おなかすいた。ねむい。ねちゃだめか。ごはん。ごはんたべないと。おきるの、なんにちあとになるかな。よれーえに、たのんどこ。ああ、なんでこんなにねむいんだろ。
 ゆっくりと段を踏んでいって、少なくとも20%は階段を上る事だけに集中する。もちろん、後の80%は前述の欲望が、浮きつ沈みつ不安定に飲み込まれそうなほど渦巻いている。
「…ねむいの。おなかすいたの。ーーああ、このくそ、カギ入らねえ! 」
 震える手の内で、三度目にがちりと金属が噛み合う音がした。ひとつ溜め息を吐いて、ぶるりと体から何かを振るい落とす。
 扉の外の、日常は妙に白っぽい気がした。



「あーるーじーさーまーぁ? てめえ、何やってたんですか。」
 廊下のどん詰まり、壁に掛かった織物から出てきたシャームに、壁に寄り掛かっていた身体を起こしてヨレイエがぶっきらぼうにのたまった。
「ああんー、ヨレイエー。」
 妙な嬌声を上げ、がっしりと相手の腕を掴む。それに思わず、落としそうになったトレイをしっかりと持ち直し、金剛夜叉。
「まてこら、違うだろ。足にすがり付いてくるのに蹴りを入れるのが、正統派だろ。」
「シャーム、蹴ったのは悪かった。けど、何を言っているのかさっぱり分からない。」
 はてと首を傾げ、先ほどの思考を思い描こうとしたが、霞にかかったように思い出せなかった。多分にデンパとやらを受信したのだろう。
「うん、気にすることじゃないね。で、それ何で持ってんの。」
 その「気にすることじゃない」を激しく気に掛けながら、ヨレイエは食堂からも部屋からも遠く離れた人のいない廊下で持っていた軽食のトレイを見下ろした。
「ああ、くれるのか。」
 ようやく思い当たったように、切り分けられた果物を摘む。あまりに普通なシャームだと思っていたが、どうやら隠しているだけで頭の回転はめっきり落ちているらしい。
「あるじさま、下で何食べてたんですか。」
「てきとーに。」
 果物皿を片付け終わり、指をしゃぶりつつ距離を置く。
 『あるじさま』と呼ばれる時は、揶揄か説教の予感。ついでに、ヨレイエは雇われ護衛上がりだから、手が出る足が出る角が出る。
 地下に篭っている間、酒だけをかっくらっていたシャームには、まだトレイに残っているスープも菓子も魅力的過ぎたし、ヨレイエを怒らせて追い掛け回されるという余計な浪費を重ねたくなかった。
 誤魔化すに限る。
「傷薬の改良を思い立っちゃてさー。ちょっといろいろ混ぜたけど安定しなくって、ある程度の期間損なわれないのが出来たのが、さっきでさー。ほんとに確立できたかわかんないけど、ひとまず完成したみたいだから、出てきたんだけどさー。」
「おい。」
「あ、動物使っての実験は、これから使い魔にさせるから。塗り薬だから、豚集めといて。一年間ぐらいして、ダイジョブそうだったら、薬買いに来てる他国にまわして。不具合でそうになかったら、本格的に町にまわそう。で、買いに来るやつらの帳簿があったよねえ。」
「おい。」
「なによお。」
 珍しく心配そうな顔をしたヨレイエが、顔を覗き込んで、ゆっくりと言い聞かせた。
「なんで、予知の欠片のない俺が、どうしてメシを持って、あるじさまが出てくる時間にここに立ってたと思うんだ? 」
「おや。」
 あのトレイの中身は自分のものだとシャームは決定する。他の人のものだと蹴りがくるし。ここにいたのは、それなりに自分を心配しているといっても、いつでるか決めてないのを待って、ここにいることはないだろう。見回り中偶然ならともかく。それより、予知といえば…。
「ディーズムちゃん。」
「来てますよ。」
「うわっ! どこ!! 」
 首を巡らしたシャームに、しみじみと心配そうな顔になって、ゆっくりと告げる。
「昨日から、シャームの部屋に泊まってますよ。」






 シャームの部屋には鍵はない。大体、この塔だって、入り口には鍵はないのだから、あたりまえなのだが。
 一応は、この塔に部屋を持つ者なら鍵を取り付けていい事になっているが、只単に精神を休めるだけのものだ。この塔が建ってから、何年も何十年もそれどころか百年以上、術を重ねて重ねて、そこらの要塞が目ではなくなっている場所は、それがなくともがっちりと護られている。
