「へえ、おまえでも、居場所をしらないんだ。」 同卒の言葉に頷く。 少しばかり酒に浸した身には、2階からの風が心地よい。 親戚の料理店だからと勝って知ったる態度で、上がった六畳間。つられて上がったのは良いが、最初は下の喧騒と、自分にとって全く関わりのない相手の部屋だと思うと少々居心地悪かった。しかし、下でせしめたらしい酒が回る頃には、これはこれでわずらわしさがないのだと知った。 「香山かー。俺は学生ん時、ずっと嫌いだったんだが、まあ、気になる奴だよな。何してんだか。」 「調べられないか。」 打てば響くような反応に、情報局に勤めている相手、表門 顕智はすうっと顔を顰めた。黒縁眼鏡を押し上げ、もったいぶって答えを出す。 「ぅーん。同窓会程度で職権乱用はなー。…ま、いいか。おまえには、いろいろ世話になったし。」 「悪い、感謝する。」 気にすんなと笑ってみせて、酒を注ぐ。 「しってたか? あいつ、卒業者名簿に載ってないんだぜ。」 「え? 」 「全員揃えたかったから、簡単な範囲では、みんな捜しているんだぜ。ただひとり、香山だけ、変なんだ。」 「…………。」 「入学者名簿にも名前がない。講習名簿にもない。受講料から諸々の書類に名前はない。勿論、成績表もない。代わりに入っている知らない名前もない。」 注いだものの飲み干す気はないらしく、唇を湿らせた程度だ。 表門らしい、と、どこかで常灯は思っていた。彼の突出した能力は、どんな処でも自分を保てるところだろう。 学生時分からそうだった。 「まるでもとから居なかったようだ。で、だな、いろいろ考えたんだが。」 ぐりぐりと自分のこめかみを擦って、聞き辛そうに話題を出す。 「最初っから、そういう契約じゃなかったのか? おまえ仲良かったろ、知らないか? 」 「ーーわからない。」 「あいつ、ずっと次席でおまえを抜かせる場所に居たのに、のほほんとしてて、他の奴らにはっぱかけて、努力を怠っているように見えたけど、違うんじゃないか? 名前を消すのに主席で答辞なんて読んだら消しにくいだろう。できるだけ、周囲に埋没したかったんじゃないのか。ーーー今から思い起こせば、いろいろ便宜が計られてるんだよな、あいつには。」 うろうろと指が彷徨って、干しイカを摘む。 「香山の奴、あいつ、絶対、深夜に寝床から這い出して、どっかいってたろ。ーーあれ、舎監にちくった奴、知ってんだよな。。でも、あいつに何のお咎めもナシ。で、の大喧嘩になったわけ。」 律儀に香山を呼び出し、律儀に応えた訳だ。 五対一、香山の素手に対し、木刀持ちの争いをなんと言うかが問題だと思うが。 「あれは、喧嘩じゃないだろ。」 それに依存はなく、表門は肩を竦める。 「まあね。でも、香山は喧嘩にしてしまった。五対一で怪我をしていたのに、だ。ーーなんかあるね。」 事の次第を素直に言うだけで、反省房に突っ込まれる事にならなかった筈だし、当事者は除名処分を受けた筈だ。 だが、香山は喧嘩だと言い張り、武器を率先して隠匿し、相手から恨みを買う。ーーそれも分からないものでもないだろうに。 「まあ、いい。推測は。じゃ、できるだけ調べてみる。だめもとで。」 「悪い。」 「だから、気にすんなって。やっぱ同窓会は、みんな集まった方が楽しいだろ。おまえのためじゃない。」 もう、外は昏く、まだ秋だろうとの言葉を失わせるほど闇が冷たい。 そんなに話し込んでいた訳ではないのだが、五年も経つ友人との会話はそれなりに増殖して時間を喰い潰していたらしい。早く帰らないと。 この街はそれなりに平和である。それなりはそれなりで、夜警が休む夜などありはしないし、女性や子供が用もないのにほっつく時間でもない。 