オチのない浅井旧臣組+α もしくは大谷紀之介の受難

 どかどか盛大な音をたて、廊下をやってくる音がし、片桐助作と大谷紀之介は同時に顔を上げ、また同時に見合わせた。
 同じように障子に目をやったところで、ぱん、と小気味いい破裂音をたてて開かれた。
「助作! 紀之介! 与衛門が秀長様んとこきたらしいぞ!」
 仁王立ちしながらのたまったのは脇坂甚内である。かつてともに浅井家に仕えていた縁もあり、また年も近いこともあって、甚内が秀吉に仕えてよりこちら、三人はことごとに交流があった。――たいていなら、甚内や助作が紀之介を引っ張り回していることが多い。
「え!? てか与衛門生きてたの!? そろそろ誰かに刺されたと思ってた」
「助作地味にひどいな」
 目をまるくして毒づいた助作を、甚内がつっこむ。その横で、紀之介はちょっと首を捻った。
「与衛門……殿……?」
 呟いた紀之介に、甚内はあー、だか、うー、だか唸りながら後ろ頭をがりがり掻いた。
「紀之介覚えてないかな、ほらいっつも頭からつっこんでた藤堂の」
「あ……」
 紀之介の脳裏によぎったのは、初陣のことである。
  姉川に迫った織田の軍勢を前に、元服を急いだ父の横で、がちがちに緊張して立っていた。たかだか十をほんのいくつか越した程度の子供である。大谷家は小勢 で、配置は最前線からはわずかに奥にあったから、まだ戦場の気配は遠い。が、初陣の紀之介は早くも空気に飲まれかけていた。
 そのころである。
 前方の部隊が大きくざわめいた。人の波が割れて、真っ黒い人影が見えた。
 いや――黒いのではない。赤いのだ。
 全身に血を浴び、兜首を携えた大男が、戦場の目を残したまま歩いてくる。
 紀之介は震えることも忘れ、まばたきひとつもできず、そばを通り抜けていくのを見送った。びり、と肌を粟立てる気配がすぎたころ、情けなくもへたりこんだ紀之介は、それが殺気なのだと、はじめて知ったのだ。
 藤堂与衛門の名を知ったのは、その戦で浅井朝倉の連合軍が敗北を喫したあとであった。……
 黙り込んだ紀之介を見、助作はいたずらっぽい顔をみせる。
「思い出した? 全身血塗れで首持って帰ってきた与衛門見て紀之介ちびってたもんね」
「ちびってないです」
 にやにや揶揄する助作に、紀之介は眉間に皺を寄せ、唇をつきだした。助作とは、大谷家が浅井に降ったころ、まだ紀之介が前髪立ちの、慶松と呼ばれていた頃からの縁である。子供のようなしぐさになるのは、癖のようなものだった。
「まぁまぁ東の方にはうんこもらした大名もいるから大丈夫だよ」
「ちびって! ないです!!」
 むきになって反論する紀之介をまぁまぁとなだめ、甚内はぴっと指をたててみせた。
「ちょっと覗きにいこうぜ! あいつまたでっかくなってんのかな」
「いい加減でかかったと思うけどあれ以上伸びてたらやばいね」
「目立つから的になっていいんじゃね? 弾よけ的な」
 ケラケラ笑いあうふたりを眺め、紀之介は「甚内殿もひどい」ともごもご呟いた。ひょいひょい身軽に立ち上がった助作は、もう廊下で凝った肩をほぐしている。
「いいから紀之介もいこうぜいこうぜー」
 甚内に引っ張り上げられた紀之介は、つんのめりそうになりながらたたらを踏んだ。

* * *

 藤堂与衛門は大男である。探す必要がないのは得する点ではないかと、立派な体とは程遠い自分の体をちょっと触りながら、紀之介は思う。
「与衛門〜久しぶり〜!」
 甚内が声を上げる。与衛門はきょろきょろあたりを見回したあと、こちらを見て、あっという顔になった。
 連れだって近寄ると、与衛門は軽く頭を下げた。
「甚内殿、助作殿、お久しぶりです」
「おお。しかしまた輪をかけて巨大になったな! これそのうち天井ぶち抜くんじゃねえか!」
「生きてたんだねえよかったねえ。小耳に挟んだ噂じゃいつ刺されてもおかしくない感じだったからいつ訃報が届くかとどきどきしてたよ」
「相変わらず開口一番ひどいですな……と、」
 相変わらず容赦のない二人に苦笑をもらした与衛門は、ふと紀之介に目をやった。びく、と反射的に肩を揺らした紀之介を上から下までじろじろ眺め、得心したようにまたたいた。
「もしかして、紀之介殿ですか?」
「あ、……はい。覚えていてくれて嬉しいです」
 ぎこちなく笑みをうかべた紀之介に、与衛門はまたじろじろと不躾な視線を投げた。そういえば、と紀之介は思い出す。昔もこの男にこんな風に見られたことがある、気がする。そのときは確か――
「いやいや、……しかし、また、こう」
「どうかしたか?」
 意味ありげに言葉を濁した与衛門に、甚内が話を混ぜっ返した。あまりつつかない方がよい予感がする。話題を変えようと紀之介が口を開いたところで、与衛門はニヤリと笑った。
「いや、お綺麗になられて驚きました」
 紀之介の唇の端がちょっとひきつった。おそらく気づいたのだろう、人の悪い笑みが深くなる。
「……格好よくではなく」
「お綺麗に」
 くっ、と言葉に詰まるのを楽しそうに見る与衛門を、紀之介は恨みがましい目でねめつけた。――あのときは確か、「女子も裸足で逃げ出す愛らしさですな」などと言ったのだ。固まる紀之介を後目に助作は大爆笑し、甚内は深く頷いて同意を示していた。
 今回も助作は火がついたように爆笑し、甚内はやはり深く頷いている。
「あーこの全然言葉つくろわない感じは与衛門だー安心したー」
「なんだよ与衛門こういうのが好み?」
「いやぁ欲を言うならもうちょっと肉付きのいいほうが」
 本人を目の前にしてこうである。特に好意などなくても(どちらかというとあまりよい思い出はない)、こうして言われれば若干のひっかかりもある。不満げに唇をゆがめた紀之介を、助作はめざとくみとがめた。
「なになに? 紀之介ロマンスの神様? この人でしょうか??」
「ぜんぜん違うんですけどなんかカチンときます」
 頬を膨らませて答えた紀之介の頬を両側からつつきながら、甚内と助作が与衛門と同じ顔でニヤニヤ笑う。
「恋じゃね?」
「恋か〜」
「俺に惚れると火傷しますよ」
 そして与衛門はドヤ顔である。
「あっ今すごいイラっとしました。恋ですかね」
 ジト目になった紀之介に、三人そろってしみじみ頷く。
「恋じゃね」
「恋だわ〜」
「恋ですかね」
 人の悪いのがまた増えた。これで三人とも憎めない性質なのがまたたちが悪いところである。
 ただでさえ甚内と助作だけでも手に負えないのに、これは早々にどうにかしないとひどい目にあう。紀之介はため息をつき、できるだけ被害を最小限にとどめたい、そのためには何人か生贄を捧げてもよい――などと、相当に毒されたことを思うのであった。