 その術の施行者は現在、猫みたいに足音を忍ばせて自分の部屋に忍び込んだところだ。
「おー、ねてる。」
 扉を開けた途端に、ソファーで眠っている相手を認め、出来るだけ音を立てずに近寄る。少々睡眠をとるつもりだったのだろう、顔に本を被せて、微かな寝息を立てている。
 一緒に寝た事があるーー残念ながら、添い寝だがーー相手だが、わざわざ寝姿をまじまじと見る事はなかった。普通は、そんな事をする筈はないから。
 ぼうとディーズムを眺めていたが、思い直してソファーと対になっているテーブルにトレイを下ろして椅子を探す。テーブルに対して少し高めの椅子しかなかったが、しょうがない。
 ゆっくりとスープを掬い、最後にパンで犬が舐め上げたかのように皿をぴかぴかにした。
 最後に砂糖菓子をとも思ったが、それは起きてからにしよう。
 喜び勇んで帰ってきた対象は寝たままだ。なんとなく、暇を持て余している気分になる。腹もくちくなったし、後は睡眠をとるだけだが、どうしてディーズムはこっちで寝ているんだろう。泊めるようになってから、だだっ広い寝床で寝させていたじゃないか。あっちで寝ていればいいのに。
 まったくだ、ベットで寝ればいいじゃないか。大体、泊まらせる時はいつも一緒だったじゃないか。それともずっと、自分が勧めるから厭々だったのだろうか。それはひどい。それとも、ここの主である自分に遠慮して、ここで眠っているのだろうか。………………ディーズムに遠慮? あるのか?
   ーーなんとなく、はらただしい。
 相も変わらず、健やかな寝息を紡いでる相手の隣に立ち、
「ディーズム。」
 呼ぶ。
 何もかも知らなくてもいいけれど。ーー余計な事を把握しているなら、コレだって知っていたっていいだろうに。
 深い眠りに落ちているからか、ぴくとも動かない。
 呼吸三つ分眺めていたが、膝をつき、本を取り上げようとして、やめる。腹の上に置かれている手の平に触ると、いつもよりあたたかく、シャームの眠りを引き摺りおこした。
 くそう、ここで眠ってやろうか。
 手の平に頬を摺り寄せ、半分眠りうつつでココで眠れるか算段を取ってみる。ムリ。隙間がない。
 ふと手を伸ばして、ソファーから流れ落ちそうになってる、灰色の髪を撫でる。
 馴染みとは違う、それをいうなら魔力を髪に溜めてない人達とは違う、脈動を感じて、手を引っ込めた。
 知り合いはいるものの、魔術士の髪に触れるなんて有り得ない。ディーズムの手を離して、目を覚まさせないように、おそるおそる、もう一度髪に触れてみる。
 処理が巧いのだろう、術の発動もようように覚らせない相手の魔力の媒体が、手の平の内にある。一本ぐらい引き抜いてやろうかと一瞬思わなくもなかったが、簡単に結末を予想させる。
 ゆっくりと息を吐いて、のそのそと頭の方に近付く。
 で、自分は、この男に何を期待しているのだろう。
 半分本の下に隠れている顔を見ながら、半分停止している脳みそを捻ってみる。
 或る意味、魔道士として同胞だ。そんなには知らないが、意気は合う。別段苦手な所もないし、長時間傍にいても、平気だし。ーー確定できないが、あの時々の人なら借りがある。
 はて。それだけじゃないハズ。
 近くに感じられる癖に、自分には馴染みのない感覚。
 他人の髪を握り締めて悩んでみたものの、脳みその八割が両手を挙げている。そりゃそうだ、地下の実験室という触れ込みのところに篭ってから、満足に睡眠を取りもしなかったんだから。だけれども、それだけでもないような気もないようななくないような。
 それにしても相変わらず、すこすこと眠りやがって。魔力の塊の髪に触れられて、まだ眠り続けるか。
 勝手に難題を拵え、答えが今でない事が分かると、シャームは苛立ちをディーズムに転嫁した。
 顔に伏せている本を取り上げるのは止めて、鼻を摘むのを止めて、濡れ布巾は傍になかったので止めて、口を塞いでみる。…いやまあその口で。
 バカな事をしたと思ったのは、した後。
