「ぼく の かぞく」


 それは漸く、暖房をつけずとも、昼間寒さを感じなくなった時の事。それと幼い家族の一員が、少しばかり家を留守をした時分の話だ。

 ふと、少しの間、主が居ないその部屋を九達郎(くたつろう)が覗こうとしたのは、本能だったろう。
 築二十年の平屋建て。純日本家屋の南側の部屋は、現在どこをほっつき歩いているか分からない放蕩息子のあの子の部屋で、空気の入れ替え程度に立ち寄る事はあれど、家人は寄らないようにしていた。
 確実に帰ってくる、人の部屋をいじる気にならなかったのが、大部分だ。大体、無頓着と整理下手と無関心の三人組が、埃を除けば整理されているといっていい部屋に、手を出す筈がない。
 カーテンを開け放ち、窓を全開にしたその陽だまりの中に、いつも探している人が居た。
 珍しく、整理下手が古びたダンボールを傍らに置いて、何かを熱心に検分している。
「ゆり、レースのカーテンをしめろ。」
 ぴくりとも動かない背中に、聞こえなかったかと、再度声を掛ける。
「おまえの白い肌が焼けてしまう。」
「そんなの、だいじょうぶだって。」
 顔を巡らせもせず、お気楽に返された返事に、ぴくりと九達郎の顔が動いた。ここに、現在家出中のコウがいたならば、慌ててゆりを逃がしただろうが。残念ながら、その相手も傍観者も居なかった。
 すたすたとゆりの背後に立つと、のしかかるように屈み込む。慣れた様子で、するりと襟足に忍び込んだ指に、ゆりはびくりと身体を竦ませた。
「まあ、わたしがひどくなる前に、隅々までケアするつもりだが。」
 九達郎のセクハラそのものの言動に、慌てて指を払い、距離を開け、襟元を正す。
 その横を素通りして、レースのカーテンを引く。
「…目も悪くなる。」
 どちらかといえば、ゆりの肌を考えると障子を引きたかったのだが、空気の入れ替えもかねているようだから、今回は諦める。元々ガラス戸に障子だったこの部屋を貰った時、コウが最初に希望したのが、絨毯を引き、障子を取っ払い、カーテンをつける事だったが。結局は、畳を傷める絨毯を引っぺがし、冬が寒いと障子の再導入に至った訳で、何となくアンバランスな和洋折衷の部屋になってしまっている。
 目を大事にしているが、熱中するあまりよく酷使してしまうゆりに、フォローとケアをするのはいつも九達郎だ。
 折角見つけた物を共有しようとした際、出鼻を挫かれた事は忘れる事にした。
「うん。ごめん。九達郎。」
 微かに照れくさそうなゆりが持っているのは、黄色く変色した原稿用紙の束。

『 ぼく の かぞく 』

「ーーそれは。」
 一瞥して、内容を把握したらしい九達郎が確認するようにゆりを見る。小さく頷いて、肯定を表した。
「うん。コウの。整理してたらでて来たんだ。」

『ぼくの家族は、オシさまとゆりさんと九達郎の四人家族です。』

 コウの小学生時代の作文だ。勿論二人が忘れる筈がない。
 顔を見合わせて笑う。九達郎の苦笑を見ながら、ゆりの困った顔のそれでも幸せそうな笑いを見ながら。

「コウは今頃、どうしてるかなあ。」
 何時の間にかついていた、原稿用紙の端の折れを直しながら、呟く。
 ゆりにとっては、可愛がっていたコウが、何に不満を持っていたか推測できても確定できない。反抗期もなかった相手が、どんな感情を溜めていたか察してやる事もできなかった。そして、オシさまと九達郎が、どうやらコウの悩みを把握している。
 溜め息さえ出る筈ない。
 ずいっと目の前に、携帯ゲーム機程の大きさのモバイルが差し出された。
 持ち主は当たり前ながら、九達郎である。
「…朝から東原公園から動いてない。光点の大きさがこの縮尺が当てはまらないが、推測としては、ベンチ辺りで寝ている筈だ。」
「ーーそういう意味じゃなくって。」
「エラー値は出ていないから、健康だと思うが。貯金額も変動は今の所ない。あまり小遣いを使わなかったから、まだ通帳に手をつけるまでいってないな。」
 ぷうと子供じみた仕草で、ゆりの口は尖った。
 コウの家出を知った時、慌てて探し出そうとしたゆりを止めたのは、九達郎とオシさまである。
 九達郎だけなら振り解いても探しに行く心算だったがーーなんせ平気で「コレで二人っきりの時間が持てるな」等と言いかねない相手だーー、ただオシさまが出てくると話は違う。ここの主であり、ゆりの師匠であり、コウを可愛がっていた人物の言葉には、最終的に渋々とであれど頷かずにはおれなかった。
「違うでしょ、九達郎。おまえ、自分の子供可愛くないの。」
「? 何を言っている、ゆり。もちろん老後のことも考慮に入れて、可愛がっている。」
「考慮に入れるんじゃないよ。コウにはコウの人生があるんだから。」
「親が子を庇護するのはあたりまえ。子が年老いた親を養うのもあたりまえ、だ。」
「だから、それには自発的な意思が必要だろう! もういい。この件については、コウの味方だから! 」
 みにゅと片頬を摘み上げられながら、不思議そうにゆりを見返した。

