「えい、ものの道理も知らん若造め。何をほっつき歩いとる。今何時だと思っておるのだ。」 いらただしげに背中にぶち当たった言葉に、少しばかり眉根を寄せて、それから目線を下ろしイリは後ろを振り返った。 ボケるには早いと思ったが。 空は高く陽を捧げ、翳る事がない。道理も何も、昼食を食べて腹がこなれた時分だが。アギルから何があるとか聞いてはいないし。 この館の住人の一人、ペグンがずいぶんと気ぜわしげに言葉を繋ぐ。 「何をのたのたしておる。さっさと来んか。」 それだけで充分と背を向け左手に向かう、その背を見遣って、もう一度、玄関ホールの絵を見上げた。 この絵が逃げたら恐いなと思いながら。 「で? 何があるんだ? 」 ペグンが辿りついたのは、調理場の一角。前住居人が貴族であった為、全体的に客人を迎え入れる部屋造りになっている。大きな食堂もその一つだが、そこは現住居人にはすごぶる人気が悪い場所だ。 寒すぎる。遠すぎる。広すぎる。 何人もが生活する場所としてあるそこに、一人から三人までがわざわざ食事を持って行く事はないだろうと、台所にテーブルを引っ張り込んだのはいつか。 大体、この屋敷を貰った当の人物が、部屋でしか食事をしなかったのだから、使われた事があるのだろうか。 益体のない事を考えながら、ペグンが水を沸かしだしたのを視界に入れつつ、ぐるりと周りを見渡す。今住んでいる者は三人だけなので、材料もなく、閑散としている。正確には、食事を必要としている者の数は。 「だから、何をしている。さっさとテーブルクロスを引いて、食器も出してこんか。」 茶葉が入っている缶を、取り出し、正確にスプーンを使って量りだした。料理の際は目分量でどばどば入れる癖に。 「……なんだ、お茶か。てっきりーー。」 説教か、何かの手伝いかと思ってた。 そうかそうかと繰り返すイリに、鼻の頭に皺を寄せ目の端で睨み付ける。 「なら、アギルは。」 あと一人のここに住んでいる(食べ物を食べる)者の名を上げ、ペグンを見る。 食事だの何だの主体で作るのはペグンだが、すぐアギルが傍に寄り、何やかんやと手伝い出すのが常なのは、一日経たぬ内に知れた事だった。 「あの子はそのうち来るだろ。老い先短い者を粗末にはせん。」 「ふん、若き人の仔のくせに。時を多く持たない者め。おれより、若人の癖に。」 「多く持てないからな。還り往く道に、ここで一番近いものはわしだ。がたがた抜かさず、しゃんしゃん働け。餓鬼め。」 振りかえりもせず、ポットを暖めだしたペグンに歯を剥いて見せた。後頭部に目がついてないだろうに、何もかも知ってるような風を装う、こしゃまっくれたひどく年下の初老の男に。 どうせ、振り返りもしない人をほっといてーーほっとかれた気もするが、薄い薄いクリーム色のクロスを引っ張り出して、それに合うカップはどれにしようか迷いながら、食器棚に手をかける。 「……猫が入ってきたな。」 ポツリともれた、微かな声に耳を澄ます。 「ネコ? 」 何人たりともここから出さないような結界の中で、それを知る獣がわざわざ入ってくるというのか。 イリは耳を澄まし、耳を澄まして…。 (竜殿! ペグンに遅れるよう伝えてください! ) 自分しか聴けない声が響く。初めて、急いたアギルの声を聞いた。 それに続く、二階から足音荒く下りていく音の中に、鞘ばしる音も。 イヤ、たかがネコだろ?! ていうか、おれは何もかんじないし! わたわたと指で方陣切って、瞼に当てる。目を閉じた闇から、ずるりと光が溢れ……。 後ろから蹴りと、いらついた声。 「なにをしとる。若造。」 ついで横殴りに後頭部を叩かれた。 「なんだ、てめえはッ! アギルの様子がおかしいからみまもろーと! 」 「馬鹿か! 馬鹿だな! 貴様はっ! 見守ってどうする! 