6
深駆達が塔の前へと辿り着いたころとほぼ同時刻。
久女は、塔の内部にいた。
薄暗い、塔の中。仄かに蝋燭が揺れて。
音が、聞こえる。流れ行く、何処までも流れる、水の音。
魔法石造りの高い塔は、その石と同じように、その空気もひやりと冷たい。その冷たさは、この塔の製作者の魔力に、ひいては心に由来する。
…お疲れになられているのだろう…
自らの師の師にあたる人物の心境を思い、知らず久女は剣を握る手に力を入れる。
前賢者が死んでからもうだいぶ経つというのに、その死は未だラティスを蝕んでいる。
だからこそ。
キン。
澄んだ音が響いた。
細い白銀に輝く剣が、久女の手から弾き飛ばされ、鈍い灰色をした石の床を滑り行く。
「やはり気付かれたか」
「…お前に簡単に殺されるほどに私は落ちぶれていないよ、久女」
柔らかに、ラティスは微笑み、床を滑っていった剣を拾う。…ラティスの命を狙ったその剣を。
「魔力が込められてはいるが…なまくらだね」
ラティスがそう呟くと同時、その剣は液体となり、ラティスの指の間をすり抜けて床へと落ちていく。
「私を殺そうと思うのなら、せめて『クレスケンスルーナ』を使うべきだね。それに…」
久女へと向き直るとラティスは相変わらずの笑顔のままで言った。
「確かに、私は死ななければならない。けれど、お前程度の者一人に殺されては…私に殺された師匠の面子が立たないと思わないかい?」
そういうラティスの瞳は、そこに存在しないはずの誰かを…きっとラティスの師匠を…見ていた。
「けれど…誰かが貴方様を殺さなければ、貴方様は御自分の自殺のためだけに、世界を滅ぼすおつもりだ」
「君は、反対していなかったのではなかったのかい」
「アイツに会って…気が変わった」
そう言って、思い出す。『クレスケンスルーナ』を渡した、真っ直ぐな眼をしていた少年を。
ローザの試練を超えた彼はもうすぐにでも、ここへくる。
「彼らが気に入ったのかい」
静かに、しっかりと久女は頷く。
「…だからに彼らを無駄に殺させはしたくない」
「彼らが、上手く私を殺してくれるかもしれないじゃないか。…少なくとも、素質の面でいったら…ローザと並ぶほどの奴らを選んだのだから。彼らなら、全力の私に勝って私を殺してくれるかもしれない。
本当は…ローザに殺して欲しかったのだけれどね。…ローザはまだ未完成なのだろう?」
「力はともかく、それを操る心の方が賢者たるにも貴方を倒すにもまだ…ローザ様が成長なさるまで待っていただけないか」
強く、嘆願する久女の声に、しかしラティスは左右に首を振る。
「私は、もう十分に待った。…これ以上、私にはもう待てない。」
「なら貴方様一人で死ねばいい」
「賢者に自殺は許されない。同等以上の力に滅ぼされるか、もしくはこの世界もろとも滅ぼすか。それだけしか選択肢はない。」
どこか、目線を遠くして、ラティスは更に小さくつぶやいた。
だから、私が師匠を殺したというのは言い訳にすぎないのだけれど。と。
「生きるのがお辛いか?」
最後に、と前置きをして久女が問いかけた言葉に、ラティスは苦く、笑った。
「…もう、疲れてしまったよ」
「そうか」
それだけ答えると、久女は扉へと向かった。これ以上、話しあっても無駄だとわかっていた。
「お前と、ローザならば今のうちにこの世界から逃げて行ける。今のうちに準備を整えておきなさい。…そうでなければ…私のなかの『彼』が煩いからね」
「…考えておこう」
振り返りもせずに、久女はその場から去った。
部屋からでてすぐ、扉のそと。
体育座りのままに、そこで待つようにと久女に頼まれたローザが久女の帰りを待っていた。普段なら二つに結わえたその長い群青の髪を、結びもせずに、長くたらしたまま。
「ローザ様」
待ち人が来たことに気がつき、ローザは久女のほうへと顔を向ける。
「聞こえていただろう。ラティス様は、死を…もしくは世界の破壊を…ご所望だ。貴女様は認めたがらなかったようだが。これが真実だ」
淡々と告げる久女にローザからの反応はない。
ショックで反応ができないのかと、思った。しかし、それとも何か違う。ショックを受けたわりには、そのローザを取り巻く魔力はゆったりとたゆっているだけなのである。
そして、一つ、久女は思い当たる。
「…ローザ様、またですか」
溜息をつく。ローザのたらした髪に隠れた耳には、きっちりと耳栓。しかも音漏れのないように念入りに魔術までかけてある。