 何をやってるのかと自答してみたけれど、何が分かるわけでない。少なくとも嫌悪はない。もともとボーダーは、薄いと言われ続けている。馴染みの女とそう変わらない感触では、拒否反応も起こらないだろう。疲れている時はそうなると聞いた事があったが、そういうのではなく、ただ判断力が底をついただけのような気がする。それとも理性の下にあったのだろうか、こんなものが。
 灰色の髪を握り締めて、相手の下唇を食む。好い加減呑気なものだという思いと、こういう機会はそうないとそそのかす自分に賛同する思いもある。
 大体、眠り呆けているのが悪いのだ。そういう無防備さを晒した時点で、悪戯されるという事がわかってないと。うんうん、ろんりてきだ。
 確実に周りから罵倒される事を捻くりまわしながら、身を乗り出して相手の口をゆっくり舐める。どこまでなら相手は起きないかという予測と、遊んで欲しい犬みたいだという思いと、上に乗り掛かって睡眠を取りたいという希望、が混じり合って一刻も早く止めなければならない事を先延ばしにしていく。
 だしぬけに身じろいだ相手に、猫並みに飛び上がり後を見ずに逃げ出した。

 扉が叩きつけるように閉められる音。
 それからゆっくりと、10数える。
 ゆっくりと顔に被せていた本を取り、身体を起こす。両手で顔をこすり、ゆっくりと溜め息を吐いた。
「面倒臭いことを……。」






 塔には名前がない。だから主に、代名詞かそのままに『塔』、『中心地』など適当に呼ばわれる。
 特に名がついてないという事で不便はないが、その中心地で領主であるシャームの住む塔の天辺で、何者かが落ち込んでいたり、ましてそれが当主であったりしたりすれば、それは問題だろう。
「で、なんだってあるじさまは、そんなとこで黄昏てんですかねえ。首が痛くなってきたんですけど。」
「キューンキューン。」
「はっはっはっ、『キューンキューン。』ときましたか。てめえ、さっさと下りて来やがれ。」
 テラスから、最上階の屋根の上の相手を睨みつけ、ヨレイエは怒鳴りつける。膝を抱え座り込んでいるのは、子供より聞き分けのない相手だ。
 犬の鳴き声が通用しないなんて、ヨレイエは人間だろうか、などと自分を棚に上げつつ、シャームは思う。
 大体、どうしてこんな所にいるか、しかと覚えてないのだ。他に考えることがあって。
 寝場所なら、馴染みのところに寄るなり、ヨレイエに新しく部屋を空けさせるなりなんなり出来る。それで、すむ問題なら…。
 ガコッ。
「ってぇ! なんでか屋根に靴が落ちてきましたよ?! 」
「うるさい! さっさと下りて来い! ボケ! 」
「あれれえ? なんでヨレイエさん靴かたっぽなんですかあ? 」
 すっと苛立ちを引っ込め、身体を引き締めたヨレイエに、少しだけ感情が冷める。絶対数には足りない。
 常ならば、これぐらい気に障る事はない。或る意味万能なシャームの認識力は低い。おもねる事のない周りの存在は重要だ。力でも、地位でも勝てない相手のフォローが素で出来る相手は得難い。その相手との関係を壊しかけた。
 ぐったりと膝に額をこすり付ける。
 うっわー、大人気ないって思われたな。何時もなら平気なんだけど。そういやー、考え事ん時は思考を遮るモノはなんであれ、攻撃的になるからせっかく地下作ったってのに。だってしょーがないでしょ、コレまでの性癖がひっくり返っちゃたんだから。あー、そういえば、ディーズムには何かを遮られたって感じた事がないな。
「どーでもいいんですけど、シャーム、あんた仮眠でもとったのか? メシは。」
「うー。」
「原因はディーズムか。」
 なんで当てるんですか。
 考え込むような態度のヨレイエに一言投げておく。
「ディーズムに聞きにいくなよ。」
「では、話してくれるって言うのか? 」
「むかーしむかし、あるところにじい様とばあ様がおったそうな。」
「ヨレイエ、シャームは上か? 」
「上ですよ、昔話でも聞きに来たんですか。」
「…昔話? 」
 訝しげな声に、届かない所届かない所とじりじりと屋根の縁から離れながら、心底負け犬精神に成り下がってみる。今の状態ではどうも処理がつかない。見ちゃあダメだ。塩の柱になる。
「あるじさま? ーーディーズム、つかぬことを伺いたいんだが。」
「まてこら、ヨレイエ。」
