その、10分前。
「大佐、大丈夫ですか?」
思わず眉をひそめた中尉からそんな優しい声をかけられるくらいには、大佐は疲弊していた。ここ数日、自宅にも帰っていない。日中に部下に着替えなど必需品を取りに行ってもらうだけで、ほとんどここにつめていた。
常日頃はサボり癖がひどいロイだが、このような、全体がどうしようもなく多忙な時は率先して自分自身をこき使う癖があった。
今回もその癖をいかんなく発揮し、本当は出なくてもいい現場にまで出てみたり、書類に埋もれてみたりと、日頃彼のサボりのとばっちりを食らう部下達でさえ心配してしまう日々が続いていた。
その彼が、ついに真っ青な顔をしてデスクに突っ伏してしまったのだ。
疲労のあまり、そのまま寝ることもできない様子のロイに、フュリー軍曹がコーヒーを入れようと腰を浮かせる。
その時、ゆるやかに首を上げたロイが、書類の合間からホークアイに懇願の声をあげた。
「中尉、電話を……したいんだが」
「どこへです?」
ふらふらの状態の彼にまともな電話のやりとりなぞできるのだろうか。
代われる電話であれば代わりにと思った彼女に、仕事じゃないのだと首を振ったロイは、悲痛な声で、目的を告げた。
「愛しいジャネットへ、頼みごとをしたくてね」
堂々と、女にかけますと宣言したも同然のその言葉に、やはり大佐は大佐だったかと脱力しかけた部下達だったが、その中で一人、ホークアイは訝しげに眉をひそめ、
「ジャネット、ですか」
何かを確かめるようにそう呟いた。それに肯定をあらわしておいて、ロイは書類に再び突っ伏す。
そのまま、ペン先をくりくりいじりながら、ゆっくり言葉をつむいだ。
「そう。今日は確か、彼女の仕事は休みのはずなんだ。明日は午後から出なくてはならないし、久しぶりに一緒に過ごしたくて」
きっと、ながらく放って置かれてさびしい想いをしているだろう、と微笑んだその表情に、思わず部下一同、息を呑む。
なんて、愛しそうな顔をするんだ、あの大佐が。
おそらくその場にいたホークアイ以外のメンバーの心は同じ言葉を叫んでいたはずだ。
その中尉はというと、何やらじっくり考えてから、しょうがないですね、とあきらめたように、電話の受話器を持ち上げて大佐に渡す。
「最近大佐が疲労しきっておられるのは事実ですから。これ以上使い物にならなくなる前に、早急に手を打ってください」
「ありがとう」
心から嬉しそうに笑って、(最も、その笑顔も多分に疲れてはいたのだが)、ロイは固まる部下を尻目にいそいそと外線電話をかけた。
「やあ、私だが」
電話に思っていた相手が出たのだろう、とたんにロイの表情が明るくなる。
「やあ、ジャネット。君に電話するのは久しぶりだね。…………ああ、そうかね?まあここ数日ろくに寝ていないからな。そろそろ君の暖かな胸に包まれて安らかに眠りたいよ。そこでジャネット、相談なのだが、今夜は私の家に来ないか?君の手料理が食べたいな」
大佐が外食デートじゃなくて自宅に女性を呼んで手料理だと!?
思わずフュリー軍曹はコーヒーカップを取り落としかけ、ブレダは書類にインクをぶちまけかけた。
不特定多数の女性とスマートなお付き合いをするロイ・マスタングという男は、プライベートエリアには女性を近寄らせないことで有名だ。
そんな男が、手料理を、なんて!
だが、部下達の驚きはまだ続く。
どうやら、何がたべたいか聞かれたらしい雰囲気の中で、ロイがふと考える仕草を見せた。それから、
「そうだな、最近あまり食べていないので、あまりハードなものは胃にこたえそうだよ。ひょっとしたら仕事で遅くなるかもしれないが、気長に待っていてくれ。明日の午前中までゆっくり過ごそう」
過ごそう、と囁いた彼の表情に、固まっていた部下一同、うっ、と頬を染めた。
なんて愛しそうな顔するんですか大佐!!
短いがラブラブな電話はそれで終わり、
「じゃあ、また後で」
と囁いたロイはさきほどまでとは打って変わって晴れ晴れとした顔で仕事に戻ったのだった。
あのホークアイ中尉に「本命」と言わしめ、疲れ果てた大佐を一発で復活させる女性。
「一体どんな女なんだ……??」
ブレダは思い切り首をかしげた(ちなみにホークアイからのお咎めはなかった)。
そういえば、大佐のもう一人のお目付け役が今日は休みだ。
明日、このことを話してやろうとわくわくしながら、ブレダは親友のハボックを思った。
後々の特殊任務の際、ハボックに「ジャネット」ではなく「ジャクリーン」をコードネームとして使ったのは、相手がハボックだということを周りの部下達に察知されないためのホークアイ中尉からの忠告からだったとか。
コメント:結構気に入ってます(笑) 。さりげにらぶらぶです。うふふ。できれば続編?も書きたいな。楽しい!
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