沼田問答

 ほ、と吐息をつき、小松は手にした文を、丁寧に畳んだ。
 九度山からはときおりこうして、窮状を訴える文がくる。何をするともなく、ただ無為に日々を過ごす暮らしは、あの父子にとってはさぞ辛かろうと、小松は思った。
 勝つも負けるも世の常、命のあるだけ儲けもの──そう笑って義父は立っていったが、やはり鬱屈するものはあるのだろう。
 もうひとつの文を取り、開くと、女らしく柔らかい筆致が踊っていた。義弟に従い、ともに九度山に往った義妹からのもので、村の者たちがよくしてくれること、教えられて酒を作ったがまだうまく作れないこと、少しでも日々の足しにと紐を織って売り始めたこと──そういったよしなしごとが、気性のとおり控えめに綴られていた。
(あの子は、幾つになったろうか)
 義妹の輿入れの年から指を繰る。まだ二十歳にもなっていないと思い、小松は表情を曇らせた。
 あのとき、小松は幾度も義妹を引き止めた。離縁をしてもよいのだと、義弟もそう言った。あの大谷刑部の娘なら、再嫁先には困るまいが、どうかすれば自分の、あるいは父の養女にして、どこかよい婿を探してもよかった。まだ幼いほどの娘に、過酷な暮らしをさせるのは忍びなかったのだ。
 義父も、義弟も、夫さえも、沼田へ残るよう諭したが、義妹は微笑んで首を振るばかりだった。
「わたくしは、源二郎様の妻にございますれば」
 義姉上なら、おわかりいただけましょう。
 義妹は、健気にそう言って、静かに九度山へ去った。
 そうして、今も健気に義父や義弟のため、せっせと紐を織っているのだろう。……
 ふ、と小松はまた吐息をついた。なにか──義妹にもなにか、綺麗な着物や櫛などを送ってやろうかと考えて、やめた。
 あの義妹ならばきっと、瞳を潤ませて、小松への詫び言を呟きながら、暮らしのため金に替えてしまうに違いないのだ。
 開いたままの文に目を落とすと、あのときの微笑みが目に浮かぶ。
 そっと目尻を袖で押さえ、三度の吐息をつくと、小松は侍女を呼んだ。
「料紙を百枚、墨と筆を十ずつ、九度山の利世殿へ」
 侍女は二度ほど瞬きをして、畏まりました、と辞していった。
 広げた文を、先と同じく丁寧に畳んで、漆の文箱に仕舞ってしまうと、ゆっくりと立ち上がり、縁へ出た。
(九度山は、あちらの方だろうか)
 春霞に煙る山の先を、小松はただじっと見つめた。

 

 

 夫のため息が聞こえ、小松は灯心を切る手をわずかに止めた。
 鋏の音が思いがけず大きく聞こえ我にかえると、灯が大きく揺れるのがみえた。
 鋏を置いて見返ると、夫はしきりに眉間を揉んでいる。
「殿」
 声をかけると、夫は指を離して、小松に微笑みかけた。
 その膝には、昼に義弟より届いた文がある。
「利世殿には、紙と筆墨を送ったと聞いたが」
「はい、わたくしから」
「うん。これでもう少し、文を寄越すようになってくれればよいが」
 紙を買う金にも欠いているのだろう、九度山から届く文は、墨の滲むような雑紙が多かった。夫は友人であった大谷刑部の娘である義妹をよくかわいがっていたから、文がくるたびに紙を撫でては、痛ましげに眉を寄せていたものだった。
 橙の灯りに浮かぶ書面へ、小松は目を落とす。
「あれの暮らしぶりを聞いたか」
 夫の声に顔を上げると、目が合った。幾度かの瞬きのあいだ見つめ、小松はさりげなく目を逸らした。
「はい。……いいえ」
 曖昧に言葉を濁し、「少しだけ」と付け足した。
 息を吐き、夫はぽつりと言った。
「また新しい女を囲ったという」
 わずかな諦観と、それより少しの苛立ちを滲ませた声だった。
「酒と女に溺れる気持ちもわからぬでもないが」
 夫の視線がちらと逸れ、脇に置いた文箱にかかった。義妹の文がちょこなんと座っていて、小松は胸を押さえる。
 不敵に笑って出て行った義父は、赦免の日を指折り待っているという。無柳を慰めるものとてない日々だから、ある程度は仕方あるまいと思う。しかし、それでも、これではあまりに義妹が不憫だった。
「いかがいたしましょう」
 九度山が困窮しているのは確かで、それではご随意になどと出来ぬのが自分たちの性分だった。といって、金が湯水のごとく湧き出るわけでもない。いきおい、奥向きからの持ち出しになるが、それにも限度があって、はや近い。
「……できる限りは、してやりたいが。任せてよいか」
「はい」
「こちらも何かと物入りゆえ、余裕のあるだけで構わぬ。それから小六に、金銭の管理をよくよく申し聞かせるように」
「畏まりました」
 続けて何か言いかけ、口をつぐんだ夫を見る。じっと小松を見、夫はふと表情を緩めた。
「苦労を掛けてすまぬな」
 胸が詰まり、何も言えず、小松は無言で首を振った。
 抱き寄せられた胸に頬を寄せる。ちらと見えた文箱に義妹を思い、小松はぎゅっと目を閉じた。

 

 

──されば、真田安房守昌幸、九度山配流ののちは恩赦を求むるも、終に叶わず。慶長十六年六月、九度山にて没す。安房守が次子左衛門佐信繁、大坂の陣にて大坂方に加勢あり、大いに面目あらわしたるなり。
 ──真田左衛門佐が妻女、大谷刑部少輔が娘なり。左衛門佐、関ヶ原合戦に於いて西軍に与し九度山に配流の折、夫に従いしこと、貞女ならんか。自ら紐を織り糊口を凌ぐこと、賢妻ならんか。左衛門佐討死の後、東照公の寛恕賜り、慶安二年五月京にて没す。

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