「麦飴食う?」
「貰う」
「変な味」
「うめぇだろ」
「なんか、麦茶に砂糖入ってるみてー」
「うめぇじゃん」
「ぜってぇ変だよ。もう1個よこしてみ」
「不味いんじゃねーのか」
「微妙な味って、何か癖になるじゃん」
「うまくねぇならやらん」
「ああたりぃなあ学校。面倒くせぇ」
真夏日続きの毎日の中に気まぐれの様にその日はやってきた。
やがて台風一過の朝、目が覚めた様に鮮烈な甘い空の匂いに、
夏が遠のいたのを知った。
気も狂わんばかりの熱帯夜が嘘の様に冷え込んだその朝、湿っ
て光る道を歩いたが、蝉の声は已になかった。
掘り返された空き地の刈り取られた草花と、街路樹に飛び出し
て逃げ惑う虫と。
終バスの内部に飛び込んだ黒アゲハ、蟻に食われて頭部のない
蝶、生ゴミの臭う水に日を浴びてとまっている羽。
バスの正面硝子の端にじっとりと張り付いている蝶々。ぴらぴ
らと電燈に群れる蛾。
鱗粉がはげて上手く飛べない、飛び跳ねる虫。
バス停であんまり日に当てられたから、目眩がする。
その日、俺はHRまで耐える事が出来なかった。
ベッドに行くのすらも億劫で、ただ保健室の長椅子の上に身を
投げ出している。もう1時間になる。
折角のオフ日なんだけど。寝不足がまずかったな。
熱っぽくぬるまった腕時計を片目に、目を再び閉じた。
もう放課後になったというのに、まだ保健室の先生はこない。
普段なら休んでいる生徒に病院に行くか帰るか残るか、すぐ聞
きに来てくれるんだけど。
この中庭では、相変わらずじわじわと蝉の声が聞こえる。
勝手にベッドを使うのも気が引けたが、こうしていても仕方な
い。大分気分も普通に戻って来て、まだ速い鼓動を押さえて起
き上がった。変な汗をかいていて、首筋が冷たかった。
この所体調が悪い。季節の変わり目のせいだろう。
汗みずくになって押し掛けた俺を、弘は無表情で受け入れた。
いよいよ人の区別がつかない暗い夜道。
静まり返っている近所を見下ろして、不意に煙草が欲しくなった。
「何か帰りたくねー。かったるい、あしたが」
「親御さん心配してっぞ」
「
」
「じゃあ、ずっとここにいて、俺のものになるか?」
「
何だそりゃ」
「親と離れて、此処から学校行って、バイト行って、帰って来
て、飯食って寝て、それが厭になってから出て行くか?」
「おかしいよお前。そんな事いってねェよ」
「お前もそん位おかしいよ」
パルックの輪を眺めていても目眩は起こらなかった。
ただ色褪せたアパートの匂いのしみついた布団に顔を埋めて、
眠気に身を任せた。
なぁ、お前こそ自分が言ってる事、解ってるのかヒロシ。
バランスの崩れた時には、現実は牙をむくんだ。