六つの花に宿りしキセキ

 

 

 

一般的な例に漏れず、私も勉強は嫌いだ。だけど、それが学校嫌いに繋がるわけじゃない。むしろ、好きな部類に入るんだろう。……そこは、仲の良い友達と、一緒の時間を、一緒の場所で過ごせる場所。だから、いきなりの休校に対しては、嬉しいと哀しいがごちゃ混ぜになって、なんだか複雑な気分になる。

「…ヒマー」

 突然の大雪で電車が止まったから、今日は休みです。そんな連絡網が、いつも通りに目覚めた私に回ってきたのはちょうど朝ごはんを食べ終わったときだった。漸く眠気が完全に去っていって、時計の針が示す事実にあわてて席を立つ頃。そのタイミングを見計らったかのように、電話が鳴り響いた。

 連絡網で知らされるまで一度も見なかった外の景色は、『白』。滅多に見ることのない雪が、さらに珍しいことに庭を一面に染めている。せめてもの憂さ晴らしに、その景色を睨みつける。今日借りるはずだったCDのタイトルを、頭の中に思い描きながら。……いくら睨んだところで雪が溶けるわけではないことくらい、わかってるけど。

 何をする気にもなれずに、ぼんやりと空を眺める。暗い色の雲に埋め尽くされた空、雲の中からちらほらと音もなく未だ降り続ける小さな結晶達。切り忘れたテレビから、〞異常気象≠告げる声が朝からずっと繰り返されている。その言葉に対し、思わず一言呟いてからテレビの電源を切る。

「〞異常気象≠カゃない年って、最後に来たのいつだっけ……」

昨年も聴いた記憶のあるその言葉には、もはや何のありがたみも存在せず。

どこからか聞こえてくる、子供たちの歓声。その声がはっきりと聞き取れることから考えると、おそらくこの雪はアスファルトにも少しは積もっているんだろう。一番近い公園にいたとしたら、その声は微かなものだろうから。

「元気だねー。……まあ、それもしょーがないか。私にもあんな時期、あったし」

 昔、祖母の家に行ったとき。初めて見たたくさんの雪に、時間も忘れてあの子と遊んだ。

「あれ?」

 

 あの子って、誰だっけ。

 

「……?」

 思い出すのは、白い服。黒い瞳。赤いマフラー。そして、綺麗で――今にもどこかに消え去ってしまいそうな、とらえどころのない笑顔。

 

『マリ、楽しかった?』

 

 今まで一度も思い出すことのなかったその人。あの子の名前は、何だったか。

 

『覚えててほしいな、ぼくのこと』

 

 私は何と答えたのだったか。あの、一度だけ遊んだ不思議な友達に。

 

「……えっと、たしか」

 

 彼は笑っていたし、私は子供だったから、もちろんとか何とか言ったのだろう。思い出せる限り、彼の表情は笑顔しか浮かばない。

 

『僕は    だから。今しか一緒に遊ぶことはできないけど』

 

「……〞よしき≠セっけ?」

 

『いつか、君がまた――くれたら、その時は、一緒に遊ぼうね』

 

 ぐるぐると回る、彼の言葉。どうしても思い出せない部分が何箇所かある。――彼は、何を伝えたのか。

 

 

 

 

「お姉ちゃん、だいじょうぶかな……」

 せっかくおばあちゃんのお家に遊びに来たのに、いとこのカナお姉ちゃんはかぜを引いちゃったって、おばちゃんに言われた。

 ほかのお兄ちゃんたちは、男の子だけで遊びに行っちゃって、お家にいるのは大人の人だけ。しかも、お父さんやおじちゃんは、

「たまの休みなんだから」

って、まだお昼なのにビールとか飲んでる。あんな苦いもの、なにがおいしいんだろ。

 しかたがないから、一人で雪で遊んでた。まだだれもふんでない雪にいっぱい足あとをつけたり、わたしの手と同じくらいの雪玉を、作ってならべたり。……でも、

「……やっぱり、一人じゃ楽しくないー」

 カナお姉ちゃんがいたら、いっしょにいろいろできたのに。でも、おみまいに行ったときのお姉ちゃんはとっても苦しそうで、遊ぶのは無理そうだった。

「じゃあ、ぼくと遊ばない?」

 いきなり声が聞こえたからおどろいてふり返ると、わたしと同じくらいの男の子。いつからそこにいたのか気付かなかったからびっくりしたけど、とってもうれしくなった。

「うん、遊ぶ!わたしね、マリ!」

 その男の子はにっこり笑って、名前を教えてくれた。

「ぼくはね……えーと、〞よしき≠セよ」

 

 

 

 

 名前を教えあった後は、二人で日が暮れるぎりぎりまで遊んだ気がする。雪玉をぶつけ合ったり、庭の木を揺らして二人とも雪まみれになったり。飽きることなくずっと遊んでいた。何故か鮮明に思い出してきたその日のことを、頭の中で反芻する。

