国の興亡に余り関わらないーー、それでも国がある。
 理由は簡単。要所にないからだ。山を根城とし、作物は取れにくく、攻めにくい。攻めた処で兵は疲弊するだけで、利益が薄い。
 能天気にその事実に胡坐をかいて、それは楽しく、飢えた他国の民草と戦っていた。



「くそったれめがッッ!! あたしの剣は民を切るためのもんじゃねぇわよぉぉッ!! 」
 その剣をーーきちりと鞘に収め、戒めも施してあるものの、らしくない粗雑さで振り上げる。空に向かって二度三度、型というには余りに感情に任せている。
「ユルゲ、うるさい。」
 猛る相手より、一回り小柄な相手がふらりと影から現れた。
 ソフトレザーアーマーの上にマント代わりの厚手の布を巻きつけ、ガントレッドだけが金属製で古びている。それを言うなら憤懣やるかたなさげな方も同じく、却ってこちらの方が防御が厚い。外とこの国を区切る塀の中では、それ以外の格好を探せという方が難しいだろうが。
 この国をぐるりと覆う城壁がある。それというよりは、塀の形をした砦か。ただ横にのっぺりと広く、塹壕ほど狭い所があると思えば、どちらが縦か分からないほどの場所がある。山が領域であるこの国では、勿論どのようなものでも、それが建設できない場所があり、また、それを作り続け維持し続けるほどの余裕はない。
 緩やかにこの国を覆っているそれは、戦時以外にも必要なものであった。
狛充(はくじゅう)! 聞けよてめえ! 隣国のクースチワールの野郎、税をどれだけ引き上げたと思う?! 」
 振り回していた獲物を一瞬の内に腰に差込み、代わりに拳で壁を殴りつける。目線は、自分より小柄な、それでもここの民である事を考え合わせれば、十分標準値を満たしている狛充から離さない。
 虎か何か、見惚れさせる癖に獰猛な獣の雰囲気を持つ、その同僚を一瞥し、馬鹿げた数字を晒す。
「7:3。」
「何すかしてんだ! そんなんで生きることができるかよ? 」
「できないだろうな。」
「ウチが負積払うって言うのかよ! ふざけんじゃないわよふざけんじゃないわよ。誰が好き好んで他国民(たにん)だからって斬らなきゃなんないのよぅ! ふっざけんじゃないわよ! あたしの剣は護りのはずよ?! 」
 この国の塀は、平時中も使われる。特に、飢饉の時に。
 税が高くなれば農民は、死ぬか、外に流れるか。だが、普通外まで流れても、行く場所がなく潰えるだけだ。自国内から出たとして、受け入れ先がある筈ない。民は国の礎といえ、余りに多ければ、持て余してしまう。先例を作れば、続く問題に悩まされる。
 それにここに農耕専門は一握りしかいない。遊牧と狩猟の民だ。ある一定以上の人数は、首を絞める事になる。
「ほんっっとむかつくわ。クースチワール、首級上げ(とっ)たろうかしら。」
「おまえの技量(うで)では無理だ。王が命じたのならともかく、他国の宰相をどうにかできるか。」
「そんなの知ってるわよ! 知ってるわよ! あたしんちの家系そうじゃん! 飢え死にしかけたところ、ここにいれてもらえたんじゃん! 昔のじいさまやばあさまが逃げなかったら、あたしもあそこで生まれて死に掛けてんじゃん! それなのに、あたしが、斬ってんのよ?! 」
 ぎりぎりと固める拳から、嫌な音が流れる。はめているガントレッドが砕け散りそうになるほど、握り締めている所為だ。狛充とて平生の顔をしているのは、ただユルゲが激昂している所為で、だから冷静さを取り持つ余裕があるだけで。
「ユルゲが無理なら、俺が出る。全て受け入れるほどの余裕はここにない。」
「知ってるわよ。ーー遠い昔の顔も知らない隣人になってたかもしれない奴より、ここの人の方が好きだわよ。ーーわかってるわよ、あたしだって。」
 低い声で、そう呟くユルゲに頭を振る。
 この女戦士は一点を除いて、狛充の良い戦友だ。闘うだけの能力なら傑出しているし、余り物事に拘らない。必要と思われたら、血反吐を吐いても一人で戦地に立つ忍耐強さがある。その癖、人情深いのだ。
 その漢前なユルゲに、一言ぐらい声を掛けてやりたいが、女性相手だと思ってしまったら、どうにも声が掛け辛い。何時もの調子の彼女になら、何とでも言えるのだろうが。
「ーー何を考えてるか知らないが、ボッファのヨチュンが侵略を繰り返している。サシンとか言う得体の知れない妖術師がーー、本物の魔道士らしいんだが、そいつが忠誠誓っているらしくて、どうにも崩せないらしくてな。」
 慰め代わりに、見えない敵を話す。
「近くの都市は兵と食糧をかき集めている。ーー魔道士といったって、一人だぞ。それを国が脅威と認識している。信じられん。」
 自分の罪と思うより、見えない敵に怒れ。
 責任転嫁で、ユルゲの荷が軽くなるなら、神を引きずり落として敵にしようか。それで、傷が広がらないなら。
「だが、他国の反応を見ていると、騙されているとしたって、無視できない事実だ。確実に、ボッファを恐れている。しょうがない、俺たちはそれに従うだけだ。原因より過程の方が恐ろしいことは、ままある。」



