あおく溶ける

 水のなかから見ていた。
 ゆらゆら揺れる水面越しに、見知った顔がいくつも見える。誰もが通り過ぎて、誰も水の下に気付かなかった。
 こうしてみると、寂しいものだ。思いはしたが、仕方ない。自分はそのように生きて、それを悔いたことはなかった。
 戯れに手を伸ばしてみると、水面に触れた。ゆるい波紋がうまれて、消える。空をうつして、水面は青くたゆたった。
 指先で、掻くように水面を乱してみる。少しだけ楽しくなり、ふふっと笑うと、口から零れた気泡がいくつか浮き上がった。
 気泡が水面ではじけるころ、指先になにかが触れた。
 そのまま手を掴まれたのを、覚えている。

 ぱちぱち目を瞬かせていると、心配げに眉を寄せた秀麗な顔があった。
 名を呼ぼうと口を開けたところで、ためらう。ええと、この男は。
「趙雲」
 ようよう呼んで、口元を緩めてみせると、趙雲はほうっと息を吐き、つられるように眉を緩めた。
「どうした」
 大事そうに取られた、頼りない小さな手に目をやった。槍胼胝のできた大きな趙雲の手は、まるで絹布で包み込むようにやさしく触れていた。
「なにか、悲しい夢をご覧になったのですか」
 穏やかな声で問う。そうして、眠っていたのだとようやく気付いた。
「夢」
「はい。まるでなにやら、お縋りになるように、お手を述べておいででした」
 ああそれで、と合点する。趙雲は、物心ついたころからつきまとう危なっかしい主君の世継によく手を貸してくれていたが、近頃はすこし距離を取るようになっていた。いつまでも子供ではいられないから、仕方のないことではあった。その趙雲が幼い折のように触れるのだから、おそらくずいぶん心配をかける様子だったのだろう。
「夢」
 もう一度つぶやく。
 夢かうつつか幻かは判然としないが、そうしたものは見ていたような気がする。どういった内容かは、さっぱり覚えていなかった。ただ――
(手を、握られた、ような気がする)
 趙雲に包まれた手を、じっと見つめた。掴まれた感触は、不思議に残っていた。
 趙雲だったのかと思い、首を傾げてみる。
(すこし、違うような)
 趙雲のように、あたたかく優しく包む手とは違った。力強く熱い、知らないてのひらだったように思う。水面はひどく揺れていて、けっきょく誰だかわからなかった。
「手を、掴まれる夢をみた」
 だから、そのように伝えた。誰だかわからぬが、と言い添えると、趙雲はまた眉根を寄せて、小さなそれを包んだ手に、すこし力を込めた。
「次は、趙雲をお呼びください。夢の中でも、趙雲は阿斗さまをお守りします。どこでも、すぐに馳せ参じます」
 真剣にそう言う趙雲が、すこしおかしくなり、すぐに嬉しくなった。
「うん、ありがとう」
 緩めていた口元を、笑みの形に深くする。包まれた手に、力を入れて握ってみた。ひかえめに、しかし頼もしく握り返す大きな手に、劉禅は思った。
(あれは、誰だったろう)
 力強く熱いてのひらの感覚は、いつまでも消えなかった。

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