すぽん、と音をさせて久女は嫌がるローザの耳から耳栓を抜く。
「そうやって…また、ラティス様の本心を聞かないでいるおつもりか?…今までは、それでも待つつもりでいましたが、もう時間がない。
ローザ様、今ならまだ間に合う。現実を。見すえてください。貴女様が、その心にラティス様を倒す決意さえしてくだされば、あるいは…ラティスさまを倒すのに十分たる。私も微力ながら…」
「ナニソレ?ローザしらないもんっ」
むぅぅ、と頬を膨らませて。久女から視線をそらしたままでローザは言う。
「ローザはそんなこと知らない。お師匠様が死にたいわけなんてないの。ずっと、ずっとお師匠様ローザに笑ってくれてたのだよ?一緒に毎日いたのだよ?ローザ、それで幸せだったもん。お師匠さまだって幸せだったに決まってるもん」
「欺瞞だ。ローザ様、本当は貴女様はわかっているはずだ、ラティス様が何を望まれているか。そうでなければ何故耳栓をする必要があった?」
「知らないよ、ローザは直接お師匠さまからそんなことを聞いてない」
ぽつりと呟く反論に、久女は半ば苛立って声を荒げる。
「貴女様が、いつも逃げていたからではないか。その話題が出そうになるたび、ラティス様がその話題のために貴女様を呼び出すたび。逃げていたのは貴女様ではないか…」
ぎゅっと久女はローザの腕を掴みあげる。
「そんなに貴女様が仰られるのなら。今からラティス様に確かめに行かれればいい。ラティス様はその扉の向うに」
ラティスの言葉に顔色を変えたローザは、咄嗟に久女の手を振り払うと久女との間に大きく間合いを取る。
「やだっ。やだ。やなものは嫌なの〜っ」
ぽむっ、と小さな音をさせてローザは本気狩棒を取り出す。移転魔法を、使って、逃げようと。
けれど。
「何を騒いでいるのかい」
声がして。ゆっくりと先刻久女が出てきた扉が開く。
「お師匠、様」
声が上ずったのを、こほんと咳をして誤魔化して。ローザは笑顔でラティスに言う。
「ごめんなさいー、ちょっとね。ひーちゃんと喧嘩していただけなのだよ。気にしな」
唇の上、そっと触れられるラティスの指に、ローザは口を閉ざす。そして、顔は動かせないまま、ただ目線でだけきょろきょろと、これから起こるだろうことを回避しようと動かしていた。
「ローザ。お前は本当にウソが下手だね」
寂しげな表情を少しばかり覗かせて。ラティスは続けた。
「久女に言ってもらおうかと思っていたが…丁度いい、今のうちに私から直接言おう。」
ラティスの杖の上にかかった手が、震えている。
滅多にないことだ。
「ローザ、今私を殺す覚悟がないなら、ここから出てお前の元いた世界にもどりなさい。」
今の力なら髪の色も眼の色も隠すことができるだろうと、今度こそ幸せになれるだろうと、そう付け加えて。緩く笑む。
けれど、ローザには微笑み返すことは出来なかった。
「…して」
ただ、そのまま俯いて。
「どう…して」
覇気の無い声で、呟き続ける。
「どう…してっ」
再度、勢いよくローザが上げた顔。
そこに涙に縁取られ大きく揺らぐ瞳は、何処までも冷たく久女を、そしてラティスを睨みつけていた。
「どうして?どーしてそんなこと教えるの?ローザはそんなこと、知りたくなかった。知らなかったら…ローザは…幸せだったのに…」
ぴしり、と魔防効果がついているはずの柱に皹が入る。ローザの周囲を霧のように、形をなせなかった魔力が浮き漂う。
「世界が滅びようが、ローザが死のうがどうだって良いの。…ローザが生きてる間、お師匠様が生きてて、幸せだって思えてればどうだってよかったの。お師匠様がいないと、ローザはだめなの」
「ローザ様それは…」
「ひーちゃんには、わからないよね。ローザの気持ちなんてわかるはずない。ひーちゃんにはわからないんだもんローザのことひとつだってろーざのことなんにもなんにもなんにもなのになのにどうしてこんなことするのどうしてこんなことしらせるのどうしてどうしてどうしてこんなどうしてどうしていやなのにどうしてどうしてどうしてどうしてどうし」
「っ」
ぐわん、とトンネルを抜け出たときのような奇妙な感覚に久女が襲われたとほぼ同時。眼の前の、ローザのいる空間が押し曲げられる。その余波として訪れる圧力に久女が一瞬目を閉じて。再度目を開けるようになったときには、その場にローザはいなかった。
