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「私、柳さんの為なら何でもします!」
「…………………………なっ!?」

もう少しで昼にさしかかろうとする、山側合宿所の広場にて。
真剣な表情のつぐみから発せられたとんでもない言葉に、柳は絶句した。
何せ唐突過ぎるのだ。彼女からそんなことを言われる理由がまるで思いつかない。



思い起こせば今日は、朝からつぐみとはあまり接してはいない。言葉を交わしたのは朝食の時だけの筈だ。
今朝の食事当番である彼女にリクエストして作ってもらった根菜の煮物がとても好みの味加減だったので、彼女に礼を言って一緒に食事を取った。
ここまではいい。自分も大変機嫌が良かったのだ。
だがしかし、

「いやー、やっぱ女の子が作ってくれた御飯はいいっスねー」
「ほんまやなぁ、お嬢ちゃんにはこれからもずっと食事当番でいてほしいもんや」

という桃城と忍足の発言が聞こえてきてからというもの、何やら無性に腹が立って仕方が無くなってきて、このままだと試合に負けた時の向日の如く周囲に八つ当たりをしないと気が済まなくなりそうだったので、その後のミーティングが終わって即、走り込みに飛び出したのであった。
身体を動かせばそれなりに気分転換になるもので、数十分ほど周囲の林を駆けてようやく気が晴れたので、合宿所に戻ってきたところにつぐみが現れて――――
そして例の問題発言がもたらされたのだ。



「柳さんの為ならどんなことでも出来ます!だから………」
「まず落ち着け小日向。いきなり何て事を言い出すんだお前は」

涙目で詰め寄ってくるつぐみに柳が動揺していると、そこに、

「待て待て待てーいっ!そこの二人、待たんかー!!」

まるで威勢の良い岡っ引きの如く、真田が猛ダッシュで駆け込んできた。

「あっ、真田さん、私今………」
「悪いが俺の話が先だ。お前はあちらで待っていろ」

そう言って近くの木陰を指差す真田。

「え、でも………」
「早くせんか!」
「は、はい………」

真田に怒鳴られたつぐみが、木陰へとぼとぼと歩いていく。

「さっきから何なんだ一体、お前達は…」
「蓮二、俺達は何かお前を怒らせるようなことをしてしまったのではないのか?」
「…ん?」
「もしそうだというのなら、謝らせてほしい」
「………………」

自分としては不機嫌なのを上手く隠していたつもりだったのだが、どうも態度に出てしまっていたらしい。柳は自分の未熟さを反省した。

「別に、俺は怒ってなどいないし、お前達が原因でもない」
「そうなのか?今朝のお前は妙に苛立っているように見えたのだがな」
「…仮に俺の機嫌が悪かったとして、何故弦一郎達が焦る必要がある?向日の様に周りに当り散らすとでも思ったのか?」

「まさか。お前がそんなことをする筈がなかろう。そうでなくてだな、先程…………」



・・・



ミーティング終了直後の山側合宿所。
難しい顔で何かを話し合っている山側立海勢(マイナス一名)のところに、つぐみがやってきた。

「あれ?柳さんはいないんですか?」
「柳くんなら、ミーティングが終わってすぐにどこかに行ってしまいましたよ」
「そうなんですか。柳さん、いつもならこの時間はここでスケジュールの調整とかデータの確認とかしてるのに…」

お目当ての人物がいなかったからだろう、少し残念な顔をするつぐみに、赤也が遠慮がちに声をかける。

「その柳先輩なんだけどよ、アンタ、あの人が怒るようなこと何か言ったりしてねーよな?」
「えっ?怒らせたりはしてない、と思いますけど…」
「…そーだよな、うん。わり、変な事聞いちまって」
「……柳さん、どうかしたんですか?」

神妙な顔で問うつぐみに、真田が腕組みの体勢を崩さぬまま深い溜息をついた。

「今朝の蓮二は、あ奴にしては珍しく機嫌が悪いのを露わにしている様子だったのだが、その原因が解らんのだ」
「どす黒いオーラがめちゃめちゃ出とったぜよ」
「もし我々が気づかぬうちに柳くんの機嫌を損ねるようなことをしていたのであれば誠実に謝ろうと考えているのですが、小日向さんは我々を見ていて何かそういう心当たりはありませんでしたが?」
「いえ、特に何も………」
「そっかぁ…。うーん、柳先輩、どうしちまったんだろーなー…」

赤也が疲れた顔でテーブルの上にぐでっと突っ伏すも、『たるんどる!』と怒鳴る気配は今の真田にはない。それ位、親友のことで途方にくれているのだ。

「まあ原因は解らのうても、とびっきりの解決策ならあるんじゃが」

仁王の言葉に、全員が彼の方をバッと向いた。

「マジっスか!?」
「本当ですか、仁王くん!」
「何ですか、それは!?」
「言ってみろ、仁王!」

いつの間にやらつぐみの隣に移動していた仁王が、人差し指で彼女の額を軽く小突きながら言う。

「嬢ちゃんが柳のところに行って、『何でもするから機嫌を直して』って言えばええんじゃ。そうすりゃ奴さんの不機嫌なんぞ一発KOぜよ」
「え…私?」
「「「な、何でも!?」」」

