13日の金曜日は魔の日。
そんなことは誰だって知っている。
その男もそれは知っていた。
だが、そんなことは何の意味があるだろう。
これから訪れるであろう至福のひとときに比べれば。
これから僅か十数時間後に訪れる幸福なるひとときに比べれば、13日の金曜日など、全くただの日付けに過ぎない。
人類の偉業も、すべての宗教も、全く意味を成すものではない。
霞んですら見える、取るに足りないことだ。
そんなものだ。
これは信心とか関係なく。
薄汚れたアパートの一室。
畳に同人誌が散在しているその部屋で、男は全裸でPCPCの前に待機していた。
訪れるであろう祭りの前に、その高揚感は隠しようがなかった。
誰に隠すというわけでもないが。
ひと寝入りすれば、その時間はこともなく訪れるであろう。
だが、その一瞬すら、まさに惜しいというように。
「赤、かわいいよ赤」
いつものようにネットジャンキー宜しく、男はキーボードを叩く。
「赤は俺の太陽なんだ!」
目は炯々と輝き、秒速5文字の速さで入力していく。
それは翌日の10時30秒までは続くかという勢いだった。
もちろんそこからが彼の本領が発揮される瞬間だったのだが。
至極一般の人間にとっては、金曜の夜には多少の夜更かしは許されている。
しかし彼は24時間夜更かしをしても何の問題もないのだから、これは関係のない話に過ぎない。
(ナイストゥーニートゥー)
頭によぎった全くひねりのない言葉を男は黙殺した。
細かいことなどどうでも良いことだ。
大雑把なことすらどうでも良いことなのだから。
男は、自らの衝動を覆い隠すべく、タカミンのリンクをクリックする。

しばらくは自作絵で気を紛らわすことも可能だろう。
無くし易いタブレットを畳から救出し、何度かコテハンを名乗っては追い出されるそのチャットに足を踏み入れようとしたそのときだった。
17インチ、アドテックの液晶ディスプレイの異変に彼は気付く。
妙に輝度が高い。
このままでは明日のキャプに支障が出てしまう。
男は少し慌て、ほんの僅かの間だったが、ディスプレイに手をかけ、揺らした。
電撃が走ったような音とともに、男が部屋ごと光に包まれたのはその瞬間だった。
(…ここは?)
問いかける言葉は自分の脳裏だけに響き、また自分でも言葉として認識するほど確かなものではない。
…とオサレな思考をするのもまたいいではないかと思ってしまう。
男は光の中で起き上がる。
意識か、意識でないほどのぼんやりとした空間。
一瞬、寝過ごしているのではないかと思って男は慌てる。
録画予約を取ったか、はっきりした記憶がない。
このままでは俺のファインが! ファインがっ!
「えーっと…」
ぼやけた空間に響く、困ったような女の声。
いや、少女といったほうが良いだろう。
惨事女と話したことはほとんどないから、多分といったところだが。
振り向くのは億劫だったが、意識はそのまま視覚になった。
眼前にいたのは惨事女だった。衣装からすると多分、腐。
ぼやけたように移る姿にはどこかCGのように現実味がない。
「…なによ、腐とか惨事って?」
半眼で見つめる女に、どこにあるかわからない肩を竦める。
「半年POMれってなによっ!?」
どうやら思考が筒抜けになっているらしい。
夢の中での良い思いつきは、大抵どこか抜けていて、思い直してみても何の役に立たないものだ。
朦朧とした意識下で判別出来たことは、やっぱりこの惨事は少女だろうというだけだった。

遠近感が掴めないが、どこか仕草がたどたどしくて幼い。
だが、赤と青を足して1.5で割った以上はありそうだった。
ただでさえ惨事なのに。
「…ぇと…大丈夫かなこれで……………でも…仕方ないか……」
諦めたような、どこか疲れたような少女の声。
男は何か言い返そうとしたが、唐突に空間は弾けた。

 ────

気付いてみると、そこは自分の部屋だった。
特に外観に変わったところがあるわけでもない。
液晶ディスプレイも無事だった。
時計を見ると、もう0時を数分ほど回っている。
祭りまで9時間57分。
なんとなく気が抜けて、やはり寝ることを決心する。
生活は不規則ではあったが、目覚ましをかけて起きれないわけではない。
腰を落ち着けるため、PC前の椅子に座ろうとするが、妙に視界が低いことに気付く。
椅子が落ちたのかと立ち上がるが、返ってそれはいつもより高く見えた。
掛けていた手が普段のそれではないことに気付き、
反射的に引っこめたがバランスが取れず、よろける。
体制を直す拍子に視界に入った夜の窓硝子に自分の姿が映し出される。
それは数年間、見慣れていたいつもの自分ではなかった。
いつもの服に縮んだ体が押し込まれていた。
体の部分もいつもの自分のものではなく。
華奢で、僅かに丸みを帯びた体形はぶかぶかとなった服からはっきりと映し出されていたし、
そこから覗かせる肌は象牙のように滑らかだった。
小さく膨らんだ胸は呼吸のたびに微かに揺れて、
別人となった幼い顔立ちの上に、硝子越しでもわかる細かい髪が映し出されていた。
もうすでに日付は変わっていたが。
13日の金曜日は魔の日。
そんなことは誰だって知っている。


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