 矛先を変えた部下に、かさかさと縁に寄り少しだけ顔を出す。じゃあ、あんたが話してくれるとでも言うんですかという目で一瞥されて、またディーズムに視線を戻された。今更ながら、身形正しい中年の格好がにくい。中身はシャームとどっこいどっこいと思われるのに、外見で信頼されている。魔術士ぽくない格好なら、おなじだというのに。
 一方の当人は、ヨレイエとシャームを等分に眺めてから、判らない顔をして屋根の上の猫に声を掛ける。
「シャーム、下りて来い。」
 手を差し伸べて、まるでご飯の時間を教えるかのように日常の声で。
「顔を見に来たのに、そう手間を掛けさせるな。」
 手を差し伸べられて、そう言われたら、ころりときてもおかしくない。欲しい言葉といつもの態度で、懸念ごとがなくなったと思ってもしょうがない。
 普段通り、なんて考えずとも隣に立とうと縁を蹴って、見てしまった。
 罠に掛かるかどうか観察している目を。
 ざっと血の気が引いたのと同時、反射的に方向転換をしようと捻った身体は蹴りひとつで、塔から弾き出された。
「シャーム! 」
 こういう場合、把握していない者が割りをくう。
「あんた何を! 」
 ディーズムの喉に帯剣していたモノをあて、詰問する。これで相手が言いなりになるとも思えないが、抑制にさえなればよい。『魔術士切り』でもないヨレイエには重荷であるものの。
 部外者(ヨレイエ)にしてみれば、あるじが特に気を許している相手のまさかの凶事だ。ディーズムが全面的に悪い。……だが、あるじの他人の恨みを買う性格を知っている。特に今日はおかしかった。
「別にたいしたことはしてないと思うがね。あれぐらいでかすり傷のひとつもあったら、謝るが、まあありえないね。」
 悪びれずのうのうとディーズムがのたまう。
「下を見てみれば分かるだろうが、ちゃんと着地しているだろう。」
 或る意味諦めた。
 あるじがいなくなれば、この町々はこのままではいられないであろうし、つき落とされたくらいで死ぬようなタマだったら、他の者もやりやすかったろう。それで、このあるじの友人があるじをあやめる能力があればーーあるんだがーー、仇を討てる筈がない。
 形だけであると知りつつ、喉に刀を当てたまま、テラスの縁に引っ立てる。ディーズムも抵抗せず、ついて来た。下に目を凝らせば善華の庭。瞬きひとつ、慶華、浄華……いた。しゃがんでいるシャームに女性が話しかけていたが、肩を竦め行ってしまった。
 上からでは詳しくは分からないが、血だまりもなく、倒れたままでないようだから死んでないだろう。少なくともあの人物は。
「冗談にもほどがある。」
 溜め息代わりの独り言に、憮然とした様子でちらりと下を見た。
「冗談? まさか。躾だ。」
「あるじは体調が万全でなかった。それなのにあんなことをするのか。」
「そのわりに、友人の寝込みは襲えるようだな? 」
 ………………。
「……えーと? 誰の、いや、なんていうか、どんな? いや。」
 どう考えても知りたくないことばかりだ。
 剣が妙に重たく思えて手を下ろした。
「否も諾も出来ないときに、勝手に人の身体に触らないで欲しいものだがね。手を出した相手も無意識ならともかく、きちんと意識があるのだから、見過ごすつもりはない。」
「ーーーーう、うちのあるじが失礼しました。」
「ああ、気にしないでくれ。今先ので気が晴れた。」
 猥褻行為と普通の人間なら死ぬ暴行と、罪の重さを考えてみたが、結局ヨレイエは問題を丸投げする事に決める。何で規格外の人間にあわせなきゃならないのか。あるじの性格から言って、腹を立てたら地の果てまで追い掛けるから、気にしない事にしよう。
 っていうか何であのあるじは女性と情を通わせるくせに惚れるのはおっさんなんだよまだ普通の奴ならどうともできるだろうによりによって手ぇ出しづらいもん選んだんだよなそういやあの部屋にクギさえ泊めなかったのに珍しいと思ってたんだがこういうことかよそれにしても馴染みたちにばれたらどうやって説明すればいいんだ君たちよりおっさんのほうが好みだったようですあははははとかかよぶちぶち。
「あ、ああそうだ。部屋を用意させましょうか。」
「いや、いい。どうやらあのまま眠ったようだな。悪戯はできまい。下のシャーム拾っていくから、あとは任せた。」
