沼のつどい
奥州の仕置もあらかた目処のついた昨今である。ひところのような、目の回るような忙しさはひとまず去って、吉継も上方に戻っていた。
まかせきりにしていた所領のこまごまは、有能な家臣たちによって、とくに問題もなく流れている。じつに数年ぶりの、平穏な日々であった。
ようよう天下はおさまったとして、秀吉は、上方へ全国諸大名の屋敷を拵えさせた。北は陸奥、南は薩摩と、秀吉の意向を余さず伝えるには、いちいち在所に遣 いをやるにも手間がかかる。妻子家臣をつねに置き、大事を決める折りには大名も滞在し、ときには相互に交わって、遠い地の武士と友誼を深めるもよろしかろ う――と、表向きのところはそうなっている。
要は人質であるが、そう息苦しいばかりでもないのが、人の世の面白いところである。人の趣向は千差 万別というが、これだけ人がいれば、かならずどこぞの家中には同じ趣味、似た腕前のものがいる。徳川家康という大物と碁友になった浅野長政などを筆頭に、 茶の湯やら歌やら能やら、同じ趣味をもつ者たちが集まっては楽しく騒ぐのが近頃の流行りである。
いちど、誰ぞに趣味はないのかと聞かれたことがある。そのときはとくに没入する趣味をもっていなかったので、
「強いていえば、皆が楽しくやっているのを眺めるのが趣味かもしれませぬ」
と言った。ほうほうと頷いたその誰ぞに、そのあと能会に連れられていった。演目や役者のこだわりに、果ては鼓の張り方がどうというところまで話は飛んで、よくわからぬなりに楽しいものだった。
どこから話が流れたものか、それから様々な人びとにあちこち誘われるようになってしまった吉継である。おおかた、仲間を増やそうとみな目を光らせているの にちがいない。この間、浅野に連れられていった碁打ちの会合で、うっかり家康を負かしてしまってから、脈ありとみられたのか、そちらの誘いがかまびすし い。家康はたいして強くもなく、これはもしかすると勝ちの味をおぼえさせて引き込もうなどと、嵌められたのかもしれぬ。
吉継としては碁より将棋のほうが好みではあったが、それを言ってしまうと藪から大蛇が出そうな予感がするので黙っていることに決めている。
そういえば明後日は、直江兼続より歌会に誘われているのだった。これがまた厄介といえば厄介で、吉継は歌がうまくない。雅な歌は、聞いたり見たりするのは やぶさかではないのだが、いざ詠むとなれば通り一遍の凡庸な言い回ししかできぬものである。これがいっそ下手くそであれば笑いもとれようものを、中途半端 に毒にも薬にもならぬ出来なものだから、なおいたたまれないのだった。
さて、いっそ今からでも断ってしまおうか、とぼんやり思っていたところに、来客をしらせる声がした。
藤堂、と告げられ、吉継はぱちりとひとつ瞬いた。
通せ、といらえるより先に、踏みしめて歩く足音がする。この歩き方は、むかしからついぞ変わらぬものだった。自分を主張するような、迷いのない音だ。
出しっぱなしにしていた書簡を文箱に片づけ、向き直ったころ、戸惑う近習をものともせずに高虎が障子を引き明けた。もう偉くなったのだから、そういったと ころはちゃんとしろ、と喉まであがるのを飲み下す。これで分別のつく男である。吉継のような、気心の知れた相手以外にはすまい――と思えば、なにやら面は ゆい気もした。
「よう」
「どうした、暇なのか」
「まぁ、そんなところだ」
隅においやっていた円座を自分で取りにゆく高 虎を眺め、おろおろしていた近習に白湯を言いつける。障子を締めようとするのをやめさせると、吉継は無精をして、膝で廊下の近くに寄った。これも、いつも はやらぬことである。高虎とふたりになると、どうにもこころが若返ってしまうのだった。
春も深まったころである。桜は終わり、藤の季節だった。たいして大きく伸ばしてはいないが、庭師がよく手を入れるので、毎年見事な花をつける。
