PCから、目を離さず辺りを手探りして、通信機器を手に取る。この場所は精密機械が誤作動を起こす可能性として、(電波状況が改善されているとはいえ、計測に余計な疑念が紛れ込むよりましだ)ケイタイの使用は前々から禁止されていたし、入れ替わりが多いこの場所で誰名義に線を引くかが問題視された為、二十数年前から有線通話機が大体一部屋一台置いてある。代々この部屋を占領した人物はこだわらない性格だったらしく、カバーの端が割れて中身が覗く事のできる。いっとう最初の小型無線機に線を繋いだだけのものだ。 それと、訂正。以前、一回のみの短期間、この場所に電話を配置した事がある。すぐさま撤去されたが。 私用の電話は、予想の範囲内だったろう。ここに寝泊りする輩は少なくないからだ。 それなのに、海外電話を毎日かけたから、程度での始末書はどうだろう。 内心、とてつもなく不服な事に『たかがそれだけの事で』始末書の挙句、全館電話撤去だ。ぶつぶつと文句を口の中でこねる。 「とーりが悪いからつって、たかがQ2の矢面に、海外電話か。完璧に不自然。」 確かに、それにかけた者も私用で海外にかけたものも複数名いた。勿論その事をこの男は知っている。事務所にきちんと保管されているそれの存在も、通信記録も。門外不出になったそれを見ても、自分の所為という感情はわかなかったらしい。どこから金をひねり出すかで紛糾したその書類の、一際輝く赤ペンで名前を飾られている事をしってて、尚。 「もちもち〜? あたちリ〇ちゃん、ひとりでお留守番しているの〜。」 「ーー今日は、魚の気分だな。揚げたのがいい。いいところ知ってるか? 」 「いっや〜ん、えっちぃ。留守番してる女の子、誘うなんて〜。」 「貴様が誘ってきたんだろう。それに男だ、貴様は。ーー昼の話でなくば、私はもう少し書類の整理をしておく。かけてくるな。」 「昼の誘いだよ。誘いでてくれるのかい? 近くの一品料理屋がいいカンジだけどー。」 少しの沈黙。多分仕事量を計算しているのだろう、僅かな間。 「そういえば、昨日、電話かけてこなかったな。」 毎日かけていた海外の相手は、ふと気付いたように呟いた。 「貴様、何日日を浴びてない。まあいい。貴様が出る暇があるならそこに行こう。無理なら中庭で、食堂ので我慢だ。ーーシャーム? 」 「問題? ないでしょ。声かけたの、おれからでしょーが、あるはずない。」 馬鹿げた会話が行われていたのは、よりによってファターブズの「門」である。 目下世界一の魔力安定地を保つ、学術都市だ。 「門」「船」「遺跡」、ーー少々意味合いが異なるが、そういった場所は世界にぽつぽつとある。例えば「船」が外界ーー平行世界を主だった、異世界に通じる基点としての有利性を持つ。空間に関する術の安定性が高い為、術の行使による幾らかのエラー(不発であったり、発動したものの経験則以外の結果を出したり、とまあそんな事だ)が少なくすむ、そういうところだ。 よって、それに利益を感ずる者達や学術的好奇心の輩が、こぞって枚挙する事になる。時間が経つに従い、それらに関する設備を備える学術集団は小都市を形成していった。 そして、そのようなところは、そうそうない。したがって、学力の集中がみられる。 もう一回言わせてもらおう、ファターブスの「門」は、世界一の魔力安定地を持つ。それに集うは、誰もが誇る、魔術師や博士である。 「うひひひひ、じゃあ、デートに行きましょうか。デートにねぇん♪ 」 白衣を放り投げ、ーー目下のところ、白衣をどてらかジャージ代わりに使っている、屈指の魔道士・ズウェディン・ズーノ・赦汲牟は奇声を上げた。 若干十四でここに入ってきたーー長い事ごねていた時間を考え合わせると、十二辺りから名実ともに知られていたマナの道を進む者<魔道士>である。 