 ふっと、強張っていたユルゲの肩が落ちる。
「狛充? わるい、ただむかついただけ。大丈夫。わかってる。」
 にやりと、笑った顔は自嘲に満ちていた。
「わかってる。悪いのは、ボッファ(あいつら)と、あたし、だ。」

 山を越えようとしていたのか、三人の男が斧を刀を持って、身を潜めていた。
 背は高かったものの、痩せこけた体躯。覇気のない表情(かお)
 関門以外の越境は万死。
 知っていた筈だ。だから斬った。
 そして、その後に、賊でなく難民と気付いたのだ。
 木の陰からこちらを見詰める、女性と子供達の目。
 歳に合わない老いた表情の人間達。今先命を奪った者達と同じ、切羽詰ったものを持っている。
 そちらに、ユルゲが一歩踏み出した途端、脱兎のごとく逃げ出したのをどんなに有り難いと思ったか。
 声の掛けようがない。その子供達も同罪だ。だと言って、剣を振るえるかは……。
 今はいいとして、頼りの男衆が斬殺され、あの未亡人と子供達はどこにいけるというのか。

「ユルゲ、物思いのところ悪いんだが。」
 壁に手を当て、囁くような声の狛充を訝しげに見る。
「何よ。」
「誰か来た。」
「! 」
「おい、9割9分、俺の部下だぞ…? 」
 一瞬強張ったユルゲに、視線もくれず一心に耳を澄ます。確実に、来たのは守り部ーー、有事の際には武器と命を持て馳せ参ずる者だ。だが、平時は狩人や墨作りが主。狛充も優秀な狩り人で、それが聞き間違えるなど見た事がない。
 次の言葉も言わずと分かって、壁にユルゲは身体を預けた。
「ああ、やっぱり、うちンとこのだ。ユルゲ、用意できているか。休暇だぞ。」
 壁の隙間から視認しようと四苦八苦している狛充を何となく見ながら、ぼんやりと帰る事に不安を覚える。
 部下を断ったのが悔やまれる。この国は余り戦いを好まないーー、自国に入らなければ、他の国に対して中立を取る。よって、この国で多いのが、ゲリラタイプである。剣を扱うものより、弓兵の方が多い。槍使いなど、投擲以外の使い方がある事を知っている者がどれだけいるか。
 部下を持つ事になったら、剣使いだろう、そして陽動が主な仕事となるだろう。
 なら、いらない。
「ーーあたし。帰るの…、ちょっと伸ばそうか、迷ってんだ。」
 帰ったとて、血縁の者は死んでいる。狛充の所の部下とは顔見知りだ、それなりに気心知れている。
 それに、あの母親と子供が、まだそこらにいるかもしれない。
「そうか。」
 それを知ってたかのように、微かに頷き、(くに)側とはいえ、扉を全開にした。
「おい?! 」
重明(ちょうめい)! ユルゲ帰るのを取りやめるそうだ。一緒に帰ろう! 」
 ありえない行動にありえない大声。
 大体狛充は、仕事以外では極端に動かなくなる人間だと云うのに。そしてその言葉。
「っちょ! 待てッ! 重明が来てるのか?! 何故だ?! 」
 狛充の腕を掴み、外を見る目を無理矢理こちらに、向かせた。
「見習いとて守り部の一員だ。警備のいろはを教え込む為に、尊促(そんそく)勢嵐(せらん)に命じたが、そうか、連れて来るとは上々だったんだろう。まあ、あの二人に重明だからな。あたりまえだ。」
「狛充! おかしいぞ! どうしておまえと重明が帰る! 」
「どこがだ。ここの最低人数は2名。ユルゲと尊促と勢嵐で十分だろう。重明に一週間みっちりとしごきを命じたからな。疲れているに違いない。役目の終わった俺と帰るのはあたりまえだと思うが? 」
「ウソつけっっ。狛充おまえは重明を独占したいだけだろう! 」
「何を! 部下を慈しむのは隊長として当たり前のことだろう! 」
 腕を掴んでいた筈のユルゲは、肩に掴みかかり、狛充も眉間に皺を寄せ、苛立ちと共に相手を見る。
 狛充は、まだ見習いの子供に、べたべたと執着するユルゲはおかしいと言う。ユルゲは、あんな子供の見習いに果敢な事を要求し、執着する狛充を問題だと言う。共に相手に不満を持つ、唯一の欠点がここに来ているのだ。
「なにいちゃついてんですか〜、たいちょお、ユルゲさん。」
 何時の間にか、二十歳過ぎの2人が、扉の前に現れていた。どちらも細身でユルゲに身長で負けている。
