香織がその"異変"に気付いたのは夕暮れの清掃を終えた頃だった。生理が終わって二人で何度も戯れて……昼も夜も戯れてそんな事に飽き始めていた。
 香織がどんなに求めても沙織の反応は薄くなっていったのだ。所詮彼女たちはTSレディ、最終的には男と交わって子を産み落とすのが使命であり役目だ。
 沙織は……無性に男の事を考えている。かつて自分もそうだったはずの男をイメージしている。よがり狂ってなお肉棒に掻き回される自分の姿をイメージして いる。
 香織と抱き合って小さな寝床で夢の中を泳ぎながら……その夢はまだ見ぬ、背が高くてハンサムで弾ける肉体美の、いいおとこ。

 沙織の変化に悶々としながら香織は食堂へと入っていった。沙織は窓際に座って遠くを見ている。今日もあの列車が施設へとやってきた。

「はい、沙織の分も貰ってきたよ」
「あ! 香織、ごめんね……ありがとう」

 沙織の笑顔が何となく機械的な──記号的なモノになっていることに香織は気が付いた。
 しかし、沙織と香織の関係を分析する時には度々エラーを起こす類い希な分析能力が初めて正しく発揮された。

「沙織……もう心は外なんだね」

 香織の表情は寂しさを押し隠す笑顔で塗り固められていた。

「香織……ごめんね……やっぱり私も……ただの道具みたい」

 沙織の自然な微笑みに香織は胸が痛んだ。過酷な運命を背負わされてここで目を覚ました彼女たちが、2ヶ月ほどで完全に新しい人格を植え付けられて出荷さ れていく。
 思春期と反抗期のど真ん中にある世代故にそれが出来るのかも知れない。
この世代より下で有れば人格形成が始まる前に作業を開始した方が効率的だろうし、上の世代で有れば本人に納得させれば良いのだろう。微妙な世代故の面倒な 儀式と言ったところか。

 今宵のメニューは鯖の一夜干しに大根とワカメのおみそ汁、根菜類の煮物といつもおいしい炊き立てのご飯。
脂の乗った鯖の味がご飯に良く合う日本人なら誰でも幸せになれる最強の夕食だろう。
 ポリポリと沢庵漬けをつまみながら余韻を味わうようにしていると、キッチンのおばちゃんが大きなテーブルワゴンを押してきた

「はい、二人とも受け取ってね。和食の後はコーヒーよ」

 そう言って二人の前にはコーヒーカップが並んだ。
 今宵のメニューにはデザートドリンクではなくホットコーヒーが付いた。大きめのコーヒーカップに並々と注がれた濃いめのコーヒー。
隣にはバニラクリームを挟んだビスケットが2つ。
 香織はコーヒーを一口飲んでから沙織を見て固まった。沙織はコーヒーを見ながらボロボロと泣き出した。
周りのペアも片方がポロポロと泣き始める。ついには飲み込むような嗚咽がこぼれ始めた。食堂中にコーヒーの匂いが立ちこめる。
おばちゃん達は出来る限り女の子を見ないようにキッチンへ引き上げていってカーテンを降ろしてしまった。

「さ、沙織……どうしたの?」
「香織……お別れみたい」
「え?」
「ねぇ香織……コーヒーだけど……乾杯して……」

 二人はコーヒーカップで乾杯した。
 実に滑稽な光景だろう。笑い出してしまうだろう。泣き顔の女の子と状況の飲み込めない女の子が二人でコーヒーで乾杯だ。

 ボロボロと泣きながらコーヒーを飲み干してビスケットをお腹に収めた。沙織は涙も拭かずに立ち上がって香織の手を取った。

「ねぇお風呂に行こう、最後だからゆっくり……」

 大浴場に入ったとき、香織は初めてコーヒーの『意味』を理解した。沢山の女の子がお湯に浸かっているにも関わらず皆平然としてる。
それどころか二人で洗い合っているにも関わらず花の戯れるさまは一つもなかった。

 コーヒーを飲んだときだけ私達は冷静を保っていられるんだ……だからいつも雅美姉さまや宮里さんはコーヒーを飲んでるんだ。

 今までそれぞれ独立していた幾つもの情報が初めて繋がった。自分の心と体が自分の与
り知らないうちに作り替えられて、そして鼻を突く臭いひとつでコントロールされてしまう事を理解した。

 いくら何でも酷すぎるよ……
 香織は初めて自分の境遇で泣きそうだった。この施設で目を覚ましてから色々あったけど、自分がいつの間にか男から女になってしまった事に気が付いて泣き 始めてしまった。