ローザのいた位置にはローザの変わりに残留魔力だけがたゆっている。
「ロ…」
呆然と、久女はその魔力に手をかざす。
必要なことだったはずなのだ。ローザの未来のためには。この世界のためには。ラティスのことをローザに認めさせることは。たとえ、ローザが傷つこうとも、後悔はないはずだった。
けれど。
久女はどこからか訪れる焦燥に胸を押さえる。
間違ったはずなどないのに…。
「…魔力の暴走で飛ばされただけだからそう遠くにはいっていない。心配ならば探しなさい。」
動くこともままならないままの久女の背に、ラティスの声が届いて暫し。
返答をもしないままの久女をそのままに、ラティスの気配もまた消えた。
7
小気味よい破裂音。
空気を切る音。
何かがぶつかる音。
高高度から墜落する音。
そんな音がほぼ同時に聞こえる。そして、数人の声も一緒に。
こんなことが起こったのはほんの数十分前のこと。塔の中に入った深駆一行は塔の中心付近で螺旋状の階段と、上を向いた矢印のついた看板を見つけた。四人はすぐに上に行けというのを察し、階段を上り始めた。ただ、深駆だけは階段が螺旋状になっているのは何かわけがあると思い、螺旋の空間となっている部分を探っていたが、咲に、
「ぬーちゃんさん、置いて行きますよー」
と呼ばれて腑に落ちないものを持ったままみんなに追いついた。
そこで階段を上っていたらいきなり白服が出てきて戦闘を仕掛けてきたというのが、現在のなりゆきだ。
当初の白服の数は軽く百を越していた。だが現在の白服の数は百に届くか届かないかまで減っていた。そこまで減らすのに要した時間はおよそ十五分。それでも、まだかなりの白服が残っている。
パパパパパパパン。
乾いた破裂音が再び軽快に轟く。咲のマシンガンが火を吹いていた。上空を飛んでいた白服が一気に三体ほど落ちる。もちろん一番下までまっさかさま。最早助かる術はなかった。
「空中戦は厳しいな。あ、確かこの辺に。……。あった。預かりもんだから今は自分が使っていいってことだよな。うん、使わせてもらおうか」
一人でぶつくさ言っていた深駆はソーサリーグローブの中枢を外し、その代わりに預かりもののクレスケンスルーナの中枢をはめ込んだ。
「お、ぴったりぴったり。これならいけるか」
またもやひとりごちると、ルカのほうを見た。
「ルカさん!自分にナイフを十本ばかし貸してください!」
突然何を言い出すんだと思ったが、前の戦闘で深駆のことを自分よりはるかに強い存在だと認めているから、素直に貸そうとした。
「ジャックナイフと、スローイングナイフとサバイバルナイフのどれがいいですか!」
遠くにいたから大声で問い掛ける。その質問に深駆は少し困りながらも、
「どっちでもいいです!自分が投げたりするわけじゃないから!」
と言って適当に投げてもらった。これで今手元にある武器にジャックナイフ四本とスローイングナイフ二本とサバイバルナイフ二本が加わった。
「よし、空中でも低けりゃ届くからな」
そう言うと、クレスケンスルーナの力を発動させた。そして、自分の意志でナイフの動きを操り始めた。
「なんだ、結構簡単だな。……、よしっ」
何がよしなのかわからないが、小さく呟くとすぐ側を通った白服目がけてサバイバルナイフを二本とも飛ばした。
白服の比較的小柄な身体に刺さった。二本のうち一本は腹の一番柔らかい所。もう一本は首筋だった。刺さったのを確認すると、すぐさまナイフが手元に戻ってくるように想像した。そうすると、久女が説明したとおりにナイフが自分の意志で完全に操れた。
「よしっと。これなら問題ないな」
一番の問題が精神代価というのを完全に忘れて言う。もちろん他のみんなはそんなこと知らない。
次々と迫ってくる白服。一時的には百に届くか届かないかくらいまで減ったが、今は当初とほぼ同じ数に増えている。
「くそっ。こいつら一体どっから湧いてきてやがる。キリがない」
ついに塔に入って初めての悪態を漏らしたヴィル。
「そんなこと言ってる暇があったら、さっさと斬ってください。数は増える一方なんですから」
ルカに言われて苦笑いを浮かべたが、すぐにその笑を消し去り、迫ってきた白服を斬った。
「いっきますよー!」
どこからともなく楽しそうな声が聞こえた。こんな喋り方をするのは唯一人。咲だ。一体なにをやるのか気になって三人は見ると、咲は右手にバズーカ、左手に自動小銃を構えていた。