かつての主君の奥方が、花を愛でるひとだった。季節の花々が彩る庭は、それは見事なもので、思い出をなぞっては、似た花を植えるようになった。折々に咲く花を見ると、折々のあれこれを思い出す。吉継のこころのすみに根を張った、大事な花々だった。
円座を隣に置いて座り込むと、高虎はおもむろに図面を広げはじめた。実学をこのむ高虎は、このごろ築城を極めはじめたという。加藤清正なども築城について は一過言あるらしく、あれはどう、ここはこう、と意見を交わすこともよくあるらしい。――ただ、大事なところで意見があわぬようで、清正はときどき、ぶち ぶちと何やらこぼしていたりもした。
「どこの城だ」
「いや、考案だ。広さと地形と兵数と、周辺の情勢を決めて、どういった縄張りがいいのか、明後日までに図面を切って持ち寄って、見立てて城攻めをするんだ。で、お前に意見を求めようと思ってな」
「意見、といわれてもな」
ふむ、と首を捻る。興味がなくもないが、こと土木関係には吉継は素人に近い。
「俺が攻めるなら、という方向からしか口を出せんが、それでよいか」
「むしろそれがいい。お前が攻めあぐねる城であれば、俺の勝ちはかたいからな」
たいした信頼感である。これは気を入れて見ねば、もし負けたときになんといって拗ねられるかわかったものではない。座り直して姿勢を正し、差していた扇を引き抜いて、吉継は図面をのぞき込んだ。
* * *
「殿」
声をかけられ、はっとする。開け放たれたままの障子の陰に、近習が膝をつき、控えていた。
気がつけば、そろそろ薄暗い頃合いだった。手元には朱が入れられた図面と、まわりには描き直した痕跡が何枚も散乱している。
「夕餉はいかがなさいますか」
「ああ……食っていくだろう、高虎」
「そうだな、もう少し詰めたいし」
まだやる気の高虎に、吉継はすこし呆れた。吉継自身も、没入すれば時を忘れる質ではあるが、高虎はもうひとつひどいようだった。――あるいは、負け嫌いな高虎である。前回の考案で、清正あたりに負けたのかもしれぬ。
「まったく、相変わらず好きなものにはのめりこむ質だな。遣いはやってやるから、なんなら泊まってゆけ、終わる気がしない」
「お、そうか。では甘えるとしよう」
目を輝かせて笑う高虎に、吉継はちょっと肩をすくめてみせた。この男はときどきひどく子供っぽい。そこが好ましいところでもある。
それにしても、この考案は存外に面白い。机上の戦ではあるが、囲碁や将棋とはまた違った趣がある。そう言ってやると、高虎は得意げに頷いてみせた。
「そうだろう、そうだろう、お前も城の魅力がわかったか。そうだ、なんならお前も会合に来るか? 突拍子もない縄張りをしてくるやつもいて、面白いぞ」
「明後日だろう。その日は直江殿に歌会へ誘われているんだ」
「歌会だと? また似合わぬことを。そんなもの断ってしまえ、こちらの方が楽しいに決まっている」
「前々から約束していたものを、そういうわけにいくか」
「ならば、いっそ直江も誘ってしまえ。あれも興味がないわけでもなかろうと俺は踏んでいるのだがな」
「そうか、ではそのあたりは、お前から交渉してくれ」
勝手に話を進めてしまう高虎に苦笑して、灯を入れる。すこし考え、もうひとつ増やした。今日は月が痩せている。手元を見るには、ひとつでは心許ないだろう。
さて、とはやくもまた筆を咥えた高虎に、吉継は今度こそ吹き出した。
「なんだ」
「いや、なんでも。続けるか」
「よし。で、ここの櫓だが」
朱で丸をつけられた隅櫓を東にずらすかずらさぬか、ふたりの意見が割れていて、さきほどから一致をみないのである。
(行くにしろ、行かぬにしろ、これは歌を考えるどころの話ではないな)
攻め口を考えながら、このぶんでは直江と一緒に城を攻めにゆくはめになりそうだと、吉継は思うのであった。