 ーーコウの家出の直接的な理由は、ゆりが原因なんだがな。




「聞いてくださいよ、酷いんですよ、俺の親ァ。」
 少しばかり顔を顰め、兄弟子を見る。
 マンションの2階、一階がテナントな為101号室に守土の名がある。寝る時しか帰らないと、良く知った馴染みだからと、場所を教えてしまったのは痛かったと今なら素直に思えた。
「べんきょーも運動も素行もいろいろがんばったんですよ? せめて一般人ぽく見られるように。だって、反抗したってどうしようもないじゃないですか。」
 じゃあああっと熱したフライパンに、肉か野菜か放り込まれた音がする。ぴくりと今先まで、新聞から目を離さなかった兄弟子の連れが顔を上げた。
「肉のにおいがする。」
「料理あんまりできないから、炒め物だけ、だけどね。ヨナ、後20分で作り上げるから。守土さん、ヨナを横に避けててもらえます? 」
「……それで、コウ。親が何だって。」
 新聞の端を掴んでずりずりと邪魔にならない位置に導けば、匍匐前進紛いをしてヨナはそれを追う。新聞が止まれば、べたりと床に張り付いて何が面白いか熟読する。コウが気に入るのが分かる気がする。
 ヨナを退かした場所に、ちゃぶ台を置いて座布団を敷いた。
 20数畳強あるこのフローリングの片隅に、4畳畳が敷いてる。何が気に入ったか、コウがお礼と称する夕飯は、ここで食べるのが常だ。コウの連れも、近頃入ってくるなりここに居つく。
「ええ、どんなに頑張っても『ゆりに及ばない』『それ程度でゆりを護れる訳なかろう』で終わっちゃうんですよー。」
「…………九達郎サン、か。」
「そりゃ、俺だって! ゆりさんにとおく及ばないのは分かってるよ?! 〜〜九達郎にだって…。オシさまは別格だし……。」
 調理中に喚くなと言おうかと思った勢いは、最後は枯れてつぼんだ。後、師匠の弟子達に九達郎の仲間。ーー確かに一般人ぽく生活している奴等ばかりだ。
「ーーコウの近くは別格だから。」
「ーー俺は、九達郎を越えなくちゃならないのに。」
「何故。」
「ーーだって、そうとしないといけないからですよォ。」
 それは、多分九達郎の刷り込みだ。
 ゆりを一つの存在意義と定義した九達郎は、自分のスペアとして、コウを見ている。万が一自分に不慮があった場合の為に。
 微かな溜め息を咎めて、ヨナが顔を上げた。
「どうした。」
「なんでもない。」
 もしかしたら、コレが反抗期なのだろうか。
 最初はただの連れだと思っていた。どこだかから庇ってもらった恩人だからと、言われた際も余り気にしていなかった。
 九達郎曰く、「馬鹿じゃないが、まぬけ」のコウは、器用な事で、他の者から気に入られていた。それの一人だと思っていた。
 しかし良く見れば、どうやら今回は勝手が違うようだ。
 どこの骨ともつかない相手をヒモのようにーーどちらかと言えば、愛犬を構うようにべったりとくっつきたがっている。家族以外には、どちらかと言えば情が薄いコウがだ。
 情が薄いというのも、壁があるというのも違う、どちらかと言えば、流れていく景色を見ているように人と関わる。一生涯の相手とか、永遠の相手という字面を知っていても、それをどんな間柄か知らないタイプだ。
「なに? 守土さん。なに? ヨナ。」
 野菜炒め、ムニエル、ポテトサラダを乗せた盆を持ってきながら、二人を当分に見詰める。
「ヨナ、すましとご飯持ってきてくれる? ーー守土さん? 」
 ヨナの背が、キッチンに消えた事を確認すると、コウを人差し指で招いた。
「なに? 」
「コウ、自分の荷物の中、確認したことあるか? 」
「あんな手荷物、確認するほどのことじゃないでしょ。」
 古びてぐにゃぐにゃのスポーツバック一つで確かに、そう言うだろうが。
「発信機、盗聴器……。」
「あげく、ひよこの迷子札。あれは九達郎の趣味だから気にしなくていいですよ? ケイタイの位置が分かるやつ、あるじゃないですか。九達郎に聞いたら、一番イイの教えてくれますよ。」
 顔を近づけ、声を何時の間にか潜めていたコウは、ばっと立ち上がった。コウは気付いてないかもしれないが、顔に笑いが潜んでいる。
「あれは、保険だから、気にしなくていいですよ。」
 なるほど、あれがない方が、怖いのか。関心のバロメーターと言うには、むかつくが。




