グルテリ・ゴルテ氏はよく悩む、というのが周りの見解である。
 ちょっとした日常の事で立ち止まり、ぐるぐると五里霧中の回廊を一歩も逸脱しないまま歩き回り、ふと何時の間にかそこから抜け出ている事に気付くのだ。
 何時の間にか、だ。ーーそう言う意味で、脳天気である。
 ただ、それが有意義な事に向かうと、凄まじい勢いでそれを追うものだから馬鹿にしたものでないのだが。
 その者は現在、左旗覇天将軍付きの文官をしている。運がいいと言わざる得ないだろう。
 庶民出の将軍は、グルテリ達との差を開けようとは考えなかったし、感情によって外に出る変化は少なかった。猟奇的な趣味もない。
 その人には唯一の弱点ーー、そうというよりはバグが一つだけある。
 あれだけ同じ造りの顔、全く差異が見当たらない身体つき、時に纏う雰囲気も。
 その癖、あのアギルという奴は!
 


 いい天気だと、窓越しの景色で目が細まる。
 この間の行軍は酷い天気だった。グルテリは従軍しなかったが記録ではそうであったし、友人に聞けば、臨場感たっぷりにその状況を話してくれたものだ。
 こちらでも石か何かが降ってきたような音を立てると思ったら、少し後には今先、化かされたかと思うほどの快晴を見せた。その日を語るに、天変地異が勃発するような描写をしてくれたものだが。
 そこまで考えて、やはり、今一番の懸念事に頭が戻る。
 ササンは何を勘違いしているのか、自分達を仲間と考えているとグルテリは考える。
 それでは駄目なのだ。同じな訳がない。
 自分達は、何も考えず戦場に放り込むくらいの考えでないと。戦勝だけを祈願してないと。
 その分、自分達が形振り構わず戦って、そうでないと。
 恨める相手がなくば。象徴がなくば。
 どうやってあの莫迦らしい行為を続けていく事が出来るんだ? 傍らで、見知った人が、知らない物体になるような、ありえない場所で?
 国の為、大儀の為を考えての戦は、大将に任せよう。
 ただし、帰路時の胸の高鳴りを、食後の一服を奪うような人ではないものは、蹴落としてやるが。
 ーー話が反れた。
 ササンの兄弟で、民草であるアギルは、その時、同行はしていなかった。徴兵を行うほどのものでなかったし、ただ手順として、それなりの地位の者が担ぎ出された。それが左旗覇天将軍のササンだった訳だ。
 その時の仕事は、破門。
 遠征とまで言われるからには、土地を持つ領主相手。そして、場所は、それなりに遠い。
 前線と言われるほど遠くなく、手が伸びるほど近くない。そして、仮にも領主扱いの身の破門だ。それなりの相手を出さなければ、納得しないものがでるだろう。

 自国内で、尚且、相手は篭城した。時間がかかり、寂れる運命にあった街。
 学士辺りであれば、ちょいちょい戦場にも駆り出される。非常用の砦を作る場合や篭城した城の大方の見取り。技術畑とはいえ、その場合は、一般兵と扱いは変わらない。
 勿論死人も出る。

 ササンの調子が、近頃おかしい。
 前回から。
 余りに単純すぎて笑えるほどに。

 前回付いて行った奴らの噂が聞こえる。
 口の端にも上らなかった、ササン似の片割れの名が聞こえる。

 あれは、駄目だ。アギルは。
 ササンの良心の基盤である、あれは、傷付いたら、ササンがどうにかなってしまう。
 きっぱりと、それはグルテリに言えた事だった。
 殆どササンの洗脳だとは思っているものの、アギルの能力値の高さ、それと性格は買っている。直に会った事もないのにだ。
 故に、ここに近づけてはいけない。



