「ねえ、悠逖。あなたは結婚しないの? 」 熊肉のスープを注ぎ込もうとした手が止まる。 「ジャガイモは多めに入れてね。」 にっこりと笑う彼女に少しの間、呆けて見ていたのは後から、からかわれる事になる。 「やっぱり、煮物料理は悠逖がいちばんおいしいわ。」 おなかが空いたの。何か食べさせて、との言葉で悠逖の家まで押し掛けて来た王は、あたりまえに自分用の皿を引き出して躾のいい犬のように待っていた。ーー昼を抜かそうかと考えた悠逖に気付いたかのように。 いつもよりせかせかと食べるのは、美味しいものの時で。小さい頃は冬大ーー前王だーーと彼女、そして悠逖の目の前には小さな皿しかなく、食べ物に関して弱肉強食が行われた。不味い時も同じく。 普段より早めに皿を空けた彼女は、鍋の前に立つ。 そういえば近頃気付いたのだ。子供の頃は弱肉強食だと思っていたお菓子の皿は、確かに冬大だけの物でなかった。不味い皿も彼女と自分だけの物でなかった。前々代の王の嫡子で年も上だった彼は、独占もせず、押し付けもしなかった。「こんなマズイ物良く食えるな」とがばりと取っていく彼に呆れて見せたりもしたが。大雑把で短気だった所為で勘違いされる事が多かったが、どうやら自分も勘違いしていたようだ。 ただ、自分も二人には何かをしてみたかった。我侭を言いたかったし、甘えたかったし、美味しい物は分けるべきで、食べたくなさそうな物は幾らか手伝う。ーー何故かは知らないが。 「あら、やっぱりまだ残ってるじゃない。頂くわね。」 なみなみと皿に注ぐ王を見て、今更のように自分達が大人になっている事に気付く。揃って冬大の後ろについていき、彼女は大きくなったら兄のようになりたいと言っていた。そして自分も、彼女は変わらず大きくなっても少年のままでいると思っていた。女か男かの区別は必要なかった。 「誰に何を言われた。」 女性らしい仕草で、音も立てず皿を置き、裾を捌いて椅子に座るーーいつからだったろうか。 「何言っているの? わかりきったことじゃない。『多くの人』から『嫡子を作れ』と思われているわ。」 「困ったものだな。」 「本当にねえ。」 今度は先の飲み方よりゆっくりと啜りながら、他人事のように呟く。 「他の血筋から王を出そうとしていたことを思い出せばいいんだけど。」 前王が身罷った時、彼女でなく、傍流より王を出そうとした事も、遠い昔は認められれば誰もが王になった事も。 だが、現在、彼女ほど行く先を憂いている者はいないだろう。 この山脈を国とし、頑強な守備力を持つが、代わりに外からの影響が少ない。外に出向く者もいるが、絶対数が少ない。異国の情報は入らず、土地の堅固な守りに任せ、外に目を向ける事が少ない。 普通の戦いなら、想像はつく。だが、魔道士が噛んでいたら。 これまでは、魔道士が侵略に手を貸す事はなかった。魔術具を扱う魔術士などは時折見かける事はあったが、その場その場の風向きを変える事はあっただろうが、戦局を動かす事はなかった。 たかだか人間の一人や二人で、出来る筈のない事を成し遂げた。呪文で野営地を焼き尽くし、大軍を薙ぎ払う。それが出来るのは二人いた。ボッファの宮廷魔導師サシン、そしてメガロッパの死霊使役者サシン。 片方は死に、片方は行方知れずだが、これだけの戦果を出したのだ。魔道士を傘下に入れようとする動きがない方がおかしい。 魔術の道を踏破するのが魔道士であれど、人間であるからには弱みの一つや二つある筈。サシン並の魔道士投入となると防衛手段なぞないといっていい。 せめて呪紋の名を引き継ぐ者がいれば、素人の付け焼刃的な考えを捻くらなくても良かっただろうに。 最後の一匙を口の中に収めて、満足そうな息をついた幼馴染に、日常に引き戻される。いつかは考えなければならない事でも、この時くらいはそれはいいだろう。 「それにしても悠逖、あなた、もてているようね。いいことだわ。」 そんな事があったかと言いかけて、脳内を占める男がいる。 自分の眉間に皺が刻まれつつあるのを感じながら、時折つまらない事を言い出す彼女に恨みがましい目をやる。 「何の話だ。」 何故そんなに嫌がるかと不思議そうな顔をした相手は、ゆっくりとに了解顔になった。 「あら、もしかして守護の彼のこと思い出しちゃった? 違うのよ。重明じゃなくて、詠音でしょう、仁万、そうね浪夜も悠逖を慕ってるじゃない。」 