「んっ…なんか、くすぐったいよぉ……」
アネットの頬を手のひらで優しく撫でると、フェリクスは反対側の頬に軽く唇を押し当てた。
その心地よい感触に、アネットはぴくんと身体を震わせる。
ここはガルグ=マク修道院・士官学校寮のフェリクスの部屋。
恋人である二人が甘いひとときを過ごしていた。
アネットの耳にキスをしながら、フェリクスはくん、と鼻で小さく息を吸った。
彼の鼻孔に広がるのは爽やかな柑橘系の香り。お洒落が好きなアネットの香水の匂いである。
「…おい、アネット」
「ん、んっ……どしたの?フェリクス」
耳元で彼女の名を囁くフェリクス。
耳に息がかかる感覚に、アネットの身体がぶるりとなる。
「俺がやった香水は付けないのか?」
一週間程前のこと。フェリクスはアネットに香水をプレゼントした。
化粧品のことにはまるで疎い彼ではあったが、それでも自分なりに色々考え、お菓子が大好きな彼女をイメージした甘い香りのものを贈ったのだが………それから今日に至るまでの間、その香りを彼女から感じたことは全くなかった。
「あ、あれはね、その…」
「気に入らなかったのか」
別に拗ねている訳ではない。
今回贈った品は彼女の好みを考慮しない、自分の独断によるものである。よって、もし彼女の気にそぐわないものであったのならば次回からは除外対象とする。フェリクスとしてはその判定を行いたいだけである。
「違う違う!すごい嬉しかった!!」
「では何故使わんのだ?」
「それはね、その………」
その場の調和を重んじるが故に、自分にとって明らかに不必要な物を貰っても曖昧な態度で話を流そうとする者はこの世に多く存在する。
処世術の一つなのだろう、と理屈では理解しながらも、フェリクス自身の性格とは相容れないものだとも感じていた。
故に、嫌なら嫌とはっきり言ってほしかった。のだが。
「…だって、あなたからのプレゼントなんて、あたしにとっては宝物だもん。ずっと大事に取っておきたいから、使うなんて出来ないよ………」
「………!!!」
彼女の返答は予想もしなかったベクトルから降ってきた。
それをノーガードでモロに食らう羽目になったフェリクス。顔中が一気に熱さを帯びるのを悟り、慌ててアネットを抱き寄せて彼女の顔を自分の胸板に押し付けた。赤面を見られないようにする為である。
「わぷっ!ちょ、フェリクス、苦し…」
「駄目だ。しばらくはこうしていろ」
もがくアネットを男の腕力で押さえつけるフェリクス。
抵抗を諦めたアネットが背中に手を回して抱きついてきたのに気づくと、彼の顔の温度は更に上昇したのであった………。
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その次の日の朝。
午前の講義に出席する為にフェリクスが青獅子学級の教室に入ると、アネットが一人で授業前の掃除をしていた。
「あっ、おはよーフェリクス!」
「ああ、お早う。早いな」
「…えーと………」
周りをきょろきょろと見回してから、ととっとフェリクスの方へ走り寄るアネット。
「? 何だ?」
「えいっ」
そして頭上にハテナマークを浮かべるフェリクスの前まで辿り着くと、いきなり彼に抱きついた。
「っ!?おいお前、こんな所で…」
「フェリクスがくれた香水、ちょっとだけつけてみたの。どう?」
そう言われて、フェリクスはアネットの首元に顔を近づける。
若干緊張した面持ちで上を見上げる彼女から、ホイップクリームやら蜂蜜やらが混ざったような甘い香りがした。彼女が幸せそうにお菓子を食べている時にいつも漂っている、あの香りだった。
「ああ…やはりお前にはよく合っている」
「えへへ…あたしもこの香り、大好き」
照れ笑いで答えるアネットの頬を両手の平で包み込むと、フェリクスは彼女の唇に自らのそれを重ねた。
「ん……だ、ダメだよこんなとこで………」
「お前に言われる筋合いはないな」
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その頃。
「あ、殿下にドゥドゥー、おはようございます………って、どうしたんですか?中に入らないですか?」
「お早うアッシュ。いや、入りたいことは入りたいんだが…」
「…黙って中の様子を見てみろ」
「……………あーこれは、しばらく待った方が良さそうですね…」
教室の入り口が詰まっていた。
おわり