みどりなす
御髪をお切りしましょうか。
小姓にそう言われ、景勝は吸った空気を、しばしとどめた。
忙しさにかまけているうちに、髪が伸びていた。あの血みどろの内紛から、半年がたとうとしていた。
長く吐きながら、吐息に紛らせて、「いや」と短く答えた。
「よい」
「ですが、」
控えめに食い下がる小姓を、もう一度「よい」と答えて下がらせた。
見下ろしていた指で、髪に触れてみた。首に掛かろうとしている毛先は、不揃いに揺れた。
(喜平次どのの髪は、まっすぐで好ましい)
かつて聞いた声が耳元に甦り、景勝はびくりと肩を震わせた。振り返りそうになって、とどまる。誰もいない。わかっている。
(わたしの髪は、ほら、すこし巻いているだろう。これがあまり好きではなくて)
彼が小田原からやってきて、まだいくらもたたない頃だった。実城で顔を合わせたとき、唐突に言われ、景勝は面食らった。表情を変えぬ癖が染みついていた景勝は、どうせそのときも満足に驚いた顔をしていなかったのだろう、彼はまるで頓着しようとしなかった。
頭を少し傾けて、ひとふさをつまんでみせた。もてあそぶ彼の指に合わせて、くるくると踊る。
人見知りの気のあった景勝は、まるで何と答えてよいかわからず、「そんなことは」などとたどたどしく呟くので精一杯だった。
(だから、喜平次どののような髪に、とても憧れる)
そう、女子であれば卒倒しそうな、屈託のない笑顔を見せた彼は、折あるごとに景勝の髪に触れた。もっと伸ばせばよいのに、となんども言われ、そのたびに姫ではないからと答えた。姫であればよかったのに、と戯け混じりに言う言葉に、惑わされそうになったことも、何度かあった。……
元結に指をかけ、千切る。ばらばら不格好に落ちて、頬にかかった。姫どころか、落ち武者のようだと思って笑う。運ばれた彼の首は、美しく化粧をされ、髷も結い直され ていた。かつてその美貌をひろく謳われた彼は、死に首となっても美しかった。
無念であれば化けて出よ、彼の首にそう語りかけたというのに、いまになってもいっこうに、その気配はなかった。
「……琵琶でも奏でればよいのか」
つぶやいたあとで、はたと気付いた。
そのためには、平家物語に並ぶ話を作らねばならないのか。
なんとも手間のかかる。口の端をゆがめて笑うと、軽やかに笑う彼の声が、また耳に届いた。
髪を結い直す兼続の小言を、景勝はいつもの無表情で聞き流し、庭に遊ぶ雀を眺めた。
こうしてしまうと、何を言おうと糠に釘を打っているような塩梅で、まるで手応えがない。ため息をひとつ、大きく吐いて、兼続は結い終わった髪を丁寧に整 える。
「殿、御髪が伸びているようですが、お切りになりませぬか」
名残惜しげにいつまでも梳く兼続に、ちらりと目をやって、景勝は「いや」と小さく答えた。
「よい」
「しかし、殿」
「よい」
短く制して、景勝はまた庭に視線を戻した。
渋々といった体で、兼続が髪から手を離す。三度の呼吸のあとに、景勝はささやく声で呟いた。
「……あれが、来るまで」
は、と兼続の怪訝な声がした。
「もう、切らぬ」
目印がなくば、迷うであろう。
「何がでございますか」
問いかける兼続には答えずに、景勝はまた押し黙って、戯れる二羽の雀を、飽かず眺めた。