 剣呑とした両隊長格に睨まれて、へらりと笑う。この二人とて、性格さえアレでなかったら、早々に部下を持ってしかるべき実力者なのだが。
「はっはっはっ、勢嵐。隊長も二人三人は妻を娶るお年頃だぞ? まだ独り身だが。一晩とはいえ…。」
 ユルゲが、この塀に来たのは、前述の侵入者がいたからである。
 日が落ちるのは早い。残りの母親と子供を、どうするべきかも分からず探していたが、結局は見付からなかった。見つける気もなかった。ふと周りを見ると辺りは暗闇で覆いつかされて、一番近いのは、ここだというそれだけだ。
「馬鹿か貴様。」
 狛充が吐き捨てるように言うのに続き、渋面を作ったまま、続く。
「役に立たないなら落としてやろうか? 頭。」
 確かに尊促とも仲がいいが、聞き捨てられる言葉でない。
 自らの命を預ける相手を信用できないか。そんな男じゃない事を知っているだろうが。それに。
「あたしは! 重明ひとすじだっっ!! 」
 呆れた顔が三つ並んでいる。
「そんな公認の無体なこと、告白されなくてもいいんですよ、ユルゲさん。」
「ニュアンス的には、尊促と同じく、です。」
「あ? 」
「まーねー、尊促なみに言語を飛ばして喋らないからね〜。」
 緩やかに方向転換を進める勢嵐の努力虚しく、こまっこい人影が滑り込んできた。
「狛充隊長っ。周りに人影確認できず。障害物も見当たりませんっ! 」
 びしぃっと、他国式の敬礼をして見せた、子供はにこりと笑って見せた。
 細い身体はしなやかで、野を駆ける動物を想像させたし、強い光を秘めた黄色い目は狩り方を覚えたら、猫科のそれのように輝くだろう。
 表に現れるだけが本質でないが、守り部を目指す子供には必要なものだ。
「重明。」
 みるみる喜色に変っていくユルゲに、残りの男性陣は、溜め息を吐いた。
「あれ? ユルゲさん? どうしてここに…。」
「そりゃ、隊長の…ぐはあぁッ! 」
「いいから死ね。」
 ハイキックをキメた脚を優雅に下ろしながら、ろくでもない事を吹聴しようとしていた物体Sを見下ろした。悪虫を見る方が、まだ救いのある視線で。
 その背に、いつもより低い声が続きを促す。
「あと二三回どついていいぞ。」
 ーー尊促もばかだね〜。
 聞こえたものの、尊促の与太話になんら抵触してないので、放置する事にする。
 じゃあ、お言葉に甘えて、と浮かせかけた軍靴をとめた者がいる。
 ユルゲの右袖を握り、見上げる黄色い目と同色の髪を持つ子供。悲しげな目なのは、今先起こった事でもこれから起こりそうな事でもない。大体このドツキ漫才は、このメンバーが揃えば、一日経たずに慣れる。
「ユルゲさん。」
「重明? 」
「お疲れ様でした。」
「重明。」
 そのか細い身体を腕の内に収める。
 この子は、自分のやった事を知っていて、この言葉を掛けてくる。羨望でない眼差し、拒否でない言葉、この腕を振り解かないのは、心を分かっているからだろう?
 さみしいさみしい。
 自分は独りでは癒えない存在だ。何も言わなくていいから、目の見える場所に居て、触らせて。
 これが仕事だというのに、同僚に言える訳がない。
 相手もいない。
「たいちょおお。何してんですか。」
「取られていいんですか。」
 ぴよぴよ騒ぐ部下に首を傾げる。
 ふと気付いた表情になって、ぽんと打ち合わされた音に、ますますぴよぴよ達は不安になった。
「ユルゲ。うちの部下に手を出さないで貰おうか。」
「違。」
「何考えてんですか〜。」
 残念ながら、自分は入れ知恵が出来ないと勢嵐は嘆く。やる事がある。
 弱ってるおんなには、とりあえず優しくしときゃいいんですよ。ころりですよ。などと確実に余計な事を抜かす相方の口から、手が離せないのだ。
 すぐ、必要ないと知れたが。
「うっさいわね。あんたは部下だから一緒にいられるけど、あたしは違うのよっ。」
「姐さん、違。」
「姐さん、言う相手が違う〜。」
 誰が姐さんだッッという怒声は聞き流す事にする。
「いいから重明から、手を離せ。」
「旦那、重明を引くよりユルゲさん引くべきです。」
「バッカ、そうしたら旦那の下心がばれる〜。」
 誰が旦那だ? 不思議そうな顔の狛充はほっとく事にする。

