石畳の冷たさが敷いた毛布を通して感じられたが、慣れてしまって余程の事がない限り、睡眠を遮ることはなくなってしまった。冷え切った黴臭い外気を今更に認識して毛布に鼻をうずめる。ついでに体温を奪われないよう、足と腕をこごめて隣の人に引っ付いた。 背を撫でる手があったが、もう少しは起きなくても大丈夫だろうと、もう一度寝に入る。 ……入ろうとした。 「動いた。」 「動いたな。 なんだ、この朝っぱから。」 毛布まみれの中で、身体を強張らせて呟いた青年に初老の男が応える。今さっきのように背中を撫でられて、仮死状態の動物がゆっくりと動き出すようにアギルは息を吹き返した。 「アギル、ササンを起こせ。」 言い終えるまでに、びくりとペグンを越えた向こう側の背中が跳ねた。痙攣というか引き付け というか、理由が分かっているので問題にならないだろう。 ゆるゆると頭を押さえて身を起こすのは、無理矢理情報を差し込まれた所為か内容の所為か。まあ、どちらにしろ、両方が関わっているのは確実だ。 「……あれがどうしたって。」 アギルと髪型以外は同型のササンが嫌そうにかすれた声で、一応の確認だけ取る。 「あれの魔力が発動した。また何か、やらかしたらしい。」 毛布の中で、深い溜め息が誰ともなく洩れた。 「前回はなんだったか。」 「酔っ払って、壁を壊したのではなかったかな。外壁まで壊して、寒風が。」 「あれ、水を汲むのが面倒で水びたしにしたのが前回でしょう。」 「あれはすぐに始末つけれたからなぁ。」 結局は、地下室にいる三人は誰もが扉を開けたくはないのだ。開けてしまえば、現状を確認しなければならない。開けなければ、違う意味でシュレディンガーの猫が這い回る。 結界が保たれているここまで波及することは、滅多にない。 滅多にないが、結界がある以上、外にも出れない。 「……しょうがない。」 最年長は無造作に扉を引く。後々なじられても。 扉一枚隔てた先は、紅蓮だった。 廊下から押し返すような熱風と目の底を焼く光。 扉一杯分のーー、いや、扉の外一面のほのお。 大きな何かを叩きつけられる音で、それは終わった。 「なんだ。」 「なんだ。」 「……もう地下室で暮らそうかな。」 しょんぼりと呟くアギルに、炎が入ってこないように扉を背で押さえつけるように立ったペグンが、目を剥く。アギルならやりかねない。 「まてまて、黄昏るな。地下室は寒いし暑いし湿気るぞ。」 「アギルもペグンもなに訳の分からんことを。アレに会ってくるから待っていればいいだろう 。」 扉を開けようとペグンの隣に立ったササンの袖を引っつかむ。 「それこそ待て! ササン、あんなことになっている中を行く気か?! 」 「幻影だろう? 」 ごつごつと壁を叩く。 そこから熱を感じなかったのだろう、ひとつ頷いてノブに手を伸ばした腕をもう片手でペグンが握る。アギルが縋りつく。必死に止める二人を不思議そうに眺めて、地下室の扉に顎で示す。 「燃えてやしないじゃないか。」 「熱を感じましたよ。」 「熱いだけじゃないのか? 」 「「あれはバケモノ! 」なんですよ! 」 「ーーあー、まあそうなんだが。」 魔力の欠片もないササンにはどういうことか実感がないらしいが、あれほどコントロールの利いた魔術士はいない。時間と場所と体調、それに運、全て兼ね備えている。建物が炎で焼けないくらいのコントロールは当たり前に会得している。 壁をこわしてしまった時は、したたか酔っていたし、水を零したりとかは頓着する事項に入っていなかったのだろう。 あれは、道をたどる魔術師だから、魔は半身としてある。 「それでも、行かなくてはいけないだろう。」 魔力の代わりに常識を詰め込んだ唯一が、道理を示す、扉に。 ★ 「なにごとだ。」 雁首揃えた三人を胡乱に見て、衣装箱の蓋を閉めた。 主寝室の空気はむっと暑く、それでも澱んだそれではない。毛布を身体に巻きつけて、裸足でうろついていたらしい。裾から見えるあの服は寝巻きの筈だ。気の抜けた姿をさらして、コキコキと首を鳴らす、この家の主のその姿に揃って溜め息を吐いた。 「ああ、起きたのか。」 「そんなことより、今先のはなんだ。」 二回目扉を開いた時も、廊下は火の海だった。火だけの空間だった。 二の足を踏むアギルとペグンを別に、幻影と断じたササンが炎の中に分け入って、慌ててその後についてきたという訳だ。 結局は、炎は館を巡り燃えているだけで何一つ焦がしはしなかったが、あの熱さといい空気の 薄さといい、ただの幻影と思えない。 今先の? 咄嗟に思いつかなかったのだろう、探るようにペグンの顔を見返したが思い出したらしい。 「あー、今朝は特に冷え込んだよな、寒かった。寒かったよな。」 ぺたぺたとベットまで戻ると靴の中に足を突っ込んで、衣装箱から取り出した服をベットに放る。 それがどうしたと問い掛けて、嫌な予感がした。 じゃっという音と共にカーテンが勝手に開いた。サシンは外を見たが、多分ここにはないものを見たかったに違いない。 「雪ぐらい降ればいいのに、ほんとにココは降らないな。」 「ーー炎を走らせたのは…。」 「空気が温まっただろう。」 嬉しそうに笑った相手に何も言えないことに気付いた。 「アギル。」 名を呼ばれると同時に腕を取られる。 「なんでしょう。」 「ここにくるまで、ササンと一緒だったな? 」 「それがどうかしましたか。」 「いや、べつに。」 含み笑いをするサシンを薄気味悪そうに見て身体を引くが、手は外れない。 「アギル! 来い。」 腕を掴んでいた手を開いて解き放った。 「さて、いくか。」 「あったまるには人肌が一番って聞くからな。」 いそいそと外套を着込む相手に、ペグンはじろりと一瞥をくれる。大方馴染みのところだろう。 すぐに出て行くつもりなら、尚更、今先のはなんだったんだ。 「自家製のは使えないからしょうがない。」 ついっと子供たちを指差して笑った相手に、眉間の縦皺が増えた。 それと同時に、まさかと言う言葉を思い出した。入った時点で服を取り出していたなら、その直前に空気を暖めるのは…、だが、それはまさかで裡に沈めた。 おしまい |