鬱蒼と茂った雑草、場所によっては大の大人とて紛れ込んだら、すっかり見えなくなる丈と勢いは、夏だけの事じゃないとここに住まう者には知れた事である。塀と共に、外界からプライベートを遮断する筈の庭木もその勢いに乗せられて、うねうねと自己主張してしまっている。前の持ち主が住んでいた頃は、幾何学模様に整えられ、物に過ぎなかったそれらは、この何年もこの庭の主だ。 況して、根城としている人間が、魔術師と子供で構成されている所為か、全く問題視してない為、当分はこのままだろう。 「ペグンは来ないの? 」 ランタンのようなーーそれを細工したのだが、虫除けの香炉に新しい煉り玉を投じ、火種が回るかしかつめらしい顔で覗き込んでいたササンに甘えて声を掛ける。 「ペグンは部屋で療養中だ。言ったろう。」 現当主の前は、それなりの位にあったという貴族の住んでいた館は、庭の変貌振りを歯牙にもかけず、清楚とした色と威圧感を覚えさせる佇まいでそこにある。生まれてからここで育ったのだ、それなりの親しみを感じていた筈なのだが、何年も経つというのに白亜の壁がくすまず、老朽化さえしないその館に、嫌悪感が募りだしたのは何時の頃だったか。 「それに、いつも手を煩わせるわけにいかないだろう? だって、あの人はあれの手にかかって迷惑をこうむっただけなんだから。」 「あの結界が解けたら、どこか行っちゃうんだね。」 それを疑問でなく来るべき将来として、捉えている片割れに憐憫を感じた。 「ばかだ……。」 自分とアギルの立場に、全く差はない。あれを父親として至上と抱き。それから逃れる事は出来ない。 同型物の相手を、引き寄せ抱きしめる。あれの気分で用意されない食事の割に、健やかな四肢がその行為を抱きとめ、痛みのない真っ黒な長髪が手に触れる。 きっと、アギルは自分が慰められていると思うに違いない。 誰でもなく、縋りつきたくて、そして縋らせてくれるのはアギルだけだ。 ペグンは出て行ってしまうだろう。 あれの呼ばわれ方は『最強の魔導師』。魔導師などの呼ばれ方に、笑いもひきつるが、最強は……。 有り得ない事ではないかもしれない。しかし、そうしたら、ペグンが殺されてしまう。 宮廷魔導師の名称を得たあれは、道を追求する為にと家を所望した。王の命を救った事もある(計算高い奴だ。利益がなければ小指一本動かしはしないだろう)その者には、打ち捨てられていた館を。 あれは、使い魔で館を修繕し、それが終わったならひとつずつ丁寧に術を掛けていった。 壊れないように、過ごしやすいように、ーー捕まえるように。 何をしてきたのか、夜討ち朝駆け侵入者が耐えないここは、人殺しと宮廷魔導師希望の屍骸がそこらにある。 用意は周到。感情の高ぶりは扱いやすい、それなりの強度を、出来れば魔力の高いのが良い、……アンデッド系の使い魔は。 この庭の散策して何度かけつまづくそれらを合わせれば、小隊程度なら、簡単に組めるだろう。 いまだ、あれの寝首を掛けた者はなく、罠にかかって生きていたのはペグンだけだ。 地下室と言う懐内に入って捕まった、その人に興味を抱いていたようだが、あれの興味が長続きする筈なく、すぐに忘れ果ててしまったらしい。少なくとも、アギルとササンはそれを知らされておらず、会ったのはあれが興味を覚えた二回目。 「すばらしい生命力だ。」 ただただ珍しいものを見たかのような、あれの意味は知らなかった。 罠にかかったまま、何年も生き続けていた事を知ったのは、ごく最近だ。 絶望に浸されながら、正気でいたその人が奇跡だと知ったのも。 あれは罠を外し、ーー外したと言えるだろうか、距離が伸びただけでまだそこから出る事のない状態のその人に、自分達を押し付けた。 何故、そこで自分達が殺されなかったか分からない。 あれに憎しみを持っている事をその時伝えたからだろうか、それとも同情か、ーー道具代わりか。 「ササン、だいじょうぶ。ペグンは出てっても帰ってくるよ。ササンのことが好きだから。」 ぺたんとほおにほおを押し当てられ、子供らしい事をすると苦笑しそうになった。そうしてそのほおの柔らかさと共に、思い出す。 まだ、存在してから10年も経っていない事。まだまだ、終わりは見えそうにない事。 「そうだね。大丈夫だ。もし帰ってこなくても、成長すれば、会いにいける、きっと。」 腕を外され、完璧が壊れる気分に、もう一回抱きしめれるかとアギルを伺えば、とてつもない大きな幸いを与えられた子供が居た。 「ササンは良い方向に目が向いてる。ササンなら先を見れるよ。」 それはアギルだろうと返したかったが、望むものをその後存分に与えられ、満足の内に霧散した。 ササンに比べれば、自分には憂いが少ない事にアギルは気付いていた。自分に導くササンが居るのに対し、ササンにはササンが居ない。