見守って! 」 「なんだ! おまえが猫が嫌いだから追い払いにいったのか! だろうな! こんな不甲斐ない養父持って! 」 ぴたりと口を閉ざして、まじまじとペグンがイリを見る。警戒でもなく侮蔑でなく嘲笑でなく、驚きだけで。 「そうか、竜といっても一概に道理を知っていると言うわけでないのだな。」 「後悔しない言葉だけを吐け。人間。」 ますます、眠たげだか睨み付けているのか分からない目で、竜を見る。 そのままの顔を微塵も動かさず、左手でイリの胸倉を掴んで引き寄せる。そのまま殴りつけるかと思った右手は、イリの両目を覆った。 「後悔しない言葉だけを吐け。若造。」 荒れた手の平の感触と共に眼球の奥で結ぶ映像は、この屋敷の庭だ。荒れた樹、背丈の高い草、それに隠れるような人間…、人間? 先入観で、排除していた中にそれがあった事は、認めざる得ない。 「さっさと、あのネコを連れ出せ。アギルは、話せん。誤解があってはたまらん。ササンにいい訳もたたん。」 「たのむ。」 草いきれに息が詰まりそうだ。 頭を出来るだけ低く、動作を出来るだけ少なく、太刀は懐に。 入る前の奇妙な圧迫感は消え、そこでやっとあれが結界とかいうものだと知る。 あの塀を越えるだけで、どれだけ掛かったのか。 とうに死んだ筈の魔術士に今の今まで邪魔をされていたのか。 じわりと腹の底にある不安が覗く。ここに入って出て来れた人を知らない。でもあの男は死んだ。死んだんだ。もういない。でもここにはまだ、術がかかっている。関係ない。自分の物を取りに来ただけだ。魔術士に挑戦しようとかじゃない。大丈夫。 ……たぶん。 空っぽの頭の中を、言葉だけが勝手に喋る。 考えてないのに、感情だけで一杯で、却って空っぽになる。何かが起こっても、処置が出来ないかもしれない、と、頭の中の自分という人が喋る。目は、勝手に周りを見渡し、草が風で凪ぐだけで有らぬものを見る。 片手両膝をつき、周りを見渡す。片手は使えない。今先も手の平の汗を拭おうとしたのだが、柄を握った手が離れないのだ。笑えるほど握り締めた指は、白くなり、その時が来たら振るえるか心配するほどだ。 この庭にある筈だ。この庭になければどうすればいい。 狩った獲物を放置するだけで、何もなかった筈だ。何も魔術の掛かっていない品を、どうにかするだろうか。 分からない分からない、ここの元の主は。 時間がない筈だ。ここに何があったか、何があるかは知らないが、普通の人間が勝てるものじゃなかったのは知っている。 今しかない筈だ。主は死に、その息子のササンも死んだ。もう一子いると聞くが、表舞台に立たない所を見るとどうやら自分と同類のようだ。噂では、ササンの庇護を受けていたと聞く。それで、ここの館の住民は終わりの筈だ。 はやくはやくはやく。 何も害そうなんて思ってはいない。ただ、一つだけを手に入れたいだけだ。 それだけなのに! どうしてここの庭は広いんだ! そして。 そして、男が立っていた。 誰も帰って来れないここに、用心しない訳がない。罠だらけというここに、目を配らない筈がない。住んでいる者がいるここに、耳を澄まさない筈がない。 ーー今先まで、確かに誰もいなかった。 手を入れる者がいなくなったのか奔放に伸びた枝は、自重にか重く垂れ下がり、その下の緑の闇の中に佇んでいる。 気付いているーー? 余りに気配がない。殺気もその他の感情も表れていない。生気さえ感じれない。動きが全くないその人物を良く見ようと目を凝らす。 ーー人間か? その時に、引き際を見失ったのだろう。 ざり…。 足音と体格だけが分かる。 下草と落ち葉を踏み、ゆっくりとこちらへ歩みを進める相手は、その木の腕の中から出る、ほんの少し前で足を止めた。 そして、自分が馬鹿げた事を考えていた事に、気付いた。 