幾歳もの年上の男に妙な執着を持っているーー、純粋な恋慕だと当人は主張しているが、周りはこぞって、ありえないとの認識だ。何故なら「純粋」も「恋慕」も赦汲牟にある筈ないし、もし、「同性間恋愛」に近いものがあれば、相手が、まだ無傷な訳がない。正確に赦汲牟の性格を把握している周囲はそう思うのだ。その相手にしたって、赦汲牟がそう主張した時、苦笑いした上に呆れ返った目で見返されたのである。 相手の傑出した能力は、「船」に向き、そこからの勧誘からひっさらって「門」まで呼び寄せたのに、と憤慨して見せれば、遊び相手が欲しかったからだろうとにべもなく返す。 そんな言葉を返した事に、当分部屋から出てこない程度の悪戯を仕掛けないだけ、気に入ってるのにと胸内で呟く。 が、そんなもの、普通気付く筈ないのだ。 そんなのが今の時点、マナ観測に関する重鎮である。 魔術を操る者なら、マナに関する事は何をおいても重要になる。その癖、まだその姿をしかと確認した者はないのだ。 名詞を持ちながら、タキオンのようにゼロのように、空のものに言葉を付け足したのか、それとも人族の者にはまだ、姿を現さないのだけなのか。それは、崩壊しないのか、他に転換しないのか。 昔より、魔術の幅は広がり、遅れて伸びた科学とも融合しつつある。 だが、経験則で広がりを見せているに過ぎない。発端も知らず、公式だけが世の中をまかり通っている。 先鋭化した知識の高まりは、それを総ての人に分け与える事は出来ないが、こうは言える。 人が空に吸い込まれないのは、重力があるからだ。それがどういう原理で働いてるか、きかないでくれよ。聞くなら科学者に。重力で縛り付けられた人が「空遊術」で、どうして空を飛ぶかなんて、そりゃあ魔導師に聞いてごらん。理を知る者に出会えるかも知らん。 先の言葉は答えられよう。後の言葉はまだだめだ。 月に向かった竜族を尋ねれば何か分かるかもしれないが。 公式は、理由は、知らないけれど、そうなる事が多い事を教えてくれる。ーーまだ、魔術の素を知らない人族はそうとしか言えない。 月に行けばーー、そう、月に。 「髪の色と目を変えたのか。わざわざ、変えることなーいっだろ。」 東洋風の煮魚の身を解していたディーズム・ジュムン・サシンは、隣に座っていた赦汲牟の黒瞳を見つめ返した。ーー何故か、四人掛けのテーブルに並んで座りながら。 「時々、酷く行儀が悪くなるな、君は。」 どこからかせしめた先割れスプーンで、魚のフライを分解していた赦汲牟をまっすぐ座れと指し示す。斜め前に座るものと思って、先に奥の席に座ったのが悔やまれる。当然のように隣に座り、こちらを向いて、訳の分からない事を喋り続ける。 公式の席での立ち振る舞いを知っている身からすれば、溜め息を吐きたくなる行儀の悪さだ。子供でもあるまいに。 「それと、オリジナルだ。その奇矯な考えをどこから持ってくる。」 「前は黒かったんだろ? 」 彫りが深めの眼窩は燐光を纏わせる藍が埋まり、灰色の濃いめの髪は闇の中の鬼火のような青い光を纏っている。若い時分より、魔力がぬけたか髪の色が少しかすんだような気はするが、生まれて来た時から纏っていた色だ。赦汲牟がなぜ、そう言うか分からない。 この奇妙で優秀な魔道士の、言動には馴れてしまっているが、研究所外での奇態は避けてほしいものだとつくづく思う。どうしてか知らないが、分かりたくもないが、よく後始末を出来る環境にする為に呼び出される。周囲では、ディーズムの言う事なら8割方言う事を聞くとの認識らしい。ここで溜め息を吐かなければならないのは、厄介な役割を負わされた事にだろうか、それとも2割以外が他人の言葉で翻意出来る、どうでも良い事にだろうか。 