女性でもない自分が急ぐほどのものではないものの、しかし、明日には。早朝閲兵がある。野干ノ衆と呼ばれる部隊の副長としては必ず出なければいけないものだ。さっさと疲れを取ってしまいたかった。 ーー少しばかり期待していたのだ。表門なら紅葉の情報を持っているのではないかと。 確かに親友であったものの、学生時代なら、四十八時間ずっと一緒でも、卒業していけば、だんだん縁が切れていく事もあるだろうと想像は出来たし、歳をとって家庭が出来ればなおさらだ。まだし、そうだったらそれなりに合えない事に諦めはついただろう。だが、ぱったりと会えなくなった。卒業式の前日まで居た。それは確実。同室であった自分がそう言える。 卒業式に遅れないようにぎりぎりまで探し回っていた。式場に行ってみると、紅葉の分だけ席がなかったらしく、他の級友が用意していた。名前を呼ばれる段になっても帰っては来ず、そして、名前を呼ばれる事もなかった。 答辞を読んだのは、常灯であるが、その記憶はない。そんな事に気を使っていなかった。 「どこいっちゃったんだろうな、おまえは。」 表門に聞くまでもなく、卒業者から名前が削られている事を知っていた。他の書類もなんて知らなかったけれども。ーー他の級友も知っていただろう。自分より有名な相手だった。 何事も卒なくこなし、一度覚えたきり、最後まで手を緩める事なく、把握する事が得意だった。 完璧だった。完璧という言葉がないとしても、それを使って良い相手だった。 努力家を自負し、よくて秀才タイプと自分を見定めている常灯にとっては、とても羨ましい相手だった。嫉妬するほどに。自分が一位であるのは、相手が全力を出していないからであり、その気になれば、実技でも、筆記でも、負ける事は明らかであった。 ただ、香山紅葉の性格が。 入学した時から常灯の何を気に入ったか、ぺったりと懐き、ゲームが好きで、人の多いのが好き。ベーゴマや凧や子供な玩具を好んで、記憶の中の表情は、金太郎飴を切ったように笑った顔ばかり。寮に作り付けの机があったが、その一番上の引き出しは、お菓子とそんな物で埋まっていた。 結局、表しかないような相手では、暗い感情も霧散して、他に天才の香山紅葉という相手が居るのだと思う事にした。 そんな相手を他の者がほっとく訳がない。成績が表示されるごとに香山の順位が噂され、卒業シーズンともなるとどこに就くか、との噂話だ。 人の事になるとある程度無頓着な常灯ではあるが、香山の事に関しては、別である。自分が気に入っているあの性格は、ある人が見れば一遍で気に入るようだが、憎悪を滾らす者もいる事に気付いたからだ。なまじ、何度かの喧嘩でーーリンチだと思うのだが、化け物並みの強さと、教官群の横槍でこなしていったそれを、本人が喧嘩だと言うのだからしょうがないーー、助太刀も頼まない性格に気付いてからは、尚更ほっとく訳にいかなくなった。 …………。 「なんだ…? 」 何かの破裂音が聞こえた。ーー思いの他、意識を飛ばしていたらしい。迅速さを売りにしている常灯らしくなく、辺りを見渡す。 左手から、また、音がした。 「何をしているっ! 」 路地に駆け込み、まだ闇の中にいる相手に誰何する。 「……。」 「そんなところで何をしていた。出て来い。」 闇がゆらりと持ち上がった。 しゃがんでいたのだろう。そんなに背が高いものだと思えなかったのだが、上に伸びる丈に後ずさるほど、思いも寄らず巨漢であった。動きは繊細で音も立てず動いた割には。 「……キサマこそ、なに。」 提灯を相手に向けようとした矢先、制止の声が飛ぶ。よろけるような言葉は、無理矢理作っているような塩梅ではあったが。 巨漢の陰に何名か隠れていたようだ。