不条理な話
きゃあ、と華やかな声があがり、鈴を打ち鳴らすような笑い声がこちらまで届いた。
気がつくと増えていた文庫につい手を伸ばしてしまい、時間をかけてしまった厠から立ち戻る道すがら、女たちの声が妙に近いのに、なにやら嫌な予感がする。
わざと足音高く廊下を歩くと、またきゃあと声があがる。若様が、と声があって、政宗はなぜかすこし緊張しながら障子をあけた。
「お帰りなされませ」
侍女が言うと、みな平伏する。政宗は眉をしかめ、ちょっと身を引いた。
まったくおなじ動作で頭をあげた正室と乳母が、なぜかふたりずついる。彼女らは、まるで鏡で映したように、にっこりと笑ってみせた。
「……なんじゃ、おれは狐の宿にでも迷い込んだのか」
つぶやいたところで、ぴんときた。そういえば、愛と喜多に瓜二つなものを、それぞれ知っている。
「籐五、小十郎、悪ふざけも大概にせいよ」
はあ、とため息をつきながら近づくと、ふたりの愛姫はまた同じようにつつましく口元を隠してふふふと笑った。
従弟の籐五郎成実は愛姫に、近習の片倉小十郎景綱は姉の喜多に、それぞれ瓜二つなのである。
家中ではよく話の種にされていることだったが、こんな形でからかわれるなど思ってもみなかった。
控えていた侍女が、笑いを含んだ声で言う。
「では若様、どちらがほんとうの姫様と喜多どのか、おわかりになりまするか」
じろりと侍女を睨みつけると、侍女はまた笑って、「まぁ、怖や」と声をたてた。
「ばかにするでないわ」
ふん、と鼻を鳴らしてみせる。左の喜多が、やはり袖で口元を隠し、おかしげに肩を揺らした。
「右が籐五、左が小十郎じゃ」
「なぜにござります?」
侍女に尋ねられ、政宗はまた鼻を鳴らしてみせた。
「いくら女子の衣装を纏うたとて、所詮は男、仕草が違うわ。女子の柔らかさにはまるで遠い」
どうじゃ、と胸を張ると、耐えきれなくなったように右の愛姫が笑い声を上げた。やはりそれは、ようやく声変わりにさしかかりはじめた成実の声で、政宗は得意げに笑んだ。
「ははっ、あはは、次郎、おまえはほんとうに……はははは」
ひいひいと腹を抱える成実に、なにやらむっとして唇を突き出す。ふふふ、と左から女の笑い声がきこえ、愛姫まで笑うかとそちらを見たところで、政宗は固まった。
小十郎だと思っていた喜多が、口元に袖を当てたままクスクスと笑っている。その隣で、愛姫は困ったように眉を下げ、苦笑を浮かべていた。
「がさつな乳母で、あいすみませなんだ」
にっこりと笑ってみせる喜多――左側の、本物の喜多のこめかみに、癇筋がひきつっている。
今日は日が悪いなどと誰も言わなかったではないか。政宗は涙目で後ずさり、障子の桟を踏んだところで、すかさず脱兎のごとく逃げ出した。
お待ちなされ、と怒声を背に聞きながし、政宗は「おれが悪いのか!」とわめき散らしたのだった。
「前々から思うてはいたが、こうしてみるとほんに瓜二つよの」
そう言って、義姫は愉快そうに笑った。
騒ぎをききつけて覗きにきてみれば、なにやら面白そうなことをしている。元来好奇心旺盛な義姫は、さすがに戻ろうとした成実と景綱を無理やり引き留め、まるで人形遊びでもするように、ひとしきり着せ替えを楽しんだのだった。おかげで、成実も小十郎もぐったりと疲れきっていた。
「ところで籐五郎どの、兵部どのは殿のところであろうか」
いたずらっぽく笑う叔母に、成実はひっと妙な声をあげた。いつも米沢に参るときのとおり、成実は父実元の供をしてきている。政治向きの話があるため成実は辞していたが、そろそろ難しい話も終わっている頃ではあった。
とっさに景綱にすがるような目を向けるが、肝心の景綱も火の粉をかぶらぬよう、肩をすくませあちらを見ている。
「い、嫌です!」
「まだ何も言うておらぬ」
「言わずともわかります!」
「なぜじゃ、兵部どのも殿も、きっと喜ぼうほどに。のう、愛どの」
義母が同意を求めると、愛姫は無邪気に笑って「はい」とうなずいた。
「おふたりとも、籐五郎さまがご幼少のころには、蝶よ花よとお可愛がりになったと聞きました」
「そうとも。殿なぞ、愛どのが来るまでは籐五郎どのを心待ちにして、毎回浮き浮きと何が似合うのどの色がよいのとそれは楽しげに」
「作っていただいたものは、みな女物だったではありませぬか!」
「そうとも、またそれがよう似合うておっての」
「まぁ、愛もぜひ見とうござりました」
「愛どのは鏡をご覧になればよいではないですか!」
わめきながら、成実は思う。三十六計逃げるに如かずと、兵法書には書いてあった。
「小十郎、すまん」
は、と間の抜けた返事をする景綱の肩を押さえつけるようにして立ち上がり、裾をからげて「御免」と一言言い残し、成実はさきほどの政宗にも劣らぬ勢いで逃げ出した。
「五郎さま! 置いていかないで下さ……」
あわてて立ち上がろうとした景綱は、勢いのまま後ろに引っ張られて尻餅をついた。
裾を、いつの間に近づいたものか、喜多がしっかりと押さえている。立て付けの悪い建具のような動きで景綱が振り返ると、女たちはみな一様ににっこりと笑っていた。
「仕様のない。小十郎どの」
「……は」
「そなたの艶姿をご覧になっても、きっと殿はお喜びになろうと思うが、いかが?」
返事に窮して、景綱は固まった。姉は、裾を離したと思えば、がっしりと腕を掴んで放さない。
「では、喜多どの。参ろうか」
「はい、お方さま」
楽しそうな女ふたりにひきずられながら、景綱は、もう女どもの口車には乗るまいと心に決めたのだった……が、残念ながら成実ともども、この後何度も暇な女たちの遊びにつきあわされる羽目になるのだった。