あの男は、生きている訳がない。もし、生きていたのなら、逃げたという事だ。 現れた男は、ササン将軍と同じ顔をしていた。髭と編んだ髪がなくば、同一人物と思ったろう。片刃の長剣と鱗が刀身を覆っているような奇妙なダガーを片手ずつに重そうに持ち、悠然と攻撃範囲外の、一歩手前でこちらを見やる。 緑の闇がまだ引き止めるように、相手の身体の上で蠢いている。 どうして、恐怖を感じないのだろう。 あの宮廷魔導師サシンの息子だ。あの左旗覇天将軍ササンの兄弟だ。幾らみっそかすといえ、何か持っているべきだ。 その男は、気だるげに短剣を持つ手を引き上げ、ある方向を指した。 自分が入ってきた方向を。 何も言わず、何も感じず、何も見ず、−−それを示すのか。 「ッッ!! 」 「返せ帰せ還せ! あれは私のものだった! かえしてくれっ! 」 この庭に何者かが入ってきた事は、直ぐにアギルに伝わった。元々サシンに害する者と、材料を集める為に張ってあった罠だ。どのような状態になっているか適時知らせるよう術の糸は張ってある。 それを見、罠に掛かった獲物をーー、掛かる前の獲物を出すのがサシンが死んだ後の役目になった。罠に掛かった後の獲物を外に出せはしなかった。つくまでに確実に死んでいたし、死体をどうこうする訳には行かなかったからだ。 どうやら、この子は掛かった獲物を餌としてきた、獲物らしい。 (聞こえますか? 聞こえたら、返事をしてください。) この子が初めてではない、これまで2度ほどあった。最初の子は間に合わず、白骨を握り締めて逝った。二人目は、四度ほど外に返したが、五度目に罠に掛かって死んだ。 (お願いです。聞いてください。ここは地獄のようなものです。入り込めば出ることがかないません。ここには生きる者が、手にすることの出来ないものしかないのです。) 在るのはサシンの悪意だけ。サシンが死んで何年か経つのに、前ほどでないにしろ、どうしてここに訪れるのか。 何が恒久的に餌になるか知って、罠を敷いたのだろう。 (帰ってください。ここに得るものはありません。何もないのです。得ようと手にすれば、罠の口が開きます。ここは悪意で汚染されています。得るものはないのです。何もなにも。) 「何故何も言わない! 言うことがないとでも言うつもりか! おまえは関係ないのかもしれないが! 」 答えれない。言葉で伝えれない。出口を示したままだった短剣を、もう一度示す。頼むから、分かってくれ。 (怒っても呆れてでもいいから! 早く出て行ってください! ) 「どうして何も言わない! おまえの父親のせいだ! おまえの親のせいだろう! 」 (お願いだ! 出て行ってください! ) 「とっとと出て行け、餓鬼。」 ばっと同時に第三者を振り返る。そこにいるのは黄色に近い鬣のような蓬髪の男だった。 陽だまりの中、腕を組んで、面倒そうに二人を見比べる野次馬な人物だが、妙な、威圧感を覚える。サシンの子の分も気配を持っているかのような。 (竜殿! ) 「あぎるー、急くのはいいがペグンかおれを連れて行かないと、話が出来ないのはわかっているだろ? さっさとその子を返さないと、ペグンがへそをまげるぞ? 」 (今すぐ返します。) イリから目をその子に移す。 腰が引け気味だが、目が剣呑たる光を纏っている。数で負けているのに、意思が強固になっただけのようだ。対峙してから、柄を握ったままの手が力の入りすぎで、ぶるぶると震えている事にも気付いていないらしい。 ぎっと食いしばった歯の隙間から、不快そうに言葉を押し出す。 「ふたり掛りか。」 「いや? おれは通訳。餓鬼が自分の浅慮で死んでも、自業自得だろう? 幼児でないのだし。」 イリとしては、自分の胸辺りまでしか身長のないちまっこい人間がどうしてこんな事をするかで、身体の中がざわざわする。