なにせ、たったひとつのものだから。



 今朝はよく晴れている。いやになるぐらい晴れている。
 鼻先まで外套の襟を立てしっかりと髪もしまい、亀のように首を竦める。格好もそうだが、外套の中身にも少しばかり問題がある。それもこれも、天気がよいからなのだ、結局は。
 靴底が地面とあたってパリパリと音を立てた。それにしても、こんな寒い冬の早朝から元気な客だ。
 霜のせいか白っぽく見える鉄扉に手を掛け、引き開ける。さて、と周りを見渡すと、頭ひとつ分低い女性がいただけで、不法侵入を企てようとする輩は見当たらない。
 さて困った。
 家に入ろうとした気配があるのを、ペグンは感じていたし、その引っ掛かりも自分は感じた。だから、片割れに叩き起こされ、じゃんけんに負けたからここにいる。誰も逃れることの出来ない庭に、踏み入らせる訳にはいかないのだから。
 ここには、何もないのに、逃げられないのは自分も同じだけれども。
 赤くなった鼻っ柱を擦り、精神を研ぎ澄ませながら鍵を閉める。“目”には何も写らない。相手の行動が偵察のみならば、見付からないかもしれないが、小細工を仕掛ける手合いならまだそこらにいるかもしれない。できれば、いて欲しかった。
 確実に、それは自分の都合だ。
 こんなくそ寒い早朝に、内から目覚めさせられて、何かと思えば侵入者らしき気配で、ぐーに負けて、おっぽり出された。もちろん、外套の中身は寝巻きだ。
 大体、うちの片割れはひどい。
 てこてこと女性のいた方向と反対方向に歩きながら、今日の片割れについて考える。
 優しく起こそうと思えば、優しく起こせるのだ、あれだって。
「…あの……。」
 起きるまで頭撫で続けていたこともあったし、起きる気分でない時には白湯を持って来た事もある。自分だって庭に死体が増えるのは歓迎したくない。緊急だと分かっている。ただし、あの起こし方は、頭の中をひっくり返されるようで、本当に大嫌いなのに。誰が圧縮記憶を押し流してくるなんて手を考えたんだ。どう考えても拷問用だろう。ああ、そういえば、アレが……。
「あの! 」
 ようやっと自分に声が掛けられている事を知り、振り返る。思ったとおり、そこにいた女性からのものだった。知り合いでないのは確かだ。
「なにか? 」
 もしかすると、不審人物を見たのかもしれないと思いついて、できるだけ穏やかに言ってみたのだが、どうか。周りには妙齢の女性なんていないものだから、どう扱えばいいか分からない。子供に対するように、身を屈めた方がよかったか。
 栗毛の髪をたぶん流行の形にまとめ、たぶん今頃の流行の服装をした市井の娘だ。白い頬を薄紅に染め、気圧されたように見上げる目は子犬のようだった。
「あのっ、ーーこのあいだはありがとうございました! 」
 『このあいだ』?
 記憶野をつついて零れ落ちた、女性を見た『このあいだ』は、飲み会料理屋朝市。その中に、この女性に関してはまったく、記憶がない。
 ーーそれに、今気付いたのだが、何故女性がこんな早朝単身で佇んでいた?
「こんな所まで押し掛けてごめんなさい! でも、自分の口からお礼を言いたかったんですっ。」
 ああ、このひとだったのか。引っ掛かったのは。ではもう問題はない。
 それを知って、半分魂が寝床に飛んでいる。あたたかいもうふ、あたたかいへや、あたたかいのみもの。あたたかいてのひら。
 残った魄は、女性の言った言葉を吟味もせずに、自分の部屋に引き摺られたままだ。さっさと自室に戻る事にしか、頭が動かない。
「あなたのおかげで、父も母も傷つかずにすみました! 」
 動かない頭を捻って、女性を見下ろす。
 なんと言うか絶妙な退路の塞ぎ方だ。真摯な目に、急き込んだ喋り方、全身全霊でこちらに話しかけている相手を無視して通り過ぎるのも、できやしない。上気した嬉しそうな女性に、そんな事が出来る人がいるだろうか。
 ましてや、どうやら自分の片割れと勘違いしているらしい。
 ーーたすけてくれ、ササン。