「咲殿?そんなの撃ったら反動がきつくて落っこちますよ?」
心配そうに言う深駆をよそに咲は一気に撃った。
バズーカの発射音と、自動小銃の破裂音が不気味な旋律を紡いでいた。
それから数秒遅れて世にも恐ろしいものを見たかのような悲鳴と、さらに数秒送れて地面に何かが落ちてつぶれる音。そして階段の下には赤い水溜りができていて、その側にはかなりの数の人間の形すらしていない白い塊が転がっていた。
さすがにこの光景は深駆は見たくなかった。そして聞きたくもなかった。よくゲームなんかでグロテスクなシーンがあるが、それはゲームの世界であって現実ではない。だから平気だったのだが、そんな光景を目の当たりにすると、二度とそんなゲームをしたくなくなった。
思わずそんなことを思っていた深駆の背後に白服が迫ってきているのに気がつかなかった。
白服が後一歩まで迫った時に、その白服をヴィルが斬った。
「何やってんだ、お前は」
心底呆れたような声。はっとして振り向くとそこには背を向けたヴィルがいた。
「ヴィル、さん?」
「ほら、とっとと構えろ。あいつら蛆虫みてえに湧いてきてるからな。今のうちなら倒せそうだ」
「やっぱり、倒すんですね」
「他に生き延びる手段がない。師匠はかつて俺にこんなことを言っていた。『危険な世界で生き抜くためには敵を倒すことを躊躇ってはいけない。平和な世界で生きるためには妥協することを躊躇ってはいけない』ってな。今の状況で敵を倒すのを躊躇っていたら先に何があるか、お前に分かるか?」
深駆は首を横に振った。
「『死』、だ。ここに辿り着きたくないんなら、躊躇するな」
(そんなこと言ってもこっちは普通の高校生なのに)
思っても口には出せなかった。
確かにヴィルの言うとおりだった。それに倒すために今クレスケンスルーナを勝手に使わせてもらっているのだし、ルカからナイフを借りている。
「わかりました」
深駆は立ち上がり、自分の近くを通った白服を片っ端からナイフで倒していった。
その時の深駆の目には二つの恐怖に染まっていた。
一つは死への恐怖。もう一つは、敵を殺すという恐怖。それでも、生きたいという気持ちが強かったたら、その恐怖に怖気づく事無く戦えた。
白服の数が激減した。一度は増えた白服だったが、それ以降は増える事無くただ減る一方だった。しかもかなりの速度で。
その残った白服は咲の銃器以外の攻撃が届かない範囲まで逃げていた。届く咲の銃器も連射ができないからすぐに隙ができてしまう。だから咲も撃たなかった。
「どうする?」
「どうしましょう?」
「どうすんですかー?」
「どうしましょうかね?」
四人の間抜けな声が狭い塔の中に響いた。白服はからかうように飛んでいる。
「あんなのみるとすんごく苛々するんですよお。さっさと倒しちゃいたいのは山々なんですけどね。連射できないからすぐに隙ができるんですよ」
咲の言い訳じみた声も届く。
「あー、うっさい。言い訳すんな」
それを一蹴する声。残りの二人は何も言わずにうんうん唸って打開策を考えていた。
「ルカさん、みなひめの上に乗るのってできますか?」
「できないことはないですけど、誰が乗ります?」
「自分はのります」
「一人では不安ですね。ここはヴィルさんにも乗ってもらいましょう。地上からは私と咲さんが援護しますから、来たところをやってください」
「了解しました。ヴィルさん!戦闘準備してくださいって。みなひめの上に乗ります」
その声を聞いたヴィルは、
「あ、そう。お前だけで行くんだな」
と激しい勘違いをしていた。その台詞を聞いた深駆は呆れたけど、そんな風な顔を一切見せずに説明をした。
「いや、自分とヴィルさんの二人が乗って戦って、地上からはルカさんと咲殿に援護してもらうんです。そうすれば敵も絶滅するだろうって考えです」
「わかった。ルカ、頼んだ」
「分かりました。では上に乗ってください。くれぐれも落ちないように気を付けてくださいよ。みなひめは私にも見えないんですから。上に乗って落ちたら一巻の終わりだと思ってください。まあ、ヴィルさんは何がなんでも死にそうにないですけどね。深駆さん、無理なさらないでください」
「了解」
「了解しました。援護お願いします」
深駆とヴィルはルカが張ったみなひめの上に乗って戦闘を開始した。