その言葉に触発されたように闇をかき回すようにして、獲物を構えたのが見えた。 「ーー何をしていた。」 「なにも。だから、あっち・イケ。」 たどたどしい言葉で来た道を指す。 「いや、それを決めるのは、警官だ。夜警に引き渡すまでおとなしくしていろ。」 ゆっくりとこちらに来る相手に、腰を落とす。 あと少しで、こちらの光源内に入る。 ゆらりゆらりと歩みを進めていた相手は、ぴたりと止まった。 「? 」 ゆっくりとお辞儀をする。くるりと背を向け、今先までの動きとは別格の速さで、闇に身を投じた。後ろの何名かも。 「あっ待て! おまえたちっっ!! 」 「あー、こらこら。」 のんきな声が聞こえた。それはそれはひねもすほんわかした声が。 ぎょっとして、後ろを振り返る。今先の巨漢が挨拶した相手だ。提灯を携えて闇の中を立っているが、着物を着ているという事しか分からない。 「今先の人達はーーーーーー。」 そこまで言って、言葉をとめた相手に焦れる。 「『今先の人達は』? 」 「あ。」 「あ? 」 「やっぱり。」 「やっぱり? 」 「あー、なんだー。」 途轍もなく嬉しそうな声が、闇の中から漏れた。 すいっと提灯が持ち上がり、持ち手の顔を照らすーーが、大体下から照らしても、すぐ誰かと分かると思ってるんだろうか、この男は。 「悲しいなー、忘れちゃったのかー。」 「…………。」 「そうだよな、おまえのこと、親友だと思っていても、それは俺一人のことだったんだな。かなしいぞー、…」 「紅葉。」 闇の中でも、嬉しがっているような気配がした。 「なんだー、ひどいなー。もしかして、忘れ去られちゃったのかと。」 「そういえば、コウヨウという親友がいたな。俺にも。しかし、その親友は、別れの挨拶さえせずに、俺の前から姿を消した上に、一度も連絡はなかったし。ーー結局、なにもなにも教えてもらってはなかったんだ。旧友だれも。」 「……。」 「卒業式の時、俺はおまえを探したし、他の奴だってそうだ。おまえの席がなかったから、表門たちが席を作ったし、名前を呼ばれなかったから、教官に抗議したし、ーーそんなの知らないままにいなくなりやがって、ーー紅葉なんて人間居るのか。」 自分が何を言ったのか、わからなかった。だが、それは、ずっとある疑問で、まるで寝る前に聞いたお話のような、お昼には溶ける疑問。 実は、香山は居なく、実は、面前のもまぼろしで。実は。何もかも考え違い。 「……いろいろあるんだ。ーーいろいろあったんだ。…おれも、おまえたちみたいの同窓会とかにでたいんだがーー。」 「あ。」 「あ? 」 「ちょっと待て、今先のやつらは?! 」 「大丈夫、あれは護衛。爆発物撤去していただけだから、気にするな。」 「そこのリーダーなのか、おまえは。」 たじろぎもせず、照れた言葉が返る。 「え? ーーーーえへへへへへ、ばれた? 」 「だって、おまえに敬礼していただろう。ーー護衛って、誰の。」 「それ言っちゃうと、何も言わずやめた意味がないだろう? 」 それはそうだ、それはそうだが、しかし。 「ーーーー大丈夫なのか? 」 「うーん、あいつら、爆発物処理班じゃないから、時間掛かるだろうけど、大丈夫でしょー。」 「ーーおまえのことだよ。」 「だいじょーぶ、だいじょーぶ。代々これやってるから、うまいのなんのって。ーーほんと、大丈夫だよ。気にするな。」 すいっとひとつ後ろに下がる。 今先まで見えていた表情が見えなくなった気がした。 「気にするな、郭清。俺はね、ずっと、してたから。学生時代から。ーーほんとーに、上手いんだから。」 「俺は、何も、知らない。」 「知らないのはね、いらないことだからだよ。必要ないから、知らないで居てくれ。」 