それは嘆くべき事だが、今は少しだけ希望が見える。ーーペグンがササンの導き手になるかもしれない。執着心がアギルだけと思っていたササンが、先の事について、自分から行動を起こそうなど珍しい。これはやはり、それなりにペグンに気を許しているに違いない。 寂しいとは、アギルには思えなかった。ササンが片割れの事を忘れ去る事など出来ないのを重々承知していたし、もし忘れるなら問題が解決した後だと知っていた。そういう意味では、ササンは不器用で実直だ。 外に忘れていた香炉を抱え、豪奢な扉を開く。 外のくっきりとした暖かさと色は扉一枚で変化する。白を基調としたこの家は玄関ホールも例外でなく、冴え冴えとした白と深みのある絨毯の赤、縁取りの金を従えてそこにある、筈なのだが、いつものイメージ通り、灰色の空間が横たわっていた。 設計ミスだと思っていたが、吹き抜けになっている二階の窓は大きく採られているし、十分に光が入ってきている。ーー見方の問題だろう。 ここが嫌いと言う訳でない。ここに住まうササンとペグンは好きだし、ーーあれは、あの人はどうしようもない事だろう。 目線を上げれば、あれがどうしてか気に入っている絵が目の内に入ってくる。 200cm×70cm程の、全てが灰色の絵だ。 均一に、もしくはグラデーションしながらの灰色という訳でなく、濃淡の灰色を適当に配置したような按配だ。陰影が交じり合っている場所と混ざり合ってない場所があり、近くに寄れば、油絵と言えどこの上でジオラマを作ったのかと言うほどおうとつがあるだろう。 ここの主人はこの絵をいたく気に入りすぎて、2階からホールへの裾広がりの階段がその下にあるというのに誰にも上らせず、自分から率先して左手の元使用人の階段を使っている。 どうも苦手な絵だと、いつもは目の端に入れるのも厭うそれを見上げた。 あの絵は分からない。何を題材にしたのか、何を思ったのか。 ササンもペグンも気に入らないと言うのは、あれが気に入っている所為だろうか。それとも、この絵自体が不安にさせるからだろうか。 何をあの人は気に入ったのだろう。産まれる前からここにあったのは、知っている。時折この絵の前に椅子を持ってきて眺めているのも。 何故か苛々する頭の片隅で、もう見るのはやめようと思う。あれは、自分達の親だけれども、違うものだし、分かり合おうなどと愚の骨頂。違う論理観で生きている、分かり合えない人。 喉元まで出かけている言葉が、そこでにっちもさっちもいかなくなったように、今先まできっちりと嵌っていた破片がどうしても元の場所に収まりがつかないような感覚だけが、脳みそをひりつかせる。 結局原因はあの絵かと、ずり落ちていた視線をそれに合わせると、さっきまでの絵がなかった。 代わりに在ったのは、背中を向けている人の姿。 身体つきから言って、成人男性。 ここいらでは着ないような衣装を身に着け、痩身の男性が向こうを向いている。真後ろの姿なので、顔つきも表情も見えないのだが、性分なのだろうきれいに伸びた背筋に性格が見える気がした。判断はつかないが術を扱う者の気がする。魔力が溜まるとの事で普通、魔術師は髪を伸ばす。その人も素直そうな髪を一つに留めていた。 呆然とアギルがそれを見上げていたのは、どれだけの間だったろうか。 はっきりと見えていた姿が歪み、掻き消されたように思えた。それは正確ではなかったが。 また、あの何を目的にしていたか分からない絵に戻ったそれを見上げて、漸く納得する。 あの絵はどれだけ手間隙を掛けたか分からない、巧妙なだまし絵だったと。この館が先かあの絵が先か、このホールに落ちる光をも計算に入れて、あの絵はここにあったのだ。 少しばかりの間、日差しの角度が狙った位置になる少しの間だけ、あの絵の中の人は映し出され、自分達が意味を図っていた、大部分の時間の表面はその時まで意味がなかったのだ。時折その絵に苛つくのは、その奥にあるものを感じ取っていた為。 漸く夢見ごこちから覚め始めた時、後ろに誰かいた事に気付く。 「あれは、誰、……ですか。」 目に映るのは、白茶けた頭髪に西方出の上着を羽織った初老の男でなく、黒髪混じりの赤い頭の若い男だった。 そこに居たのが、ペグンでなく、サシンである事に気付き、一気に聞き取り辛くなる言葉に捕らわれもせず、ふらりとアギルの前に立つ。 まさか、サシンがいるなんて思う訳がない。何もせず、ただ穏やかに。気配だっていつものではなかった。 そういえば、この絵の前に居る時は、何時も寝ていた。ーーそれとも、眠っているような穏やかな気配、だったのだろうか。 答える筈ない、そう思ったのを裏切り、極限まで引き上げられた口端から、一言押し出された。 「最愛の人だ。」 目線を絵から外さず、その奥の者を見つめ続ける。 