半ば呆然として、ヨレイエはその本を閉じた。 一番安い紙を使い、製本技術も拙いそれが妙に重たく感じる。まだ、ざっとしか呼んでなかったが、何とはなしに話の終わりもみえた。 領主が求めるので、下の中でも紙は値段に糸目をつけなくば、たやすく手に入る。シャームとしては、書き記せれば木っ端でも土でも構わないのだが、足りない場合そこらに書き綴りかねないので、ふんだんに与えてある。それで一応は、落書きのない領主らしい部屋、会議室、謁見場を保っている。 場末はどうだかしらないが、領主の好みが博学の女ということで下の方でも識字率は高い。 ーーだから、こんな物がかかれるのだ。 全身を使って溜め息を吐いてやりたいが、とっても嬉しそうに冊子をひねくり回している主を目の前に、そんな根性沸いて来ない。その上、被害を受けたのはヨレイエだけでないらしく、ソファーに、灰色の屍がある。突っ伏したまま、ぴくとも動かないそれにどれだけの同情を寄せても足りないと思う。 埋めてやったほうがどれだけ親切だろうか。 「もう一度、聞きますが、これをどこで手に入れて、なんのために持って帰ってきたと言うんですか。」 「浄華のとこで、馴染みに、こんなの知っているかと見せられたから、徴収してきた。何のためって、もちろん見せびらかすためでしょー。」 ぱたぱたと紙束をーー恐ろしい事に貰ってきたのは一冊でなかったらしいーー振って、機嫌良さそうにのたまうのは、ここの主で、最強の魔道士だ。本当に最強かどうかは知らない。だが、術の発動の遅い魔術師ならば、まだ人道に捕らわれる魔導士ならば、研究に没頭して日常に関心のない魔道士ならばまだしも。 「うふふふふふふふふ、やっぱり持つべきは、気心知れてる友人だよなー。」 ええそうですね、そういや前、媚薬だかなんだかっての、貰ってきましたね。で、役に立たなかったって言ってましたよね、…………何に使ったんですか。誰に使ったかは、いいですから。 「うひひひひ、続刊出たら手に入れてもらおーと。」 …聞こえない、聞こえない。 普通、領主ほどになれば、表立って民草に弄られる事はない。裏で何を言われるか、それはともかく、上からの暗黙の圧力で、ある程度抑えられることがよくある。少なくとも、猫に仮託してお話を作られることがあるとは、初めての経験だ。 ただ、シャームがモデルになったそれは、大変めずらしい。 正確には、好意的に捉えられているものは、がつくのだが。 浄華の街は、他の領土に包まれるようにしてあるので、領主であるシャームが取り締まらないのもあり、他の土地の風刺的な落書きが書かれる事も戯曲や話がいつのまにか、広まっている事がある。そこでのシャームといったら、好色か魔王あたりである。ーー否定は出来ない。 しかしまあ、よく理解しているよな、この話。 もう一度、文字は追わず、ぱらぱらと流し読みをしてみる。時折塔に現れる胡散臭いおっさんが、シャームと同じモノとわかったもんだ。 ちらりと主に目を遣り、考える。 この書いた相手は、目がいいのかもしれない。特殊なものを見ることが出来るのかもしれないし、ただ単に見渡す目があるのかもしれない。どちらにしても、人材の把握は必要だ。 「うん、これは残しておこう。おもしろいし。」 どこぞから、赤いビロウドと金の縁飾りの宝物箱らしい宝物箱を取り出し、恭しく冊子を置き、がちりと手の平にも収まらないようなごてごてとした鍵で施錠をしてしまった。 ……スカウトの件は、保留にしよう。 あんなもの引きずり出すほど、気に入っているというなら、身近にいないほうがいいに決まっている。 それにしても万が一、この街が征服され、万が一、この魔王を倒した者がいたとするならば、……なんて、世界破滅を願いたくなるようなアイテム入れるんだ、あんたは。 視界の隅で、ずるりと灰色の物体が起き上がったのが見えた。 「ディーズム、もっかい読む? 」 「やめてくれ、…笑いすぎで吐きそうだ。」 わらってたんかい。 「イイ趣味しているようだな。」 「だろ! 」 ーーーーあるじさま、確実に皮肉ですが、それ。 しかし、じりじりと転進を試みる為に、察知されない程度に射程外まで後退をしているヨレイエには、突っ込めない。知らぬ存ぜぬと自己暗示を掛けるには、さっさとこの場を後にしたい。 「ヨレイエ。」 「はい?! 」 「夫人はあいもかわらず多芸だな。」 不意を突かれ、一瞬棒立ちになったが、そんな記憶もあてもない事を言われても困る。特にシャームの矛先が向くのは冗談じゃない。 「なんで!? 俺が知るわけないでしょうが! ーーあー、用事思い出したんで退出しますっ! じゃ!! 」 「ほー、ヨレイエの知り合いなんだー。」 「いや、記憶違いだったかな。」 「罠に掛かったエモノに哂ってみせて、何言ってんだかこのおぢさんは。」 おしまい |