帰ってみると、リビングのテーブルの上に目薬が置いてあった。 上着を脱ぎながら、キッチンに向かう。 そこに本当に珍しく、同居人がいた。髪が肩ほどまで伸ばしていることもあり、もう少し昔なら背後から見ると、女の子に見えていたのだろうが、今では細身ながらしっかりとした男性の骨格に育っている。 ウォークの上げ膳据え膳当たり前と思っているようで、あまりここで何かしないのだが。 「ただいま。」 「ああ。」 「誰か来てたのか。」 流しの中に、繊細なウェーブを描いた二客カップが置いてある。底に残っている色を見るからには、コーヒーだろう。 「ウォーク。まだ残っているから飲むか。」 男にしては細い指を伸ばして、保温ポットをとる。揺すって確認したサラスニが、答えを聞かず自分たち用のカップを出した。淡いブルーのと変形型の伸びをした猫のイラストがついて尻尾が取っ手になっているものだ。いつの間にか猫のほうがウォーク専用となってしまっているが、買った記憶もなければ承諾した記憶もないのだが。 「着替えてくる。」 生返事を返したサラスニをほっといて、リビングを通って部屋に向かう。 もちろん、片付いた部屋の中に目薬だけが出ていた。 「珍しいだろ。」 「そうだな。」 コーヒーと小皿に盛られたマシュマロと角砂糖。何故かウォークの方だけ、テディベアの形をしたそれだ。 サラスニは、ぼちゃぼちゃとノーマルなマシュマロを投入している。少し迷った挙句、ウォークは熊の形をした砂糖をスプーンに載せ、コーヒーの上に下ろす。水分を吸って形がまったくなくなる前に、掻き回してしまう。 「サラスニ。」 「うん? 」 「面白くもなんともないと思うが。」 上機嫌で、こちらを眺めていた男を見返す。 魔術師兼僧侶の男だ。教義で鉄製品を禁止されているから、くつろいでる時でも身に着けているマジックアイテムは、木と羽と石で固められている。 教義で縛れるなら、ひねた性格をどうにかしたほうがよかったのにとはウォークの弁だ。 「俺には面白い。」 「そうか。」 「ああ。」 疲れた時は、ミルクと砂糖二個入れるのだが、サラスニの表情が気に喰わない。小皿をよけようとして、再三目薬が目に入った。 「それで、誰が来てたんだ? 」 「ひみつ。」 「……。」 「惚れた相手のことを相談に来たことを、秘密にしてほしいといってたからな。だから、駄目だ。」 そういえば、ウォークの目にも近頃、そわそわと落ち着きのない若者の姿が写っていた。ミスはしないので、周りは相談してくるまで、ほうっておくことで一致している。 「……それは、相談のほうを知られたくなかったんじゃないのか。」 「まあいいだろう。ウォークの口の堅さを信頼しているからな。」 淀みもなく返された返事に、この二三日中に、あいつの相談内容がひそやかに周りにばれてしまうんだなと、はっきり分かった。 どのような見解をサラスニに持っているかしらないが、少し矯正しておいたほうがいいだろう。周りの精神安定のためにも。 「これは? 」 目薬をサラスニの方に押し出して聞いてみる。 「回答。」 片思いの相手、相談事、目薬、回答ーー、並べると下世話だらけだ。 「あ、あ、あほかおまえはぁ!! 」 「泣くぞ? ウォーク。」 「あいつの方が泣くわ! 」 「ひどいな。あんな相談されたら、ネタで返せ、そういわれているようなものだろう? 目薬はストック分を渡しておいた。」 だから大丈夫だというように笑って見せたサラスニに、わざとらしく、目の前で盛大なため息をついて見せたが、上機嫌のままだ。 「俺の助言なんて、冷静になれば、自分の首を絞めるようなもんだと分かるだろう? 」 恋に走った男に、冷静さを持つすべはあるのだろうか。 「ま、冷静になればの話だけどな。」 「ばかだろ、おまえ。」 言葉尻を遮るように、電話の音が鳴った。ウォークが立ち上がろうとするのを手で制して、サラスニが電話を取りに立った。 くまのマシュマロを一個だけつまんで、自分のカップに落とす。ぷかぷかと浮いているのが哀れだが、さらにスプーンで押し込むことはせず、ようやく口をつけた。 「なんだ。結局飲むのか。」 「俺に淹れてくれたんだろう。」 「そうだけど。」 頭掻きながら、一言告げる。 「それに入れたんだけど、目薬。」 「そうか。」 もう一口啜る。 「で、どんな感じだ? 」 「異物が入っていると知ったら不味くなった。」 コーヒーの香りと風味が強くて、違和感がなかった。くまのマシュマロと砂糖は、わざと入れさせないためのものだったのかもしれない。 「……怒るかと思ったのに、変だな。」 「昔の成分ならどうか知らないが、いまのには痺れとかでない。だろ。」 ぐるぐると、カップの中身をかき混ぜたが、飲む気が起きず、端に避けた。 「何だ。知ってたのか。」 「当たり前だ。そうじゃなかったら、電話しているところだ。……今先の電話、あいつからか。」 にんまり笑った顔から、口を開く前に違うと分かる。どうもいやな予感がする。 「いや、その対象から。結論をおしえといた。」 「なにが。」 「だから、最初の相談相手は電話の主。今日のは、なぜだか相談してきたから、炊きつけてみた訳だ。信頼できる相手かどうか。」 つまりあいつは、敵に相談を持ちかけたわけだ。……しかし、職場で色恋の話をできそうなのは、この男ぐらいしかいないのも確かだ。ーーそして、100%、からかうのも。 「何とも言えんな。」 「あいつを、信じてるさ。」 「使った場合はどうする。」 「そんな外道、知るか。」 外道がわらう。 「どうにも不味いな。」 「貸せ。淹れなおしてくる。」 「その調子で、料理と掃除と洗濯してくれ。」 「人の仕事は取らないことにしてるんだ。」 ★ ★ ★
寝付かれないのか、隣のベットでごろごろと寝返りを打っている気配がする。 「あッ! 」 「……なんだ、近所迷惑だな。」 寝つきが悪いサラスニが、夜煩いのは分かっていたが、ベットから起きてこちらまで来るのは珍しい。ベットの上に乗ってくるのは尚更だ。 「あのコーヒー、『信頼』の証じゃなくて『誘い』か! 」 「違う。馬鹿。こっちくんな。」 サラスニの肩まで切ってある髪が、顔に触れそうなまで近づく。 「気づかなくて悪かったな。ウォーク。今からでも「訳の分からんことするな! 当分飯抜きでもいいのか?! 」…。」 切り札は有効だったらしい。無言でベットから降りた奴の頭を叩いてやる。 「ちっ、三日三晩すすり泣いてやる。」 「変なもの飲ませた挙句にこれか。」 「効いたとしても一日ぐらいじゃないか。じゃあ、今日だけすすり泣いておく。」 「馬鹿なことを言ってないでとっとと寝ろ。あと五時間だ。」 おしまい |