 おもしろそうに下を覗いていると思ったら、そういうことか。しゃがんだままで、顔を俯けて、時折かくりと体勢を崩す。
 思わず、目掛けて鞘を投げれば面白い事になるんじゃないかという衝動をねじ伏せて、ディーズムを見る。
「いいんですか? 」
「うん? 意識がある状態で、シャームのいいようになるなんて甘いつもりはないのだが? 」
 確かに、今先ので容易に手を出さないだろう。ただし、本当に欲しい物であった場合、けして逃げることが出来ない罠を敷いて、待ち構える相手になんて悠長な事を言ってるんだ。
「まあそれでもいいか。」
 まるで読心をしたような台詞を吐いて、離れていくのに何も確認しようなんて思いは抱かなかった。どうも、やる気が消滅したとでも言うか、しなければならない事が下に落とされたというのに、拾う気もしない。
 程なくして、下に灰色の塊が現れ、落ちていた物を拾い上げていった。ここでは、拾得物は所有者に返すのが基本だが、そんな事は無視して、拾ったままにしてくれないだろうか。
 ささくれたままで、日が暮れるまでヨレイエはそこにいた。



 灰色を選んだ男は、編上げの靴に上着まで着込み、一階の食堂に現れた。
 シャームの部屋か書庫が定住地な相手が、半端な時間に他の場所に現れるとは、珍しい。何かを探している風でもあったので、桶を置いてヨレイエは声を掛けた。
「ディーズム。まだ、昼食には早い。用意が出来たら呼ぶから。」
「いや、そろそろお暇しようかと思って挨拶しにきた。」
 二日前、ディーズムがシャームを投げ捨てて以来、あまりの恐さにあるじの下に顔を出せなかった。食事を運んだ蛇仔からは、せっかく友人が来たのに眠ってばかりでタイミングが悪いと苦笑いしていた所から、必要性はないと思い込もうとした。
「ーーシャームは? 」
「あと2時間ほどで起きるだろう。食事も食べるだろう。それまでに帰らなければな。」
「頼むから、起きてから帰ってくれ。シャームの機嫌が悪くなったら、自然に直るまで待つしかないんだ。あんたがいなかったら、きっとへそを曲げる。」
「それで、寝ぼけたシャームが逃げるままにして置けばよいのかね? 手紙をおいたから、わたしを探してほっつき歩くこともないだろう。」
 寝床から出てこないのはともかく、寝起きはいいから、確かにディーズムを見て取ったら逃げるかも知れない。近頃のシャームの友人は、魔道士並みの力だけでなく、イカレぐあいも似てきている。そんなところに逃げ込まれたら、手も足もでない。
「ーーしょうがない。機嫌の悪さは諦めるとしよう。で? ディーズム、あんた何しにここに来てたんだ? あるじは寝ているし、下に遊びに行きもしないし? 面白いものでもあったのか? 」
「おもしろいもの? もちろん。あるから来たんだ。」
「シャームの醜態を見に? 」
「いや、それもおもしろかったが、食事はともかく、寝巻きに着替えさせたり、したわけだが。」
 くすりと笑った相手に、正直逃げ出したかった。
「少しだけ意識を取り戻して、反応を返すのは面白かったな。」
「え? 」
「周りを把握出来ずに疑問を投げかける、力ある存在というのは、面白いと思わないか。」
 じゃあ、あんたもシャームと同じ穴の狢で、いや、性的な感情が基になっていないから、やっぱり違うのか? っていうか、『それを見に来た』っていうなら、それが起きる原因を知っていないと無理じゃないか? ああ、地下に篭った事さえ知っておけば、いつもどおりに何日も眠るか。って待て。ディーズムの能力は、予知能力のはずだから、ーー地下に篭った事も出て来る時間も知ってたし……。
「……。」
「たしかに、おもしろかった。」
 ーー類は友を呼ぶ。
 普通の常識人の格好をして、そうだったそうだった、この人はあるじに似た生き物だった。
 厚顔無恥で、我侭で、情を隠して線の上で遊ぶ。
 ならば、あるじさまの負けだ。
 ころりと見てくれに騙されて、喉を晒してごろごろと啼いちゃあしょうがない。



おしまい





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