ただの短慮なら一瞥にも値しないが、何か策があっての事かもしれない。 人間に、それなりの底力をを信じている身には、おいしい状況だ。ーー独りだけなら。 (竜殿! 煽るような真似をしないでください。) 「はいはい。じゃ、何を通訳すればいいんだ? 」 次の瞬間、呆れ返る言葉を聞く羽目になる事も知らず、促してしまった。 (何も触れず、帰ることと、二度とここに入らないこと。その約束だけ取り付けれればいいのです。) 「殺したのは! サシンだろお!? 何が自業自得だ! ころさなくったっていいじゃないか! ほっといてくれればよかったじゃないか! 」 反論もなく目を伏せたアギルを、目の端に入れ、肩を竦める。このぽけぽけ学士の親は、何をしてきたか知らないが、良くここまで子供の信頼を壊せたものだな。溜め息も自ずから漏れるというものだ。 「で? 」 「否定さえしないか。」 「否定? なんで。おまえの言うそいつは、アギルの親のーーサシン? とやらに、何しにここに入ってきたんだ? 施しにでも来たのか? 恋人かなんかだったのか? 何一つ穢れのない友人だったのか? そして、一点のシミもなく惨殺されたと、そう言うんだな? 」 初めて、じりっとあとずさる。 「アギルの父親は、宮廷付だったな。名誉のためでなく? もちろん金も潤っていたに違いない。金のためでなく? まあ聖人じゃなかったようだし。裁判で争うのでなくって? なあ、なんでそいつはここに入り込んだんだろうな? 」 退いた分だけ、イリは歩を進める。 「なあ、なんで? 」 意地悪そうな笑みが、イリの顔を覆う。 「おれは、ここに来たけれど、正門から客として入ってきたんだ。何も害されはしなかったぞ? 歩いた下に法陣があったけど、発動しなかったぞ? ヤゴンだって来たけれど、罠の餌食にならなかったぞ? なあ? どうしてだ? 」 (竜殿! ) 「なんだ……。」 アギルが緑の闇に戻り、位置的にそれを背にしているイリは、目を見開いた。 何事かと周りに意識が散じた時、イリが距離を詰めた事に気付く。 指を鉤状に曲げ、迫った相手に慌てて抜刀する。構える間もなく、手首を捕まれ、塀に向かって引きづられる。人間の力じゃない。 「いいからさっさと出て行け! 」 「いやだあ! やめて! 」 身を捩って手を振り解こうとする。それを気にかけず、引きずられた。その直後、足元に刺さる物は。 視認する前に、イリはそれごと振るったものを蹴り抜いた。ーー剣と、白い物体が吹き飛ばされる。その間も引かれる手首が痛い。 混乱だ。なんだ、これは。 引きずられるままに、剣を振るった者を探そうと視線が揺れる。アレが剣を振るう筈ない。だって、アレは……。 続く斬撃の音に、目を向ける。今先居た場所に何名かの姿。勿論アギルの姿がある。それと、人の形をした骨が何体か。 では、やっぱり! 「ぅああああッ! 」 「うるさい! てめえが起したんだろう! 」 何名かがこちらに空洞の眼窩を向け、獲物を持ち、足を踏み出そうとしている。それをアギルが一振りで、散じさせ、毀し、崩れ落ちさせる。 そして、散らばった骨が、剣の元に引き寄せられ、人型に形作られていくところを目にしてしまった。 そして、こっちを見るーー違う…、見られているのは、自分だ。 一薙ぎ。 片刃に頭部を飛ばされ、風圧で身体も薙がれる。 散じた後も、毀れた後も、元の通りに形を作るそれらに、アギルはどうも分が悪い。 短剣を突き刺せば、どうやら術は解けるようだが、あっちの獲物も長剣が主だ。間合いに入れず、半歩半歩とあとずさるしかない。 一瞬、アギルと目がかち合って、今度は長剣で外を示した。 そこでやっと、アギルが自分の為に剣を振るっている事を理解した。分かっていたのだけれども、本当に理解したのだ。 