指折る名前は、立場より友人という言葉が先に立つ相手だ。一体どうしてそんな考えになったのだ。重明がおかしいからと十把一絡げにする事もないだろう。 「あの者たちはわたしの部下だ。上が役に立たんと下に負担が来る。優秀なのはあたりまえだ。冬大がわたしを引き上げるような真似をするから、下になるしかない者が迷惑する。」 言い切った悠逖に、困ったように彼女は呟く。 「ーー浮かばれないわね。」 それは守り部としての仕事の事でしょう。友愛だろうが主従愛だろうが、どんな思いでも対象に認識されないものは苦しいものなのに。 言うべきか言わざるべきか、ストレスを溜めやすい兄弟分にどちらが都合がいいか考えて、結局彼女は放棄した。 あんなもろわかりな感情、気付かない方が悪い。 「どう考えてもありえないことを言うからだ。もてていると言うなら、重明のほうだろう。」 変わって悠逖は幼馴染が何を考えているか、気にも留めず、ぶつぶつと塵のように何時の間にか積もっているストレスを吐き出す。 「あの馬鹿げた言動を止め、流言蜚語の類をせず、こちらを見なければ、いい守り部だと思うが。」 「ああ、それじゃ、重明は生まれ変わらなきゃ駄目ね。」 「たぶん、自分を無視する相手だから気にかけているのだろう。基本的にわたしは、人間に興味がないのだがな。」 それだけじゃないそうよと、おもしろそうに彼女は付け足した。 「初恋らしいわよ? 」 「……なんの話だ。」 「灰色の長い髪の、天の使いのような少女。一目惚れで、初恋ですって。」 くつくつくつと笑って、一度も短く髪を切った事のない相手を見上げる。他の国の短髪が罪人と僧侶しかありえなくとも、ここの国では女性でも髪を刈る事がある。それを基準にしたら悠逖の髪は長い。 「灰色の髪なんてそうはいないだろう。里の該当女性を片っ端からーー、いなかったんだな? 」 「そうね。見付からなかったようよ。その少女、あなたみたいな硬質的な銀に近い灰色だったって言ってたわ。」 「どう考えても、男を女と見間違うわけないだろう。」 「そうかしら。」 今はそこいらを探しても悠逖を超える背の者はいないし、男性的な顔つきになっている。だが、会った頃からそれなりに長く、ーー灰色の髪の無口な『女の子』と仲良くなったと、兄妹揃って思っていた事は言わない方がいいのだろう。 「そろそろ帰るわ。また、おなかが空いたらくるから。」 外套を取って、とっとと外に出ようとした王の腕をかろうじて取る。自分の立場を弁えていない筈はないだろうに。 「待て。送っていく。」 「柿日嬢に護衛頼んであるから、それはいいわ。」 それだけ言って身を翻そうとしたが、気が変わったらしい。両手を差し出して、にこりと笑う。 その手を取り、幼い頃のように抱き締めれば、腕の中からくすくすと満足気な笑いが洩れた。 「生きている人の中で、いちばんスキよ。」 「わたしもそうだな。」 「今の悠逖を失くしたくないから、口説くのは止めにしておくわ。」 胸をそっと押され、腕を緩めれば三歳下の姉貴分がするりと抜け出た。 「悠逖、あなたは考えすぎているのかもしれない。そこにあったものを確実に見るけれども、それは違う意味を持っているかもしれない。」 姉貴分は弟分の頭をそっと撫でた。 「あなたは考えすぎるから。」 「いろおとこ。」 低く一声囁いたのは男装の戦士だった。 王が廊下を出た隙のそれに、悠逖は眉をしかめた。 短く髪を切り、王の護衛として立ち振る舞う柿日嬢は、いつも剣呑な目で悠逖を見る。 王の私的な事の多くを悠逖が占めている上、独身男女である二人が人払いしてまで会う唯一の例外だ。まだ、そういう仲なら柿日嬢の目は少しは和らぐのだろうが。ただひたすらに事実無根な噂を助長している現実は、彼女には気に喰わないのだろう。 「死んだ人間に勝てないものに言う言葉じゃありませんね。」 「そうか? 王と連れ添えばいいじゃないか。なかなか似合いだ。」 「冗談もはなはだしい。あのひとの傍らに立つのは、これからもわたしではないし、わたしの隣に立つのはまだ見ぬ人だ。」 どうだか。一連の悠逖の言葉にあまり感慨を見せず、彼女は肩をすくめる事で切り捨た。 おしまい |
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