 抵抗するような素振りを見せ、ようやく門扉の錠が掛かった。
 手袋についた錆を払っていると、青みがかった鳥を肩に乗せている生き写しがこちらにやって来たところだった。
 こんな寒い所にいたくはないが、暖かなものが来てしまった以上は、部屋に帰ってもせんがない。
 溜め息を吐き、自分を少しばかり目付きを悪くして、威圧感を足したら見分けがつかなくなる相手を待つ。それが、相手の取った方法で、自分は手っ取り早く髪と髭に手を入れた。
「アギル、どうだった。」
 少なくとも相手のとった方法は、ササンがこちら『を』見る限り効果を上げていないように見えるが。
「なんでもありませんでしたよ。」
 手が何もしないでも触れるくらいに間近に立って、目の中を覗き込まれる。相手を気遣う時、ササンがする無意識な行動だが、これでは勘違いされてもしょうがない。
 アギルに怪我も何もない事を理解したのか姿勢を正したが、鳥の頭をかいてやるばかりで何も言わない。
「どうしました。」
「ペグンが、外に出たいそうで連れて来た。」
「この冷え込みで、鍵が硬いですよ。」
 もう一度門扉に手を掛け揺すってみたが、いつもは遊びでがちゃがちゃとけたたましいそれが、ちょっとばかし揺れるのみにとどまる。鍵を取り出したところで、妙な音が響いた。
“ああ、柵の隙間から出れる。前にしたとき、動かなかったから大丈夫だ。”
 頭に響くそれに鳥を見たが、そしらぬ風に首を傾げるだけだ。
“散歩ださんぽ。何を気にするか。”
 自分のの肩に乗った鳥にササンが手の甲を差し出せば、それに乗る。きわめて慎重に、門の柵の間から外に差し出せば、二度羽ばたかせると未練なく飛び立った。
「いってらっしゃい。」

「ペグンしか動けない状況に追い込まれたときのことを考えて、脱出路を探していた時に見つけて試したのだが。」
 肩を抱こうとすると何故か嫌がるので、アギルの手を引いて玄関に足早に向かおうとするがどうにも、何かが邪魔してそれが儘ならない。ペグンに言わせれば、それが人を屠る罠らしい。ここの子であるササンに引っ掛けさせないためだと言う。魔力の欠片もない対象を認識して一時的に解除している高度の高い技だと言う。そんなことがあるのだろうか。死んでしまったっていうのに。
「上手くいったようですね。」
 ここに入るものを厭い、ここから出るものを更に厭うたサシンが作った結界は、使い魔、人間区別なく素材に還元する。蟻一匹も出入りできないほど敷き詰められた罠が開いていると思えない。ならば、これは、何か理由のある隙間なのだろう。
 それを聞いたとしても、無知を嘲るだろう相手はいなくなったのだが。
「それで、なんだったんだ。」
 結局、今の家を作った相手は、妙な所で信頼されている。誰か庭に入り込もうとし、そしてそれを伝える術は廃れてはいない、と。
「…おなかがすきました。」
 ほんの少しアギルがまだ不機嫌なのを知って、それでも妙な引っ掛かりを感じるので、ササンは聞き続けるしかない。
「アギルもペグンも、見たというなら誰かが侵入しようとしていたんだろう。見付からなかったのか。」
「はあ、引っ掛かっただけですよ。」
「アギル。そのわりには時間がかかったな。」
「ちょっと愛の告白を受けていましてね。」



