香織と沙織の生理が始まって4日目。
 生理用品の扱いにも慣れた香織はランチタイムの食堂で、本日のメニューであるキツネうどんを沈んだ表情のまま啜っている沙織を眺めていた。
「ねぇ沙織……ここのところなんか変よ。なんでも言って遠慮なく」

 香織はニコッと笑う。沙織はその表情までもが愛しくてしょうがない。しかし──

「うん……あのね……」

 そこまで言っていつも黙ってしまう。香織の言葉には万全の信頼が込められている。
 沙織にはそれすらも重荷になっていた。香織が目覚めてから早くも3週間を過ぎた。
 沙織が目覚めてから既に約8週間が経過している。約2ヶ月間、ここの施設で目を覚ましたTSレディ達は社会へ出て目的を果たすために徹底した教育を施さ れる。
その間に出会いと別れも経験する。全ては社会に出て子供を産むために。

 沙織は意を決したように話し始めた。

「香織、あのね……」

 沙織が24-38号室に入ったとき、そこには志織という女の子が待っていた。ひどい泣き虫ですぐに泣き出す子だった。
非常に他者依存傾向の強い子で、先住であるにも関わらずいちいち香織に同意を求めてくる子だった。
沙織の逆性他者依存傾向は志織の影響と言って良いかも知れない。自分を求めてくれる人がいないと折れてしまう。
 自分を必要としてくれる人、自分を頼ってくれる人が居ないと極度のストレスを感じる精神構造。志織も沙織も方向性は180度違うがTSレディとしては理 想的な状態だった。

 その志織が9週間目前の夜に部屋を出ていった。社会適合トレーニングが終了したTSレディ達の"出荷日"だった。
その日の事を沙織はゆっくりと香織に話し始めた。精一杯の我慢で泣き出さないようにしながら、涙をボロボロとこぼしながら。

 詩織の話を聞く香織の心に、いつも泣き出しそうな女の子が姿を現した……。

「そしてね……朝来た電車がその夜ここを出ていくの。寂しそうなラッパの音を残して出ていくの。隣の部屋も向かいの部屋も泣き声しか聞こえなかったよ」

 沙織は延びきったうどんの浮いている丼に箸を置いて顔を手で覆ってしまった。香織は立ち上がって沙織の隣へと腰を下ろす。そっと肩を抱いて一緒になって 震えた。
 そうなんだ……それで沙織は寂しそうだったのか……香織も心が震えだした。

 食堂の中から段々と人が消えていき、沙織と香織は立ち上がった。午後の講義を聞きに行かなくちゃ……そう言って歩き出す物の二人は肩を寄せ合って歩く。

 寂しそうな後ろ姿を見ながらキッチンのおばちゃん達が会話している。

 ──ある意味で……こっちの方が余程酷いわよねぇ……私達は問答無用で男に抱かれたけど……男の記憶をしっかり持ったままだったけど。
 ──私達の頃は少なくとも自己責任で全てを決定しなければならなかったからね。覚悟が決意に変わっていったものよねぇ。初めての子を産んだら、あとはも う止まらなかったわ……フフフ。
 ──でも、産んだ子を手放す時の寂しさは……身を切られるようだったわ……あの子達はその為のトレーニングもきっとしてるのね。

 酸いも甘いも乗り越えてきたベテランが二人を見つめる眼差しには憐憫の情が溢れていた。

 午後の講義は、いくつもの講義の中で女の子達に特別人気のある物だった。色相学と服飾センス講座、メイクアップ講座にヘアスタイル講座。女性の嗜み・身 だしなみ。
 いわゆる『化けかた』の講義となる。
 香織と沙織は二人して眉山を揃えたりマスカラを引いたりしてメイクアップしていく。
ファンデーションの扱い方一つでその後の仕上がりがガラリと変わるのを何度もメイクアップしながら実体験していく。

 近年の流行である緑青色系のメイクをしてすっかり出来上がって別人のように綺麗になった二人はお互いに驚く。
「女性の大事な能力ですからね。しっかり学んでね」
 講師となったプロのメイキャッパーは一人ずつ女の子を見て廻ってメイクアップ指南をしていく。それを終えると服の色合わせや組み合わせの善し悪しとヘア スタイルの仕上げ方を学ぶ。
 講義の最後になってドレスアップした女の子が50人以上も講堂に出現した。なかなか凄い光景なのだが一般にこれを知られる事はない。
施設の中にいる人間しか知らない、いわば秘密の花園であった。

 綺麗に出来上がった彼女たちをカメラマンが一人ずつ撮影していく。彼女達の写真はカタログ状に整理されてデータベースへ蓄積されていくのだ。
 完全に管理された遺伝子情報を持つ彼女達が子を成した時、その子の遺伝子情報を調べれば遺伝学の実証にもなるのだという。
大手製薬会社や遺伝子治療を専門に行う医学会の要請はスポンサーの意向でもある。

 彼女たちは道具であり、そして、商品にもなりうるのだった。

 夢のようなひと時が終わり彼女たちは現実世界へ帰ってきた。メイクを落としてジャージに着替えるとどこにでも居る15歳の少女に戻る。
 楽しかった講義を笑いながら話している。彼女達の多くは実際に迫っている別れを感じ取っているのだ。
香織と沙織のように深い友情と信頼で結ばれたパートナーばかりでは無いかもしれない。
しかし、わずかな時間を共有した一体感はそれぞれのパートナーの心に暖かい光を燈している。

 夕方の清掃時間、香織は沙織と食堂清掃を担当した。大きな部屋のテーブルをいったん片付けて床と壁を綺麗に拭きテーブルを戻す。
大きな黄色のクロスを一枚ずつテーブルに掛けて、その上から斜にもう一枚、浅葱色のクロスを被せた。
テーブルの真ん中には、可憐な花を生けた小さな花瓶と調味料のお盆を乗せて出来上がり
。二人して30卓はある大きなテーブルを仕上げていくのは単に二人の息が合っていてこそだ。

 綺麗に出来上がった夕食会場を見ながら二人は満足そうに顔を見合わせる。他の場所を掃除し終えた女の子達が集まり始めると夕食の提供が始まる。
勿論、最初にトレーを取る権利があるのは会場を作った香織と沙織のペアだった。

 朝はパン、お昼は麺類、夕食は何だろう?
 二人はドキドキして食堂とキッチンの間の窓に掛かるカーテンが開くのを待っている。
 中からおばちゃんたちの声が聞こえる。
「そっちは出来た?」
「いいよ!できあがり」
「じゃぁカーテン開けて!」
「は〜い」
 ロールアップするカーテンが開くと、そこに出てきたのは大きな鍋一杯に煮込まれたシチューと新鮮なグリーンサラダ、そして炊き立ての匂いを撒き散らすご 飯だった。

 沙織と香織の後ろに並んでいた女の子達からもおいしそー!っと声が飛ぶ。提供担当の女の子がエプロン姿で一人ずつ取り分けていくのを受け取って二人は席 に座った。

「あと何回一緒に食べられるかな……」
「そんな事言うのやめようよ。悲しいじゃん」
「あ、やっぱり香織はジャンって言うね」
「もういいじゃん!」

 二人の寂しそうな笑顔がシチューの湯気越しに浮かぶ。火の通ったブロッコリの甘さを感じながら香織は思った。
 ずーっとこのままだと良いなぁ……特定の目的を持って作られた彼女達にそんな事が許される訳ない事を、理解していないはずの無い香織ですら、そんな儚い 夢をみるのだった……


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