UNDER CONTROL
不毛な恋を、している。
「も、なんどやってもおんなじだって。いいかげん負け認めよ―よ」
トランプを投げ捨てて、恵が笑った。笑うと細長の目が一層細くなる。長い睫と短く切った芯のあるストレートは彼等の父親からの遺伝だ。黒い
パーカーにジーンズというラフなスタイルであぐらをかく彼女に、恩は手元のトランプをぱらぱらと落として見せた。
罰ゲーム付のポーカー、いつものツキはどこへといった結果。浅く溜息をついて見せて、苦笑と共に、
「わかった。俺の負けでいいデス」
「よっしゃ!オレの勝ちー♪」
久しぶりに恩に勝った、と恵はリビングから自分の部屋に駆け込んで、何か紙袋を携えて戻ってくる。
その双子の妹の美少年ぶりに、恩はコーヒーを啜って小さく笑った。
「恵、も少し大人しくできねーの? もう無駄だって思うけど、一応女の子じゃん」
「女の子ぉ? 好きで女に生まれたんじゃね―よ。そっちこそ男にしとくのもったいねぇって言われてんの、自覚アル? お互い様だろ」
むしろお前の性別よこせよとプロレス技をかけられて、ロープロープともがきながら、
「二人ならんでっとお似合いなんだってよ、兄貴」
別の意味でなと恵が呟いたのを聞いた。
二卵性双生児。
兄として生まれた恩は、背も高くならず、顔つきも猫目の美少年といったところ。
妹として生まれた恵は、女にしては背が高く、切れ長の目の美少年顔。
不意に沈黙した恵が、小さく、ほんとに男ならよかった、とつぶやいて、恩は顔をゆがめた。
妹が焦がれる女性を知っていた。
恋に、性別が邪魔していることも。
「恵」
「……わかってるって。大丈夫。ただ、苦しいだけだから」
恵は、紙袋をけって、恩を開放してフローリングに横になる。
「あーくそ、苦しいなあ。恩もこんなに苦しかった?」
トランプを片付ける手を思わず止める。
時計の音と、雨の音だけが漂った。
苦い思いを噛み潰して、できるだけ明るく囁く。
「苦しかった、じゃなくて、苦しい。現在進行形。恵と一緒。不毛な」
「……」
ジョーカーが手をすり抜けて落ちた。
「片思いをしてる」
+++
賭けポーカーの罰ゲームは、女装して街を恵とデート、だった。
何もなかったように明るくはしゃぐ恵に、指定されたプリーツスカートとセーターを着て、ブーツに足を通した。どれも一縷の望みを託して父が恵に買ってきたものばかりだ。
年末の街はにぎやかで、もう十二月も終るというのに雪はまだふらなかった。
「ほんと、似合うよな、恩は。なんつーかほんとに女つれてるみたいで目の保養」
「お前だって、男らし―かっこじゃねぇかよ。女にはみえねぇ」
言われ慣れてしまった恩は女装に恥じる事もなく街を恵と並んで歩く。ストリート系のメンズの服に身を包んだ恵は毎度のことながら女には見えない。
「……街なんて久しぶりにきた」
「あん?そーなの?って、げ、ひょっとして街避けてた!? わりぃ連れてきて!」
恵が思い当たる節があったとばかりに顔色を無くす。いいよ大丈夫と答えておいて、でもざわつく胸は街を拒否していた。
煙草の匂いが、香水の香りがすれ違うたび、心臓が潰れそうになる。
「全然大丈夫。それより、ずっと歩いてんの?」
「どっか入るか。あ、純さんの店行く?」
「げ、ってそれ素ではずい。店内にカタログあるし」
「いーじゃん女装してるし誰も気付かないってば、カタログに写ってんのは男だもんね」
恵が指を指した先には、finaleの文字。
デザイナーである純が手がけるブランドで、ユニセックスが売りだ。有名なバンドの衣装も手がけてるとかで、最近密かに人気の店。
知りあいの紹介で、恩はそのブランドの専属モデルをしていた。