「たしか、ほんと日が暮れる直前。よしき君が言い出したんだよね」

 

『もう、帰らなきゃ』

 

 日が暮れる前に家に帰るのは、普通で、当たり前のことのはずなんだけど。その時、何でかもう会えなくなるような、そんな漠然とした不安に襲われて、帰ろうとする彼を一生懸命引きとめようとした。

『まだ大丈夫だよ』

『わたしのお母さんに、よしき君のお母さんにれんらくしてもらえばいいよ』

『……ほんとに帰っちゃうの?』

 彼はちょっと困ったように笑ってから、私に突然言ってきた。

 

『マリ、楽しかった?』

 

 全然繋がっていない言葉に、泣きたくなったような気がする。何か言おうとした私に、それを遮るように彼は言葉を続けた。

 

『僕は、楽しかった。……こんなに遊ぶの、初めてだったから』

 

 言葉は柔らかい、だけど遮ることを許さないような響きを伴っていて、あの時、私は何も言えなかった。

 

『もっと遊びたかったけど、……これ以上は、無理みたいだから』

 

 それは、自分自身に言い聞かせるように。

 

『覚えててほしいな、ぼくのこと』

 

 無理だって、わかってるけど。そう続けた彼の気持ちが全然理解できなかった。忘れるわけがない、そう思ってた。現実には、すっかり忘れ去ってしまっていた自分が、ここにいるけど。

 

『君は今日のことを夢だと思ってすぐに忘れてしまうだろうけど』

 

 あまりにも鮮やかに蘇える記憶の中で、まだ思い出せないコトバが、少しだけ、ある。

 

『ぼくは、    だから。今しか一緒に遊ぶことはできなかったけど』

 

『いつか、君がまた――くれたら』

 

『その時は、一緒に、遊ぼうね』

 

 

 

 

コートを着ていても、少しでも風が吹くたびに寒さは襲ってきて、正直なところ、気分はサイアクだ。

「やめとけばよかったかな」

 手袋探しを途中で止めたことをもう後悔する。思い出せないのなら、再現してみよう。そんな単純な考えの下出てきた外は、予想よりも厳しい寒さで。小さな雪玉を一つ作るのにも痺れた時のような感覚を伝えてきていた指先からは、今は伝わってくるものはあまりない。ふと触れた頬だけが、正確な感覚を教えてくれている。

 まだ三十分ぐらいしか経っていないだろう。それなのにもうギブアップを訴えてくる自分の身体に、情けなさのあまりため息が漏れる。

「……ほんと、なんだったっけ」

 白い息を目で追って、なんとなくその場に座り込む。思い出せることは大体した。でも、何が起こるわけでもないし、何を思い出せるわけでもない。出てくるのは汗とため息だけ。

「骨折り損のくたびれもうけ、ってやつですかこれは」

 手元にある不恰好な雪玉を、壁に向かって投げつける。特に大きな音を立てるわけでもなく、それはあっさりと崩れ落ちる。少しだけ壁に残った塊が、どこか物悲しく。

「うーん」

 比較的球に近い雪玉を、そっと持ち上げて、なんとなく重ねてみる。不意に一つ、まだしていないことが頭に浮かぶ。普段なら、真っ先に考え付くような、単純な行動。思いつかなかったのは、それがあまりに単純すぎたためか。

「木の枝とか、あるかな」

 辺りを見回したけどほしい太さのものが見つけられなかったから、代わりに家の中から爪楊枝を持ってきて、それに突き刺す。

「お手手、完成ー」

 目は、一緒に持ってきたビー玉。小さい頃集めていたそれが、光を受けてきらきらと輝く。

「……あ」

 その輝きを見た瞬間、溢れ出す記憶。思い出すやり取り。――そして、彼に対する理解。

 

「マリ、久しぶり」

 

 聞こえるコトバ。顔を上げたその先にいる、変わらないその姿。ただ、その首にマフラーはない。

 

『ぼくは雪だるまだから』

 

 彼のしていた赤いマフラーは、当時大好きだったぬいぐるみのために母に作ってもらったもの。あのマフラーは、押入れの奥深くに。

 

『君がまた、僕を作ってくれたら』

 

 私は彼を、カナお姉ちゃんのために作った。元気になるように、という祈る気持ちと、誰かと遊びたいという、子供らしい気持ちをこめて。

 彼は、私のその感情から生まれた。

 

「久しぶり、〞よしき=v

 恐らくは、彼の名は〞由樹=\―ユキ。単純な、彼の本質を表す言葉。

 また、私は彼を忘れるかもしれない。夢だと思い込むかもしれない。――いや、これが夢なのかもしれないけれど。

「再会、おそくなっちゃってごめん」

 あの頃と同じ、変わらぬ笑顔を向けてくる彼に、私もあの頃に戻ったような気がして。考えるまでもなく自然に、言葉は紡ぎだされた。

 

 一時の〞不思議≠、今、もう一度私は体験する。

 

 

 

 

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