この時真田・柳生・赤也の脳裏に浮かんだのは、度合いに差はあれど概ね卑猥な妄想だった。

「いかん!いかんぞそれは!!」
「それは流石にヤバいっスよ!!」
「紳士として、それを認めるわけにはいきません!!」
「折角いい案を出してやったというのに、ぎゃーぎゃーうるさいのう。なあ小日向、お前さんはどう思うよ?」

少しの間俯き加減で胸の前で両手の指を組んで考え込んでいたつぐみだったが、意を決して顔を上げた。

「柳さんには色々と親切にしてもらいましたし………解りました。私、柳さんの為に一肌脱ぎます!」
「「「脱いじゃ駄目だろ!!!」」」

ピッタリ揃った真田・柳生・赤也のツッコミに、つぐみがムッとして反論する。

「何でですか!私だって頑張れば、水汲みとか薪割りとか、柳さんの割り当て作業を代わりに自分一人で出来る筈です!」
「え、一肌脱ぐって、そゆこと?」
「ま、まあ確かに、そう言われる可能性もある訳ではあるが…」
「………我々とは大分想定の方向性が異なっている様ですねえ…」

予想外の返答に、目が点になる赤也と、たじろぐ真田と柳生。

「それじゃあ私、早速柳さんのところに行ってきます!」
「おう、頑張ってきんしゃい」

気合十分に両手の拳をぎゅっと握るつぐみを、仁王はヒラヒラと手を振って送り出す。

「いーんスか!?真田副部長、いーんスかあ!!?」
「幾らあの柳くんと言えども、流石に危ういのではないですか!?風紀的な意味で!!」
「こうなれば仕方あるまい!山側の立海の責任者として、俺があの二人を何としてでも止めてこよう!!」
「お願いします、真田くん!!」
「真田副部長、ファイトォーッ!!」

柳生と赤也の声援を背に受けて、真田はつぐみを追って駆け出したのだった。



・・・



「……………ということがあってな」
「……………………………………」

俺本人のいないところで随分勝手に盛り上がっていたものだな、と柳は思ったが、口にはしなかった。

「まあお前のことだから大丈夫だとは思ったが、一応、念の為にな」
「そうか。何やら心配をかけてしまったみたいで、済まなかった」
「小日向にも声をかけてやるといい。見ろ、あんなに寂しそうにしているぞ」

真田が顎で示した方を見ると、大きな木の下で三角座りでしょぼんとしているつぐみの姿があった。
いやお前がそうしろと言ったんだろう、と柳は言いそうになったが飲み込んだ。真田には悪気がある訳ではなく単に空気を読まないだけだということはこれまでの付き合いでよく知っているし、彼のそういうところは嫌いではない。

「そうだな。では行ってくる」
「うむ」


「あっ、柳さん!」

柳が近づいてきたのに気づいたつぐみが、慌てて立ち上がる。

「弦一郎から大体の話は聞いた。俺は怒ってなどいないし、お前が気に病む必要もない」
「そうなんですか?だったらいいんですけど……言われてみれば確かに、今日の柳さんいつもより口数が少ないような気がしたので………」
「…………………………………」

今日の自分はまるで平静を装えていなかったらしい。柳は自分の未熟さを心底痛感した。今度忍足の心を閉ざす技を詳しく研究してみよう、とも思った。

「それにお前、『何でもする』なんてこと軽々しく口にするものではない。もっと自分を大切にしろ」
「………はい……解りました」

何か言いたげな顔になりつつも、つぐみは大人しく頷いた。

「ほら、約束だ」

そう言って右手の小指を差し出す柳に、きょとんとするつぐみ。

「え?えっと………」
「知らないのか?指きりげんまん」
「い、いえ、知ってますけど」
「ならば、俺とするのが嫌なのか?」
「いえ、そういう訳じゃなくて!柳さんってこういう場合、指きりとかじゃなくて何か誓約書書かせて判子を押させるようなイメージだったので………」
「…そこまでしないと、お前は俺と約束事が出来ないのか?」
「違います違います!」
「ならば、ほら」
「………はい」

二度目の催促に、ようやくつぐみは自らの小指を柳のそれに重ねた。
柳が小指に少し力を込めて絡めると、つぐみの頬がほのかに染まった、ような気がした。



そんな男女の光景を、広場のベンチに腕組みをして座る真田と、その背後にいつの間にやらやって来ていた仁王が眺めていた。

「ほら、俺の言った通りじゃろ?嬢ちゃんがああ言えば万事解決じゃと」
「だがこれは、結果オーライというものではないのか?」
「細かいことは気にせん方がええ。若いうちからハゲたくなければのう」

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