 隣には大好きな沙織が同じく泣いている。
 この涙は私と違う意味だろうな……そう言えば……私の前にいた志織さんも……やっぱり泣いたのかな。
 大きな湯船の中で肩を寄せて二人は泣いた。

「香織……背中流してあげる」
「うん、沙織もね」

 そういって二人はボディソープをスポンジに落とす。向き合った女の子が二人でお互いの体を洗う。
泣き顔の中の笑顔、僅かな時間だけ二人の運命が重なり合った時間を体に刻み込むように……

 風呂上りの沙織は部屋に帰るとクローゼットの一番奥から濃紺のブレザーを出した。中には純白のブラウスとスカートが入っている。
 パジャマ姿になった香織の見ている前で沙織は身だしなみを整え髪を梳かした。出荷準備良し。沙織はベットに座る香織の横に座った。

「香織、今までありがとう。毎日楽しかったよ」
「沙織……もう」
「仕方が無いのよ。私たちは……そう言う生き物なんだもの」
「……うん」
「私たちは……そう言う目的でここに来たんだもの」
「でも、でも……」
「香織、お願いだから泣かないで。お願いだから」
「沙織……」
「私がどこに行くのか分からないけど……どこへ連れて行かれるのか分からないけど」
「……うん」
「私のこと、忘れないでね。きっと忘れないでね」
「うん」
「約束だよ」
「うん」
「私が義務を果たしたら……必ず義務を果たすから」
「……うん」
「香織を探すよ。日本中探すよ、世界中探すよ。絶対探すよ、必ず見つけるよ」
「……さ……沙織……」

 そこまで…やっとそこまで会話して二人は涙を流した。声を出さず涙だけを流した。身を切られても傷は癒えるだろう。でも心の傷は……なかなか癒えない。

 涙を流しながらも精一杯の笑顔を浮かべた沙織はクローゼットの前に立った。

「香織、私があなたに伝えなきゃいけない最後の事、良く聞いて」
「うん……」
「私が出て行ったら雅美姉さまの所へ行って、今私が着ているセットをもう一つ貰って来てね」
「うん……わかった」
「私が着て行っちゃうと残り一着でしょ。私の次にここへ来る人がそれに気が付くとかわいそうだから、お……」

 そこまで言って沙織は泣き崩れた。わんわんと声を上げて泣いた。最後はお願いと言いたかったのだろうけど、言葉になっていなかった。
香織はそっと沙織に寄り添って肩を抱いた。慟哭の震えは香織の心をも揺らした。つらい別れの夜はこれから何度もやってくる。
血肉を分け与えた子供と別れる為の心の準備なのかもしれない。
 悲しみの激情が少し収まった頃、廊下から冷たい音が響いてきた。静かに歩く足音と鍵の束がぶつかり合う音。

 ガシャ……ガシャ……

 沙織は遠くの一点を見るようにドアを見た。香織もそれを見てドアに目が釘付けになった。

 足音は二人の部屋を通り過ぎて行った。全く音の伝わらない筈の部屋だが、今宵ばかりはドアの外が手に取るように分かる。
この足音は聞き覚えがある。そう、雅美姉さまだ。香織は雅美のつらい仕事に思いをはせた。

 隣の部屋のドアをノックする音が聞こえる。ガチャッと鍵が開かれ声が聞こえた。

『……早百合、旅立ちの日よ。さぁ、こっちへ』

 シクシクとかみ殺した泣き声が聞こえた。バタっとドアが閉まる。その途端、隣の部屋から残された岬の叫ぶような泣き声が聞こえた。
 廊下の足音は遠ざかっていった。奥の部屋を一つずつ回りながら、同じ事が繰り返される。やがて足音が廊下の奥から戻ってきた。
 スサ……スサ……スサ……
 沙織は唇を紫色にして振るえている。香織は沙織の頭を抱きしめたままで目を閉じた。廊下の足音は二人の部屋の前で止まった。

 コンコン

 沙織の体がビクッと震えた。鼓動が聞こえるくらい心臓がバクバクしている。しかし、ドアの開く音は向かいの部屋だった……はっきりと声が聞こえる。

「瑞穂……さぁ、行きましょう」

 叱られる子供の様に沙織は震え続けた。呼吸困難になったのでは?と思うほどの息遣いで震えた。

 次は……私。次は、私。次は……あぁ、ドアよ鳴らないで。ノックの音がしませんように……

 体中の筋肉がぎゅーっと締め上げられる緊張が続く。
 しかし、無情の足音は部屋から離れていった……沙織は瞬きをしながらまだ震えている。香織は不思議そうに顔を上げてドアを見ている。