「グルテリ? 」
 低めの声が、背中を叩く。少しばかり掠れ気味で聞き取りづらい。必要とあらば、どんな喧騒の中でも朗々と響かせるのに、日常の物言いは誰に聞かせるともなく、だ。
「どうした。」
 ふと、物思いから覚めて、慌てて書類を手繰る。
 この悪癖の所為で、行軍から外され、主人を転々としなければならなかった。
「ジルトリガウニの、没収財産についての…。」
「その紙に何の意味がある。もう枢機軸が決めているだろう。……さっさとジルトリガウニ殿も跡継ぎを代えて置けばよかったものを。財産も守れんばかりか、濡れ衣で身代まで潰すとは。」
「ササン将軍。」
 言外に、破門された者の対しての言葉遣いを諌める。話の端に登場させるのも、殿などつけるのも、もっての他。唾棄して、一瞥たりと与えてはならない。
「それでだ。」
「なんでしょう。」
「何を考えていたんだ。」
「いえ、特に。」
 まさか、元ジルトリガウニ卿が、養子でなく、血の繋がった実子を領主として置いた為に、豊富な財産を狙われ有り得ない罪に突き落とされたように、ササンもアギルと言う相手によって、不利益を高じる事になるのでないかと、そう言える訳がない。
 あの土地での領主の扱いは、それは良かった。発展を続けている土地ではないものの、何代にも渡って暗君が出なかった事と、土地の温暖により、税が増える事も、突貫工事で借り出される事も、上の不始末を受ける事も、今まではなかった。
 そしてまた、人柄の点において、子供を継がせても問題はなかったーー今の王の下でなければ。
 侵略に力を入れる王に、その実母である国母の贅沢三昧。金がどんなにあっても足りはしない。将がどんなにいたって足りはしない。
 サグナ左弓隊大隊長、グルフリム騎馬中隊長、クエンテ騎馬中隊長、ーーまだいるが、今年に入って潰されたのは、ーー潰れたのでなく、休みなく駆けさせて潰した将は、片手余り。自滅を外して。
 ヤゴン将軍、ササン将軍、6大貴族将軍に天地4将軍は別格として、前線張る将の回転率が高い。勝ち戦でも必ず一人は取られる。育てる暇のなさも、その傾向に拍車をかけている。
 多分、そう遠くない内に、ここはゆるやかに地に沈んでいくだろう。
 刻は未だ。
 ただ、現れる風景と風の香りが、腐臭を交えて、王が代わらぬ内に何かを示すだろう事はわかる。
 主人に殉じて付いていくなんて、趣味じゃないと、思っていたんだがねえ。