わくわくと答えを待っている、赦汲牟の黒髪と黒瞳を見る。その姿は、大方の者が東洋出の道士だと最初見間違えるのは無理ない事だと思う。名を聞いて、やっとこれがかの有名な雑種だと知る。樹の股から産まれた取替え児などと裏で言われる血の混じり合いは、年齢を感じさせない表情筋の奥に息づいているのだろうが。 肩書きや風評を欺く表情に、元々の顔かたちが平凡である。内なるクンダリニーを開放……、少しだけたかをはずせば良い。その時こそ本質を見る事が出来ようが、その場所に居るものは大少の差は有れど厄災に見舞われる事は確実である、ただ1名を除いて。 箸の動きを目で追う赦汲牟にやっと、何が言いたいかわかった。 東洋人と言われ続ける赦汲牟より、箸を扱えるのが気になったのだろう。 「これは、『情報交換』したさいに生じた利益だな。」 すっと身を離した赦汲牟を、目の端に写しこむ。 失言かとディーズムは苦笑した。 『情報交換』、簡単に言えば、知識の交換だ。ただ交換の仕方が、魂に書かれている事をコピーするものだから、一気に色気づく。 確かに、全て写し込む事はない。アイデンティティが邪魔をする。だが確実に・記憶の共有・公式の共有・解釈の仕方を分けるのに、余りに便利だ。 ーーー相手を選ぶに困惑するが。 プライベートを大切にするものなら、二の足を踏まざる得ないだろう。情報の、『交換』である。自分だけが相手の知識を得るのではない、相手と自分の知識を『共有』するのだ。そして、読まれたくない感情をガードしていても、自分の無意識が、相手の相性がそれを許さない。 魂を壊さない為に、融合しない為に、失くさない為に、幾つもの方陣を使う。それでも、隠した筈の過去が、忘れてしまっていた癖が、捨てた筈の感情が、相手の中に蘇る事がある。 ごつん、との音に傍らの赦汲牟を見れば、手荒くコップを置いた後だった。猫舌の癖に今先淹れて貰ったお茶を一気に飲み干し、顔をしかめている。 「おれも、その人にしてもらう。」 珍しく、目線を合わせない赦汲牟に、事実を端的に語る。 「しないさ。」 「なぜ。」 「あれは、『例外』だ。」 周りの空気がにわかに剣呑じみた。 「じゃあ、ディーズム、しよう。」 「駄目だ。」 俯き加減のまま、伸びた手に肩を掴まれ、かすれたような小声が聞こえる位置まで引き寄せられる。 「初めてじゃ、ないんだろ。」 「経験は自分の手で入れてこそ、だ。」 鼻の頭に皺を寄せ、頑なに顔を合せない相手に、使われないままだった赦汲牟の箸を差し出す。 「ずるしてるじゃないか。そいつだったらいいのか。どすけべめ。」 軽く頭を振って拒否を表した相手に、しょうがないと箸を戻す。 「あれは例外だと言ったはずだ。よりよい方針を打ち出すためには必要なことだった。それだけだ。」 本当にあれ程の例外は見つけられないだろう。『情報交換』をする必要性もなかった。ただ、時間が……。 その時の相手との情報の中で、大方を占めていた人物を思い出す。 酷い話だ。一生涯それから逃げれない事を決定付けられた。確認してしまった。 「どすけべというのは、あながちはずれてないな。」 「女? 男?」 ぎりぎりと肩を掴む力が増す。気付いてない訳でもないだろうに、ディーズムは赦汲牟の手を外しもせず、あの時の相手の顔を思い出そうとする。形ではなく、差異を。 「…………男だったな。」 「ーーひとりだけじゃないのかよ。」 沈黙をどうとったのか、ぶつりと聞こえた独り言に、軽く応える。 「どうでもいいことだろう。」 何が気に障るか、沈黙を落とす年下の横顔を見た。 今先の会話に、気を落とす点も憤る場所もないように思える。赦汲牟は、感情の振り切れた行動をする事があるが、激情に身を焼かれたりはしない。その筈だ。 