 最後まで読み直したゆりは、折り畳み、また箱の奥底におしこんだ。
 ちなみに、ゆりの持っているこのコウの作文は、提出されなかったバージョンである。というか、提出したのは、ゆりが監督、九達郎演出のものだ。
 何故ならば、3枚目からの傑作具合による。
 出だしはこうだ。

『います。ゆりさんと九達郎は、ヨウシえんぐみという結婚をした夫ふで、珍しいそうです。ぼくは、ゆりさんみたいに気が合う男子なら、結婚したいと思います。』

 それから始まり、3、4、5枚目は暴露本並みの破壊力を持っている。それより、学校側と確実な摩擦を生みかねない。
 それまでは何となく、作文だの日記だの放置気味だったが、これの存在の為、急遽家内検閲所が出来上がった。
 これに限りどうして発見されたかというと、九達郎デフォルトのゆりレーダーに引っ掛かった為である。
 それまでオシさまもゆりも、その胡散臭い言葉を流していたが、やにわに真実味が帯びたのはどうでもいい。十二時過ぎというのに、大の大人三人が、そこらの低学年の子供が書きそうな、発想と文章と文字の研究に取り組む羽目になった。
 その出来っぷりに、中を検めることなく、勇んでコウは学校へ行ったもんだ。
 次の日の朝、大人連中は、朝飯を食べながら居眠りをしそうな勢いだったが。

「…通り過ぎるといい思い出だよね。」
「ゆり、いまの妙な間は何だ。口端を引き攣らせながら嘘を言う癖は直した方がいい。すぐばれる。」
 みにょ、と、引き攣る自分の口端を引っ張って直し、言葉を重ねる。
「…………でも、子供らしい率直さだったよね。」
「初期値に近かったといえ、社会適応度が低すぎだな。わたしも初期値のまま手を付けてないが、幼馴染と親友と家族と嫁を一回で手に入れたぞ。」
 その言葉にむっと、九達郎を睨み遣る。ゆり自身の記憶と掛け離れている言葉だ。
 九達郎から差し出された手を払い、自分の事実を述べる。
 あんなに面倒臭い子供だった自分に付き合った癖に、どうやら相手は忘れているのだ。なんてことだよ。
「何いってんだよ、一回なわけないだろ。外に連れ出すだけに何回か掛かったか思いださせてやろうか? 」
「何を言っているんだ、ゆり。一回で部屋に招きいれただろう。それまでは、おまえの世界だった部屋に。」
「………………。」
 再度差し出した手は、払われる事がない。
「わたしの一目ぼれを否定するな。」
「ーー嘘を言われる行為は嫌いだ。」
「あの頃の感情の形の、後付けだがな。否定するな。」


 オシさまは、昼をとおに過ぎた時計を見て日寄っていた。
「ここで『昼飯はまだかいのー、ゆりさんや』と言うと誤解されそうじゃのー。どうしたもんかいのー。」
 何となく、長くなりそうじゃなー。すーぱーに行くとするかのー。
 今日も今日とて、子供が家出し変型家族の大黒柱は、とっても賢明であった。
 ぴよぴよ。



おしまい





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