 不機嫌は伝播する。そして伝播した。
 いつもの食事を取る台所は暖めてあって、後はお茶を入れるだけの段になっているのに、珍しくも何度かササンは食器を鳴らし、アギルは鼻先まで立てた襟さえも直そうともしない。
「それで。」
 差し出されたカップの中で、あわや中身が外に逃亡を図ろうとしたのを見て、眉をひそめながらそれをアギルは受け取った。
「なんです? 」
「告白というなら、女性だったのか。それで、どうするつもりだ。」
 話をそっちのけに碗の中にジャムを飛び込ませていたアギルが、驚いたように顔を上げる。
「え、なにもしませんけれど。」
「ーーアギル、おまえな。」
「だってそれは、誤解でしたからどうするもないでしょう。」
「最初から話せ。」
 そこでやっと外套を取り、襟を下ろす。外套の中に押し込んでいた長い黒髪を引き出した。
「分かりますか。」
 口髭をさすりながら、わかれと言っている。
 眉を顰めているササンに、今度は髪を後ろに流し、口元を、口髭を手の平で隠す。
「あのような格好をしていたものだから、髭と髪が隠れて、あまりに似通っている相手と勘違いされたんです。」
 ぶつりと呟く。
「もてますねえ、ササン。」
「間違われる認識程度で、もてたことにはならないだろう。」
 苦々しい顔をして吐き捨てる。事実、吐き気がするくらい憤っているのが内臓に伝わってくる。
 自分の居場所を踏み荒らされているような感覚は、よくアギルも覚えるものだ。
「助けられたとか言ってましたから、会ったところで一度か二度ほどでしょう。それに、素材は二人とも同じなのだから、間違えた所でしれているでしょう。」
「それでも、ペグンは間違えなかった。大体、女性と付き合う気はないのだから、邪魔なだけだ。」
「ーー言い訳に使ってますからね…。」
 アギルはともかく、ササンは軍の中での最高位を持っている。宮廷魔導師だったサシンの後ろ添えで得たそれだが、位に目のない相手には落としやすい相手に見えるらしい。それどころじゃないササンは「女犯をすれば、サシンに掛けられた魔術がきれる」で全て押し切った。国母の要求も。
 あの親に、人並みはずれた膂力の為、それなりに信じられているらしい。あの(・・)親の存在もステイタスなのだから、危ない橋は渡らなかったということか。
「偽装でも所帯を持てば、アギルと距離が出来るだろう。厭だぞ。跡継ぎは必要になるだろうし、それでなくとも、可能性から言って自分の子供だぞ。見たくもない。」
「自分の子供はぞっとしませんが、ササンの子供ならかわいいでしょうね。」
「人として生まれるか分からん生き物に、そんな情はもてるものか。」
「……それが問題なんですよね。」
「食事が冷えたな。」
「困りましたね。」

「で。」
「はい? 」
「おまえの方は。」
「何がですか。」
「そういう色めいたことは。」
「まったくないですね。」
「……。」
「はい。」
「何も言ってない。」
 なにやら面白くなかったが、アギルが笑ったのでその感情をササンは見逃す事にした。
 今先のわだかまりがなくなったらしく、アギルの方は健啖家ぶりを発揮しているが、代わってササンは小鳥の食事風景になってしまっている。アギルのお定まりの文句を聞きたくはないが、この流れだと来るのがわかってげんなりと砂のような食事を噛む。
「ササンの性格から言って、どんな女性がいたとしても、ケリがつかない限り相手にしないでしょう。私たちのことは心配しなくとも生活できますから、見付かったらそっちに専念してください。」
「ふん、それで下手を打ちたくないといって、縁を切られるわけだな。」
「本気で言いそうでこわいですね。ーー作りはそんなに冒険していないと思うんですが。」
「そうだな、サシンのことだからな。ーーせいぜい、先祖がえりくらいじゃないか。」
「……繁殖能力がないかもしれないでしょう。」
「庭がーー、ペグンの魔方陣もそうだ。アレが死んだら、解けると思っていた。だけどどうだ、全く変わらずそこにある。先を読んでループを作り上げているからだろう。なら、それが子供である自分達の中にないと言えるか。」
「ーーサシンはーーーー。」
「どうした。」
 珍しくも、苦笑と疑心を現して口を噤んだままだ。軽く頭を振って口を開く。
「突飛過ぎるから、今は言えません。でも大丈夫ですよ。」
「ーーーーアギルは、楽天家過ぎる。」

「それにしても、そのわりに嫉妬するよな。」
「それは、それとこれとは別ですから。」



おしまい





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