「また、考え事しているな。」
 今日で二回目のそれに、慌てて何時の間にか増えていた、手元の書類を掻き寄せる。どうも自分には小人さんがいるようで、言い訳が立つくらいには、片付いている。
 苦笑しながら手を振り、提出しようとした紙の塊を押し止め、代わりに椅子と布に包まれた荷物を持って、面前に座られる。
 上司に目の前に座られる、部下の気持ち、分かってるのか、この人は。
「何してるんですか。」
 机上から雑多な書類を除けーーああ、でもそれ、一応分類してあるんですけどっ! ーー、どでんと、謎の荷物を置かれる。
「今日は休む。」
「そう、ですか…? 」
 それがさも当然と言うように言い切り、包みの結び目に長い指を掛ける。ぎちりと締めていたようで、爪を結び目にかけ、それでも布を裂かないよう苦心する手に目がいく。剣を扱うと思えないほど、手の平が薄く、指が細く長い。まるで、象牙の塔の住人の手のようだ。
 だがそれが、暴れ馬を引き倒し、国母を救った手だ。
 その割りに、てきぱきと荷物を広げて…、ああ、これは知っている。
「そうだ。だが、アギルの手前、帰れん。」
 どうして、との言葉は、漆塗りの重箱に阻まれた。
 ここらで見掛ける事のないそれの名を知っているかは、前に陣取った人が教えてくれた所為だ。
 ずいっと差し出された、その箱の中には、ぎっちりと食べ物が詰まっている。
「アギルが作ったんだ。」
 ササン将軍、あなたの満面の笑みを初めて見ました…。
 無性に頭が痛い。
 威厳というものをなんと考えているのか。信頼は一度失くせば終わりというが、時と場合によって回復する見込みがある。だが、一度失墜した威厳は、回復しない。
 そんなに手作り弁当が嬉しいんですか。
 一連の考えを、特に最後の考えを聞くわけには行かない。確実に、確実に顔を少し赤らめ、「アギルの料理は美味いからな」とか何とか言うに決まってる! っていうか決まった!
 あのですね、ササン将軍とアギルは、もう三十年一緒に生きたんでしょうが。なに新婚ほやほやで、それも大恋愛成就したバカップル風な雰囲気飛ばしてんですか。
 っていうか、さっさと所帯を持つべきですよ。それだけ家族愛が強いんでしたら、子供や嫁に増えても十分行き渡りますって。
「グルテリ? 」
「いえ、ああ、まあ、ちょっと…、いい兄弟ですね、ご飯を作ってくれるほど仲のいいのって珍しいですよ。」
 あははは、と自分の適当そうな笑いが、引きつった顔に響く。
 ってゆーか、そんな歳になっても弁当作る兄弟なんて存在するものか。っちゅーか、いらん。
 不思議そうな顔で、グルテリの顔を窺っていたササンは、少しだけ弁当箱を押し出してきた。
「ーー喰うか? 」
「いりません……、っちゅーか、ササン将軍の為に作ったんでしょう?」
 思わずこぼれた本心を建前でガードする。
「じゃ、やっぱり、俺が貰うわけいかないじゃないですか。」
「全てやるなんていってないぞ。」
「知ってますって。」
 見た所、薄いの濃いのあれど、茶色の物体で成り立っているそれらに、食指がわかない。
 妓館の下級娼婦が作ってくれたそれ以下だ。温度が下がっているそれらはそれより下がる。
「ペグンにはまだまだだが、そのうち追いつく。」
 ペグン?
「食べたろうが、こないだの昼に。」
 確かに、こないだの昼、ササンに分けてもらったが、………………。あれは、ササンの養父だったのか。
「ーーササン将軍宛の差し入れかと思ってました。」
 華やかな彩り、栄養価を考えた具、素材にしっかりと味が染込みーー有体に言ってしまえば、美味かった。
「差し入れだろう? 」
「『女性』からの。」
「馬鹿な。女性とまじわえば、『守護』から外れる。だろう? 」
「っくくく、ああ、そうでしたね。そうでした。」
 とある女性の断りとしては、上等なーー、あの人は守護が外れる事を恐れていたのだから。
「やれやれ、この歳になっても、子を作らず、親の尻拭いも出来ないのは何か罪があるのか。」




「おー、グルテリさまさま。」
「なんだ、トウチギじゃねえの。嫁さんの調子はどうだ? 」
「うちの小大将がよお、あばらやがふとっぶほど泣き喚くからよお、もー俺のおっぱいに俺の女が横取りされちまって…、息子といえ寝取られ男はつらいぞーお。」
「おまえは、女房と胸を別として考えてんのかよ。」
「んー? どおだろおねえ。それより、いい女はいないのかよ。」
「ーーおまえ、おまえんとこのと俺は幼馴染っつーのを忘れたか? 今度、記憶が飛ぶくらい酒を飲ませるなら、考えてもいいがな。」
「誰が俺のと言ったよお。おまえのだおまえの。主人に操立てして結婚しないわけでないだろお? 」
「できないさ。」
「? おまえの主人も災難だよなー。あんな飯を毎日食わされたら、他のもんが喰えなくなる。ーー行軍のたんびにアギル殿にぶちあたらないかね。」
「待ってくれ。こないだの行軍でアギル殿は何をしていたんだ。」
「学院依頼の建設してた道路が終わったからって、合流して、飯炊き、陣営作り、後なんか書類つくってたけど、俺らごときに知らせるわけないだろお。」
「で、この頃のアギル殿の噂は? 」
「また、アギル殿がメシつくってくんないかなーと。そゆこと。」
「………………。」
「グルテリ、おまえ、考えすぎだぜぇ? 」
「…………。」
「……なんだぁ? 」

「餌付けされてやがりましたかッッ! 」
 どーりで…、と言葉は続く筈だった。がっちりと肩を捕まれ、後ろから響いた低音のそれがなければ。
 見たくない見たくない、後ろから威圧を掛けて来る、よく知った雰囲気のッ!!
「アギルの食事が餌だと……? 」
 
「ぎゃっふん。」


 近頃聞かない言葉を最後に、当分グルテリの姿を見掛けなかったとか、何とか。

 つるかめつるかめ。



おしまい





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