「はやく! 出て行くのに協力しろ! 」 「助けないの? 助けてあげてよ! 」 子供の声に、目を見開いてののしりに近い声を上げた。 「馬鹿餓鬼馬鹿餓鬼! てめえが出た後だ! あれ程度にどうこうできるはずがない! 」 とかく原因を出してしまおうと、人間の餓鬼の手をいっそう引いた瞬間、ぷつりと何かの糸を切ってしまった感触が残った。 物理的なものじゃない、額の奥底で感じたそれに眉を寄せ、早く塀に向かおうと視線を反らせた先に、見つけた。 新たな人影が立ち上がっている。こちらは八体。一体ずつ剣を持ち、確かめるように姿勢をただすと、ゆっくりとこちらに視線を合わせた。 「おとうさんっっ! 」 「げ。」 他の罠を引っ掛けたらしい。ずるりとまた違う不死人を起してしまったらしい。立ち上がった者達のどれかが目的だったらしい。侵入者の目は釘付けになった。 「おとうさん! おとうさん! あたしよ! 」 「ばっか! あれはただの骨だって! 」 何度も振りほどこうとする手を掴み、肩を捕まえ、引こうとする。イリにしてみれば難儀な事だ。力は勝っているが、勝りすぎている為に、思うさま力を入れる事が出来ない。気を使わなければ手首を握り潰し、肩を砕いてしまうだろう。いくら子供好きだからって、全身で嫌がる子供をどうにかなんてした事がない。 「おとうさん! なんで?! なんで?! 死んでいるの? 」 そりゃ死んでいるからだろ、と、口まで出かけて、止めておいた。 「止まるな! 出て行け! 」 「いやだあ! おとうさん! 」 涙や鼻水でべたべたになっている子供を扱い兼ねて、瞬間移動でもしようかと思う。 (竜殿! 駄目です! 罠が開く! ) だろうね。 打てば響くように返事が返ってきたが、ますます周りの気配が悪くなっていく事を肌で感じた。まるで、見張られているようなーー。 擬似思考体。 ひとつ、可能性が生まれた。ありえる。サシンが死んでも、それをコピーしたのがあれば。 今度のは、ゴーレム仕様も入っているらしく、歩く度に、筋肉の代わりに土をまとって行く。元の人物のように。 あら、やばいわ、コレ。 顔まで覆いつかされて、それがこの餓鬼の父親の顔だったりしたら。 「動け! 出て行くんだ! 」 (竜殿! 担ぎ上げても出してください。) 漸く、一団を仕留める事が出来たのか、長剣を担ぎ、アギルが走ってくる。 「やめて!! 」 これから父親を切られる事を悟った子は、踏ん張り、竜にとってはなんでもない抵抗を示す。 (早く! 出て行ってください! そうしたら眠れるんですから。こんな所だけど、眠れるんですから! ) 「『早く! 出て行ってください! そうしたら眠れるんですから。こんな所だけど、眠れるんですから! 』だ。アギルも切らずにすむ。」 ぎゅっと目を瞑り、身体を強張らせた子を担いで、走る。 「くそっ、なんで、術を引っ掛ける罠ばかり埋まってんだよ! 」 (あれは術士にも嫌われてましたから。) のんびりとした声が聞こえるが、どうやら餓鬼の為に剣を使ってないのが見える。担ぎ上げ、投げ飛ばし、出切るだけ遠くへ。 そんなのがダメージになる筈もなく、再度起き上がる死体を踏ん付け、他の死体を投げる。 「あー、面倒だから、アギル、怪我すんなよ。ペグンに怒られちまう。」 (そんなことより早く。) 「大丈夫だ。塀に着いた。」 2m半はある塀に垂直飛びの要領で指を掛け、片手で身体を引きずり上げる。一跳びで越えても良かったけれど、どうやらここにも何かが埋まっているようであるし、確実な方法で上ってみたけれど。 腕の中の子供の塊は、がっちり固まって解けそうにない。 「ねえ。」 「泣くな、餓鬼。」 腕を解くのが躊躇われる。 誰か来て、誰かこの子を帰してくれないだろうか。 「やっぱり、あたしのせいだったかな。