「ルカちゃん、みなひめを操作しながら援護できるんですかぁ?」
まだ弾が少し残っている弾倉をとりかえながら咲。
「やるしかありません」
「援護なら僕ひとりでも何とかなりますですよ?」
ガシャンと弾倉をはめ込んだ音が響く。
「ルカちゃんはみなひめに集中してくださいな。あの二人とルカちゃんの援護は僕が引き受けまするぅ」
「・・・・・・」
「ね?」
「・・・・・・」
笑顔で小首を傾げる咲。その咲から視線を外し、ルカはみなひめをとりだす。
「あなたは私の援護をしてください。二人は、私が援護します」
咲はまた別の笑みを浮かべて
「りょうか〜い」
嬉しそうに言った。
空中にみなひめが敷かれる。といっても、視覚でとらえることはできないが。
ルカの合図で結界が張られたことを確認し、空中に足をふみだす。
聞きなれた『ポピン』という音で、はじめて結界の存在を確認できた。
「空中歩行ってこんなもんなのかねぇ」
今日はやけに独り言の多い深駆。
「かまえろ。来るぞ」
深駆のささやかな感動を微塵も感じないヴィル。深駆は、ちょっと悲しい気分になりながらも準備を整える。
「完了です。いつでもいけます」
「よし、いくぞ」
飛び回る白服たちにむかって、空中を駆け上がる。足元にタイミングよく、みなひめが敷かれていく。『ポピン ポピン ポピン』とリズム的に結界の音が響く。
深駆はナイフをとりだして、目を閉じ、想像する。ナイフが白服の眉間に突き刺さり、そして戻ってくるように。
別のナイフをとりだし、今度は喉元を引き裂いて、心臓を衝き、戻ってくるように。
なかなかグロテスクな想像をするなぁっとちょっと感心してみる。しかしその映像は、想像の中だけであって、実際にその光景を目の当たりにする勇気はなかった。だから目を閉じ、死に様を見ず、想像に専念する。自分が隙だらけになるのは承知だが、その分は、ルカたちがカバーしてくれると信じていた。目を閉じ、ただ、想像する。
戻ってきたナイフにわずかな温度を感じる。液体が滴る音、握ったときのぬめり。それら全てが、自分の想像の結果を示していた。
こみ上げてくる罪悪感。それを別の感情でふたをして閉じ込める。今自分のすべきことがわかっているから。やらなければやられるから。自分が、みんなが。
新しいナイフを取り出し、再び想像した。
地上ではルカがヴィルと深駆の援護をしながらみなひめを操作していた。援護といっても、ヴィルにその必要はほとんどなく、主に深駆の援護をしていた。
「な・ん・で・あの人は目なんかつぶっているのですか?!」
あからさまに怒りをぶちまける。
「あの人は、今までの戦闘で何を学んでいたんですか。まったく・・・」
呆れながら、深駆の背後に迫っていた敵にナイフを投げつける。ナイフは頚動脈にきれいに刺さり、動かなくなった固体は重力に従って落下する。
ドン っと背後で銃声が聞こえた。
「まーまー。そんなに怒んないでくださいよぉ」
咲は自動小銃をしまい、ランチャーをとりだす。
「それだけ、ルカちゃんを信頼してるってことですよぉ☆」
ランチャーに弾を詰め、向かってくる白の一行に向け
「きみたち、しつこいぞぉ〜♪」
ぶっ放した。
「・・・まったく・・・」
苦笑を浮かべ、再び援護とみなひめに集中する。
「そういや、ルカちゃん」
「なんです?」
「最近、なんか、表情豊かになりましたぁ?ね??」
「・・・・・・」
「うにゅ〜??」
「・・・そうですね」
素直に認め、みなひめに専念する。
背後からはくすくすと咲の笑う声が聞こえていた。
そのときだった。
突然、ルカのいる位置に影ができ、その範囲が序所に広がっていった。
頭上から「ヤベェ!」というヴィルの声が聞こえた気がした。
見上げると、ヴィルに斬られた白服がルカめがけてまっ逆さまに振ってきていた。
突然のことで、全ての思考を停止し、回避する。
目の前で、死体が潰れる。それを冷たく無視して、空中のふたりに目をやる。
一瞬の思考停止でみなひめの一部が消えていた。そして運悪く、それが深駆の足元だった。
「深駆さん!」
再びみなひめを敷こうにも間に合わず、落下する深駆。
「深駆さん」
駆け寄ろうとするルカを咲がとめた。
「ぬーちゃんなら大丈夫。・・・たぶんだけど・・・。今はぬーちゃんより残ったヴィンちゃんさんのみなひめに集中するです」
下唇を噛み、みなひめを操作した。