 闘鶏な喧嘩の二人に野次馬二匹。ならば現状を打破できるのは、後はこの人だけだろう。
「隊長。ユルゲさん。」
 二人を見上げて、当たり前の事を聞いた。

「王に報告は? 」



「あの人たちは美味しくいただくから。」
「……うげ。」
 侵入者を見つけてしまった以上、鳥に便りを授ける訳にいかず、泣く泣く三人ーー勿論、尊促、勢嵐、重明、だーーを残して、帰るという段になって、重明がやらかしてくれた。
 人肉アルレギーを自認するユルゲは、口を押さえて呻く。あの後、余り食べてないと言え、手に残る「斬った」との感覚や感情が揺さぶりをかけてきた。
 ここに属してから第三世代であろうと、定義するモラルの差異が邪魔をする。動物性蛋白質が少ないのは承知だが、それを同族で補う行為は、ユルゲには理解できない。
「あー。」
「あー。」
「あー。だから、重明は猫ちゃんじゃない〜。ぼけ虎だっていうのに〜。」
 勇者の肉を食めば、その魂が身体に宿り、知恵者の脳を啜れば、その目を持つ。
 当たり前で常識な事をこの女性が、どうしても受け入れられない事を知っているだろうに。
「ユ、ユルゲさん? 」
「重明、もう少し考えろ。」
 失言王・尊促に促され、泣きそうな顔になったのは、しょうがない事だろう。
「…はは、気にするな、重明。あんな先任の元にいるんだ。影響を受けてしまったんだな? 今度からは気をつければいい。」
 漢前な引きつった笑顔で言われ、失言王の三人は「わかりやしたぜ、アニキィッ! 」と言いたくなったとか、言いそうになったとか。
 ーーまあ、頑張れ。



「尊促さん、ここに来る途中、女の子を見なかった? 」
「他者を見かけたら、さっさと報告しろと言っておいただろ〜。」
「問題ない。うちの服装をしてたし。ーーそれに。」
 ーーそれになんだと言うのだろう。
「あっははは、おまえも色ボケひとりか。」
「昔から、そうだよ。…、ねっねっ、俺くらいの歳の灰色の髪の長い天使見たく可愛い子、知らない? 」
 灰色はあんまり採れないな〜。有名の灰色の男子なら知ってるんだがな。
 それだけ目線で会話して、同時に首を振る。
「あ、今日は白の下衣に深緑の上着、家紋みたいのが刺してあって、それは銀で猛禽だった。」
 それならば、知っている。しっているが、それは。
「重明、おまえ、気をつけろよ。どこに目があるか見えない。」
「やばいね〜。この隊って、大丈夫なのかな〜。」
 隊長は、自分の心がどこにあるか知らない。仲の良いユルゲも、唯のファン意識で重明を可愛がっている。子供だから自分に危害を加える事がないと、無意識に感じ取っているのだろう。
 で、その二人がエースとして鍛え上げようとするのが、目がいいのに女も男も区別がつかない相手と来る。
「先任たち、その人のこと、知ってんだ。」
 華やいだ声を上げる餓鬼の面前で、二人は視線を交わした。
 まあ、そう言うだろうと思っていたけれど。自分もそう言おうと、思っていたけれど。
「重明、もうすぐその子と会えるよ〜。」
「一ヶ月ちょっとか、長くて早いな。なあ、重明。」
 二人の訳の分からない言葉に首を傾げたが、どうやらその相手に会えると知って、満面の笑みを浮かべた。



 第31代奉煉(ぶれん)家主、悠逖(ゆてき)、銀の隼が家紋の、ほぼ代ごとに日知りを輩出する家主である。
 その身は、13歳。凶事に倒れた両親に代わって二年前、日知りになった筈だが、何を考えたか守り部に転属を申し出た。
 どこをどうしたか王の覚えめでたい子供の戯言は、すんなりと聞き入れられたらしい。
 ーーそして母親譲りの、灰色の長い髪を持ている。
 確か、重明と1つか2つばかり違う、噂の男の子(・・・)だ。



 一ヶ月後の、任命式での、重明の呆然自失ぶり・狛充の動揺ぶり・ユルゲの混乱ぶりを想像して、二人はにっこりと重明と笑い合った。



おしまい





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