おとうさんが死んだの。今回のはあたしのせいだけど。」 「知るか。人の家で勝手にくたばる奴のことは、さっさとわすれろ。」 「戦場に連れて行けないから、盗人まがいのことをしたのかなあ。」 「知りたくもないね。置いてくような奴のことは忘れるべきだ。その分他の人を思えばいい。」 ほんと、これ、どうすりゃいいんだろう。 「まったく、遅すぎる。」 (すみません、ペグン。手間取りました。) 「ああ、アギル、手伝ってくれ。出来たから。」 たった今入ったばかりの茶器を示す。 ーーよくやる。 待てば恐縮するし、冷めても恐縮するアギルの為、どれだけタイミングを計ったか良く分かる。昔はどうだか今は分かっているだろうに、それとして続けるらしい。ほんとよくやる。 (竜殿、どうかしましたか? ) ペグンの隣に立って、不思議そうにこっちを見るアギルに手を振る。 「いや、ちっとばかり自分の言葉に歯が疼くだけ。」 (その分だけ、他人を思えばいい? ) 「うわっ! くさっ! おれはそんなたらし顔でいってないぞ! 」 ばたばたと手を振り顔を赤く染めたイリは、分かっている癖にペグンに頭を叩かれた。 「いってー! なにすんだよ! 大体アギル! 反論しろよ! 」 (? 何をですか? ) パウンドケーキを切り分けーーどうやらこいつら甘党だーー、フォークを添えて出した相手の怪訝な顔を見て、何となく諦める。どんなに筆舌を尽くした所で、信じようとしないだろう。 「なあ、アギル、あの罠はおまえとか、ササンを守るためだったかもしれないぞ? 」 ペグンとアギルは全く同じ表情を作った。 「……あれを知らないと、とんでもない発言が出来るもんだな。たしかに無知は強いかも知れんな。罪だろうが。」 (何言ってるんです! ありえないことを言わないでください! 竜殿! ) 「なんでだよ、おまえら。」 意外と強情なアギルと、見たままに強情なペグンに溜め息をつく。 「掛かるのは、敵だけだろ? 罠がそこらに出かけていって、獲物を食らうわけでなし。」 (入ってきた子の目的は、どうやら遺品の剣でしょう。骨を一瞥で区別できるようには見えませんでしたから。) それには異存はない。 (それがあると知った以上、またここに舞い戻ってくる可能性があります。) そりゃそうだ。 (それを防ぐには、剣なり遺骨なり返せばいいでしょうが、そうはいかないのですよ。) 「剣を振り回した骨は、大方他人のだ。剣には呪術が込められてしまっておる。骨なり剣なり渡したが最後。ここにある呪いも外に流れ出る。それ以前に、死体に触れば、罠の口が開く。あれらはそのまま放置だ。それ以外にどうしようがある。」 しかめっ面したまま、茶を喉の奥に注ぎ込み、いらついたようにテーブルを叩く。 「やりようがあるだろうが浄化紋埋め込んだり、ーー別に自分がしなくてもいいんだろ。神官職の知人でもいないのか。」 「無理だ。」 (断られ続けています。今の段階で、解くのは無理だろうと。) 「だっから! おれがいいたいのはなあ! ああ、もういい! 見ろ。」 人差し指と小指で展開式を虚空に刻む。 最後に、右目を瞼の上から押し当てたのを、大気に散じた。 最初に視角に写ったのは、見慣れた風景を何時もより高い位置で見下ろしているアングルだった。 ゆっくり視線が下り、まだ成人になれてない背中を写す。泣いているのか、背中が時折引きつる。 二度ゆっくりと影が走る。それが瞬きと分かったのは、もう一度、子供の背を写した時。 そして、その子の背には、包み込むように誰かがいる…。 そうか、まだ、輪の中に還ってなかったのか。 (竜殿…。) 「イリ、おまえにしては気が利いてるな。」 「だーかーらっ! おれじゃないっ。わかってるくせにおまえらはっ!! 」 おしまい |