合ってるからな、つい見入ってた」
そんなに服の取り合わせがよかったらしい。ぼくの美的感覚がおかしくなかったと安心すると同時に母さんの服選びのセンスに感謝する。
今度から母さんのことは……あのファッション評論家はなんと言ったかな……確かカタカナと漢字が混じった強そうな名前だったような………
思い出した、デューク假屋崎だ。そう呼ぶことにしよう。

電車に揺られること1時間、着いた先は、
「遊園地?」
車内アナウンスがその駅名を告げて、車外に巨大な観覧車とジェットコースターのレールを認めて、やっと目的地がわかった。
県境にある、1日あっても全部回ることができないという話の巨大遊園地だ。
まさかこんなところに来るとは。てっきりどこかのゲーセンかアミューズメントにでも行くのかと思っていた。
確かに『遊びに行く』約束だったけど、その発想はなかった。
「たまにはこういうのもいいだろ?」
「うん。……でも驚いた」
けど、どこであろうとやることは変わらない。今日は接待の日だ。明の昨日の不愉快さを少しでも拭い去るための大切な日。

──状況、開始。


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