「紅葉。」 「郭清、ほんとーに、気付いてくれて嬉しかった。同窓会にはいけないから、無駄なことはするな。」 「紅葉、俺、今、野干ノ衆にいるから! 」 「へえ。」 遠くなる声。 「出世したなあ、流石だよ。」 「おまえっ! おまえがそんな台詞を吐くかっっ! おまえがっっ!! 」 おまえの方が先んずると思ってた。おまえの方が、何でも出来るくせに。この都市の行く末を語った癖に。 おまえがおまえがおまえがっ! 「で、何で、おまえがここにいるんだ。」 野干ノ衆の宿舎の食堂で、大盛りご飯をおかわりした香山をどつく。 一仕事してきたと言えども、まだ朝六時、ここらでは、どこもまだ開いてない。 「酷いなー、郭清ー。おまえが場所教えてくれたんだろーぉ。」 「あらあら、友達殴っちゃ駄目よー。」 「生部さん、大丈夫です。こいつ、友達じゃありませんから。」 《がぁあ〜んっっ》擬音付きで衝撃を受けてみたが、きっぱりと無視し続ける常灯の態度に、常灯郭清との名前が入った朝ごはんをずりずりと差し出してくる。 「ひどいー、ひどいぞー。昨日の夜はっきりと…。」 「うるさい。だいたい、ご飯、誰の分だと思ってるんだ。」 「どらやきかわりに買ってきたのにー。」 食台の下から出したのは、確かにどら焼き。どこのがどうと詳しくないが、なかなか立派な箱に入った一品を一瞥して、押し戻す。 「そんな甘たるいもの、ご飯の代わりになるかっ。人に言えない職業に就いてる癖に。」 「後ろ暗い職業じゃないぃぃっ。ーー酷いですよねえ、ショーブさん。」 「ほんと、友達に言う言葉じゃなくってよ? 」 賄いのおばちゃんののほほんとした返答に、冷たく返す。 「五年も音信断ってる時点で、友達じゃないです。ーー生部さんを味方につけるのをやめろ。大体何しに、ここにきたんだ。」 「遠方より、友来たる、亦たのしからずやって言うだろう? 」 「たまたま、ここに来ているのか? 職場は遠いのか? 」 「まさか。ーーーーーーチョーク、チョークっっ。」 途中で首を絞め始めた常灯の手を取っ払って、ぎりぎりと争いになる。 「あー、びびったー。」 「おまえ、帰れ。」 結局、体力も凌駕している香山に、勝ちを譲った常灯は、犬を追い払うようにぱたぱたと手を振る。 それを打ち捨てられた犬の様相で、見ていたが……。 ぺたりと常灯の背中に張り付いた。 「ひどいー、ひーどーいー。二年間休みがなくって、無理矢理旧友に会いに来た者に言う言葉じゃないー。」 肩に掛かった手を外そうと争って、ーー。 「ーーーーどんなとこなんだよ、そこは。」 諦めた常灯に、当たり前のように背中に常住する。 「日常と職場が合体しちゃって、休む暇がないだけなんだけどねー。ーーひとつ聞くけど、野干ノ衆の隊長って、誰。島嶼さんのまま? 」 肩の上に顎を乗せられて喋るので、がくがくする。 「いや、灯心隊長に代替わりしたけど? 」 ぐいっと、肩を脱臼させるのかと思うほど力をいれられたと思ったら、すんなり手を離す。 「そっかー。やっぱり。じゃ、暇になったら、手紙だすわ。じゃあねー。」 「あ、こら、連絡先っ…。」 「だから秘密だって、じゃあねー、またねー。」 「ほんとうに、また、だからなっ! 」 我侭な親友に怒鳴り上げ、出て行った扉をぴしゃんと閉める。 周りの部下達の、自分を見る目が変わったのに、まだ気付いてない。 まあアレだけ、騒げば、当たり前だと思う。 「…………あれは。」 ひょいひょいと垣根を越えて、去っていく香山の背中を見て、表情が変わった男が一人。 常灯がそこに居たなら、理由を尋ねる表情である。敵を目にしたような。 それに気付かず、姿を消した方向をずっとにらんでいた。 おしまい
|