 瑞穂の足音と一緒に奥へと消えていった足音が戻ってくる事は無かった。極限の緊張が少しずつ解けて行く。

「沙織……どうしたんだろう?」

 香織はやっと言葉を搾り出した。沙織はまだ震えている。震えながら、「わからない……わからない」と、うわ言のように繰り返すだけだった。

 ドアを向いて固まっている二人の背中に窓から大きな満月の光がこぼれる。雲が晴れてきたようだ。
狭い部屋に二人の長い影が落ちる。香織はそれが素晴らしく綺麗だと思った。なにか映画のワンシーンがそこで止まったような錯覚だった。

 やがて遠くから物悲しい汽笛の音が聞こえてきた。大きな鳥の鳴き声のような音が長く長く響いた。惜別の情を掻き立てるように。

 沙織は初めて顔を上げた。その顔には悲しみではなく焦りがあった。動転しているのが香織にも分かった。

「なんで? なんで私は置いていかれたの? 私って……もしかして……不良品扱いなの??」

 胸の前でギュッと手を握り締めて沙織は外を見た。あの列車が施設からゆっくりと離れていく。窓から明かりがこぼれているのを始めて見た。
遠すぎて窓の中までは見えなかったけど、車内の様子は容易に想像が付いた。

 香織は呆然と立っている沙織に寄り添って一緒に窓の外を見る。すでに列車が遠くに離れてしまっている。やがて丘の影に消えて行って光が見えなくなった。

「どうしたんだろう?」

 香織は何て言葉を掛けて良いのか分からないなか、やっとそれだけ言って言葉を紡げずにいた。沙織はただ呆然と立っているだけだった。

 二人の脳裏にいつぞや講堂で聞いた言葉がリフレインしてくる。

「この施設を離れる方法は2種類です。立派に旅立っていくか不良品として捨てられるかそれだけです」

 沙織は再び体の震えが止まらなくなりだした。

 まさか、うそ……信じたくはない現実……

 自分が不良品である可能性……沙織の体から力が抜けて倒れこむように蹲った。香織は沙織を抱き上げようとしたが全く動かない。
 やっとの思いで二人がベットに座ったとき、突然二人の部屋を誰かがノックした。

 コンコン

 ガチャっとドアが開いて入ってきたのは二人の担当だった宮里と雅美だった。

「沙織さん、香織さん。あなた達は今すぐこの部屋を出てもらいます」

 これ以上ないくらい事務的な言葉で宮里は言った。

「さぁ、二人とも……あ、沙織は良いわね。香織は何が服を着て出てきなさいね」

 そう言って雅美は部屋から出て行った。訳が分からずジャージを着た香織は沙織の肩を抱いて部屋を出た。見知らぬ白衣の女性が何人も立っていた。

「さぁ、行きますよ」
 それだけ言って宮里は歩き出した。雅美に背中を押され二人は歩き出す。不安が全身を駆け抜け鳥肌が立った。
 廊下の一番奥にある雅美の部屋へと入っていった二人は、雅美に座るよう促され用意された椅子に座った。宮里が目配せすると雅美以外の女性は部屋から出て 行った。

「さて……二人とも驚いているでしょうけど」

 そういって宮里は話を切り出した。二人は息を飲んで話を聞いている。目を大きく見開いて話を聞く二人を見て雅美は今すぐにでも押し倒したい衝動に駆られ た。
今ここでコトに及べば処分は免れない。不幸な事故だったとはいえ、裁判の結果を受け入れ女性になってここへ来た雅美は、分別が無くなるほど子供ではない。

「要するに、あなた達は再び選ばれたのです。優秀な人材を育てるための母体としてね。なぜならあなた達二人は他より優れた人間だったから」

 宮里はそういって一枚の紙を取り出した。配置転換指示書と書かれた紙を二人は見つめている。
「あなた達二人は明日の朝、新設された施設へ移動してもらいます。勿論二人でです。そこでもう少し講義を受けてから……義務を果たしてもらいます」
 事務的な冷たい口調で言い終えた後、宮里はポケットからペンダントケースを取り出した。2つの箱がテーブルに並べられ、二人は一つずつ箱を選んだ。

 沙織は宮里の顔を見てからそっと蓋を開ける。それを見て香織は蓋を開ける。中は金色に輝く細いチェーンネックレスが入っていた。
ペンダントトップには1円硬貨サイズの金色に輝く円盤がぶら下がっている。裏側にはそれぞれの名前が入っていた。