本当の姿を見たアギルは、光線がなくともおおまかに人物のあたりをつける事は出来たが、サシンははっきりと相手を見ている。 「あの人は振り返らない。隣に居たとして、同じ方向を向いてないから、離れていくばかりだ。」 すっと、前を指す。それは絵の中の人が見ていた方向。 「戯れに描かせてみたら、このありさまだ。」 苦笑交じりに呟かれるそれは、思いがけず自分の望むものが得られたからか、絵の中の人物を自分の望む方向に向かせたからか、判断がつかなかった。 そもそも、その人は、どこを向いていたのだろう。 むうむうと、サシンの言う特別な人を少しでも汲み取ろうと、絵を見詰め過ぎているアギルをほっとき、人指し指で、何かを招いた。 その男の脇に影が沸き立ち、ことんと微かな音と共に、硬質化した椅子が現れた。物質が交じり合うので、零距離での物体引き寄せは出来ない。極々近距離での召喚は反発と、実力と運次第でこれまた完全でないにしろ状態融合を起こす。やりようによってはキメラなど言って、見世物を作る事が出来る。殆どの場合、まま死んでしまうし、それを生業にしていた魔術士は、何者かに喰い殺されたが。 うっとりと椅子の上で、肘掛を枕に身体を横たえた男は、着替えるのが面倒だといって、平然とそれをする。 それが当然で、知りもしなかった事だが、スペルなしのそれは、無駄な魔力と膨大な法則が居る。それが腕を動かしたり歩いたりする事と同一視している男は、矢張り特異な事だった。 何度も見た光景だ。絵の前に、椅子を置き、丸くなってそれを見上げる。 「……離れがたい。」 酔狂なと思っていた行動が、何か腑に落ちた。 「忘れられないの。」 立ち去ったと思っていたのか忘れ去っていたか、思い出したように椅子越しに目線をくれる。 「…………おまえたちは、自分の存在意義をどう捉えているんだ。前々から思っていたが。」 投じられた言葉にきょとんと、男を見返す。 まさか、ササンならともかく、サシンにそんな事を問われるなんて思いもしなかった! この男は、自分の言った事さえ覚えてないのだろうか。 「『道具は、使える状態になってれば良い。意思があったとしても、それが作用する事はない。』」 一息つぐ。 何故か、空気が薄い気がする。声がだんだんかすれる気がする。どうしてだろう。 「『扱う者の意思が具現化する。それが正しい道具と言うものだ。』」 絵から目を離さず、両手を挙げて、拍手する。酷く音が響いて、アギルは身体を竦めたが、一人のそれは、まばらでどうしても寂しい音と感じてしまう。 「素晴しい。存在してから1年内の言葉を正確に。」 馬鹿にした物言いだった。言いながら、笑いで身体が震える。肘掛に収まっていた赤と黒の一つに纏めた長髪がばたりと落ちて、笑いと共に流れていく。 「そう、だから、おまえたちは、勝てないのだよ。わたしにね。」 揶揄した物言いに、おなかの中が熱くなってくる。 「あなたが、自分を脅かすものを創るはずがない。傍らを許すモノがあったら…。」 いい方向じゃない。自分をコントロールしなければ。 ササンに、間の抜けるほど穏やかな性格だっていわれるのに、どうしてこんなに気にかかるんだ? この相手だけが! 「あはははははははは、ほんとうにおまえたちはおろかだ。信じることさえできないよ! 」 堪え切れず、笑い続ける相手に、何かをしらしめたい。 あんたがつくったから、ササンと自分が居るってのに! 道具として欲したくせに! その癖、何も望んでいないのも知っている。元からそこにあったように扱われている。これから起きるかもしれない災害か厄災の為にと言うように。 じゃあ、どうして、自分達がここにいなければならないのだろう。 「まあいい、それならば、そうなのだろう。変わらぬ果ては美しいものだが、その場所に立とうとは思わないそれはなんなのだね? 」 じゃあ、あんたはそれで、あの人と道をわかたったんだね。 ぐるりと喉が鳴ったが、それを相手にぶつける事はなかった。 一点の冷静さが、他の熱に勝っていた。この相手は、誰かに何かを告げた事があるのだろうか。 例えば、自分達を導く言葉。自分達の存在意義を、サシンの立場から、ーーそういう事を。 ないような気がする。 少々露悪的で、ボーダーが薄い、自分達の親は、自ら進んで、感情を分かち合った事はないのだろう。 流れていく、人の姿しか見た事がないだろう。 「さあ、サシンである私の最高傑作くん、声を出すものを忘れたなら、さっさと立ち去ってくれないかね! 少しの間でもあの人といたいのだよ! 」 絵を見上げている相手は、それ以上喋らない。 ーーーーじゃあ、サシンの目線の方向に向けたその人は? いつの間にか、床に置いていた香炉を拾い上げ、魅入られている相手を置いて歩き出した。そうする他に仕方を今は知らない。 おしまい |