「純さんいるかもしれねーじゃん。打ち合わせまだだっつってただろ?」
「そうだけど」
人ごみを歩くよりはましかとふと思う。
この店に入れば、少なくとも遭遇する確立は半分以下にへるのだから。
自分の中でまだこれほどまでに色あせない苦しみに、情けないなと苦笑して、finaleに入ることを了承しようと口を開きかけた、
そのとき。
すれ違った香りに、本能が反応した。
「……っ!!」
考えるよりも早く、振り返っていた。
じんわりと麻痺した頭が、その香りを知っていた。
反射的に涙が滲む。心臓が止まりそうになった。
「どうしたぁ、お……」
立ち止まった恩に、恵が声をかけようとしたとき、
人ごみの中、一人の男が勢いよくこちらを振り向いた。
整った顔立ちの男が視線をさ迷わせ、
しっかりと恩の顔を見た。
薄いその唇がお、の形を作ったとき、
「恵、ごめんっ!!」
「え、ってちょっと!!」
耐え切れなくなった恩が、きびすを返して走って逃げた。
取り残された恵が呆然とする前を、
「待てよ、恩!!」
黒いコートを翻らせて男が走り抜けた。
「あ」
その顔、その身体に纏う香水の香りに、恵は思い当たる。
恩が一度だけ、自分に涙を見せた時、傍らにあった雑誌と、香水のびん。
まだ不毛な片思いをしているんだと言った恩の言葉を思い出す。
「恩……」
まるで自分の事のように、心臓がざわついた。
+++
待てよ恩、と呼ばれたのを後ろに聞いていた。
気付かれてしまった。
その声の通りのよさも、低さも、記憶の通りで、どうしようもなく動揺してしまう。
人ごみを避けながら、走り続けて、だんだん寂れた通りに入っていく。
ぶつかりかけてよけながら、追いかけてくる気配に泣きそうになった。
置いてきてしまった恵の事が気になる。
気付いたかな。気付いてしまっただろう。
あのとき、涙が止まらなかった恩の傍らに恵はいたのだから。
あの時。
一人になってしまったあの時。
記憶のリフレインに、走りが遅くなる。路地を細道に折れたところで、
「恩!!」
「や……っ」
追いつかれた!!
コンパスの違いか、すぐ背後で耳に馴染んだ低音が名前を呼んだ。
スカートで心もとない足元がもつれて、ブーツのヒールによろめいた恩の身体を、
……っっ!!
肌に馴染んだ腕が後ろから支えた。
思わず身をよじった恩を、その腕は離さない。
「恩だろ。何で逃げるんだよ」
その声に、かぎなれた甘い香り。
何もかも、変わってない、荒い息の奥から、必死に穏やかな声をだそうと努めるところまで。
身体を反転させられ、壁に追い詰められて、はっきりとその顔をみることになる。
鋭い強さを持った目元も、
暗闇の色の髪も、
薄い唇も。
「……っ」
何もかも、そのままで。
思わず呼びかけたその名を、だけど、必死に押さえ込む。
今、名前を呼んでしまったら。
今、確認したら、もう、やばい。
もう、後戻りできなくなる。
別れたけど、まだこんなに好きだから。
でもまだ間に合う。
女装してるし、他人のふりしたら、なんとかごまかされてくれるだろう。
これ以上、踏み込む前に。
それが、あの時の約束だったから。
「恩」
「あの。わ、私、恩って人じゃないです」
「……恩じゃない?」
必死に作った声色に、相手の手が一瞬ゆるむ。
このまま、勘違いだったと信じて去ってくれ。
たのむから。
もう、これ以上、耐え切れない。
戸惑うように口をつぐんだ男の前で、恩は俯いた。肩口が小さく震える。
「別人だっていうのか」
「はい」
「ふざけるな。いいかげんにしろよ恩」
「!!」
「俺がお前を間違えると思うのか」