「わけがわからんな。」 ある意味生活感のないーー、清潔とか、人の気配がないと言う意味でない、日常生活の雑貨がむやみに少ない赦汲牟の自室に、その主を寝かせる。それとても、一隅に拵えた床の上に直接置かれた毛布の塊の上だ。 あの後、妙にハイテンションとなったその人物は、真昼間から酒を飲みだし、驚くべき事に酔ったらしい。 アルコールが吸収できず、ただ流れるだけだから酔わないとか、その反対に口に含んだ時点で分解され、影響が出ないなどと言われていたザルが、一人で歩けないほどふらついていた。 どうやら、酒と同時に何かーー錠剤のようなものを口に含んでいたから、その所為なのだろうが。 個室というよりは、余計なものを持ち込んだ書庫の方が通りが良い。まだこの時点では人間臭がある方だろう。 時折微かに呻く赦汲牟の背をさすり、時折髪に触れる手先の温度に、素直に昏睡に入れず、ただいたずらに眠気と気分の悪さと戦う。かの手の想いとは別に。 「まだそのときではないのだろうが、シャーム、『最後の一葉』はどうする。不死でものぞむか。」 ぼそりと漏れたのは、独り言だったのだろうが、それであっても消え行かせることはできなかった。 「『魅惑』でもいいかな〜とか。…お金って、人につくじゃん。すべてを魅惑してみたいね。」 ごろんと仰向き、今先までの気分の悪さは演技だったのかと思わせる溌剌さで、ディーズムを見上げる。 その仕草でも隠しきれなかった微かな顔色の悪さに、苦笑いをして、指の背でほおを撫で、サイドの髪を撫でる。それは思いもよらなかった事で、わずかに目を見開いた後、目を細め甘受する。次の言葉で、ますます笑みを深めながら。 「『魅惑』か。……必要ないと思うが。」 「それは、必要なくなるかもしれないけどね。ディーズムは。」 赦汲牟に焦点が合っていた視線が流れていくのをみて、話の選択を間違えた事に気付く。とは言って、今更強引に話を変えれるものでない。 「まだ決めていない。しかし。見れば、定まるかもしれない。」 「何を? どこに? 」 すうっと視線を上げるディーズムの先には天井、それを越え……。 「月に行く。」 多くの竜は月に渡り、未だ人はそれを越えられない。 知識、精神、力、ーー凌駕出来ないまま微かに目の端に写る残像。 追いかけつつも、それ以上に遠ざかっていく姿。 竜が出来る事を人間も出来る。だが、あれは未知。昔も行く末も知っている、この星から産まれいでたる同士で相容れないもの。 「必要じゃないだろ。」 魔術士には、竜に憧れる輩が一般人の割合より多い事を知っていたが、ディーズムもそうだったなんて。 憤りと絶望の核が胸にある事に気付いた。 「呼ばれたんだ。月にいかなければならない。」 呼ばれたか、そうか、呼ばれたか。 竜は、月をテリトリーと定め、招く者、許可した者以外は紳士的に断る。ーー断られた中に、赦汲牟の名もある。 ……ついて行くことが、出来ない。 どれほど人類最高の術士と呼ばれようが、世界指折りの土地と言おうが、理を踏破したと言われる竜族相手ではかすむ。 事実、夜の空に抱かれる竜族の結界を打ち破る糸先でさえ、見つけれないのだ。 「もうここには居なくなるんだな。」 「わからない。」 それは誠実な言葉だったが、月に招かれた多くの者達の選んだ先を見ると、八割方嘘であった。 人を超えた術は、一生涯費やしたとしても、得る事は難しいだろう。 ディーズムが、それに対し無責任で無欲かといえば、言える筈もない。 ああ、そうか、もう駄目なんだ。 この場所に寄せていた意味はなくなるんだな。 決まった、もう決まった。『最後の一葉』…一生涯に一度の最高規模のつむぐ術。ラスト・スペル。 まだ早いといった、それはだれだったか。 おしまい |