* * *

「紀兄きょう機嫌悪い」
  加藤孫六に指摘され、紀之介はちょっと頭を抱えた。近習屋敷で若手が揃って酒盛りをすれば、いつもに比べて気の回らぬ紀之介の様子は目立つようだった。加 藤虎之助などもチラチラこちらをうかがっているようで、なんでも、とごまかそうとしたところに背中にのしかかる何かがある。
「ロマンスの神様が降りてきたからね〜」
「どうもありがとうだな〜」
 案の定、助作と甚内で、紀之介はあからさまにめんどくささを顔に出した。これもいつもの紀之介にしてみれば珍しいことである。
「えっ」
「えっ」
 同時に反応したのは虎之助と石田佐吉で、紀之介はまたうんざりした気持ちになる。虎之助はまだしも、佐吉の目がやばい。酒が入っているぶん輪をかけてやばい。
 どうでもいいがさっきからネタが古い。そういうメタいツッコミは飲み込んだ。
「紀兄そうなの」
「えー相手誰だよー」
「秀長様んとこの藤堂与衛門てのでね、まぁ紀之介のトラウマかな〜」
 すかさず食いつくのは孫六と福島市松で、なぜか助作は得意げである。
「き、紀兄、そうなのか」
 恐る恐るといった体でたずねる虎之助はいじらしい。
「お虎、甚内殿と助作殿の言うことだから」
「あ、うん、わかった……よかった……」
  ため息混じりにそう言ってやると、虎之助はあからさまにほっと肩の力を抜いた。こういうところが虎之助のかわいいところである。頭を撫でてやっていると、 市松が「大変だったな、紀兄」と肩を叩いてきたので、市松も撫でてやる。ちょっと嫌そうな顔をする市松もかわいいものである。
「どういうことなの……」
「そういうことです」
 腑に落ちない顔をする助作を切り捨てると、また大きく首を捻られた。
「こんどみんなで与衛門いじりにいこうぜ」
「誰がいじられるかも気になるよね」
 甚内は相変わらずで、助作は不穏な予言をした。昼間のように、ここぞと乗っかるつもりに違いない。
 次はいじる側に回ってやる、と決意を新たにした紀之介の横で、虎之助がふとあたりを見回した。
「あれ? そういや佐吉は?」
「ん?」
 さっきまで紀之介の隣にぴったり陣取っていた佐吉が、いつのまにか姿を消している。一見鈍くさそうに見える佐吉だが、実はそれなりに身体能力は高いのを、紀之介は知っている。――が、忍びの真似事ができるなどとは知らなかった。
 紀之介が首を捻っていると、孫六が何かを察したように「あっ」と小さく漏らした。
 それが引き金を引いたように、そこここから「あっ」「あー」などと声があがる。
 甚内と助作は顔を見合わせ、ニタリと笑う。
「面白い展開になって参りました」
「これは……行っておくしかないよね」
「見逃せないカードだ」
 いそいそ立ち上がった二人を見上げ、顔をしかめたのは市松である。彼と佐吉は家中の誰もが知る犬猿の仲で、今日もお互いが目に入らない位置を陣取っていた。
「別にいいじゃんあんな奴ほっとけば」
 そんなものより酒、と、市松の基準はわかりやすい。が、虎之助の、
「こういうのはどこで弱味握れるかわかんないぞ」
 という言葉によって、一瞬で翻るから日頃の恨みというものは恐ろしい。
「よっしゃ、行っとくわ」
 膝をひとつ叩き、市松はひょいと立ち上がり、どうやら佐吉が開け放していったらしい障子から廊下をのぞき込む甚内と助作を追いかけた。
 紀之介は大きなため息をひとつつき、こめかみを押さえた。
「もー嫌な予感すごいする」
「たぶんはずれないと思う」
 全くフォローになっていない孫六をひとつ小突いて、のっそりと体を引き上げた。
 たぶんこの件でしばらく与衛門から遊ばれるのだろう。佐吉にはきつくお灸を据えておかなければ。
 もろもろまとめて、紀之介はもう一度盛大なため息をついた。

 

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