思いがけない言葉に顔をあげると、その顔がかすかに怒りをうつしていた。
「あ」
間違えるわけがないと断言され、混乱した身体を、
「恩。会いたかった」
きつく抱き締められた。
その、香水の香りと、煙草の交じった香り。
肌に心地よく馴染む温度。
大きな手の平、大きな身体。
一年以上、捕らわれつづけた、記憶通りの。
「ま……っ」
柾谷(まさや)。
震えた声を、柾谷は聞き逃さなくて。
「やっぱ恩だ」
そのくすぐったいような、困ったような顔を近くに見た、と思ったら、
「ん……っ」
柔らかく唇をふさがれた。
もう、戻れないと。
その時、おそらく、互いが感じていた。
+++
カランッ
「ここは?」
「ジャズ喫茶。個室あるし、信用できるとこだから」
沈黙のまま連れてこられたのは、街のはずれ、静かな通りの高層マンションの半地下の部分にある喫茶。
地下に階段を下りて重い扉を押し開けると、サックスの音が耳に飛び込んでくる。
コートを脱いでコート掛けになれた手つきで掛ける柾谷に、奥から眼鏡のバーテンダーがいらっしゃい、と微笑んだ。
「こんにちは、昼の部なのでまだお酒は出せないんですけどいいですか?」
「かまわないよ。店長いる? 個室使わせてもらいたいんだけど」
「店長は不在なんですけれど、柾谷さんは上の方ですしかまいませんよ。今ご用意しますね」
「上の方?」
バーテンダーが奥に戻っていった後、首を傾げると、ああ、と柾谷が優しく笑った。
「俺、今この上のマンションに住んでるから。だから『上の方』」
「この上に? 引っ越したんだ」
記憶にあるのは、街の喧騒の中にあるアパート。何度も身体を重ねた、八畳の部屋。
まだ、苦しみを知る前の、ただただ幸せだった頃。
ざわざわと落ち着かない心を持て余した頃、奥からバーテンダーが、ご用意できました、と告げた。
奥のドアを通り抜けると、広めの個室になっていた。中央の革張りのソファに腰掛けると、柾谷がコーヒーを二つ注文した。
「最近、どうしてた。モデルはやめたのか? 女装は良く似合ってるけど」
黒いタートルネックに、ジャケットが良く似合う。柾谷が恩のスカートを示して小さく苦笑した。
「あ、これは、罰ゲームで。モデルは……続けてる」
「うちの事務所から移籍したのか?」
「や、そうゆーわけじゃないけど。知り合いに紹介されて、ブランドの専属やってる」
「そうか」
「そっちは……相変わらずみたいだな。たまにテレビでも、見かける」
運ばれてきたコーヒーを口に含み、柾谷が笑みを消した。
「……それが、約束、だったろ? 二人は二度と会わない。俺は、一流のモデルになる。約束を守ってるだけだよ。ああ、二度と会わないってやつは、今、破っちまったけどな」
「それは……っ、」
コーヒーの苦さが、そのまま胸に落ちる。
会えて嬉しいのに、こんなにも苦しい。
背徳感を、抱えたままで。
再びやってきた沈黙に、ぽつんと柾谷が、マネージャー変えたよ、と言った。
マネージャー、という言葉に、表情を曇らせた恩の頭を撫でておいて、柾谷が鋭い目元を柔らかく崩した。
「んな顔するなよ。事務所長との共通の意見だから。あいつは、固執しすぎた。地方の方にとばされたよ」
信頼できるとこだけど、さすがにこれ以上はここじゃな。
部屋に行くかと腰をあげた柾谷に、恩がひるむ。
部屋に行ってしまえば、もう決定的に戻れなくなる。
またいつか同じ苦しみを味わうよりはと、逃げ腰になる恩を察してか、
「俺は、もう逃がす気はないけど?」
「な……っ、」
真っ赤になった恩に不敵に笑んだ口元が、
「悪いけど、この一年半、結構きつかったから。も一回あってしまったから、もう修正はきかない」
続く