「あ! こっちが沙織のだ」
 そういって香織は箱を渡す。
「ほんとだ、こっちに香織って入ってる」
 沙織は笑顔で箱を渡した。

 宮里が始めて笑顔を見せて優しく語り掛ける。

「そのペンダントは純金よ。そして、優秀な人材を意味する身分証明書ね」

 雅美が言葉を続ける。

「これから移動する先であなた達二人を待ち受ける施設は──」
 雅美はそこで言葉をいったん切ったあとで壁を指差して笑顔を見せた。壁には一枚のポスターが貼られていた。

「全く新しいコンセプトで作られた学校よ。あなた達二人は有名人になるかもね」

 意味の分からない二人がキョトンとした表情で居ると、宮里は笑いながら立ち上がって手を叩いた。

「はい! お話終わり! びっくりも終わり! さぁ移動するよ」

 二人も立ち上がって顔を見合わせる。やっと表情から緊張の色が抜けた。
 雅美は二人の背中を押してドアに向かい歩いていく。宮里が書架から二人のファイルを取り出して後ろを付いていく。
見慣れた廊下を歩いてエレベーターに乗り込みスーッと落ちていく。地下3階で止まったエレベーターはガクンと揺れたあと横に移動したようだ。
 しばらくして再びゴンドラが持ち上げられる感触を感じ、エレベーターはグングンと高度を上げていく。
 やがてドアが開いたとき、そこは新しい建物の匂いがする絨毯敷きの建物だった。

「さて、行きましょうか」
 宮里は躊躇せず廊下を歩いていく。二人がきょろきょろしながら付いていくと宮里は重厚なドアの前で立ち止まった。

「さて、二人ともさっきのペンダントを出して」

 二人がペンダントを取り出す。それを宮里は受け取ってドアの錠前部に接触させた。ガチャッと音がして鍵が開く。
「自動開錠しているのは5秒だけだからね、早く入って」
 そういって宮里は雅美と一緒に二人を部屋に入れた。さっきまで二人が過ごした24号棟の部屋とは比べ物にならない広さの部屋だ。
大きなベットルームに独立したリビング、キッチンはダイニングと一体になっていて、24号棟では共用だったトイレと風呂までこの部屋には完備されている。
ランドリールーム付きのその部屋は、まさに郊外の高級マンションと同じ作りになっていた。

「新しい施設ではこれと同じ部屋にそれぞれ一人ずつ住む事になります。明日の朝までだけど、ゆっくりしていってね」
 そういって宮里は部屋を出て行った。
 雅美は二人の肩を抱いてそれぞれの頭にキスをした後でドアに歩いていき、そこで振り返った。

「二人と戯れてみたかったけど、出来なかったね。義務を果たしたらここを調べてたずねてきてね。歓迎するから」
 そういって部屋から出て行った。

 沙織は香織の手を引いて新しい部屋をもう一度一つずつ見て回る。今までとは違い、あまりにも広くゆったりと作られた生活空間。

「なんか広すぎて落ち着かないね」
「うん、一人でなんて……なんか嫌だな」

 二人が最後に入った部屋はベットルームだった。昨夜まで二人で寝ていたシングルのベットではなくキングサイズのベットがそこにあった。
 あまりにも大きなベットで二人はあっけに取られたが、沙織は香織を見つめてペロッと舌を出すいつもの表情で言った。
「香織……寝ようよ」
 香織は言葉の意味を理解するより早く着ている物を全部脱いでしまった。沙織もすぐに一糸まとわぬ姿になった・二人で飛び込むようにベットへ飛び乗ると二 人の戯れが始まった……

「二人とも…始めちゃいましたよ?」
 雅美は残念そうにモニターを見ている。宮里はニヤッとしながらモニターを見て呟く。
「若いって良いわね。希望に溢れてるわ」
 雅美は宮里の背中に抱きついて何かを囁く。宮里は立ち上がって雅美を抱きしめると熱いキスをした。
 二人がモニター室の隣にある仮眠室で大人の戯れをしている頃、新しい部屋で香織と沙織の戯れも続いていた。

 新しい施設で同じく選ばれた男達と寄宿生活を始めるとき、このだだっ広い部屋に何日一人で過ごせるのだろう。
いつも狭い部屋に二人で押し込まれていた彼女達が広い部屋に一人ぼっち。

 自ら相手を選んで部屋に引き入れる行為は、誰かの心を自らの心に引き入れる事と同義なのだろう。
巧妙に仕組まれた心理的な隙間を作るプログラムに香織ですら気が付かなかった。


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